- 亡命王国 -
しばらく巨大な空に浮かぶ城とこの哨戒機は空に浮いていた。かなり高い空の上で、あの巨大な城の上側で大きな扉が開く。哨戒機はその扉の空いたところに向かって飛んでいく。すると、中から大きくて黒い悪魔の腕のようなものが伸びてきた。
何をするのかと思ったが、その悪魔の腕は哨戒機に迫ってくる。ガシンという音と共に、悪魔の手はこの哨戒機をつかんでしまった。
私も姫様も恐怖のあまり抱き合ってしまったが、クルーズ殿は気にすることもなく横の兵と何かを話している。その悪魔の腕は、我々の乗る哨戒機を扉の内側に引きずり込む。
そのままゆっくりと、扉の奥にある哨戒機がすっぽりと入るくらいの大きな部屋に降ろされる。扉が閉まり、部屋の中が明るくなった。
しばらくするとその奥にある小さな扉が開き、中なら4、5人ほど現れた。クルーズ殿と同じ紺色の服を着た者達に混じって、白い服を着たものがいる。
哨戒機の扉が開くと、その1人が乗り込んできた。クルーズ殿は入ってきた人物の方を向き、右手を斜めに額のところに当てる。
相手も同じく、右手を額のところに斜めに当てる。どうやらこれは彼らの作法のようだ。
「中尉殿、怪我人がいると聞き、医療班を連れてきました。」
「ご苦労、奥にいらっしゃるあの方だ。長時間の逃避行で、かなり疲弊しているようだ。なお、この方はある王国の姫君様とのことだ。粗相のないよう、丁重にお連れするよう。」
「はっ!了解しました!」
するとこの男は外にいる人を手招きする。白服の男達が2人入ってきた。彼らは担架と呼ばれる、2本の棒と布でできた簡易のベッドのようなものに姫様を寝かせて、それを担いで外に出た。
私とクルーズ殿が先に外に出る。そこにはさらに10人ほどが整列しているところだった。
少し遅れて、2人に担がれた姫様が現れた。すると整列を終えた兵達の先頭の者が声を発する。
「全員、姫君様に敬礼!」
ザッという音とともに、列に立つ者達が一斉にあの額に右手を斜めに添える動作をする。私と姫様を先導するクルーズ殿も返礼として同様に額に手を添える。
「がさつな駆逐艦乗員ですが、我々はこの先、姫様とあなた、それに30人の兵達をお守りいたします。どうぞついてきてください。」
クルーズ殿に率いられて、私と姫様を担ぐ2人の白服の男達は、栄誉礼をする兵達の前を通る。
戸をくぐると狭い通路に出た。窓もなく、日が届かない場所だが、明るく照らされているその通路をしばらく歩くと、白い服を着た女性が立っている部屋の前で止まり、そのままその部屋に入っていく。
そこは、白い服を着る人々に、何人かの衛兵達がいた。
「あ……ひ、姫様!」
1人の衛兵が気づいて声を上げると、そこにいた他の数人の衛兵達がこちらを見た。
「皆、ここにいたのか。」
「いえ、皆ではありません。衛兵のうち、怪我をしたものだけが、ここに連れてこられたんですよ。ここには医者がいるということなので。」
この城には、医者がいるのか。姫様はこの医者に診てもらうため、ここに連れてこられたようだ。
「他のものは、どこにいる?」
「はっ、食堂という場所で食べ物を頂いてます。なにせ皆、昨日から何も食べずに走り続けていたものですから、何か食べるようにと言われ…」
そう言われると、私も姫様も何も食べずに一昼夜歩き続けていた。安心したのか、空腹が私を襲う。私の様子を見たクルーズ殿が言う。
「そういえば、侍女さんも何か召し上がってはいかがですか?ここは我々が……」
「い、いえ、侍女である私は、姫様のおそばにおります。お気になさらないでください。」
そう私が応えると、クルーズ殿は腰のあたりから何かを私に差し出す。
「じゃあ、せめてこれでも食べて下さい。」
それは、少し茶色で四角いものだった。
「何ですか、これは?」
「非常食ですよ。これ一つでも少しお腹が膨れますから、口にしておいたほうが楽ですよ。」
恐る恐るその非常食とやらを口にする。だが、その味は姫様がお茶の時によくお食べになるお菓子のような甘い味がした。この甘い味につられて、思わず私は一息に食べてしまった。
