16.末路
黒の塔、それは貴人に名誉ある死を与える場所だ。死罪を申し渡された王族や侯爵家が、名誉ある死をする為に用意されたのが始まりだ。
犯罪者を収容するので出入り口は幾つもの仕掛けが施され、また内部も詳しく知らなければ抜け出すことすら叶わない。
塔の外も視界を防ぐものはなく、外部から近づこうとすればすぐに見つかる。
厳重管理されている黒の塔だが、今では名誉ある死の為に使用されることはほとんどなく、蟄居や困った犯罪者を幽閉されるために使用するのがもっぱらだ。
そして現在、困った犯罪者を幽閉されるために黒の塔は使用されている。
アーサーは困った犯罪者、レティへ会いに来た。彼女が収容された部屋は独りで住むには十分な広さがあり、備え付けの家具も一級品ばかりだ。
ただ一般の家にはないものが部屋の真ん中にあった。冷たい重厚感がある鉄格子だ。その鉄格子の向こう側にレティは椅子に座っていた。
「やぁ元気かな」
アーサーの呼びかけにレティは返事はない。天井を見ているようで虚空を見ている目で、何かブツブツと呟いていた。
夜会の時、フランチェスカやアーサーに悪態をついたかつての姿は見えなかった。ずっと何かに怯えて、ついには耐えきれなくなって心が壊れた姿がそこにいた。
「おや、今回は早かったね」
驚く様子もなく、アーサーは傍にいるレティ監視役の男にある小瓶を渡す。
男は一瞬戸惑ったがアーサーから小瓶を受け取ると、そこが定位置と言わんばかりに鉄格子の向こう側にある小さなテーブルへ小瓶を置く。
チャポンと小さな音が部屋にした。瞬間、レティが声にならない悲鳴を上げる。言葉にならない叫び声に男は怯むが、アーサーはいつもの人の良い笑みを崩さない。
「まだ3回目だよ。耐えきれば終われるんだから頑張ってね」
アーサーの言葉にようやくレティが反応する。彼女はアーサーの方へ顔を向けると、目を見開いて言葉を吐く。
「いや、いやぁ、いやぁぁぁ!! もう、もう正気に戻りたくない!! このまま狂わせて!! それか殺してぇ!!!」
「おやおや、最初は楽勝と言っていたじゃないか。後4回だけだよ? それさえ乗り越えれば生きてこの塔から出られるんだから頑張ろうよ」
「後、4回も残っているのよ!! いやよ!! もう生きたくない……死にたいの、お願い……私を殺してぇ!」
レティは頭をかきむしって叫ぶ。かつての天真爛漫な彼女はそこになく、想像を絶する恐怖に押し潰された哀れな少女でしかなかった。
肩をふるわせて死を懇願するレティに、監視役の男は哀れな視線を向ける。それはアーサーのオモチャとなったことへの同情か、それとも別の思惑かは分からない。
「どうしても、と言うなら構わないけど、終わる前に出ると銀の女王が出てくるよ?」
銀の女王という単語を聞いたレティは、ビクリと肩を一層ふるわす。
「非公式だけど一度、会ったよね? 彼女の怒りを忘れたの?」
「ひぃぃぃ!! 赤眼が……赤眼がわ、わた、わたしを! 見ないで! わた、わたしを、見ないで!!」
「でも彼女は怒りを飲み込んで、君の処罰をこの程度で妥協してくれたんだよ。それを破るなら、君は今より辛い日々をもっと長く過ごすんだよ」
「あの悪魔の元へ行くぐらいなら、死んだ方がマシよ! あいつは本当に人間なの!?」
「人だよ。ただ他よりちょっと愛が深いだけ」
「嘘よ! あ、あいつ……あんな……どうして、あぁ……死にたい!」
銀の女王がレティとあったのは僅か数分だ。一体どんな手を使ったか不明だが、フランチェスカを通してレティと会う場のセッティングを銀の女王は求めてきた。
話し合いの結果、特に問題なしと返事をしたが、それから僅か一時間後に銀の女王は黒の塔へ現れた。
