19.3ヶ月前に勝敗は決していた 前編
クラウスが夜会でフランチェスカに婚約破棄を宣言する三か月前、とある秘密の場所で秘密の会談があった。
「本日はこのような場所にご足労頂き、誠にありがとうございます」
会談を開いた人物はフランチェスカだ。彼女は二人の令嬢と二人の男性を控えさせていた。
「堅苦しい会話はなしにしようよ。ボクとフラニーちゃんの仲じゃないか」
フランチェスカの対面に座っているのはアーサーだった。彼の傍には側近のクロン、フォーリー、ゼッタの三人がいた。
「存じ上げているかもしれませんが、改めてご紹介します。わたくしの友人であるヴィルヘルミーナ・フォルスト辺境伯令嬢、ディートリント・イルムヒルト侯爵令嬢でございます」
「あー、自己紹介前にごめんね。多分、ボクらは今は知らない仲の方が良いと思うんだ」
申し訳なさそうな表情でアーサーはごめんね、と頭を下げた。王族があっさり頭を下げたことにヴィルヘルミーナとディートリントは驚いてフランチェスカを見る。
彼女は二人の視線を受けると、口元を隠している扇子を少し折りたたんだ。それだけでフランチェスカの考えを察した二人は、フランチェスカと同じく口元を扇子で隠す。
「承知しました、アーサー殿下。では、二人とはこの部屋を出た後は知らない仲です」
「無理言ってご免ね。でも、左後ろにいる人だけは自己紹介してね。右後ろはフラニーちゃんの下の兄って知っているけども、彼だけは顔も見たことないからね」
アーサーから値踏みされるような視線を受けて、フランチェスカの左後ろに控えていた男性が背を震わす。
気を許せば頭から食われる、そんな荒唐無稽な想像を笑い飛ばせないほど、アーサーの視線は恐ろしさがあった。
男性が冷や汗を流した所で、アーサーの後ろにいた男が彼の頭にチョップを入れた。
「程々にしろ。彼が倒れたら話が進まないだろ」
「これでも王族なのだが、ボクの扱いが酷くないか、クロン」
クロンと呼ばれた黒髪の男はアーサーの言葉にため息を吐く。漆黒の髪は呪われていると嫌悪される風潮だが、アーサーは対して気にしなかった。
他人への共感が低いアーサーは、クロン自身が優秀であれば『他人』がどう思おうと気にしない。
「先に申し上げておきますが、驚かないでくださいね。彼はラムダ帝国の元宰相補佐フォリンです」
フランチェスカが左後ろの男性、フォリンを紹介する。
ラムダ帝国と聞いてアーサーは楽しそうな表情、たいしてクロンやフォーリー、ゼッタは嫌悪感を剥き出しにした。
それはフォリンを嫌悪しているというより、ラムダ帝国という国を嫌悪しているように見えた。
「ラムダ帝国の人間が何故ここにいる」
「簡単ですわ。彼は今、わたくしに雇われている身です」
「はい?」
クロンの疑問にフランチェスカはよどみなく答える。余りに堂々としていた為、フォーリーは間抜けな声を上げた。
ゼッタやクロンも理解が追いつかず困惑する。ラムダ帝国の宰相補佐まで上り詰めた者が、何故フランチェスカに雇われているのか全く理解できなかった。
「あの、発言よろしいでしょうか」
場が混乱しかけた頃、フォリンはおずおずと挙手しながら発言の許可を求める。
今のままでは話が進まないと思い、クロンはフォリンに頷いた。フォリンはホッと息を吐くと、表情を引き締める。
「ご紹介に与りましたフォリンです。本当は長い名前があるのですが、全部ラムダ帝国に捨ててきたので今は単なるフォリンです。で、私が今、この場にいるのは第一皇子に裏切り者と思われて殺されそうになった所をフランチェスカ様に救われた為です」
「……話が余計分からなくなったな」
