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魔法使いの事情

作者: 愁しゅう

「ナ〜オ、おまえ、やらかしたんだって?」

 出社早々掛けられた同僚…凪綱(なづな)の、さも!楽しそうな声に、オレはうんざりした顔でおもいっきり振り向く。

 バシィッ オレサマ自慢の長い黒髪が、そいつの顔を派手に打ち付けた。

「!!!??!!」

「…うるせえよ」

 けっ 痛さのあまり声にならずに蹲るヤツに吐き捨てて、オレは自分の部署に向かう一歩を踏み出した。すると…

 バッターン! 前につんのめって、思いっきり顔からすっ転んだ。

「…っうぐ」

 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。

 ただ、額と鼻がジンジンと強烈な痛みを訴えている。

「あっはっはっはっ!おれを無視するから…がふっ」

 高笑いしつつ仁王立ちしているウスラトンカチの顎に、転んでも離さなかった杖の先をおみまいしてやった。

 どうだ、最高級の水晶の味はッ!

 笑ってやりたいが、まだ顔が痛くて表情が動か…ねえ…。

「おまえっ!ひとが心配してやれば…っ」

「誰が頼んだよ!」

 ばっこちーん かたや口の端から、かたや鼻から血を零しながらも、胸倉を掴みあうオレたちの後頭部に、強烈な一撃が飛んできた。

 キラキラと瞼の裏に星が散る。

 …鼻だけじゃなくて、目からも血が出そう…。

「…あんたたち、痴話喧嘩なら外でやってくれる?」

 きらりーん いろいろと最強な社長がにっこりと笑って、虹色に光る水晶を頂いた杖をオレたちに突きつけ、地響きがしそうな恐ろしく低い声を放った。


「あ〜あ、おれ好みの顔が擦り剥けてんじゃん」

「…誰のせいだと…」

 鬼ババア(社長)に尻を蹴飛ばされて社内から追い出されたオレたちは、会社裏の木陰のベンチで一息ついていた。

 慣れてはいるが、真夏の炎天下で真っ黒のローブはさすがに暑苦しい。

 そのうえ、さっきから隣にいるヤツが、濡れたハンカチでオレの顔を拭こうとしてるのが、かなり鬱陶しい。

「おまえがつれなくするからだろ」

「いちいちウザイんだよ」

「…ったく、捻くれてんだから」

 大人しくしろ、と言われて仕方なく目を瞑る。

 冷たく濡れたハンカチが気持ちいい。

「…っん」

 ペタペタと濡れた布地が肌を滑る中、違う感触のものが唇に触れた。

 唇の上を這うソレが、その間をノックし始めたところで、ガツンと頭突きをかましてやる。

「てめっ、往来でナニしやがる!」

 と言っても、オレたちの姿は周囲には見えない。

「え〜…、フレンチは嫌がんなかったのに」

「阿呆かッ!」

 ガッ もう一発、今度は腹に足蹴を喰らわせた。

 凪綱は声もなく、その場に沈んだ。

 …顔が熱い。

 あ〜、もう!ナニやってんのかはオレだよ。

 なんか、疲れてんのかな…。

 大体、それでなくてもコイツにいろいろ負けてんのに、そのうえ仕事でちょっとばっかミスしたくらいで無料奉仕のペナルティは厳しすぎないか?

 溜息をつくオレの前を、風船を持った小さな子供が通りかかった。

 ふわあっ 子供が手にした赤い風船は、その小さな手からすり抜ける。

「うわああんっ」

 途端に火がついたように泣きだす子供。

 オレはもう一度深く息を吐き出して、子供の前にしゃがんだ。

「キミの願いを叶えてあげる」

「ね、が…い…?」

「うん。何か、して欲しいことはある?」

 アヤシサ大爆発な真っ黒い格好をしたオレだけど、子供はあまり驚かない。

 純粋だなって思うけど、いろいろと物騒なこのご時世には心配だな。

 太陽の光でキラキラと輝く杖を見て、子供はしゃくりあげながら飛んで行った風船を指差した。

「ふうせっ、とんでっ…とってっ」

「キミの願い、叶えよう」

 オレが杖を振ると、それに応えるように、水晶から眩い光の星が子供に降り注ぐ。

「わあっ」

 みんな、最初はきれいだとうっとりとしているけど、かなり眩しいためにすぐに目を閉じる。

 それはこの子も同じで、口だけポカンと開けている子供の手に、しっかりと風船の糸を握らせると、オレは三歩うしろへ下がった。

 光の洪水はジャスト七秒。

「あっ!ふうせん!あれ?まほうつかいさん?」

 すぐ傍にいるけど、もう子供の目にオレの姿は映らない。

「ありがとう!」

 大きな声で叫ぶ子供に、周りにいる大人たちが驚いた顔をしている。

 誰にも、オレの姿は見えない。

「…どう、いたしまして」

 喜んだ顔を見るこの瞬間だけが、オレの『無料奉仕』が報われる瞬間だ。

「ふうん。そんな可愛い顔もするんだ?」

「っるさい」

 ニヤニヤした顔するんじゃねえよ!

