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圧迫骨折  作者: 小松八千代
2/2

入院

7月12日火曜日、日本に着いてあくる日入院。

以前受信したことのある病院で、診察を受けて即入院ということになった。

病室は3階の4人部屋で、カーテンで仕切られている。この部屋の患者は2人、私が入院して3人になった。

ちょうどこの日コルセットの装具屋さんが来ていて、寸法を測ってもらう。1週間かかるという。私が背負ってきたコルセットは、ここの病院では必要ないらしい。娘に持って帰ってもらった。

この病院の先生の話では「2か所圧迫骨折してますから、骨が固まるまで動かないように、トイレも車椅子で行くようにしてください」と言われた。とにかく立てったらだめだというのだ。

それで、トイレに行く以外は一日中仰向けになって、ベッドに張り付いたままだ。午前中は痛み止めの入った点滴をする。なにも痛みはないのにと思ったが、医者に任せるよりほかない。

食事のときはベッドを少し起こして、匙でご飯を少しずつ口に運ぶ。間食に娘が持ってきた菓子や饅頭をポリポリ食べる。

朝8時朝食。8時半に院長が看護師3人ぐらい伴って回診。

もう60歳近いと思われる院長が

「え~と、小松さんなんだったかな」

などと、看護師が患者の状態をメモしたボードの上の用紙を見ている。何の病気か忘れたらしい。思い出したように「背骨の骨折ね」そして「骨が変形しちゃってるからね。しばらくは寝たままで、コルセットができたら少しずつリハビリ始めますからね」

それで、次の患者に回っていく。まあ患者が何十人いるか知らないが、皆の容体を覚えておくのは大変だろう。毎日看護師が体温と血圧を測って、用紙に書き込んである。それを見ながら回っているようである。看護師は皆女性で、白い制服に白いパンタロン、ピンクの上着の人は、敷布を変えたり、オムツを取り替えたり、準看護師だろうか。

シャワーはブルーシートを張った台車のようなものを持ってきて、敷布ごと「1、2、3」で放り込まれる。私は、シャワーはまだいいです、と言ったのだけど、準看護師が「何時から入ってないの」と言って、指を折って「今日で5日ね。カビが生えるわよ」と強制的に風呂場まで運ばれて、ブルーシートの台車のまま、湯をかけながらごろごろ転ばされて、垢すりでごしごし。その荒っぽいこと。イモじゃあるまいし、生身の体なんだから、もう少しやさしくしてくれればいいのに。洗髪もシャンプーつけて、ざっと洗ったあと「はい、目瞑って」と、頭を少し持ち上げて、シャワーの湯を顔のほうまでかけられたので、私は「ぶわぁ」と息がとまりそうになる。「あら、溺れるところだったわね」などと言いながら、乾いたタオルで乱暴に拭いてくれた。

看護師が「お通じがないですね」

そういえばずっといってない。

「寝る前にこの薬を飲んでくださいね。下剤です」

「ええ、下痢になるんじゃないの。浣腸はできないの」

「これは、便を軟らかくするだけですから。2粒飲んでください」

まあ、軟らかくするだけなら、とその夜2粒飲んで寝た。

あくる日、なるほど軟らかい便が出た。が、その後、ちょっとして便意をもよおしてきた。そのうち下痢状になって、その日は5,6回行った。

「やっぱり下痢になりました」というと、看護師が「効きすぎたようですね。こんどは1粒飲んでください」と言われた。

毎日暇で退屈なので、漫画を読んだり、スウドクをしたり、テレビを見る。病院に置いてある漫画は10冊ぐらい読んだ。

読み終わると、次が読みたいので、看護師に頼むと「あとにしてくれません」と機嫌が悪い。それで、いつも掃除に来る50歳ぐらいなお兄さんに頼む。「うんいいよ」と機嫌良く引き受けてくれる。

「鉛筆落ちたから拾って」「薬の袋落ちたわ」と、なんでも頼める便利なお兄さんなのだ。

お向かいに入院している御歳80歳ぐらいの奥さんとも話ができるようになった。上品な奥さんだと思っていたら、踊りの先生だったそうだ。ヘルニアの手術をしたとかで、10日ほどで退院していった。退院する前日、別の病室に移っていったのだが、退院当日お別れのあいさつに来てくれたのだ。ええっ、わざわざあいさつに、私は驚きと感動で少し胸が熱くなった。