さらに、透明な容器に入った水もくれた。この容器、ガラスのように透明だが、不思議なことにとても柔らかい。先をひねると開き、中の水を飲むことができる。
姫様は奥で医者に診てもらっていたのだが、姫様を診た医者が私のところにきて言った。
「あなたの姫様は、手足に多少の擦り傷はあるものの、身体はなんともないようだ。ただ、疲れと空腹を早くなんとかしないといけない。あなたもだが、食事をとり、すぐに休むように。」
そう言って医者は私に、何か包みをくれる。
「傷薬だ。姫様と、あんたの分も入っている。」
「えっ!?私!?」
「傷は姫様よりあんたの方がひどいよ。使い方は、看護婦か横の中尉殿にでも聞いてくれ。」
そう言って私に包みを渡す医者。奥から姫様が出てきて、私のところにやってきた。
「ディ、ディアナよ……医者からも言われたが、妾は腹が減った……何か食べるものが欲しい……」
「姫様!ただいまご用意致します!しばらくお待ちを!」
とは言ったものの、どこに行けば食べ物があるのか分からない。困り果てた私に、クルーズ殿が言った。
「では、食堂に参りましょうか。少し歩きますが、一緒についてきて下さい。」
そう言って、私と姫様を先導するクルーズ殿。通路を歩き、エレベーターと呼ばれる小さな部屋に入って下に移動し、また通路を歩く。そしてその通路の先にある食堂という場所にたどりついた。
大きな部屋の中に、簡素なテーブルと椅子が並んだその場所には、数名の紺色の服を着た兵に混じって、我が王国の衛兵達がいる。皆、何かを食べているようだ。
「あ、姫様!」
衛兵の1人が姫様を見つけて立ち上がる。他の衛兵も揃って立つ。
「ああ、良い、私に構うな。食事を続けよ。」
「は!姫様!では、食事を続けさせていただきます!」
そういうと衛兵達は、再び食事を食べ始める。それにしても、彼らの食べているものは見たことのない奇妙なものだった。スープの中に、細長く少し黄色っぽいものをフォークですくって食べている。見るからにあまりおいしそうなものには見えないのだが、彼らはそれを美味しそうに食べている。
食堂の奥には大きな鍋がある。そこに後からやって来た衛兵達が並んで、食事を受け取っていた。その鍋には2つの腕のようなものが付いていて、一方の手で器を持ち、もう一方の手で鍋の中身をすくい上げて、その器を並んで待っている衛兵に次々に渡している。
「あまりにたくさんの方がいるので、野営用の調理ロボットを出したんですよ。彼らと同じラーメンでよければ、すぐにお渡しできますが、どういたします?」
クルーズ殿は姫様に尋ねる。確かに、王族の者に出すにはいささか質素な料理。だが、姫様はもはやかなり空腹のご様子。お腹を押さえながら、クルーズ殿に言う。
「いや、妾もあれで良い。衛兵達が皆美味しそうに食べているし、妾もちょっとあの食べ物が気になる。」
そういうと姫様は、あの鍋の前に並んだ。鍋から生えた不気味な2本の腕が、鍋の中からラーメンというものをすくい取って器に入れ、その器を姫様にそっと手渡した。
私も不気味な腕の渡す器を受け取る。横にあるフォークを取って空いている椅子に座り、そのラーメンというものを頂く。
白っぽいスープの上には、薄緑色の植物を細かく刻んだものと、脂身の多そうな肉が3枚乗せられていた。フォークですくうと、黄色くて細長いものが出てくる。
向かい側に座ったクルーズ殿は、その細長い食べ物をフォークに絡めてすくい取り、それをずるずるとすするように食べる。なんだかとても下品な食べ方だが、今の空腹には耐えられない。姫様も私も、恐る恐るそのラーメンという食べ物をフォークですくい出して口にする。
ちょっと熱くて、やや塩気の多い味だが、柔らかくも歯ごたえのある食感。上に乗せられた肉は脂身が多くてややくどいが、柔らかくて口の中で溶けるように味が広がる。見た目は質素で品がある食べ方ではないが、空腹の我々のお腹に染み入るような食べ物だ。私も姫様も、思わず夢中になって食べる。
この美味しい食べ物と、追っ手から解放された安心感が、姫様とその臣下達を笑顔に変えた。私がラーメンをすする度に顔にスープが跳ねてかかる様を、姫様がお笑いになる。
