- 戦艦訪問 -
翌日、敵艦隊はワームホール帯という場所にたどり着き、ワープ航法を行なってこの星系から退去したことが確認された。
地球519の人々もそうだが、彼らは光の速さでも数百年かかる距離を、わずか数日で移動できる。そのとき使うのが「ワープ航法」というものだそうだ。
詳しくは分からないが、この宇宙にはところどころ「ワームホール帯」と呼ばれる場所があって、その場所に行ってワームホールというものをくぐると、数光年から数十光年を一気に跳躍できるのだという。これを「ワープ航法」と呼ぶそうだ。
これを使って艦隊だけでなく、交易船を移動することもできる。いずれ交易が始まれば、他の星から珍しい物が入ってくることになるだろう。
ただ、今はまだこの星系には戦闘艦とそれを維持するための輸送船が行き来しているだけだ。我々の星の上に宇宙船用の港ができれば、交易船が行き来できるようになる。その宇宙港を作るというのが、彼らに与えられた最初の目標のようだ
この宇宙港ができれば、交易船だけでなく、宇宙艦隊の補給もできるようになる。今はわざわざ160光年先にある地球519から食糧や燃料を運んでいるが、いずれこの星から調達できるようにする。
我々は彼らに食糧や燃料を供給する代わりに、宇宙から珍しいものを入手する。ただ、我々の星には彼らに分けられるほど食糧が豊富にあるわけではないので、彼らに土地を貸す。そこで彼らは畑を作って食糧を生産し、自分の食い扶持分はなんとかする。その畑はいずれ我々のものになる。
その間に、我々の星も宇宙艦隊を作る。宇宙統一連合の一員としての責務が果たせるよう、我々自身も1万隻の防衛艦隊を保有する。やがてさらに1万隻の遠征艦隊も創設して、我々もいずれ他の星へ出向いて同様に文化や技術を伝える……
この繰り返しは、この宇宙ではすでに170年も続いている。地球519もつい60年程前には、我々と同じように他の星から文化や技術を伝授されたそうだ。
しかし、防衛と遠征の合わせて2万隻もの宇宙艦隊を作ることは、我がトール王国だけでは到底不可能。もちろん、あれだけ強大なアータリア帝国でもできない。この星が一体となって取り組まなければならない事業だ。それだけの船を維持するには、それなりの資金もいるから交易が重要となる。
実はもっとも必要なのが「人材」だ。艦隊を作るにも、文化や技術を頂くにも、交易をするにも人が要る。とにかく、他の星々に追いつくためには、たくさんの人を集めねばならない。地上で殺し合いなどしている場合ではないのだ。
我がトール王国は交易の国だ。これから始まる宇宙での交易に役立つ人材がたくさんいる。おまけに王国には林は広がっている。彼らの畑を作るにはうってつけの場所のようだ。トール王国と同盟が結ばれた暁には、彼らに宇宙港と畑の土地を貸し、人材を提供し、代わりに宇宙の珍しいものや文化、技術を頂く。
これを実現すべく、トール王国を復活させねばならない。そのために私と姫様は今日、戦艦という船に乗り込む。
「達する。我が艦に戦艦ドラケンスバーグへの寄港が許可された。これより当艦は補給と、被弾した右舷装甲板補修のため、72時間のドック入りを行う。寄港予定時刻は艦隊標準時 1300(ひとさんまるまる)、出港は3日後の同時刻。その間、戦艦内の乗艦を許可する。なお、長時間寄港のため、戦艦内の宿泊も許可、指定ホテルは、戦艦内の街に併設されたホテル『タラバントレニャナ』。出発時間の30分前までには帰艦するよう。以上。」
いよいよ戦艦というところにやってきた。この艦内放送を部屋で聞いていた私と姫様は、早速艦橋の方に向かう。
「戦艦ドラケンスバーグまであと20、到着まで3分!」
「両舷減速、面舵3度!」
「了解、両舷減速、面舵3度!」
「戦艦ドラケンスバーグより入電!駆逐艦3310号艦は第7ドックへ入港されたし、です!」
相変わらず、艦橋内では誰かが何かを見ながら叫んでいる。今は戦艦に入港するために、皆が計器類とにらめっこしていた。
今向かっている戦艦というところは、この駆逐艦よりもずっと大きな船だとは聞いている。長さはこの駆逐艦の10倍以上あって、途方もなく大きいということは知っていた。
しかし、実際にその戦艦というものを目にすると、呆れるほどの大きさに、姫様と私は圧倒されてしまった。
この駆逐艦と同じ灰色一色の船だが、まるでむき出しの岩場のようなゴツゴツとした船体、ところどころ人が造りし物があるものの、これはもはや巨大な岩の塊だ。
長さは10倍というが、その程度の大きさには見えない。この駆逐艦は、巨大な岩から切り出された石材の一つのように、ちっぽけな存在に見える。
その岩の表面を滑るように移動するこの艦は、やがて戦艦の上で停止する。
「戦艦ドラケンスバーグの第7ドックに到達!これより下降します!」
「繋留ビーコン捕捉!下降速度10、距離300メートル!」
この駆逐艦がすっぽりと入るほどの大きな穴に、徐々に入っていくこの艦。やがてガシンという音とともに、駆逐艦3310号艦は停止した。
続いて、ガツンという音が船の下の方から鳴り響く。何が起きているのか、皆目分からない私と姫様。そんな2人に構わず、艦橋内では慌ただしいやり取りが続く。
「前後ロック正常、船体固定を確認!」
「エアロックの接続を完了、内部圧力正常!」
「機関停止!連絡用扉、開放!」
「扉開放、通路との接続を確認しました!」
一連の作業が終わったのか、艦長がマイクを握って話す。
「達する。本艦は戦艦ドラケンスバーグの第7ドックに接続を完了した。これより72時間の戦艦への乗艦を許可する。繰り返しになるが、出発は3日後の1300、いつもより長い寄港となる、帰艦時刻を間違えぬように。以上。」
この放送を受けて、艦橋内の乗員たちはぞろぞろと動き始める。私と姫様もその流れについていく。
「お、ディアナ殿。恋人のクルーズ中尉がいらっしゃいましたよ。」
あの戦場告白のおかげで、私とクルーズ殿はすっかり恋人同士ということで認知されてしまった。その乗員の言葉通り、クルーズ殿が現れた。
「いやあ、遅れまして申し訳ありません。私が姫様とディアナさんを案内します。ついてきて下さい。」
クルーズ殿に連れられて、エレベーターの乗り、一番下の階に降りる。
エレベーターを降りてすぐのところを曲がって奥に入ると、扉が開いている。その奥には通路があった。
その狭い通路を抜けると、急に広い場所に出る。その向こう側には、人が大勢いる。
そこにはガラスでできた壁があり、等間隔で横開きの扉が並んでいる。その各々の扉の前に人が2列で並んで待っている様子だ。
ガラスの向こうは何もない。奥に壁が見えるだけ。一体ここで、皆は何を待っているのか?