通常は数週間かけて移動する距離を、どういう手を使って縮めたか。そして二人きりで話し合った数分の間に、銀の女王はレティに何をしたのか。
色々と興味深かったが、知っているフランチェスカが黙っている以上、余計な疑問は寿命を縮めると察して、アーサーは疑問を頭から追い出した。
「無理だね。銀の女王が君の身体に自殺防止の魔法をかけた。君の体調に少しでも異変があれば、自動的に治癒の魔法が発動する仕掛けもセットでね。ボクにどれだけ懇願しようと君は生きるしかない。精神が壊れても、そこのクスリを飲めばすぐ治るさ。さ、飲みなさい」
「い、いやぁ……」
アーサーが命じると同時、レティが立ち上がる。怯えきった表情は小瓶の中を飲みたくないと如実に語っていた。だが彼女の意思に反し、彼女の身体は小瓶の元へ歩み寄る。
一度だけレティはアーサーの方へ顔を向ける。無理と分かっても彼女は懇願の表情をする。監視役の男には効果絶大だったが、アーサーには効果がなかった。
再びレティは身体が乗っ取られたかのように特定の動きしかしなくなる。小瓶の蓋を開けると彼女は口を開け、中身を飲み干す。
「うぐっ……うぅっ!!」
飲み干すと同時、レティが喉を押さえて苦しみ出す。遂に耐えきれなくなったのか、監視役の男はレティから顔を背けた。
反対にアーサーは一度も視線をそらさなかった。淑女がため息を漏らすほど魅力的な表情でレティをずっと見続けていた。
「流石に3回目となると、反動がきついのかな。ま、早く出たいなら、後4回壊れることさ。ああ、でもそうなると苦痛の時間がくるよね」
クスリとアーサーは笑う。人間にとって一番強烈な苦痛とは、身体が傷つけられることではない。確実に苦痛が来ると予知出来る状態だ。
刃物で斬られてた時の苦痛より、これから刃物に斬られると理解した時の苦痛の方が辛いのと同じだ。
「痛い、痛いよぉ……誰か助けて……パパァ、ママァ……あたし、よいこでいるから……ねぇ、たすけてぇ、つらいの、くるしいよぉ、もういやなのぉ」
赤子のように泣きわめきながら苦痛からの解放を嘆願するが、誰もレティに救いの手を差し伸べない。レティに救いの手を差し伸べれば、待っているのは彼女と同じ末路だ。
必ず来る不幸を前にして、それでも救いの手を差し伸べる勇気を持つ人間は少ない。
「幼児退行しちゃったのかな。ま、君はまだマシな方さ。元愚弟は今ごろどうしているだろうね」
苦しむレティを見ながら、アーサーはクラウスの末路を考える。レティはフランチェスカと直接関与はせず、関与するとしてもクラウスを経由させていた。
それは彼女の主任務が国家機密を盗むことで、フランチェスカをどうこうするのは入っていなかったのが理由だ。
強いてあげるならレティがフランチェスカに関わったのは、クラウスを虜にして婚約破棄させるよう誘導した程度だ。
ならば長年フランチェスカを不当に扱っていたクラウスの末路はどうなったか。
少し興味はあったが、わざわざ調べて銀の女王と関わるデメリットを無視してまでではない。アーサーとて銀の女王は余り関わり合いたくない存在だった。
「つくづく、銀の女王は愛が深いね」
泣きながら嘆願するレティに興味を失ったアーサーは、監視役の男に退出する旨を伝えた後、彼の返事を待たず部屋を後にする。
アーサーが出ていっても嘆願を続けるレティだが、その言葉は監視役の男に向けられていない。ここにはいない誰かに向けているようだった。
やがて居心地が悪くなりすぎて耐えられなくなった監視役の男は、部屋の灯りを最小限にすると逃げる様に部屋から出て行った。