「ディアナ、なんてはしたない食べ方なのですか。顔にたくさんスープがついてますよ。」
「も、申し訳ありません。ですが、恐れながら姫様のお顔にも……」
「しょうがないであろう、これほど質素で下品で美味しい食べ物など、妾も食べるのは初めてじゃ。」
姫様が嬉しそうに笑う。やっと姫様に笑顔が戻った。ここでやっと私は少し肩の荷が下りたのを感じた。
だが私は、ラーメンを食べ終えて、器に残るスープを眺めていると、昨日の夜から今日ここにくるまでの間に、姫様をかばうために身代わりとなって死んでいった衛兵達のことを思い出してしまう。
あわや帝国兵に捕まりそうになった時、命を投げうって私と姫様をかばった衛兵達。目の前で斬られ、それでも多数の兵を足止めするため最後の力を振り絞って戦い、死んでいった衛兵の姿が目に浮かんだ。
そういえば、王宮には侍女も何人かいたのだが、逃れたのは私だけだ。彼女らは今頃どうしているのか?殺されたか、帝国兵に弄ばれているのか……いずれにせよ、今の我々より悲惨な目にあっているのは間違いない。そう思うと、私は今の状況を素直には喜べない。
「どうしたんですか?ディアナさん。」
クルーズ殿が私に声をかけてきた。私ははっとなってクルーズ殿の方を見る。
「あ、いえ、ちょっと疲れたものですから……」
「そうですよね。皆様、お疲れのようですから、すぐに寝たほうがいいですよ。部屋はすでに手配してます。姫君様とディアナさんのお部屋もそれぞれちゃんと用意してありますよ。」
「なに!?私とディアナの部屋は別々なのか!?」
急に姫様が声をあげた。驚いたクルーズ殿は姫様に聞いた。
「あの…何かまずいことがありますか?」
「私とディアナは、同じ部屋にできないか!?」
「えっ!?ええ、できますよ。2人部屋もありますから、今から変えることも可能です。ですがそれでは、姫様は窮屈ではありませんか?」
「いや、妾1人では眠れそうになくてな…ディアナが妾のそばにいてくれないと不安なのじゃ。」
「そうですか。分かりました。じゃあ2人部屋を手配いたします。ディアナさんもそれでよろしいですか?」
「はい、姫様がお望みであれば、喜んで。」
姫様が私と一緒に寝たいなどと言い出すとは意外だ。だが、昨日からのことを思えば、それもやむを得ないかもしれない。
昨夜、国王陛下が殺されたとの報が入る。たまたま王宮の外にいた姫様と私は衛兵達を呼び集めて城塞の裏口に行き、そこから着の身着のまま王国を馬車に乗って脱出した。
が、途中、帝国の騎馬隊に追いつかれて、馬車を乗り捨てて林の中に逃れ、そこから2度追っ手に追いつかれては衛兵達が盾となって逃げ延びたのだ。あの哨戒機と呼ばれるものに乗って空に逃れるまでの間、姫様は何度も凄惨な光景を目の当たりにしている。昨日からここに来るまでのことを思えば、1人で寝られないほど不安になるのもやむを得ない。
姫様のご要望により、クルーズ殿は2人部屋を用意してくれることになった。他の30人の衛兵達も、それぞれ個室が準備されているそうだ。
帝国軍の追っ手から逃れるのを手助けし、食べ物を提供し、我々の住処まで与えてくれたクルーズ殿とこの空飛ぶ城の人達。
だが、ふと私は彼らのことを考えた。
クルーズ殿は我々に優しく接してくれるが、一体どんな思惑があるのだろうか?なんの見返りもなく、これだけの食べ物、これだけの待遇をしてくれるお人好しはこの世の中にはいない。必ず、何か見返りを求めてくるはずだ。
その彼らの見返りとは何だろうか?姫様を傀儡として王国を乗っ取るつもりか、それとも単に姫様を愛妾とするつもりなのか……
いや、そもそも彼らはどこからきたのだろうか?稲妻を操り、空を飛ぶ城を作る国など、私はこれまで聞いたことがない。あれほどの力があれば、帝国などあっという間に屈服させられるであろう。だが、彼らはこの大陸ではもっとも強大な国家であるアータリア帝国の存在すら知らない様子だった。
思惑も、国の位置もわからないクルーズ殿。思い切って、私はクルーズ殿に聞いてみた。