突然、音が鳴り出す。警告音のようだが、けたたましい音というわけではなく、まるで音楽のような音だ。その音のあとに、人の声が流れる。
『まもなく、電車がまいります。黄色い線の内側でお待ち下さい。』
今度はゴォーッという音と共に、扉の向こうに何か四角くて長いものが走りこんできた。
四角い銀色の箱がいくつも繋がったものが、目の前で止まる。プシューッという音と共に、壁の扉が開いた。並んでいた人々は、その扉の奥に入っていく。
「さ、電車に乗りますよ。ここから目的地までは3駅あります。」
中には長い椅子がある。どうやら開いているところに座ればいいらしい。姫様と私はその長椅子に腰掛け、その前にクルーズ殿が立つ。
この長く銀色の馬車のような乗り物は、ゆっくりと動き出す。周りは急に真っ暗になり、その暗闇の中をこの長い銀色の馬車は走る。走り出してすぐに、また人の声が流れてくる。
『次は、第4、5、6ドック。お出口は右側、開く扉にご注意ください。またお降りの際は、足元に十分ご注意ください。』
すると外が明るくなって、さっきのように扉が並んだ場所へ出る。馬車は止まると、またプシューッという音を立てて扉が開く。そこに人が乗り込んでくる。人が乗り終えると、再び動き出す。
これを2回繰り返したところで、クルーズ殿が私と姫様に声をかけてくる。
「次の駅で降りますよ。私についてきてください。」
その直後、明るい場所に滑り込む銀色馬車。扉が開くと、乗っていた人々は一斉に降りる。
私と姫様もクルーズ殿について降りる。皆が一斉に降りたので、私は気になってクルーズ殿に尋ねる。
「クルーズ殿、一体ここには何があるのですか?皆さん、ここで一斉に降りていかれましたが。」
「ああ、ここには『街』があるんです。この戦艦ドラケンスバーグに寄港している駆逐艦の乗員の多くが、狭い艦内の鬱憤を晴らすために訪れる場所なんですよ。」
街?船の中に街がある?ここは確かに大きな船の中。でも、岩山のような無骨なこの船に街があると言われても、私にはとても結びつかない。
だが駅を抜けて外に出ると、私と姫様はクルーズ殿の言葉に納得した。
街だ。確かに、これは街だ。
王都の中央通りの周辺に交易市場があるが、あの雰囲気によく似た街がそこにあった。
たくさんの人々が歩いている。多くは駆逐艦内で皆が着ている紺色の制服姿だが、中にはスカート姿や色とりどりの服を身にまとった人もいる。
目の前の店は何の店だろうか?見たことのない物が売っている。テレビモニターが店の外に掲げられており、そのお店で売っているものを紹介しているようだが、それが何なのかが全くわからないのだ。
おまけに、いくつかのお店からは聞きなれない音楽が流れてくる。ただでさえ人が多くて騒がしいところに、けたたましい音楽がさらに騒がしくしている。
「なかなかいい街でしょう。あとでご案内いたしますよ。ですが、まずは我々の政府高官とお会いいただくことになっててですね、申し訳ないですが、その後にここへ参りましょう。」
「あ、そうじゃ。衛兵達はどうなっておるか?」
「別の乗員が案内しております。私は姫様とディアナさんの案内人ということで、この先3日間お供させていただきますよ。」
クルーズ殿に連れられて、街を素通りする。私と姫様はこの街の様子が気になって、辺りを見回しながら歩いてしまう。
売られているものがよく分からない店も多いが、服屋や食べ物屋は私にも分かった。だが、服は明らかに我々のトール王国のものとも、また帝国のものとも違う。実に鮮やかな色と、体にぴったりな大きさの服が多く、あれから見れば、我々の着ている服は色合いが少なくてたぶたぶな感じの服に見えてしまう。
食べ物は、駆逐艦の食堂で見たものが多い。が、こちらの食べ物は煌びやかだ。テレビモニターに映る食べ物の映像を見る限りでは、盛り付けも食材も、食堂のものとは比べ物にならないほど芸術的だ。味もおそらく、格段に美味しいのだろう。クルーズ殿がよく食堂のものは味気ないと言っていたが、あの言葉の意味が何となくわかる気がする。
しかし、同じ食べ物屋でも食堂で見たことのないものを売っている店もある。私が気になったのは、赤や白や青い球状のものを売っているお店。青や紫色をした食べ物など、私は見たことがない。だがその店には、その青や紫の食べ物を食べる女性がたくさんいる。駆逐艦には女性の乗員は少ないと言うが、この異様な色の食べ物を売る店には、なぜこれほど女性が集まっているのか?疑問は尽きない。
ここは400メートル四方、高さ50メートルほどの空間の中に作られた街だそうだ。それほど広いわけではないので、ひしめくように店が軒を連ねる。街自体は4層構造になっていて、上にも人々が歩く様子が見える。そのさらに上には、空ではなく岩がむき出しの天井が見えた。あれを見て、ここはあの無骨な戦艦の中なのだということに気づかされる。
クルーズ殿に連れられたのは、この街でもひときわ大きな建物。ホテル『タラバントレリャナ』という場所だそうで、ここで政府の要人と会見することになっている。