 ついでに…肩、抱き寄せんなよ…ほっとするだろ。

 仕事をしたあとは、なんというか…寂しさが残る。

 それは、ついいままで話をしていたのに、近くにいるのに相手にはオレの姿が見えなくなってしまうから。…ひとりぼっちになる気がするからだ。

 子供みたいだと、言われるかもしれない。

 …けれど、何年同じ仕事をしていてもその寂寥感から逃れられない。

「おれもナオに願い、叶えてもらおうかな」

 慰めるようにオレの頬を這う唇に、安心したオレは瞼をおろした。

「…何、を?」

「おまえが、おれを好きになりますように、って」

「…阿呆」

 ちゅっ、と瞼に落とされる唇に、オレは愛しい想いをこめて、そう罵った。


 オレの職業は魔法使い…という名の、サラリーマン。

 株式会社愛夢叶(アムト)という、いろいろ派遣会社(なんでも屋)の社員。

 社員の大半はオレみたいな魔法使いだけど、凪綱のようなフツーの人間もいる。

 オレの仕事は、ひとの願いを叶えるという古典的かつ、シンプルなもの。

 ただし、魔法というのには制約というものがあって、個人や力量によってその度合は違う。

 ちなみに、オレの制約は『ひとりにつきひとつ』、『善人のみ』、『自分と自分に近しい人間は不可』、『対価は記憶』。

 対価というのは、願いを叶えるために支払ってもらうお金のようなもので、オレが受け取る対価の『記憶』が会社にとって何の利益を生み出すものなのか、オレは知らない。

 しかし、いま現在のオレは『無料奉仕』のペナルティ遂行中のため、相手から対価は受け取れない。

 そのため、その対価はオレが払っている。

 …願いを叶えてやって、その対価も自分で払ってたら、働く意味がねえよ…。

 いまのところ、小さな願いしか叶えてないから、オレが支払う対価も夕飯の献立だとか…そんな些細なものだけど、もし大きな願いを叶えるハメになったら。

 一番大切な記憶を、手放すことになる。

「…ナオ」

 凪綱の匂いがするベッドの上、身じろぐオレの髪を彼の吐息が掠めた。

「ん…?」

 大きな手が、ゆったりとした仕草で髪を梳く。至福の時間。

 …失いたくない、記憶のひとつ。

 呼ばれるまま顔を上げると、困ったような表情の凪綱の顔。

 もっと困らせてやろうと、ぎゅうっと腕に抱きついてやる。

 すると、おいおい、と笑って覆いかぶさってきたもんだから、ぐえっとカエルが潰れたような声が出た。

「そろそろ出社だ」

「そっか。オレもだな」

 よっこいせ、と掛声一発起き上がると、ゲラゲラ笑われた。

「ジジ臭いぞ」

「うるせえ」

 仕方ないだろ、腰が重いんだからッ!一言多いし!

 着替えて、ふたりで姿見の前に立って服装を整える。

 凪綱はスーツ、オレは黒いローブ。

 並んで立つと、別世界の人間だ。そう自覚すると、胸が苦しくなる。

「ナオ」

「…っあ」

 いきなり、ぎゅうっと強く抱きしめられた。骨が軋みそうなほど強い抱擁。

「泣きべそかくなよ」

「誰が」

 ガブッと首元に齧りつくと、凪綱は『いやん、痕はつけないで』とふざけた。

 そんな他愛のないやり取りが幸せで、切なく震える胸が綻んでいく。

 思いっきり息を吸って、凪綱の匂いを体内に溜めこんだ。

 ひとりで、立っているための、オレだけの魔法。

「いってきます」

 掠めるだけの口付けは、それだけでも十分に甘く心を癒した。


「…最近、猫って流行ってんのかな」

 今夜はふたつの願いごとを叶えてきた。

 ひとつは『猫になりたい』人間、もうひとつは『人間になりたい』猫。

 前者は昔見た夢をもう一度ってリクエストだったから、本当に猫になったワケじゃないけど。

 支払った対価は、と記憶をさかのぼってみる。

 …今日の朝飯と…凪綱と、の…。

 あれ?

