幼児期と学生時代
幼い頃の、死を考える自分もなくなるという抽象的恐怖。
それは当時の男子の下品で野蛮な遊び(いわゆる「カイボウ」。社会問題にもなった)の具体的な恐怖に掻き消された。
級友や年上の子から強要された姿は権威のある大人たちから禁止された下品で野蛮なもの、幼い余にも醜悪で滑稽に思われた。しかも(当時の余よりも相対的に)幼い(子供社会の価値観では、弱くて身分の低いということだ)子に許されたもの。
故に余の自尊心は傷つけられ、年不相応な憎悪や殺意に悩まされた。
同時に。それは部分的に(シャツと上衣は着ていた)本来の姿である。
当時の文化では男子が恥じることを許されていないものでもあった。年齢不相応にそのような羞恥をもつことは軟弱で猥褻とされる時代でもあったのだ。
だが。もう少し幼い頃にはその姿で走り回ったことが嘘であったかのように呼吸と循環が乱れた。
未熟な心身にはたかが臀部を見られるだけでも苦痛だった。
だがもっと深刻で、滑稽で、見られただけで全力疾走の疲労と同じような苦痛と消耗を伴う器官がある。
そのような苦痛を口にすることは許されていなかった。
幼児のように公然と見せることも女子のように隠すことも禁止されているので、更衣や「カイボウ」のときにはあたかもそんなものは無いかのように無関心を装わなければならなかった。
そんなものは無ければよい、だがそれは、男子として、生物としての自己否定である。
いっそ男子に生まれなければよかったという感情が消滅への恐怖を相殺した。
学生時代。
デカルトなどを読んで。死について考えている間は余は生きて実在すると思った。
幼児の頃に特定の器官と、部分的に省略した(させられた)服装に羞恥を持ったことを懐かしく思った。
そのような遊びは当時(20年以上前)であっても幼い頃にしか許されないことだったからだ。
遊びの主役にされたために特定の部分だけが早熟に発育した滑稽な体も既に過去のものだった。
世俗に適応したり異性と交際する、すなわち死の恐怖を個として内面的に克服するのではなく種として個の死を乗り越えるためには特定の器官と整った服装とが実践的に重要だということにまだ気づいていなかった。
幼い純粋な羞恥心を懐かしみつつも軽蔑し。
整っていない更衣設備と野蛮な遊びを通じて羞恥心と恐怖を克服したことを誇りつつも。
大学で法学を学んだ余は下賎な遊び友達から権利と品性を侵害されたこと、ひいてはそのような遊びを通じて発育したことに被害感情を持っていた。