「ところでクルーズ殿。ちょっとお聞きしたいのですが、あなた方は一体、どこからきたのです?」
「はい、我々は地球519という星から来たんですよ。」
「は!?あーす519?星から来た?ど、どういうことですか、それは。」
「遠く、夜空の星の彼方からやってきたんですよ。」
「夜空の星!?あの光る星からやってきたというのですか?」
「はい。話せば長い話です。明日改めてお話いたしましょう。」
「あなた方が来たところはわかりました。ですが、なぜ我々を助け、食事までいただけるのか。私にはそれがとても不思議で……」
「あなたはおそらく、我々が何のために来たのか、なんの見返りもなく姫様や兵士やあなたを助け、食事まで提供していることが不思議なのでしょう。その件についても、説明に時間がかかるので、あなたと姫様、それに30人の衛兵の方々には明日改めてお話し致します。」
クルーズ殿には見透かされていた。私の疑問には、明日改めて教えてくれるという。
「ただ、少なくともあなた方の身柄を盾にどうこうしようなどとは致しませんよ。姫様の王国を取り戻せるよう、我々も働きます。」
「で、ですが、我々が王国を取り戻すと、あなた方に一体なんの得があるのですか!?」
姫様の前でこのようなことを聞くのは、かえって姫様の不安を煽るだけの言動だ。私とクルーズ殿だけの時に聞くべきであったとすぐに思ったが、もう後の祭りだった。
だが、クルーズ殿はニコリと微笑んで、私と姫様にこう言った。
「あるんですよ、それが。姫様の王国が元に戻り、民が幸せに暮らす戦乱のない地上に変えることは、遠くの星からやって来た我々にとっては都合がいいんです。まあ、明日ちゃんと説明致しますよ。」
そういうとクルーズ殿は立ち上がった。
「さて、それじゃあお2人のお部屋を手配しますね。ここでちょっと待ってて下さい。」
そう言ってクルーズ殿は食堂を出て行った。姫様は私に言う。
「……なあ、ディアナよ。信用できるのだろうか、あの男。」
「さあ、私にも分かりかねます。ですが、帝国の兵士を跳ね除けるほどの力を持っており、帝国軍には惜しみなくその力を奮った彼らが、帝国よりも力のない我らをわざわざ欺く必要などないはずです。先ほどクルーズ殿が言った通り、我々を手助けすることが彼らの得になることがあるから我々を助けてくれているのだと、私は考えます。」
私はそう答えた。もっとも、それがなんなのかは分からない。だが、貧弱な武器しか持たない我々相手に、クルーズ殿が突如豹変するとも考えられない。例えば、もし姫様を愛妾にするつもりであれば、この城に姫様が入った途端にそうするはずである。しかし、姫様への態度は依然として丁重なものであり、今こうしてクルーズ殿は姫様の要望のために動いてくれている。
もやもやとした想いを抱えながら、姫様と私はクルーズ殿を待った。しばらくすると、クルーズ殿が帰ってきた。
「おまたせしました。では、部屋まで案内いたします。」
クルーズ殿はまた我々を導いてくれた。またエレベーターというものに乗り、通路を歩く。
同じ扉ばかりがずらりと並んだ場所に出た。扉が並ぶ中を歩くクルーズ殿と姫様と私。ある扉の前で、クルーズ殿は止まった。
「この部屋です。今鍵を開けますね。」
クルーズ殿は鍵と言ったが、ただの薄っぺらい小さな木片のようなものを扉に当てる。すると、扉からガチャッという音がして、扉が開く。
中はそれほど広い部屋ではない。が、大きなベッドと小綺麗な机があり、清楚な感じの部屋だった。クルーズ殿は私に言った。
「ここでは昼間か夜かが分からないですから、不安になったらこれをつけてください。」
そういうとクルーズ殿は、机の上にある小さな黒いものを取り出す。
赤い突起物が付いていて、それを押すと突然壁にあった黒い額縁が光った。
そこには空が映っていた。日が沈みかけており、綺麗な夕焼けが広がっている。
が、不思議なことに、雲が下に広がっている。その不思議な光景に、姫様と私は驚く。
「これは、今の外の様子です。この辺のボタンを押してもらうと、他のカメラ映像や、テレビ番組を見ることもできますよ。」