そのホテルの玄関に入る。外の雑多な風景とは対極的な、優雅で落ち着いた雰囲気の場所だった。まるで王宮のホールにも似た場所だが、ここは天井は高く、中も明るい。天井から下がる、中央のとても豪華な宝石を散りばめたような大きな照明が、このホールの中を明るく煌びやかにしているようだ。
その大きな照明を除けば、どことなくこのホテルの玄関の雰囲気は我々の王国の王宮に似ている。木で作られたような螺旋階段、壁に掲げられた油絵、そして白い像が置かれている。贅沢の基準は、この地球519でも変わらないようだ。
姫様は、頭には王族の証であるティアラをつけ、先日密かに王都から取り寄せられた新しいドレスを着ている。先ほどの艦橋内ではかなり浮いた存在だったが、この優雅な場所にはぴったりな服だ。私は侍女らしく、王都から取り寄せたメイド服を身にまとっているが、こちらもここの雰囲気に合致しているように思う。
周りを見ても、ここにいる人々はまるで王国貴族のようなきっちりとした身なりをしている。もちろん、我々の服装とは随分違うものの、外で見かけた色とりどりの服ではなく、男はこの場の雰囲気に合う落ち着いた暗い色の服にネクタイをつけ、一方で女性は白や黒の落ち着いた色で、ドレスよりは短いスカートの服装を身に纏っている。これが、地球519の人々の正装のようだ。
少し赤みを帯びた服を着る男性が、クルーズ殿と姫様と私を奥へと案内する。そこには大広間があり、中はたくさんの食べ物が並べられていた。
まるで社交界のような場所だ。正装に身をつつむ人々がたくさんいる。
「クルーズ殿、これから何が始まるのです?」
「トール王国との交渉がほぼ締結したので、その祝賀パーティーを行います。」
「で、でも我々はまだ王国を奪還したわけでは……」
「このパーティーを主催したのは、ハンス交渉官殿です。敢えて王国奪還前に、盛大なパーティーを行うことにしたんですよ。我々がトール王国とすでに交渉を終えて、パーティーまで開いた。その事実を受けて、帝国はどう動くか?」
「……多分、抗議するでしょうね。あなた方地球519に。」
「それも織り込んだ上でのパーティーですよ。王国を復活するため、ここは頑張って食べて、多くの人と語りましょう。」
なんだか火に油を注ぐようなことを言い出すクルーズ殿だ。やや心配だが、ここは王都まで同行し、今も王都に時々訪れるあの交渉官のことを信じるしかあるまい。
「ではこれより、トール王国との交渉締結を祝して、祝賀パーティーを開催致します。本日はご多忙の中、マルガノール女王陛下のご出席賜りました。女王陛下より、開会のお言葉を頂戴致したいと存じます。」
司会者が挨拶し、姫様は壇上に上がられた。
「ただいま紹介に預かりました、トール王国のマルガノールでございます。この度は我が王国のためこのようなパーティーを催していただき、感謝の念に堪えません。我々王国と、ここにご列席の皆様との友好がこれからも続くよう願います。」
さすがは姫様、こういう場は社交界ですでに何度も経験していらっしゃる。すらすらと挨拶を終えて、交渉官殿の乾杯で、この社交界は始まった。
料理の数々を眺める。揚げ物やサラダ、スープ、そして肉料理。あの機械の腕が、会場の端の方でステーキ肉を焼いているのが見える。
食後の口直し用に、ケーキが並べられている。が、とてもケーキには見えないものも多い。白いクリームに、赤いイチゴが載っているものは分かるが、赤や黄色のクリームで塗られたケーキや、中には青や黒のものもある。街でも見かけたが、ここは見たことのない色の食べ物が多い。
早速、姫様の元には多くの人が挨拶に訪れる。軍や政府関係の人だけでなく、農場を作る会社や宇宙船用エンジンを作る会社、それに「家電」を作る会社の関係者まで現れた。
家電というものがどういうものか、よく分からなかった。今度クルーズ殿に聞いてみよう。
私は要人と話されている姫様のために、食事を取ってきてお渡しする。……つもりだったのだが、そういう召使いの者がすでにおり、私は出番を失う。
というか、私にまで料理を持ってくる人がいた。メイド服を着た侍女に料理を運んでくる召使い。なんだか妙な気がしてクラクラとする。
それ以上に違和感を感じたのが、なぜか私のところに人々が集まってくることだ。
「ディアナさん、一緒にお写真をお撮りしてよろしいですか?」
多くはこんな感じに、写真を撮りたいとやってくる。2人で並んで、別の人が撮影する。その撮影した写真を見せてもらう。これの繰り返しだ。
皆、手には似たようなものを持ち歩いている。黒っぽい四角い板のようなもの。クルーズ殿によれば、あれはスマートフォンと言うものだそうだ。
なんでも、写真を撮るだけでなく、遠くの人と話が出来て、音楽や映像を見聞きでき、しかも調べ物もできる機械だという。
クルーズ殿も持っているとのことなので、見せてもらった。それを見て、私はふと思い出した。そういえばクルーズ殿、帝国兵から我々を救い出す時にしゃべりかけていたあの黒い板。あれはこのスマートフォンだったのだ。
あの時仲間に帝国兵のことを知らせていたのか。今ようやく、あの時の謎の行動の意味を知る。
それよりも今のこの謎の行動を解明しなくてはならない。姫様ならともかく、なぜ私ばかり写真の相手を頼まれるのか?