背景事情が分からないため、フォリンがどういう経緯でフランチェスカの元へ来たか分からなくなったクロンたちだった。
アーサーはクロンたちの困惑を楽しそうに眺めながら紅茶を飲んでいた。明らかに場を楽しんでいることが丸わかりだが、今は彼に構う暇がないクロンたちだった。
「順を追って説明いたしますわ。ディートリント、よろしくお願いします」
「はい、フランチェスカ様」
一から説明が必要と理解したフランチェスカが、ディートリントに説明するよう命じる。ディートリントはすぐさま返事をし、咳払いをして視線を自分に集めた。
「最初に、おバカ……コホン、クラウス様に付きまとう伯爵令嬢、名をレティと申しますが、彼女はラムダ帝国のスパイです。そして彼女がクラウス様へ近づき、親密な関係になる作戦を考えたのが彼、フォリンです。なお、我が国の国家機密を聞き出すハニートラップの件だけ彼は関与していません」
「なっ!」
クロンが驚いた声を上げる。普段、沈着冷静な彼だが驚くなという方が無理だ。
単なる男女のこじれと思っていたクラウスと伯爵令嬢、フランチェスカの関係に、そのような裏事情が潜んでいたなど想像もつかなかった。
「事の発端は二年前、ラムダ帝国の第一皇子が宝石姫と呼ばれるライトマイヤー王国の第二王女に無礼を働いたことが始まりです。詳細は彼女の名誉のため伏せます」
「流石に淑女の醜聞を根掘り葉掘り聞きたいと思わないよ。話の腰を折ってご免ね、続きをお願いします」
フォーリーが横から口を出したが、すぐに余計な突っ込みと思って下がる。ディートリントは頷くと言葉を続けた。
「彼女の姉にして現ライトマイヤー王国の女王、皆さまには銀の女王と言った方が分かりやすいでしょうか。ともかく銀の女王は第一皇子のプライドを木っ端微塵に粉砕した挙げ句、何度も踏み潰すような仕返しをしたとのことです。それに激怒した第一皇子は仕返しを目論みましたが、当然ながらラムダ帝国も相手がライトマイヤー王国となれば慎重になります」
「まぁあの国、軍事力もあるけど一番は特殊能力者や魔術師がいるのが強みだからね」
ライトマイヤー王国には時々、奇妙な能力を持った人間が生まれる。ライトマイヤー王国の人間が他国で子を出産しても能力者は生まれず、ライトマイヤー王国内でのみ誕生する。
一体、どんな力が働いているのかと各国は疑問に思ったが、ライトマイヤー王国も原理を殆ど知らないので完全にお手上げ状態だ。
「それに銀の女王は戦争をすれば『無敗』です。どうやってもラムダ帝国の第一皇子が勝てる訳ありません。最も、銀の女王は戦争を毛嫌いしていますがね」
「銀の女王は平和主義者だからね」
「平和の為なら相手の国を滅ぼすぐらい平気でする平和主義者ですがね。さて、そんな銀の女王にもできないことがありました。宝石姫のトラウマをなくすことです。第一皇子のことがあって以来、宝石姫は塞ぎ込んで、姉である銀の女王ですら接触を拒絶するようになりました。事件の場にいた人間を見ると、第一皇子のことを思い出してしまうからです」
「それでライトマイヤー王国の人間ではなく、同性で、それでいて対応可能な能力を持ったフランチェスカ嬢に白羽の矢が立ったと。銀の女王と姉妹関係を結んでいる彼女なら、ライトマイヤー王国へ行っても不思議に思われないよね」
ゼッタが納得いったと言わんばかりに頷く。二年前、フランチェスカが何度かライトマイヤー王国へ向かったことに、彼は疑問に思っていた。
表向きは姉である銀の女王への挨拶や、専門分野を学ぶためと言われていたが、それだけの為にフランチェスカが国から出るのはおかしいと考えた。
その答えがようやく得られたことに、ゼッタは満足げな笑みを浮かべる。