そういえば我々は今、空高い場所にいるのだった。窓がないためわからないが、今まさに日が沈むところのようだ。その様子が、この黒い額縁が映してくれる。
クルーズ殿は、別の突起物を押してみせた。先ほどの空の風景から、今度は見たこともない街の風景が映し出された。たくさんの人が行き交い、高い建物が立ち並ぶ不思議な場所が映っている。これは、クルーズ殿の住む「星」の街だと言う。
「お疲れですから、明日にでもお楽しみ下さい。明日お目覚めになったら、これを押してくださいね。すぐに伺います。」
そう言うとクルーズ殿は部屋を出た。
私と姫様は、クルーズ殿が持ってきたパジャマという服に着替える。脱いだ服は横の箱に入れておいた。ここに服を入れておくと、翌日までにきれいに洗ってくれるそうだ。そして、壁に付けられた灯りを消すスイッチというものを押す。部屋は暗くなり、私と姫様はベッドに潜る。
「おやすみなさいませ、姫様。」
声をかけた時には、すでに姫様は眠ってしまわれていた。よほどつかれていたのだろう。そういう私も、昨日から休みない逃避行の疲れのおかげですぐに眠気が襲い、気が付いたら寝てしまった。
はっと目が覚める。見知らぬ天井が見える。横には、まだ寝ている姫様がいた。
寝ぼけていて、しばらくここがどこだか分からなかったが、だんだんと昨日の記憶が蘇ってきた。そうだ、我々は今、空の上にいるのだ。
しばらくすると、姫様も目を覚ます。姫様も見知らぬ部屋にいて不思議そうな顔をしていたが、私の顔を見て安心したのか、ニコッと微笑む。
「そうだ、姫様。今は何刻でございましょうか?」
「さあ、分からぬ。ここには窓がないからな……」
「そういえば、昨日クルーズ殿が教えてくれたこの魔法の窓をつければ分かります。」
そう言って私は、机の上の黒い板を持ってきた。その板にある赤い突起を押す。すると、壁にある黒い額縁が光る。
すでに太陽は昇っている。太陽の高さを見るに、朝食を取る時間はとうに過ぎているようだ。
私は、クルーズ殿が翌朝目が覚めたら押すよう言われていたものを押した。しばらくすると、部屋の扉を叩く音がする。扉を開くと、そこにはクルーズ殿がいた。
「おはようございます。ゆっくりお休みになれましたか?」
昨日と変わらぬ笑顔で現れたクルーズ殿。もしかしたら、態度を豹変して現れるかと思って構えていたが、無駄だったようだ。
「おはようございます。クルーズ殿。私も姫様も、目を覚ますのがすっかり遅くなりました。」
「いや、いいですよ。ではまず、朝食を食べましょうかね。」
クルーズ殿について、また食堂に向かう。あのエレベーターという機械にも慣れてきた。通路を歩いて食堂のある場所に着いた。
だが、昨日あったあの大きな鍋は今日は見当たらない。クルーズ殿は入り口に立てかけてある大きな看板のようなものに向かう。
この看板の仕掛けは、部屋にあった黒い額縁の不思議な窓と同じもののようだ。そこにはいくつかの料理が映し出されている。
ここの兵士達は、この看板に触れて何かをしているようだった。手で触れると、料理の絵が横にずれて、別の料理の絵が出てくる。気に入ったものがあったのか、ある料理の絵に触れて、そのままその兵士は食堂の奥に向かう。
「さっきの乗員がやって見せたように、このパネルで食べたい料理を選ぶんです。こうやって横にずらすと別の絵が出てきて、気に入ったものがあればこうやってタッチしてください。すると、あの奥のカウンターから順番に料理が出てくるんですよ。」
そう言うと、クルーズ殿はパネルというやつに触れた。
手の動きに合わせて、料理の絵が動く。気に入った料理の絵に触れて、赤い四角の模様を触ると奥からその料理が出てくるという仕掛けだそうだ。
早速、私もやってみる。絵からは想像もつかない食べ物が多いが、いくつかは見たことがある料理があった。昨日食べたラーメンというやつも、ここでは何種類もあるようだ。
で、私は結局、卵料理っぽいものを選んだ。オムレツというそうだ。姫様はハンバーグというものを選ぶ。どちらも味が大体想像できて、しかも昨日のように品のない食べ方をしなくても良さそうな食べ物だったため選ばれた。