「そりゃ、ディアナさんのその姿ですよ。ディアナさん、とても小さくてメイド服姿、ここらの男性なら、その姿にそそられてしまうんですよ。」
「はあ?メイド服にそそられる?どういうことですか?」
言われてみれば、こんな姿をしているのは私だけ。このホテルの者と思われる召使い達は全く違う姿だ。
メイド服というのは、この星では召使いの服ではなく、何か別の用途で着られているようだ。それが何かは分からないが、なんとなく私は恥ずかしくなった。
「く、クルーズ殿。私に合う別の服はないのですか?なんだかちょっと恥ずかしくなって……」
「あはは、このホテルのドレスコードに反してるわけでもないですし、別に恥ずかしがるほどのものでもないですから、そのままで大丈夫ですよ。」
そう言って取り合わないクルーズ殿。そのクルーズ殿もスマートフォンで私と並んだ姿を撮っていた。
自慢げに見せるクルーズ殿。だが、私にはこのスマートフォンというものがない。私は少し不機嫌になる。
「いいですねぇ~クルーズ殿は!どうせ私のような未開の星の者では、そのようなもの使えませんよ!」
「あれ?ディアナさん。もしかしてこのスマホ、欲しいんですか?なら明日にでも買いに行きましょうか。」
「えぇ?ほんと!?本当にいいんですか?」
なんと、私にもスマートフォンというこの便利な機械を頂けることになった。それを聞いた私、嬉しくなってついついたくさんの人との写真撮影に応じてしまった。
で、調子に乗ってたくさんのワインを飲み、すっかり酔ってしまった私。足元がふらつき、とても姫様の世話どころではなくなってしまった。
「あーあ、ディアナよ。こんなに酔っては誰が妾の世話をしてくれるというのじゃ。これじゃ妾の方が侍女のようだな。」
「も、申し訳ございません~姫様~」
姫様の肩を借りて歩く私。確かに、これでは姫様の方が侍女のようだ。
クルーズ殿が気づいて駆け寄り、私を背負ってくれた。クルーズ殿の背中で半分意識を失いつつ歩く私。
そこからどうやってたどり着いたのか分からないが、気がついたらベッドの上だった。寝間着姿で、姫様の横で寝ている。
「……は!私、一体どうやってここに!?」
「おう、目を覚ましたか、ディアナよ。」
「あれ?姫様。ここは一体どこなのですか?」
「ホテルの一室だ。そなたは昨日、ワインを飲み過ぎて歩けなくなったので、クルーズ殿がここまで背負ってくれたのだ。」
「クルーズ殿が!?では、どうやって服を着替えたのです!?まさか姫様が……」
「妾がそんなことをするわけなかろう。着替えもクルーズ殿にしてもらったのだ。」
「ええっ!?く、クルーズ殿が私の着替えを!?」
「妾が命じたのだが、最初はえらく抵抗していたぞ。だが、根負けして結局そなたの服を脱がせて……」
「いやいや、姫様!私はクルーズ殿に服を脱がされたのですか?」
「覚えておらんのか?そなた、クルーズ殿に言われるがまま手を上げたり下着を外したりしておったではないか。」
「そ、そのようなことを私はしていたのですか!?」
「何をいまさら驚いておる。一緒に公衆浴場へ行った仲ではないか。」
「いや、ベッドの上で服を脱がされるのはちょっと……おまけに姫様の前でそのような姿を晒すとは……」
私はすっかり恥ずかしくなってしまった。まだ嫁入り前だというのに、姫様はともかく、クルーズ殿に服を剥がされるとは。
「いやあ、妾もこういう時にあのスマートフォンというものがあったらと後悔したぞ。ディアナの面白い姿を撮ることができたというのに。そういうわけで、今日はクルーズ殿に買ってもらうことになったぞ、妾のスマートフォン。」
この一言を聞いて、私は今後、ワインを飲みすぎるのは控えようと心に誓った。
「それにしても、昨日の帰り際にクルーズ殿に頂いた飲み物はなかなかの効き目であるな。今朝は実に快調じゃ。」
「何ですか?その飲み物というのは?」
「お酒を飲み過ぎた時に、飲むと悪酔いしなくなるという飲み物だと言っておった。社交界でつい飲みすぎると、翌日は頭が痛くなったり気分がすぐれなかったりするものだが、その飲み物のおかげで今日はなんともない。そういうそなたも昨日、クルーズ殿に言われて飲んでおったぞ、その飲み物。どうじゃ?頭が痛かったり、気分が悪いということはないであろう?」
言われてみれば、頭の痛みや気分の悪さはない。私も過去に一度、姫様のワインのお供をしたことがあるが、翌日には酷い頭痛に襲われたことがあった。昨日はあの時以上に飲んだはずだ。にもかかわらず、いつも通りの目覚め。また地球519の技というものを見せつけられた。
「一体、どういう仕組みなのだろうか?宇宙からもたらされるものというのは、我々には不思議なものばかりじゃ。」
そんな話をしていたら、扉をたたく音がする。私は扉を開けた。
「あ……お、おはようございます。ディアナさん。」
「あ……おはようございます、クルーズ殿。」
お互い、昨日のことでちょっと居心地が悪い。私はクルーズ殿を中にお通しする。
「クルーズ殿、今日はどのような予定になっている?」
「はい、これより1時間後に政府高官との会食が予定されております。そのあとはずっと、自由時間です。私が街を案内いたします。」
「そうか、では早速着替えるとするか。」
「昨日の服装でもよろしいですが、午後の街の移動を考えると、我々の正装を使われますか?」
「そうじゃな、公式な行事でなければ、そなたらの服装でもよかろう。」
「では早速、ホテルの従業員に頼み手配していただきます。」
すぐに服装を持ったホテルの女性が2人、部屋に現れる。奥の部屋に行き、私と姫様はその正装というものを着せてもらう。
鏡を見ると、私と姫様が同じような姿になっている。とても侍女とは思えない姿。このホテルの従業員が来ている服の方が、私にはお似合いだ。