「時間はかかりましたが、宝石姫は見事トラウマを克服しました。ですが、それを面白くないと思った者がいます」
「あ、馬鹿皇子ね」
「はい。それで今度はフランチェスカ様に恥をかかそうとして、レティ様が派遣されたわけです」
「迷惑な話だ。無論、フランチェスカ嬢や銀の女王が悪いわけではない。問題は礼儀も頭もないラムダ帝国の第一皇子だ。あんなのが将来の皇帝なんて、ラムダ帝国は滅亡を望んでいるのか?」
「あの国は色々と限界に来ているのですよ。でも誰もそれを見ようとしない」
フォーリーの言葉にフォリンは苦笑しながら応える。
「ディートリント、ご苦労様です。これより続きはフォリン、貴方が説明をお願いします」
「承知しました」
「勿体ないお言葉です、フランチェスカ様」
フランチェスカの言葉にディートリントは頬を赤く染めながら微笑む。
指名されたフォリンは表情を引き締めると、全員が黙った所で言葉を口にした。
「一年半ほど前、私は宰相、おそらくは第一皇子の命を受けたのでしょう。フランチェスカ様に恥をかかせるよう命じられました。ルイス王国に軍事的圧力を与える話もありましたが、大義名分もない状態でその様な真似をすれば、ライトマイヤー王国が出てくるのは目に見えたので却下しました。それとフランチェスカ様のことを調べれば調べるほど、生半可なことをすれば痛い目を見ると判断し、結果一番チョロそうな第三王子に焦点を絞りました」
「良いところに目を付けたね」
アーサーはフォリンの能力が高いことを、先ほどの会話で察する。自国ではなく相手の国で、しかもフランチェスカを相手にするのは無理、とあっさり下がったことも賞賛に値すると思った。
普通ならば大国の威光に目がくらんで現実が見えず、無謀なことをしでかすことが多い。自分の陣営と相手の陣営を正確に知り、弱点をついてくる観察眼もアーサーは内心褒めた。
「お褒め頂きありがとうございます。話を戻しますね。それで、第三王子の好みを調査し、それに該当する人間を平民の間から探し出し、適当な伯爵家の令嬢にした後、商会を通じて様々な指令を出しました。学園に入学してから半年は順調でしたのですが……」
「愚弟と同様、調子に乗っちゃって話をきかなくなった、って落ちか」
「はい。それで何度か計画の修正をして、その通りに動くよう命じたのですが……次期王妃という立場に目がくらんだのでしょう。全くコントロールできなくなり、最終的に直接説得をと考えてこの国に侵入したら、何故か裏切り者扱いとなってラムダ帝国から殺されそうになりました」
「すまん、意味が分からん」
「ですよね。実は私も彼が何故そう考えたのか今でもさっぱり分かりません」
クロンだけでなくフォーリーやゼッタもまた、どうしてフォリンが裏切り者扱いになった理解できなかった。
彼らの思いにフォリンは肩をすくめる。第一皇子の命令で行っていた工作なのに、どうして裏切り者扱いになったのかフォリンは全く分からなかった。
おおよそ、第一皇子が誰かに吹き込まれたことを鵜呑みにしたのだろう、と推測したが、それにしては自分の命令を忘れるとは何事だと突っ込みたい気持ちだった。
「それで、暗殺者に殺される寸前、フランチェスカ様に救われました。更にはラムダ帝国の追っ手から逃げていた私の妻と娘も救って頂きました」
「中々に過激な話だね」
「そうですね。自分もこんな目に遭うとは思いもしませんでした。私は妻と娘に再会した後、全てを話しました。離縁されることも覚悟の上でしたが、それを恐れて隠すような不義理はしたくありませんでした。幸いにも妻から離縁宣言の言葉はなく、ただ『してしまったことは戻らない。ならば一緒に罪を償っていきましょう』という説教とともに殴られただけでした」