コルセットができてきた。腰から胸までの長さで上品なつくりだ。白い網状の布でできていて、少し幅広の針金がところどころに入っている。これを起き上がるときは前に付いているマジックでぎゅっと締めて、寝るときは緩める。

1日1回若い男性の理学療法士が来て、ベッドの上でのリハビリが始まった。30分位足の運動やらマッサージをする。

こんどは、椅子に座ってシャワーを浴びられるという。服を脱ぐのを手伝ってもらって、プラスチックの車椅子に乗り換えて、シャワー室に入って、何とか自分で体を洗い頭も洗う。準看護師が常時気を付けていてくれて、背中を流してくれる。シャワー室から出て体も拭いて、お尻まで拭いてくれる。若い準看護師はとても優しいのだ。

ドライヤーでシャンプーした髪を乾かしてもらっていると、60歳ぐらいの準看護師長らしき女が

「どうして歩けないの。ここへ来てから歩けなくなったんでしょう」

私は「ううん、家で転んだの。それから歩けなくなったの」

ベッドに帰ってから、あれ、あの準看護師長、ここへ来てから歩けなくなったって言ったわね。病院に来てから歩けなくなったりしたら大変じゃないの。何、意地悪してるのか。鈍感な私は気がつかなかったのだ。そろそろ定年退職を迎えそうなおばはんだ。苛々してるんだろう。相手にしないほうがいいわ。それからは廊下で行きあっても知らんぷり。


シャワーを浴びるのはたいてい午前中だが、このあと、昨夜飲んだ下剤が効いてきたのかまた下痢になった。1粒だけ飲んだのに。人より胃腸が敏感なのだ。この下痢が止まらない。それでトイレに行くたび、吐き気をもよおす。ベッドに帰っても胸が苦しくて吐きそうだ。頭がぼ~っとして暑い。背骨が治る前に脳溢血で死んでしまうのでは、それとも半身不随。いやな想像ばかりしてしまう。看護師を呼ぶと血圧を測ってくれた。血圧は170。今日シャワーに入れてくれた準看護師も来て「かわいそう」と私の顔を覗き込んでくる。ちょうど日曜日で主治医もいない。看護師が4,5人集まってきて心配そうに覗き込む。ベッドを少し持ち上げて、氷枕で冷やすと落ち着いてきた。

「少し様子を見ましょう」と言って看護師は去って行った。

1時間ほどして、また血圧を測りに来る。

「はい、吸って吐いて、吸って吐いて」 

言われたとおりに鼻から息を吸って口から吐き出す。「血圧下がりましたね。興奮してただけかも」なあんだと言わんばかりだ。

でもこのあと、お菓子も饅頭も食べられなくなった。食べるとお腹を壊すのではないかと心配で食べられないのだ。また、食べたいとも思わなくなった。体のコントロールがおかしくなってきた。

私はだんだん不安になってきた。松戸にいる娘はさっぱり来ない。寝まきも下着もフルセットで借りているので、洗濯物を取りに来る必要もない。公衆電話から娘に電話をした。アメリカにいる長女に来てもらうように、連絡を頼んだのだ。

下痢は菜っ葉がそのまま出てくるほどだったので、消化剤、それとよく眠れないので睡眠導入剤も処方してもらった。


6時に夕食が終って、9時就寝で消灯。

離れた病室からしわがれた男の声がする。「ここで金の話をするな」少しの間静かになってまた「金の話をするなと言うのに」 どうも奥さんが金のことでブツブツ言ってるようだ。面会時間は午後7時までだが、仕事をしていてこの時間じゃないと来られないのだろう。

廊下で車椅子の上に服を脱いで置く。また取って着る。それを何度も繰り返しているおじいさんがいた。どうしたのだろうと思っていたが、どうも認知症か。入院している患者のほとんどが高齢者で私は若い方だ。

