第一話『終わらない終わりの始まり』3
うつらうつらとしていた脳裏に、退屈を持て余した少年の声が響いた。スマホで確認した時刻は、既に開始予定時刻を二十分ほどオーバー。応接室の窓から見える景色が暗くなりかけている。
それを皮切りに、何かあったのかなあ? とか、私の時間を無駄に……とか、そういう不満や疑問の声が湧き始める。
始まらないのなら帰ろうか……そうも思ったところで、応接室の奥の部屋から台車を転がす音が聞こえてきた。部屋に入ってきたのは神無月氏と、一抱えほどある石のオブジェ。燭台だ。
「いやあ、すまない。その、少し立て込んでいてね。もう始めてしまうから」
彼は家具を端に寄せた応接室の中心に燭台を据えて、大慌てで準備を始める。ざわついていた空気が収まり、人々は再び席に着く。私も浮かしかけていた腰を戻した。
座った私の背丈と同じくらいの高さである燭台。その中には、並々と注がれた菜種油が見えた。老博士がジッポライターを取り出して火を灯すと同時に、どうやらイベントの手伝いをしているらしい小学生が部屋の明かりを一段階暗くする。
先ほどとは打って変わった静謐が、歴史ある研究所の一室を満たした。
祝福の言葉を務めさせていただきます、と厳かな声が告げる。私は一つ大きな呼吸を出入りさせて、体を硬直させた。
「今年も無事、我々は春を迎えることが出来ました。失ったもの、新しく得たもの、そして移り行く季節に、感謝を」
間もなくやって来る春。
「恵みの春の訪れに、感謝を」
私達は、ただ期待に胸を膨らませていた。
「去りゆく冬に、感——」
パチン、と。
乾いた音が小さく、しかし確かに部屋中に響くのを聴いた。
それは電気のブレーカーが落ちた音のようであり、キーボードのエンターキーの音のようでもあり、熟考の末に生み出された将棋の一手の音のようでもあった。それが何なのか、恐らく部屋にいる全員が気を取られてしまったせいで、部屋の電気が先ほどまでと違い完全に消えていることに気が付くのも遅れてしまったのだろう。
祝詞を述べていた老人が、困惑して辺りを見渡す。
「……あれ? どうしたの?」
静寂を破ったのは、女子高生の声だった。彼女はスマートフォンの電源を入れながら椅子から立ち上がり、大燭台の仄かな光だけが照らす部屋に別の明かりを点ける。
しばらくして、彼女は意外そうな声を出した。
「あれ? 電波、圏外になってる」
私の心は、静かにざわつき始めた。人々の息遣いで静かに揺れている炎のように──居てもたってもいられなくなり、立ち上がって小走りで部屋の反対側、締め切られた分厚いカーテンに向かう。
カーテンに手をかけ、一度後ろを振り返る。部屋中の視線が、私に向いていた。私は黙って頷き、光を遮る布を開け放った。
その景色は、丘から見下ろす街の景色は……ある点を除いて、私の記憶と一切変わっていなかった。
交差点で止まる自動車、大通りを歩く人々。その景色は全て、絵にかいたような日常の一風景だった。普段と違うことは、ただ一つ……それが、どれだけ経ってもその一風景から変わらなかった、ということだ。
「凍って……いる?」
私は呟く。荒くなった呼吸の一部が、白い粒子となって輝いた……