出てきた料理は、あのパネルというやつに描かれた通りのものだった。どちらも、使い慣れたフォークとナイフで食べられる食べ物。姫様も私も、それぞれ料理を頂く。
味の方は、想像以上だった。このオムレツという食べ物、卵を使った料理だというのに、とても柔らかい。我が王国の料理人が作る卵料理はもう少し硬いものだが、このオムレツはふわっとしている。その味はほんのり甘くて、口の中で広がる。とても私の知る卵の料理とは思えないものだった。
姫様のハンバーグというものも、衝撃的な味だったようだ。ひき肉を使った料理だが、やはり柔らかくて食べやすく、周囲にかけられた茶色いソースが肉のくどさを打ち消してくれているようだ。
「この料理を誰が作っているか、ですか?ああ、昨日見たあのロボットアーム、あれと同じものが作っているんですよ。だから、ちょっと味気ないでしょ?今度、戦艦に寄港した際にはもっといいものをご紹介しますよ。」
クルーズ殿に言わせれば、これでも味気ない食べ物だそうだ。だが、あの機械仕掛けが作ったものだと言われると、やはりちょっと温かみを感じられない。だがこの味は、我が王国の宮廷料理人の作るものをすでに超えている。
随分と質の高い朝食を済ませ、私と姫様はクルーズ殿に連れられて会議室という場所に向かう。その会議室には、30人の衛兵達も集っていた。姫様が入ると、皆起立して迎える。
「皆さんお揃いですね。それでは、早速始めさせていただきます。我々のこと、この宇宙のこと、そして我々がここにきた目的について、正面のモニターに映す映像を交えてお話しさせてもらいます。気になることがあれば、いつでも質問してください。では、始めます。」
クルーズ殿の合図で、部屋が薄暗くなる。そして、目の前には大きな絵が映し出された。
それは、暗闇に浮かぶ青くて大きな球の絵だった。ところどころ白い筋があり、茶色や緑色の部分もある。ゆっくりと回っていて、だんだんと満月のような姿から、半月、三日月のような姿に変わる。
「これは、あなた方の星を宇宙から見た姿です。大半が海で占められているため、このように丸く青い姿をしており……」
クルーズ殿は、これが我々の星だといった。私は思わず聞き返す。
「クルーズ殿!我々の星とは、どういう意味ですか!?」
「はい、あなた方が住む地上のことです。地面というものはずっと空高く舞い上がると、このように丸い球になってるんですよ。」
そういうとクルーズ殿は、手元で何かをし始める。すると、目の前の青い球がどんどんと迫ってくる。
球から茶色い大地の色が広がり、さらに拡大して小さな川と木々が見えた。
「この場所は、昨日あなた方を発見し保護したあの林のある場所です。林のそばに川がありましたよね。ちょうどこの辺りに我が駆逐艦が着陸してあなた方を収容したのがこの辺りです。このように、あなた方が見ている部分というのはこの大きな球のほんの一部分なんですよ。この大きな球のことを、我々は星、あるいは『地球』と呼んでいます。」
地上が丸いという話は聞いたことがある。ある場所から東側に進んでいけば、いつかはその場所の西側から現れるんだと言われていた。
が、その途中には海があって、とても歩いて行くことは。おまけにとても大きな球であるため、ぐるりと一周回ることなど到底できない、と我が王国の学者達は言っていた。
そのとてつもなく大きな地面の球を見下ろせる場所に、彼らはいとも簡単にたどり着けるのだ。この絵は、それを物語っていた。
再び地面を離れて、青い球に戻る。今度はその青い球が小さくなっていく。
あっという間に地球と呼ぶ球はただの青い点になる。さらにずっと離れていき、赤く明るい玉が現れ、その周りに幾重もの円が描かれる。
「ここにあるこの赤い球は『太陽』です。あなた方の星はこの太陽から数えて4番目の惑星であり、一年をかけてこの太陽の周りを回っています。そして、地球の内側には3つ、外側には6つの惑星が同様に回っているんです。」
そして、その太陽も遠ざかっていき、やがて夜空のような星々が現れた。