着替えを終えて、クルーズ殿に連れられて歩く。エレベータに乗り、ずっと上に上っていく。
エレベーターというものは、駆逐艦にもついている。が、ここのエレベーターは一方が透明になっていて、外の景色を見ることができる。おかげで、上っている様子も、外の街の光景も見ることができた。
街の4つ目の層を超えたあたりで、エレベーターは止まる。もうすぐ上に岩肌の天井が見える。ここは街で最も高い場所のようだ。
エレベーターを降りて奥に行くと、交渉官殿が待っていた。私と姫様、クルーズ殿は交渉官殿と共にその奥の部屋へと入っていく。
そこは明るい部屋だった。窓に面しており、外には街が一望できる。第4層目の隙間から、その下の街の様子もうかがうことができた。下を歩く人々が小さく見える。
ここで地球519の政府高官と、広報官をはじめとする文官数名と会食する。話し合われたのは、王都奪還についてだ。
「すでに我々は準備を整えつつあります。あとは……」
「…なにか必要なものがあるのですか?」
「そうですね。民の支持です。そこだけが、この奪還作戦の成否を決めるうえで不明確なところです。王都、王国の民がどれくらいあなたを支持してくれているのか。」
「いずれにせよ、あと5日後に決行します。王都を奪還し、帝国兵を王国から撤退させる。その時点で、我々とトール王国の同盟締結。そういうことで、よろしいですね。」
「はい、承知いたしました。異論はございません。」
「では、女王陛下のお名前で、こちらに御署名を。」
この会食会で、ついに王都奪還、王国復活の作戦が両政府の間で合意された。
あとは、5日後に行われるという奪還作戦を成功させるだけだ。すでに王都側の準備は終えており、交渉準備段階にある帝国に対しても、王国からの撤退を打診する準備が整っているとのことだ。
しかし、この会食の場では政府高官である2人はあまり乗り気な様子ではない。昨日の社交界といい、ここにいる文官たちは熱心に王都奪還についての話をしているが、あの2人だけは多くを語らない。おそらく、まだ不確定な王国に興味がわかないのだろう。
この政府高官を振り向かせる。そのためには、王都奪還が必要だ。私はますます王国復活の決意を新たにした。
会食を終えて、やっと姫様と私は自由になる。あの街に行くことができる。
「クルーズ殿、いよいよ街に行くのですね。ここにはどのような店があるのですか?」
「そうですね、食事に服に、家電に雑貨にゲームセンター、それからフィットネスクラブに映画館もありますね。あとは……」
最初の2つ以外は、もはや何を言っているのかわからない。そういえば昨日の社交界でも「家電」という言葉が出てきた。あれは一体、何のことだろうか?
「クルーズ殿、『家電』とは何のことですか?」
「ああ、そうですね。昨日のパーティーでも料理ロボットを見ましたよね。」
「はい、ステーキ肉を焼いてましたね。駆逐艦にあるあの腕と同じですよね。」
「そうです。あれを売っているお店が、家電店ですよ。」
「ええっ!?あれ、売り物なんですか?」
「はい。といっても船の中では使い道がないので、この戦艦の街では売ってませんね。王都の横に建設される宇宙港とその併設される街ではすぐにでも売り出すと思いますよ。」
他にも、掃除や洗濯をするロボットもあるという。食材をしまう冷蔵庫と呼ばれる機械や、冷めた食事を温める電子レンジなるものも家電と呼ばれるものだそうだ。
「でもこの街では調理器は売ってません。ここを利用するのは駆逐艦の乗員がほとんどですが、彼らは艦内の食堂を利用するため、調理器の出番がないんですよ。ここの家電店にあるのは、音楽やカメラ、それにスマートフォンですね。」
「スマートフォン!?あれも家電の一種なのですか?」
「まあ、そんなようなものです。そういえばお2人にはそのスマートフォンを買うという約束をしましたよね。参りますか、その家電店に。」
そういうとクルーズ殿は、スマートフォンを取り出す。私はその画面を覗いた。
小さなテレビモニターのような画面に、たくさんの四角い模様が並んでいる。それを指でつつくと、地図のようなものが立ち上がった。
「これはこの街の地図です。青い点が現在地。ここから最も近い家電店は…」
何か文字が出てきた。私には読めないが、クルーズ殿には分かるようで、それを見て私に言う。
「ここをまっすぐ歩き、一つ下がったところに家電のお店がありますね。行きましょうか。」
「ど、どうやって分かったのですか?クルーズ殿はただこのスマートフォンというものを見つめていただけではありませんか。」
「短い文字数なら、頭の中で念じるだけで入力できるんですよ。だから家電店と念じたらその文字が入力されて、その検索結果がこの画面に出てくるんです。ほら、この通り。」
とスマートフォンの画面を見せられる。そこには、現在地を示す青い点、それに目的地を示す赤い点、その2つの点を結ぶ線が表示されていた。
この線に従って歩けば、迷うことなく歩くことができるという。いや、ますます欲しくなった、スマートフォン。
で、そのスマートフォンを手に入れるべく、その家電店に向かう。途中、服や食べ物や、そしてよくわからないものを売る店の前をいくつか通り過ぎる。
途中、動く階段に出くわした。エスカレーターと呼ばれるその階段は、上下の層を移動するために使われているようだ。クルーズ殿にしたがって乗り込み、下の層に移動する。
一段下に降りた我々は、そのまままっすぐ歩き、ついにその家電店という場所にたどり着いた。
入り口には、奇妙なものが売られている。丸や四角の形をした、不思議なもの。一体これが何に使うものなのか、皆目見当がつかない。
「ああ、これですか?これはスピーカーですよ。ほら、こうやって音量を上げると……」
クルーズ殿が丸いスピーカーというものに触れる。すると、そこから音が出てきた。