2週間ほどして、やっと娘がアイパッドを買ってきた。ポケットWi-Fiも借りたとかで、一緒に持ってきた。スマートホンが欲しかったのだが、高い上に携帯は1、2年の契約をしないといけないそうだ。これで、娘とはメールで、パラグアイとはスカイプで連絡が取れるようになった。でも、病室では携帯や、スカイプは使えないことになっているので、看護師がいないときを見計らって、イヤホンを付けて小声でちょっと話をするだけだ。でも、これで私の気持ちも少し落ち着いてきた。

車椅子の使い方も覚えて自分で漕いで行けるようになった。


3週間後私は、2階の回復病棟に移されることになった。本格的なリハビリが始まるらしい。引越しの朝、アイパッドや、スウドクの本、読みかけの小説やら、紙袋にまとめて入れた。

看護師が来て「忘れ物はありませんか。入れ歯とか置いてませんか」と言って、戸棚の中などを調べている。

「ありません。戸棚の中に入れ歯はないでしょう」

「ええ、でも忘れて行く人いるんですよ」と言って、まだがさがさ戸棚の中をかき回している。ふん、まったくもう。入れ歯って、口の中にあるだろう。

2階の回復病棟も3階と同じ造りだった。3階では洗面台は病室の中にあったのだが、ここは病室の入り口の横に、立派な洗面台が備え付けられている。トイレも車椅子で悠々と入れるような広いスペースで、洗面台の反対側にある。2病室に1つの割合である。3階のときのように順番待ちしなくてもいい。

お風呂場も広くて、シャワーが2か所にある。長方形の浴槽の底はちょうど腰の高さぐらいにあって、前面が下がるようになっている。腰を掛けて足を上げると、前面が上がって閉まり、湯を入るようになっている。出るときは出湯のあと、また前面が下がるので、足を降ろしてゆっくり立ち上がる。介護用の便利な浴槽なのだ。うちの87歳の母もこの浴槽なら入れるだろう。

私の入浴は火曜日、金曜日週2回午前中だった。お風呂に入ると血の循環が良くなって体が軽くなるので、毎回楽しみにしていた。

ここは看護師はピンクの制服で、看護助手は黄色の上着。ここでは準看護師じゃなくて看護助手らしい。患者を食堂まで連れて行って、食事の世話もする。食堂には男性スタッフも何人かいるが、看護助手の男は1人だけで、あとは皆女性。私は、車椅子は外されて、車の付いたセーフティアームとかいう押し車のようなものを押して食堂までいく。食堂からは一番遠い病室だったので、80メートル位あって、これだけでもリハビリになる。


この回復病棟も、患者はほとんど高齢者で、昼食前に軽い体操や、発声練習をしたり、老人ホームのようなところなのだ

病室には、私と向かい側のベッドの、膝の手術をしたというHさんと2人だけだったが、次の日隣のベッドに1人Nさんが入院。Nさんは庭で転んで、大腿骨を骨折したとか。

それから痩せた小柄な奥さんも入院してきた。しゃべるのも少し困難なようで、かなり具合が悪そうだ。付き添って来られたご主人と娘さんが帰った後、尿が漏れてしまったと泣いている。看護師が「大丈夫ですよ」と優しく言いながら下着を取りかえているようだ。回復病棟にもこんな人が入院してくるんだと少し驚いた。とても回復しそうにない。そのうち、眠ってしまったようだが鼾がすごい。

その夜、お向かいのHさんの大きな声で目が覚めた。

「まあ、聞いてください。あの鼾を。眠れなくてこっちのほうが病気になってしまいます」

「あ、あのう、今はどうもできませんから、明日にはなんとかしますから。申し訳ないです」と、看護師が小声で謝っている。

あくる日痩せた奥さんは別の病室に移された。Hさんが

「あの鼾はうるさかった。眠れやしませんよ」

Nさんが「往復だもんね」と相槌を打って、息を吸うたり吐いたりしてみせる。

確かに、行きと戻りで少々音は違うが、まるで草刈り機のようだ。ガーゴーではなくて、ブワァーと何か噴き出しているような音だ。

Hさん「私も鼾かくけど、あれには負けたわ」

私は可笑しくなった。そういえばHさんも鼾かいてた。


ここに移ったころから、膝から下が冷えて、切れるような痛みを感じる。自律神経失調症かも。このことを内科の医者に言うと「うん、下痢も自律神経だよ」と、私のカルテを見て把握しているようだ。「自律神経は、脳の病気だから治らないね」そして両手の指先を合わせて「興奮する神経とそれを抑える神経があって、興奮する神経が勝ってるのね」と言って、指先を片方に倒すようにした。「あんまりひどいと、精神安定剤とか飲ますけど、あんたのはそれほどでもないね」 

