柔軟から始めよう
「塩が欲しい?」
翌日、学校でアキラに塩を大量に発注した。いや、もちろんマグ拳ファイター内でのことだよ。リアルでそんなに大量には要らない。
「ああ、できるだけ大量に。フィーアポルトって港町だろ? 塩は安く手に入るんじゃないか?」
「そりゃ手に入るけど? なんだ? 飯屋でも始めるのか?」
その問いにオレは視線を巡らせる。
「んー、まあ似たようなもんか」
「それだと商業ギルドに登録した方がいいな。小銭稼ぐぐらいならいいが、本格的に商売するとなると、役人がすっ飛んで来るぞ」
なるほど。それは考えていなかったな。
てなわけで、オレはその日の内に商業ギルドに届け出を出し、今、トレシー近隣の林にいる。
「よろしくお願いします」
腕を組んで仁王立ちのマーチに頭を下げる。
今日はオレの特訓と商売に必要になる食材を求めてマーチと二人、鹿狩りである。ちなみにブルースは宿でお留守番。小袋をせっせと作っている。
「ん。私の遠隔操作魔法は、パスをバフで強化したもの。だからパスで抵抗されると上手く操れない。身体の力を抜いて頭を空っぽにして」
言われた通り身体から力を抜く。腕がだらーんとして端から見たら等身大の操り人形のように見えるかも知れない。頭を空っぽと言われたが、それはオレには無理だ。これは性分だろう。だがまあ、マーチの魔法に抵抗しなければ良いのだろう。オレにその意思はないので問題ないと考える。
オレの身体から力が抜け切ったのを見てとったマーチが、両手をオレの方にかざす。とオレの中にマーチの魔力が流れ込んで来るのが分かる。
うわっ、変な感じだ。ぞわぞわする。
「抵抗しないで」
抵抗するなと言われても、身体が勝手に反応してしまう。異物に対する正常な拒否反応だ。その反応は抑えようとすればするほど身体が拒否反応を示す。
馴れるまで一時間掛かった。いまだに魔力が流れてくる感じがくすぐったくあるが、馴れとは恐ろしい。忌避感はすでに薄れていた。
「それじゃあ、右腕から動かす」
マーチがそう言ってオレに向けている左手を上に動かすと、まさに右手がグイーンと上がった。
おお、スゲエな。なんか催眠術に掛かったようで感動する。
続いて左手、右足、左足とオレの意思とは関係なく動いていく。
おお、凄い! もうこの頃にはオレの中に忌避感は失くなっていた。ぞわぞわする感じもなくなり、身体の操縦を完全にマーチに引き渡した感覚は、明晰夢でも見ているような、自分の身体が自分のものじゃない不思議な体験だ。
マーチがゆっくり演武を舞えば、それに同調するようにオレの身体が勝手に動く。オレの身体ってこんなに柔軟性があったのか、と学校の身体測定で立位体前屈でマイナス20センチを叩き出すオレは驚いたものだ。
そういや、ゲームの中なんだからリアルより動けて当然なのか。多分オレはリアルの癖が身体に染み付いてて抜けなかったんだなぁ。と今更ながら思い至った。
マーチはどんどんと演武のスピードを上げていき、もう、リアルなら武術の師匠レベルなんじゃないかってぐらいキビキビと切れのある体捌きをオレの身体が見せてくれる。
スゲエな。これ格闘術の上達法としては裏技だわ。こんなんやったら誰でも強くなれる。オレの脳が感覚的にそう訴えていた。
その日は鹿狩りをするまでには到達することはなく、演武を繰り返しただけで終わってしまった。
マーチもいつも使っている人形との違いにかなり精神をすり減らしたようだ。
対するオレも、かなり疲れていた。まるで水泳の授業の後のようなぐったり感だ。
その日はそのままログアウトした。
リアルに戻ってもぐったり感はそのままだったが、それが何か達成感ように感じられて嬉しい。
嬉しくて、今日身体が覚えた動きをリアルでもやってみたが、全くお粗末なものだった。
とりあえず柔軟から始めよう。