「いや殴られるって、割と過激なんじゃない?」
喜んで話すフォリンにフォーリーは呆れ顔をするが、等の本人は対して気にしていなかった。
「身体の傷など心の傷に比べれば些細なことです。心の傷は見えにくいのだ、自分の娘がそんな目にあって、お前は心が痛まないのか、とも言われましたね」
「随分、男前な奥さんだな」
「妻はラムダ帝国では武の名家出身ですからね。扇子より先に剣を握っていたとのことです。多分、追っ手は半殺しにしていたんじゃないでしょうか。人を殺す場を娘に見せるのは躊躇ったと思いますし。ちなみにプロポーズの台詞は『私と一緒に死ぬか、それとも結婚するか、どっちか選べ』とマグカップを握り潰しながら聞かれました。可愛いですね」
「何処に可愛い要素あるの!? というかその情報、今語る必要があるのか!!」
いきなり惚気話をし始めたフォリンにフォーリーが盛大に突っ込む。他の面子は突っ込むだけ無駄だと思っているのか、フォリンの言葉を聞き流していた。
我慢出来なかったのはフォーリーだけだった。
「すみません、話が脱線してしまいましたね。私の悪い癖です。よく友人からも『お前は余計な話をし過ぎだ』と注意されます」
「ほんとだよ。で、続きはあるの?」
「はい。といってももうすぐ終わります。今の私たちはフランチェスカ様のご厚意で、グデーリアン公爵家の敷地内に住んでおります。勿論、監視付きですし、人質の面もある妻や娘は簡単に外出できません。まぁ当然のことですから、妻も娘もさして気にしていません。たまに妻がグデーリアン公爵様の奥方様と手合わせをする程度で、平和に暮らしているようです。私はというと、フランチェスカ様から受けたご恩に報いるため、フランチェスカ様の僕となり、一生お仕えしようと決意しました。私の話は以上になります」
「中々面白い話だったね」
アーサーが笑って面白がるが、彼の目はひとつも笑っていなかった。彼の目は寒気を感じるほど冷たかった。ただその視線はフォリンではなく、どこか別の場所へ向けているようだった。
クロンはアーサーが見ているのはクラウスだと察する。フォーリーやゼッタも少し遅れてクロンと同じ結論に達した。
「フラニーちゃんだけでなく兄君もいるから、これはグデーリアン公爵家の考えと取って良いかな?」
「はい、アーサー殿下。私は父の命を受け、本日の会談に参加しています。まぁ父の命がなくとも、愛する我が妹の為なら協力を惜しみません」
「フランツお兄様、今は関係ない話をしないで下さい」
「私はいつもフラニーを愛しているよ?」
「フランツお兄様にフランクお兄様がわたくしを愛しているのは知っていますわ。ですが、今は場に相応しくありません」
「では相応しい場所で語ろう」
「……相変わらずだね、彼」
フランツのマイペースさにフォーリーはげんなりする。優秀な文官のフランツだが、フランチェスカのこととなると天然マイペースな男に変貌する。
どうしてその様な変貌をするか誰も分からない。理解できるのはフランツ以外いない。そのフランツが語らないのだから、永遠に誰も理由を知ることはない。
「雑談はそこまで。それで、ボクを呼んだ理由は? 国家間の事情なら父に話すべきではないかな?」
アーサーの指摘にクロンたちは頷く。クラウスが国家機密をレティに流し、それがラムダ帝国の手に渡っているのなら由々しき事態だ。
王立騎士団を派遣し、二人を拘束して徹底的に調べ上げる、それをしないでアーサーとの会談を望んだフランチェスカの真意が不明だった。
問われたフランチェスカは瞳に猛禽類を彷彿とさせる鋭さを宿して小さく笑みを浮かべた。
「なるほど、愚弟は敵に回してはいけない人を、敵に回したってことか」