クルーズ殿が言うには、夜空の星々とは我々の太陽のような光る星であり、これらの光の点の中には周囲に惑星を伴うものもあり、さらにそのごく一部に人が住む星があるのだそうだ。
そして、その人の住む星は現在、800を数えると言う。
我々のような丸い地上が、普段眺めている星空の中になんと800個もあったのだ。いや、まだ見つかっていない星もまだ多くあり、彼らはそれを探し続けているんだそうだ。
そして最近、彼らは我々の住むこの星を見つけて遠くの星からやってきたのだそうだ。
「我々の星の名前は地球519。つまり、519番目に登録された地球で、ここから160光年という距離にあります。」
「では我々のこの星は、一体何番目なのですか!?」
「この星は803番目、地球803と呼ばれる予定となっています。」
「ということは、他の802個の星々ともあなた方は行き来しているのですか?」
この質問に、クルーズ殿はちょっと間をおいて、話し始めた。
「いえ、我々が行き来できるのは、802個のうち、440個ほどなんです。」
「なぜです?なぜ、全てを行き来できないのですか?」
「同盟を結んだ星に行くことはできますが、敵対する星には行くことができない。そういうことです。あなた方にも、友好国には行けるが、敵対する国には行けませんよね?それと同じ事情ですよ。我々は同盟を結ぶ440個の星々には行けるが、360個の敵対する星々には行くことができないんです。」
なんと、この広大な星空にも、クルーズ殿と敵対する勢力というものが存在するらしい。クルーズ殿によれば、宇宙では時折戦いが起こっているのだという。
「その我々とは違う陣営の星々と戦うために作られたのが、駆逐艦と呼ばれる戦闘用の宇宙船なのです。」
「駆逐艦……?」
「我々が今乗っている、この船のことですよ。」
我々が空飛ぶ城だと思っていたこれは、駆逐艦と呼ばれる戦闘用の船なのだそうだ。こんな大きなものが船。我々の知っている船とは、大きさも形も違いすぎる。
「この船は駆逐艦3310号艦と呼ばれています。地球519遠征艦隊、第11小隊所属の一隻で、駆逐艦3301号艦から3309号艦を束ねるリーダー艦でもあります。」
「あの、ええと、3310という数字がついているということは、3千以上もの駆逐艦があるんですか?」
「はい、3千どころか、我が遠征艦隊には1万隻の駆逐艦があります。」
1万隻。クルーズ殿からは想像を絶する答えが返ってきた。この駆逐艦1隻だけでも我が王国の王宮をはるかに超える大きさを持っているというのに、そんなものがなんと1万もいるという。
「そ、そんなにたくさんの船がどうしているんですか!?一つでもこの大きさだというのに……」
「それくらいの数がないと、この広大な宇宙では敵の侵入を防げないんですよ。1隻あたり大体100人が乗艦するため、全部で100万人の駆逐艦乗りがいます。その駆逐艦約300隻ごとに1隻、戦艦という大型船が存在します。この戦艦、名前こそ戦艦ですが、戦闘にはほとんど参加せず駆逐艦の補給や修理などのバックアップを担当しています。これが艦隊には30隻存在。1万隻の駆逐艦と、30隻の大型の戦艦、これが遠征艦隊の構成です。」
この戦艦という船は駆逐艦よりもさらに大きくて、長さはこの駆逐艦の10倍以上あると言うことだ。だが、大きすぎるが故に動きが鈍く的になりやすいため、戦闘にはほとんど参加しないのだという。
「なお我々を含む440の星が所属するのが、宇宙統一連合、通称『連合』と呼ぶ勢力です。そして残りが我々に敵対する銀河解放連盟、『連盟』と呼ばれる勢力です。この両者はすでに170年もの間、戦争状態なのです。」
800もの星があると聞いただけでも驚きだが、その星々が2つの勢力に分かれ、170年も争っているという事実にはさらに驚かされる。
それにしても、クルーズ殿達の軍は想像以上に強大だ。これほど大きな駆逐艦が1万隻もあると言っていた。ということは、本気になればあっという間に我が星を攻め落とせるだろう。あの帝国など、彼らから見ればアリのようなもの。なぜ彼らは、我々の星を力攻めしてこないのだろうか?