音というより、これは音楽だ。中から聞いたこともない音楽が流れている。昨日から疑問に思っていたが、あちこちから流れている音楽はこのスピーカーというものから出ているのか。
「これを買うと、この音楽というものも手に入るのですか?」
「いえ、音楽は別売りです。何万曲もあるので、きっと気に入ったものが見つかるはずですよ。」
何万曲の中から、どうやって気になったものを見つけるのかが皆目わからないが、そのあたりのことはいずれ聞くことにしよう。今はまず、スマートフォンだ。
ちょっと奥に入ると、そのスマートフォンが売られていた。
が、私と姫様は愕然とする。てっきりスマートフォンというものが数個ほど置かれているだけだと思っていたのに、何十種類もある。一見するとどれも小さな画面があるだけのように見えるが、背面の色やデザイン、それに画面の大きさなどの違いでこれほどの種類に分かれているようだ。たくさんありすぎて、どれを選べばいいのか分からない。
「クルーズ殿、こんなにたくさん、どうやって選べばいいのだ?」
「そうですね。お2人にとっては最初のスマホですから、画面の大きなこの辺りがおすすめですよ。」
そこには、私の手のひらの幅くらいの大きな画面のスマートフォンが置かれている。手に持ってみたが、ちょっと重たい。持ちやすい大きさを求めてだんだんと小さいものに触れてみたが、ちょうどよい大きさのものに巡り合う。
私はそのちょうどいい大きさのものを選ぶ。姫様はどちらかというと立てかけて使うことが多いため、さらに大きいタブレットと呼ばれるものを買うことにした。
クルーズ殿が私のスマートフォンと、姫様のタブレットのお代を払っている。ただ、不思議なことにクルーズ殿、店番のいる機械に自分のスマートフォンを軽く当てただけで出てくる。
「クルーズ殿、お金を支払っていないようだが、大丈夫なのか!?」
「いや、ちゃんと支払いましたよ。私の場合、このスマホをレジにポンと当てるだけで、支払いが終わるんですよ。」
えっ!?そんな簡単にお金が支払えるの?彼らの技は、どこまでも奥が深い。
さて、早速私はスマートフォンというものを使ってみるのだが……これがなかなか難しい。
画面の操作は大体わかった。写真や音楽の使い方も分かる。問題は、文字が全く読めないということだ。
「うーん、困った。妾もそろそろここの文字を覚えねばいかんようじゃな。」
「はい、姫様。でもどうやってここの文字を覚えるのでしょうか?」
「ああ、そういえば、いいアプリがありますよ。」
「アプリ」などという知らない言葉が出てきた。何かと聞けば、このスマートフォンやタブレットの機能を追加できるものだそうだ。
私と姫様のスマートフォンとタブレットに、それぞれそのクルーズ殿の勧めるアプリというものを入れてもらう。そのアプリは、文字が出てきて、その読み方が学べるというものだった。
店の看板などにある文字をスマートフォンのカメラでとらえると、その文字をこのアプリが読み上げてくれる。これを使えば、だんだんと街にあふれる文字が読めるようになる。読めなくてもスマートフォンさえあればどうにか理解できるのだ。
「なんじゃ、そんな都合の良いアプリがあるのなら、妾も小さなスマートフォンの方がよかったぞ。こんな大きなタブレットではちと使いづらいな。」
「そうですか、ではもう一度買いに行きます?スマートフォン。」
「なに!?本当か!よいのか、タブレットも買ってもらったというのに。」
「お二人がこの街で買い物できるよう、政府からいくらか預かっているんです。まだ全然買えますから、しばらくはわがままを言っていただいても大丈夫ですよ。」
「そうなんですか!?では、私も欲しいです、タブレット。」
「はいはい、仰せのままに。」
結局、姫様と私は画面が小さくて取り回しの良いスマートフォンと、画面が大きくて見やすいタブレットというものを1つづつ手に入れた。
家電というものがどういうものか、なんとなく分かった私と姫様は、次に気になる場所へ行く。
それは食べ物屋。それも、女性ばかりがたむろする、あのお店だ。
「えっ!?赤や黄色、青い食べ物があって、女性がたむろするお店ですか!?」
「妾も見たぞ、その店。なぜあのような色をしたものを、それも女性が好んで食べているのだ!?気になるではないか。」
「うーん、もしかしてそれ、スイーツのことですかね?」
スイーツという、また聞きなれない言葉が出てきた。私と姫様は、そのスイーツというものを食べてみたいと嘆願する。
で、クルーズ殿はそのお店をまたスマートフォンで探し出す。今度は同じ階層で少し歩いた場所のお店にたどり着いた。
まさしく、私が見たお店だ。赤や青、緑に紫、とても食べ物とは思えない色をしたものが、綺麗なガラスの容器の中に入っている。
クルーズ殿と共に、早速そのお店に入る。どれがいいか、姫様と私に尋ねるが、その色合いからは全く味が想像できない。さんざん悩んだが、どうせなら一番想像がつきにくい色のものを頼むことにした。姫様は赤いものを頼んでいた。
「では、ブルーベリーミントパフェと、いちごパフェを一つづつ頼みます。ああそうだ、この抹茶パフェも一つ。」
で、出てきたのは、青紫と赤と緑の不思議な色をした食べ物。クルーズ殿はこれを「パフェ」と呼んでいた。
早速そのパフェをいただく。私のパフェは、水仙のような形をしたガラス製の容器の中に渦を巻いた白いクリームと、その上から紫色の液体がかけられている。その下には、水色の固まりが見える。
姫様の赤いパフェは、どうみてもイチゴだ。白いクリームにイチゴがいくつか載っており、その下にはおそらくイチゴを摩り下ろした赤い液体がかかっている。
クルーズ殿の頼んだパフェはまたさらに不思議なものだ。白いクリームの横に丸く白い塊が載っており、その横には黒い豆のような粒々が載っている。緑色の液体が上と中に混ぜられている。