ふうん、やっぱり治らないんだ。私は、看護師さんに教えられた深呼吸をすると精神が落ち着くので、そのことを言うと「うん、深呼吸をするといいよ」と、言われた。  

この内科のお医者さん82歳とかで杖をついて病室を回っている。ここは移ったとき、一度整形外科医が診察してくれただけで、回診はなく呼ばないとお医者さんはこない。

リハビリは1日3回で、1回1時間。2回は理学療法士がマッサージをしたり歩く訓練をする。1回は作業療法士で、マッサージもするが、おもに家事の練習だ。それぞれ受け持ちが決まっていて、私の理学療法士の先生は若い男性でまだ独身のAさん。

「小松さん、今日は10時からと午後2時からです」と知らせに来て、また時間になると迎えに来るのだ。ここのリハビリテーションは有名なのか、他の病院で手術をして、リハビリの為ここの病院に移ってきた患者さんも多い。広いサロンに、リハビリ用のダブルやシングルの寝台も10台位ある。その他筋力トレーニング用の機械も何台もある。理学療法士、作業療法士も何人もいて、男性が多い。

リハビリは15分ぐらい全体のマッサージ。そのあと、まずは寝たままの状態で、体をねじるようにして伸ばした右手を左側に倒す。同時に手先を見ながら首を左側にねじる。右手が終わると今度は左手も同じように動かす。足を持ち上げたり、蹴ったりする運動。このとき理学療法士がちょっと力を加えて邪魔をするので、けっこう力がいる。そのほかボールを使ったり、台を持ってきてその上に移動して、座ったり立てったり。1、2、3、4と号令をかけて、たいてい10まで数える。それから杖をついて歩く練習。上半身が重たくてちょっと歩くと疲れる。お腹周りの筋肉がなくなっているので、コルセットで補っている。筋肉をつけたら歩けるようになる、と、A先生は言うけど、1か月ぐらいでそんなに筋肉が落ちたのだろうか。

理学療法士のA先生が休みのときは、代わりの理学療法士が来る。そんなとき「お休みありがとうございました」とお礼を言ってくれる。

「え、なに、休んだからってお礼言わなくたっていいよ」と、私が笑ったので、それからは言わなかったが、お向かいのHさんの理学療法士も休みとってお礼を言っていた。日本人はありがとうと、ごめんねの、言いすぎだよ。なんでもごめんねごめんねと謝ってる。

Hさんの話だと、作業のリハビリは料理をしたり、掃除機を使ったり洗濯物を干す練習。近くのスーパーに買い物にも行かされる。実際には買い物はしないが、料理の材料を買う真似をさせられるわけだ。家に帰って一人で生活できるかどうか試されるらしい。


食堂でマージャンできる人募集という張り紙を見た。

ええっ、病院でマージャン。看護助手に聞いてみると「えっ、マージャン出来るんですか」「はい」「じゃあ、こんどお声をかけます。以前はいっぱいいたんですけど、最近はいないですね」 ふうん、今はあまりマージャンする人いないんだ。


作業訓練は次の週から始まった。作業療法士のK先生に聞いてみると、将棋とマージャンあるよというのだ。まずは将棋をやってみるとボロ負けだ。どうやったら強くなるんだろうとアイパッドで練習。マージャンはほかにする人がいないので、K先生と2人だけ。1時間だけなので、イーチャンするかしないかだ。勝ったり負けたりで、五分五分かな。とにかく作業訓練はマージャンで、私が「先生、今日は疲れてるよ」と言うと「うん、これだけ」と言って、胸元まで両手をあげてパイをかきまぜるしぐさをする。「うん、じゃ行く」とこんな調子だ。