「あの、単刀直入に伺います。なぜあなた方は1万隻の船でもって、我々を攻め落とそうとはなさらないのですか?ちょうど帝国が我々の王国を攻め落としたように。」
また私はつい、姫様の心を傷つけることを口走ってしまった。王国は攻め落とされたなどと、姫様の前で言ってはさすがに不味かった。だが、クルーズ殿の答えは意外なものだった。
「いえ、我々はあなた方を攻めたりはしませんよ。この星にあるすべての国家と同盟を結ぶつもりです。」
「でも、それはあまりに時間がかかるのではありませんか?もし帝国があなた方と同じ力を持っていたならば、間違いなく他の国を滅ぼすでしょう。」
「おっしゃる通り、同盟を結ぶという行動はとても時間がかかります。ですが、安易に軍事力に頼った結果、宇宙は今のように2つに割れてしまったのです。」
連合と連盟の2つに勢力が現れたきっかけ、それは地球001と呼ばれる星にあるという。
今彼らが持っているこの空飛ぶ船や、稲妻のような武器といった技の数々は、ほぼ全てこの地球001がもたらしたものだという。その地球001が宇宙に出たのは、今から230年も前のこと。最初彼らは、その強大な力で発見した星々を支配していったという。まるで今の帝国のように。
ある時、その力が暴走する。180年前のこと、地球003という星で暴動が起こった時、彼らはその星に向けて1万隻の駆逐艦を使い一斉攻撃を行った。
それによって地球003ではたくさんの人々が死に絶え、人の住めない星に変貌した。この事件をきっかけに、今から170年前に地球023が地球001に対抗する勢力である「銀河解放連盟」を発足する。
ところがこの連盟の力も暴走する。自勢力に加盟するのを躊躇する星々を攻撃して、また多くの人々が亡くなった。そこで今度は地球001を中心に「宇宙統一連合」が設立した。
「結局、恨みの連鎖が170年経った今も続いているんですよ。だから我々は、新たに発見した星とは平和的な関係を結び、自勢力に参加してもらうという政策を続けてきたんです。もしここで我々が軍事力を背景にあなた方の星を攻めたならば、あなた方はおそらく連盟側につくか、あるいは第3の勢力を生み出してしまうことになるでしょう。そうならないためにも、我々はあなた方を味方に組み入れなければならないのです。」
これが、彼らが我々を武力をもって攻めてこない理由だという。壮大過ぎてにわかには信じがたい話だが、一応筋は通っている。確かに我々を助けてくれた際も、帝国軍に対してすら不必要な攻撃を避けるよう行動していた節がある。今後帝国と同盟を結ぶつもりであれば、あのような行動にならざるを得ない。今の話は、彼らの今までの行動とも矛盾しない。
「だが、すでに滅んでしまった国と同盟を結ぶなどあり得るのか!?我が王国は、国王である父上はすでに死に、国土はすでに帝国の手に堕ちた。あなた方は妾を手助けして何の得があるというのだ!?」
突然、姫様が叫んだ。姫様の口から王国が滅んだ国だと言われて、私と衛兵達は肝を冷やす。だがクルーズ殿はこう答える。
「王国は、滅んでなどいませんよ。まだ存続しているではありませんか。」
私はその言葉を聞いて、思わず何かがこみ上げてきて言葉が出なくなった。クルーズ殿は続ける。
「ここにいるあなたと侍女さん、そして30人の忠実な兵士達が亡命王国として存在する以上、王国は滅んでなどいません。いずれ我々があなた方の国土を取り戻し、王国を復活させることを約束します。」
「だが、そんなことをしてそなたらは一体何の得が……」
「我々の同盟相手には、民に慕われた国家元首がいる国の方が都合がいいんですよ。今後、あなた方を連合の一部とするためには、たくさんの人材が必要です。民に慕われた国とそうでない国では、人材の集まり方が違うんですよ。それに交易を行う相手としても、国の安定度は重要です。我々の星や連合にとって、あなたのような民に慕われた元首がいる王国と最初に同盟を結ぶのが、とても都合がいいんです。」
「だ、だが、妾が民に慕われているかなど、どうしてわかるのだ!?」
「いえ、分かりますよ。」
クルーズ殿は部屋の明かりをつけて、この部屋にいる皆に向かってこう言った。
「ここにあなたを守るため、命をかけることも厭わない31人の忠実な人々がいるではありませんか。これがあなたが民に慕われた君主である証拠です。」
それを聞いた姫様の目からは涙が流れた。ぼろぼろとこぼれ落ちる涙、今まで内に秘めていた何かが噴き出したようで、なかなか涙が止まらない。それを見た我々31人も涙を流す。
クルーズ殿の説明が終わって、衛兵達は部屋に戻っていった。クルーズ殿に呼び止められて、私と姫様だけは会議室に残る。残った我々に、クルーズ殿は一枚の紙を差し出す。
これは、トール王国と地球519との間の交渉同意書だった。今後、両政府の間に同盟を前提とした交渉を行うことを確約する書類だという。
「この書類が交わされた以上、我々はあなた方の国の存続を認めることになり、この地上からトール王国が消えていないことに証明になります。ぜひ、ご署名下さい。」
これは一方で、トール王国が地球519政府の傀儡国家となることを示していた。だが、王国復活のためには、他に方法がないことも承知している。だから姫様は、この書類に署名をした。
この瞬間、姫様を元首とする亡命王国が樹立した。しかしここから、我々とクルーズ殿の、想像以上に厳しい戦いがはじまったのだ。