私は恐る恐る、紫色の液体をすくって口に入れる。すると、その色からは想像できない甘酸っぱい味が口に広がる。白いクリームも、思った以上に甘く冷たい。これは考えていたよりも美味しい。
奥にある水色のものも口にしてみた。水色のそれを口に入れた途端、甘みというより、爽やかですーっとする感覚が襲う。口の中が清潔になったような後味で、これはこれで悪くはない。
姫様も美味しそうに食べている。が、どうやら余りに無難な色を選んでしまったことに後悔しているようで、私とクルーズ殿のパフェをじっと見ている。
クルーズ殿はというと、頼んだパフェに全く手を付けずニコニコと我々を見ている。私はクルーズ殿に尋ねた。
「クルーズ殿、パフェを食べないのですか?」
「ええ、おそらくお二人なら、この色のパフェを食べたがるのではないかと思って頼んだんです。いかがです?ちょっと食べてみますか?」
クルーズ殿に見透かされていたようだ。特に姫様がそのパフェを気にしているようだったので、姫様から食べることになった。恐る恐る、緑色の部分に手を伸ばす。
「ん!?なんじゃ、この味は!?少し苦みがあるが、クリームの甘さを程よく緩和してくれる味じゃ。それにしても、この横にある黒い塊は…」
そう言いながら、今度は横の塊にも手を出す姫様。
「……なんじゃこれは、甘いぞ。甘くて柔らかい豆か、これは。先ほどの苦みの緑、甘さの白、それにこの黒くて甘い豆。何という組み合わせじゃ……」
と言いながら、この抹茶パフェと呼ばれるこのパフェが気に入ったようだ。私もひと口いただいた。
姫様が言う通り、確かに苦みがある。でも横のクリームの甘さとうまく調和している。ちょうど姫様が王宮でいただく、クッキーとコーヒーのようなもので、甘さと苦さが程よい味を生み出しているようだ。
というわけで、姫様と私はパフェを堪能した。青と緑と赤がどのような味かは分かった。あとは黄色い色だけが残ったが、あれはマンゴーという甘酸っぱい味の果物を使ったものだとクルーズ殿は言う。
まだこの街に入って、2つ目のお店を周っただけ。それでもう知識があふれそうだ。ここは新しいことが刺激が多すぎる。
3つ目のお店は、クルーズ殿が案内してくれた。そこは服屋だった。
「お二人の来ている服は動くにはちょっと窮屈なものばかりです。どうですか?ここで動きやすいカジュアルな服を買ってみます?あの服なんか、ディアナさんにはお似合いですよ。」
「そうですか、さすがは私を着替えさせてくださっただけのことはあって、よくおわかりですね。」
「えっ!?あの、いや、その……」
「いいですよ、クルーズ殿の奢りならば、喜んでいただきますよ。」
ちょっとどぎまぎしているクルーズ殿を見るのが楽しい。そのお店に入り、店員にお勧めの服を見せてもらい、私と姫様は何着か購入して店を出る。
「明日にでも着てみるとするか。妾はこの赤い服を着てみるとするかな。」
「そうですね、私はクルーズ殿お勧めのこの服を着てみます。クルーズ殿、また着せていただきますか?」
「……勘弁してください、ディアナさん。」
他にも雑貨のお店、フィットネスクラブなどを巡った。特にフィットネスクラブではあれこれ試し過ぎたおかげで、すっかり疲れてしまった。
「少し座れる場所を探しますか。ええと、ここだと……あっ!」
クルーズ殿が叫んだ。
「お二人とも、映画館に行きますか?」
「は?映画館??なんですか、それは。」
「テレビをもっと大きくしたものです。そこで2時間ほどの物語が上映されるんです。なかなか迫力があって、面白いですよ。」
クルーズ殿の勧めで、3人で映画館ということろに向かった。
映画館はフィットネスクラブからほど近い場所にあった。入り口には大きな画面のテレビがあって、そこでは音と映像が流れていた。
「あれが映画というものなのですか?」
「あれは中で上映する映画の予告編です。映画は、あんな小さな画面ではないですよ。あそこでチケットを買って、中で見るんですよ。」
なんと、映画というものはもっと大きな画面に映像を流すものらしい。いったいどれほどの大きさの画面なのか?気になってしまう。
「さて、どの映画を見ましょうか。ここでの定番は『魔王』シリーズですが……」
クルーズ殿は、映画の一覧が表示されている画面を見て考え込んでいる。我々には、そこに書かれた文字が読めない。先ほどのスマートフォンで読み込んでも、書かれた文字の意味が分からないものばかりだ。
突然、クルーズ殿が振り向いて私に言う。
「ちょうどいいところに、ありましたよ。『正義の味方』の映画が。」
正義の味方、クルーズ殿が10日ほど前に私に、そういうものにあこがれて軍に入ったと語ってくれた。私は一度、その正義の味方というものを見てみたいと思った。その「正義の味方」が登場する映画が、今まさにやっているのだという。
「見てみたいです、私。その正義の味方が出るという映画を。」
「そうですか。じゃあ、3人で見てみますか。絶対にお勧めですよ!感動すること、間違いなし!」
そこまでクルーズ殿が勧めるので、私と姫様はその「正義の味方」とやらが出てくる映画を見ることになった。
私が知っている正義の味方とは、悪から人々を救い、報酬を求めない稀有な存在だということだ。
それがクルーズ殿はたまらなくかっこよくて「クール」で、感動する映画だという。
その言葉の意味を知るためにも、私はその「正義の味方」というものを、この映画で見極めることにした。
クルーズ殿は、3人分の映画の券を購入。入り口付近でスマートフォンを当てて、我々3人は入り口を通り抜ける。
座席がずらりと並んだ部屋に入る。正面には、白くて四角い布が張られている。まさか、この布がテレビ画面だというのか!?