K先生の趣味は海外旅行で、1人でよく出かけるらしい。

「先生、彼女いないの」というと、動揺したのか、並べてあるパイに手がぶつかって崩れてしまった。50歳ぐらいだと思うけどまだ純情なんだ。マージャンはほんとに楽しい。

アメリカから長女も来てくれて、1日おきぐらいに病院に来るようになると元気づいてきた。

リハビリは、だんだん厳しくなって、バス停まで50メートルぐらいを2回往復させられる。あいかわらず上半身が重たくて、長い間歩くと疲れる。でも、垣根の緑や花を見ると、心も気持ちも和らいでくる。7、8、本あったヒマワリの花が、1本になっていた。

「あれ、ひまわり1本になっちゃったよ。かわいそう」と、私が言うと、理学療法士のA先生「そのうちこれもあとを追いかけていきますよ」 

え、なんかその言い方って気になる。まあいいか。ひまわりは種をいっぱい残したわけだから。

バス停のほうから、やはり理学療法士に付き添われて、70代ぐらいなおじいさんが歩いてくる。狭い道なので、2人の横をすり抜けてはいけない。私は「先生、お客さん来てるよ」「小松さん、お客さんじゃないよ」と笑ってから「こっちから行きましょう」と、道を渡って反対側の歩道を歩く。

そのあと、2階まで階段を上がらされて、病室まで長い通路を歩いて「ありがとうございました」とお礼を言ってベッドに倒れこむと、「ふう」と溜息が出る。


こんなに運動させられるので、お腹もすいてくる。でも病院の食事は質素で、塩分も少ないので物足りない。食事代は1食280円と超安いので文句も言えないが、ある日の夕食は、野菜の入った卵焼き二切れに野菜のお浸し。周りを見回してみると味噌汁を持っている人もいる。今日は私の膳には味噌汁がない。

「あのう、私お味噌汁ないんですけど」

「小松さんはお味噌汁はないです。ジュースです」 

ええっ、ジュースより味噌汁のほうがいいよ。栄養士が、病人にあった献立を作って出しているはずなのだが、おかずが少ないのにご飯だけお茶碗一杯盛られている。私は糖尿病ではないのか。あいかわらず間食はできないし、食欲が細くなって胃が小さくなっていくようだ。

退院したら刺身いっぱい食べよ。でもいつ退院させてくれるのだろう。

昼食のあと、他の患者を診察していた禿げ頭の60歳近い整形外科医を捕まえて、私も診てくださいと頼んだ。2階に移った日診察してくれた先生だ。まだ昼食を摂ってないのか「MRIを撮らないとわからない」と、めんどうくさそうに言って去って行った。

でも、それから2、3日してレントゲン室に来てください、と呼び出しがあった。MRIは日本では30分かかる。蒲鉾型の狭いドームに30分も入ったら疲れる。最初に腰のレントゲンも撮って、着替えをする時間も入れると45分かかった。入院した日もMRIは撮ったが、その時はそれほど感じなかった。体力がなくなったのか。


どうも私は時間を区切られるというのが苦手だ。病院では食事の時間も、リハビリ、就寝時間もみな決められている。薬にしても飲んだか飲まないか調べられる。

看護師に「睡眠導入剤なくなったのでお願いします」と言うと

「おかしいな、まだ一粒残ってるはずなのに」

「えっ、残ってる」

「お薬は何時も火曜日に出すようになってるから一粒残ってないといけないんだけど」

 ほんとは一粒残っている。これは予備にとってあったのだ。

私はすまして「よく知ってるわね。たんすの中の袋に3階にいたとき貰ったのが1つ残ってるよ」と、言うと、若い看護師は苦笑いして去って行った。


MRIを撮って2日後、私がマージャンをしているところへ、禿げ頭の整形外科医が「小松さん具合悪かったんじゃないの」

「あ、あれ、先生今は忘れてます」

「じゃあ10分待つから」と、まあ長いこと入院していると、医者も友達みたいなものだ。10分後診察室に行ってみると、パソコンに映っている背骨の映像をポインターで示しながら

「背骨が二つくっ付いて固まったので、少し丸くなった。それで、神経の通っているところが少し狭くなっているが、問題ないだろう」と言ってから「腰の痛みなどはあるかもわからんな」

それから、腰を曲げられるかどうか状態を見たあと「8月の末には退院できるだろう」と言ってくれた。やったあ、もう少しの辛抱や。


廊下のほうで悲鳴のような声が聞こえてきた。「先生もういやぁ」

「もうリハビリしないの」理学療法士がなだめるように言っている。

「先生もういやだ。おうち帰る」

「どうして、もう少し頑張ろうよ」すると、ガラガランと何か落ちたような音がした。「あ、杖投げちゃった。そんなことしたらだめよ」

廊下の様子は見えないが、なぜか私の未来のような気がした。どうせ再起不能なんだからほっといてよ。こんなところで縛りつけられるより、余生は家で静かにゆっくりと終わらせたい。呆け老人にされて、金を取られてこんなところに放り込まれたら大変だ。今のうち作戦練っとかないと。


Hさんが「家屋調査に4人も来られるいうので、今息子に電話したところです。お茶ぐらい出さないかんでしょう」Hさんは九州出身なので少し九州訛がある。

私は「なんですか、家屋調査って?」

「家を見にきて、階段に手摺をつけろとか、ベッドにしなさいとか言われるみたいですよ」

「ええっ、そんなことするんですか」

「そうですよ。それならお金出してくれればいいんだけど」

高齢者が一人で生活できるように、家を改築しなさいということらしいが費用は自己負担。理学療法士に作業療法士、あと、福祉関係の人かどうか知らないが、4人も行くとは、日本も暇なんだね。もっとも、一人で行ったのでは責任持てないだろうけど。

このことを娘に話すと、それは高齢者が老人ホームに行かなくても、一人で生活できるようにという国の政策だという。

ふ~ん、そういうことか。私は、なんとなくわかるような気もするけど、結果はどうなのかな。


「ぶうぅ~」 Nさんがおならをした。力むので大きな音になる。

Hさんが「Nさんはよくおならをするね」と言っていた。

私は我慢しているのに羨ましい。

どうせもうそう長くない人生、好きにさせてよともう一発。「ぶうぅ~う」


何日かして、お話し会をするから集まってください、とお声がかかった。食堂に行ってみると、こないだ杖を投げたおばあさんが理学療法士の先生に付き添われて居るだけで、他に誰もいない。なんだと思いながらも、おばあさんの横に座ると

「邪魔じゃない」

私は驚いて「えっ!」

「邪魔じゃない」

「えっ、なんで邪魔なの!?邪魔じゃないよ」と言うと、おばあさん泣き出した。私は慌てて、お茶を入れに立った理学療法士に「あ、あのぅ先生」と目で問いかける。先生は慣れているのか知らん顔している。涎を垂らしながらおいおい泣いているおばあさんを見ていると、私も泣き出してしまった。「うわぁん!!」

このおばあさん、ちゃんとわかってるんじゃないの。自分が邪魔ものじゃないかって。歳とれば生きていることさえ遠慮しなければいけないのか。私は、眼鏡を持ち上げてテイシュで涙を拭いたり、鼻水を拭いたりで、泣き会になってしまった。

結局、あとから70代のおばあさんが1人と、理学療法士3人で、オリンピックの話や、どこに住んでいたかなど話をした。住んでいたところは富山になったり松戸になったりで、あっちこっち行ったり来たりだ。

映画の話でもすればよかったかな。石原裕次郎とか知ってるのかな。嵐を呼ぶ男。私より15、6歳上だから戦争を知っている年代だ。暗い時代を生き抜いてきたんだね。かわいそうに。


夕食の時間、食堂に行ってみると、あれ、今日泣いていたおばあさんがにこにこしてご飯を食べている。

隣で食事をしている奥さんが「病人は泣くと痛みが和らぐそうですよ」 なるほど。そういえば、この前も嬉しそうに理学療法士の肩に縋って歩いていた。あの鼾をかいていた痩せた奥さんも、楽しそうに食事をしている。やっぱり治って行くんだ。理学療法士の根気の良さには感心させられる。


いよいよ退院ということになった。やっとここから脱出できる。荷造りしないと。タンスの奥にビニール袋がある。何か入っている。そういえばこないだ看護助手が下着をダブって持ってきた。

え、なにこれ、オムツじゃないの!!。ビニール袋の中には、吸水性の脱脂綿がついた大人用のオムツが入っていた。

いくらなんでもオムツはまだ早いよう。


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