クルーズ殿が何かを持ってきた。ポップコーンという、映画館では定番の食べ物だそうだ。映画を見ながら気軽に食べられる食べ物。
まだ明るいうちに一口食べてみた。ちょっぴり塩味で、カリカリとして、さっぱりしている。思わず3、4個まとめて口に入れたくなるような、そんな食べ物だった。
私と姫様は、正面の何もない白い布をただ眺めていた。クルーズ殿はどこか興奮している様子。一体、何がはじまるのだろうか?
と、その時、急に辺りは暗くなる。布の張られた辺りには、映像が映っている。
突然、馬のない馬車がたくさん走ってきたり、ドラゴンと呼ばれる魔物がたくさん現れ、それを勇者と呼ばれる人が倒す場面が出たりと、なんだか脈絡のない映像が続く。クルーズ殿曰く、これは映画が始まる前の、ほかの映画の予告だという。
だが、その映像は確かに大きい。そして、まるで目の前にいるかのような、妙な立体感がある。駆逐艦の部屋にある、あのテレビなど比べ物にならないほど大きくて迫力のある画面。これが、映画か!?
いくつもの予告編が流れた後、ついに本編が始まった。
それは、平和な街から始まる。暖かい光があふれるその街で、人々は穏やかに暮らしていた。
が、その街の平穏は突如崩される。空を闇が覆い、地上には黒い魔物が街を埋めつくす。そして、多くの人々が殺され、生き残ったわずかな人々は街を逃れようとする。
まるで王都から追われた私と姫様のようだ。だが、その悪魔達はわずかに生き残った街の人々に襲い掛かる。
あわや全滅か!?と思ったその時、突然光が放たれ、悪魔が消し飛ばされる。そこに現れたのは光の戦士。これがクルーズ殿のいう「正義の味方」のようだ。光の戦士は街に攻め入り、そこにいた魔物を駆逐する。亡くなった人々も元に戻り、街は再び活気を取り戻す。
が、その平和もつかの間。無敵だと思われた光の戦士を、巨大な闇を操る大悪魔が襲い、その光の戦士は敗れる。地上に叩き落され、もはや正義は敗れたかに思えた。
が、街の人々は瀕死の光の戦士をすくい出し、街の地下にかくまう。光の戦士が復活するまで、絶望的な戦いが続く。
私と姫様はその展開にはらはらする。だが、ついに光の戦士が立ち上がった。街の人々にもらった力で、さらに強くなった戦士。大悪魔を苦闘の末倒し、再び街に平和を取り戻した。
ところが、これで映画は終わらない。さらに強い敵が現れたのだ。
それは、大悪魔すら超えた悪魔の王、魔王。街を超える巨体が、光の戦士もろとも押しつぶしにかかる。
まるでゾウに挑むバッタのようなもので、あっさりとつぶされて負けてしまうはずだった。だが、街の人の意思と、光の戦士の底力が発揮されて、悪戦苦闘の末に魔王を倒す。
闇に覆われた地上に、一筋の光が照らされる。その光の筋は大きく太くなっていき、地上を照らす。その光の方向に何も言わず去っていく光の戦士。歓喜する街の人々。そこで映画は終わる。
勧善懲悪な話、クルーズ殿が言う通り、なんら報酬を求めることなく立ち去る戦士。
だが、私も姫様も涙した。あの街の出来事がどうしても我々の王都と重なってしまうため、他人事には思えない。その街が最後には平和を取り戻したのだ。感動せずにはいられない。
光の戦士は確かに英雄だ。だが、彼一人で勝ったわけではない。途中から街の人が協力して、彼を手助けする。それゆえにあの強大な魔王に勝利できたのだ。
気が付けば、姫様も私も涙を流していた。あれが「正義の味方」というものか。一人の力で勝ったわけではないが、多大な貢献をしてくれた「正義の味方」は、クルーズ殿の言う通り、最後にはなんら報酬を求めることなく立ち去って行った。冷静に考えればおかしな存在だが、それが分かっていても彼の勝利には涙せずにはいられない。クルーズ殿の言う「かっこいい」とは、こういうものなのか。
映画が終わっても、私も姫様も放心状態でしばらく動けなかった。目にいっぱいの涙をためたまま、ポップコーンを頬ばりながら映画館をあとにする。
クルーズ殿は、まさしく我が王国にとってはあの光の戦士と同じ「正義の味方」だ。報酬を得るどころか、私と姫様にスマートフォンとタブレットまでくれた。その上、王国復活までしてくれるのだ。改めて私はクルーズ殿に感謝する。
だが、彼はこの先どうするつもりなのだろうか?王国復活の暁には、彼はこの星を立ち去ってしまうつもりなのだろうか?あの映画の光の戦士のように。
私はふと不安になる。何としてでも、クルーズ殿には王国に残ってもらいたい。王国復活の際には彼の貢献を称え、王国貴族としての称号を与えるべきであろう。さすればクルーズ殿は、王国に残ってもらえるのではないか?
しかし、まだ王国は復活してはいない。クルーズ殿を引き止めるのは、それから考えても良さそうだ。
映画館を出て、残ったポップコーンを食べながら、私は王国復活の決意をさらに強くする。必ずや我が王国を復活させ、この街のように豊かな生活を民が享受できる国に変えるのだ。そのために私は戦おう、あの映画の光の戦士のように。