「…さっきまで、一緒…だったよな?」

 一緒にいたことは、覚えてる。

 ただ、その間にあった出来事が思い出せない。

 だんだんと、対価が大きくなってる気がする。

 …いや、ふたつめの願いは、生を曲げることだったから、だ。

 思ったよりもずっと大きかった対価に、打ちのめさせられた。

 それにしても、払っているのはごくごく最近の記憶。

 精彩を失っていく過去のモノではなく、明瞭なモノ。

 突きつけられた現実に、突然目の前が真っ暗になっていく。

 オレはどこか楽観視しすぎてたのかもしれない。

 対価という言葉が示す本当の意味を、履き違えていたんだ。

「うそ、だろ…」

 くらり、と眩暈がした。

 あといくつ、願いを叶えたら解放されるんだろう。

 社員必携の電子手帳を開くと、まだ二桁の数字が表示されている。

 カツン 手から滑り落ちた手帳がコンクリートの地面に落ちて、かたい音を立てた。

「…っ!」

 地面に膝をついて、絶望に蹲るオレの姿は、人通りの多いこの場所でも誰の目にも映らなかった。


「ナオ!」

 会社の休憩室で、生暖かいカフェオレを啜っていると、なんだかスゴイ形相で凪綱が入ってきた。

 胸倉を掴みそうな勢いだったけど、先に牽制して杖を掲げたオレに、凪綱は小さく舌打ちした。

 …いきなり喧嘩腰かよ。なんか…したっけ?

 心臓が嫌な音を立てるのは、対価の『記憶』がどの部分を掻っ攫っているのかが、いまのオレにはもう判らないからだ。

「…なに」

 内心の動揺を気付かれないように、カフェオレをちびちび舌先で突いて返事をすると、凪綱はドサッと乱暴に隣に座った。

「なんで、来なかったんだよ。ずっと、待ってたんだぜ?」

 …ああ…。

 とうとう、ここまできたか。

 オレは、凪綱となにか約束をしたんだ…。でも、それがどういう内容なのか、カケラも思い出せない。

 そんなことがあるからと、最近はこまめに手帳に記していたはずなのに。

 よりにもよって、凪綱との約束を忘れてしまうだなんて。

「なんか、約束してたっけ?」

「おまえ…っ」

 今度こそ胸倉を掴まれた。

 甘い、恋人と呼べる関係のオレたちだけど、普段はライバルであり、友達でもある。

 それこそ容赦なく殴り合いの喧嘩もする。互いの信頼を認める関係。

 心も、体も…オレのすべて捧げても構わないと思うのは、凪綱だけ。

 そんな、約束と嘘に厳しい凪綱に、覚えのないものを、覚えているとは言えない。

 ごめん、の一言で済む問題もあるのだろうけど、これから先、しょっちゅうこんなことがあれば、どうにも繕えない。

 …傷つくのは、少ないほうがいい。

 凪綱、ごめんな?オレ…弱いんだ。

「…最近、疲れてんだよ。いちいち、おまえに付き合ってられねえっての」

 凪綱が振り上げた手を見て、殴られると思ったオレは目を瞑った。

 しかし、待っても一撃が襲うことはなく、目を開けると、眉間に皺を刻んで、なのに哀しげに瞳を揺らした凪綱の表情が映った。

「…おれが、おまえを殴ると思ったのか?」

 絞り出すような苦しげな声に、ぎゅっと胸が締め付けられた。

 こんな顔をさせたいワケじゃなかったのに…。

 いっそのこと、気を失うくらい殴ってくれれば…と思うのは、オレの自己満足に過ぎないのか…。

「おまえが、初めて誘ってくれて嬉しかったのに」

 …はは、最低だな…オレ。

 てっきり、いつも凪綱からしつこく誘われるから、今回もそうだと思ったけど…オレはなにを誘ったんだ?

 …思い出せない、か。

「そうだっけ?…まあ、どっちでもいいや」

 投げやりな言葉に、凪綱は胸倉を掴んでいた手を離した。

 糸が切れたように椅子に沈むと同時に、背もたれにしたたかに背中を打った。

 …こんな痛みじゃ、物足りない。。

 傷ついたのは、オレじゃなくて凪綱だ。

 自業自得のオレよりも、凪綱のほうがずっと…傷ついてる。

「…おれに言うことはないのか?」

 やさしいな、凪綱。もう、オレなんか放っておけばいいのに。

 本心は…全部、ブチ撒けてしまいたい。

 不安も、畏れも、凪綱への想いも。

 けれど、小さなプライドがそれを邪魔する。

 とろけるほど甘いその腕の中に、すべてを委ねてしまいたいと思うのに…どうして、こんなに捻くれているんだろう?

「おまえに話すことはない」

「わかった」

 低い声で頷き背を向ける凪綱が、オレを見ることはもうないだろう。

 きっと、凪綱はオレが嘘をついていることに気づいている。

 けれど、オレが本当のことを言わないから、余計に怒ったんだ。

 …約束破って、嘘ついて。凪綱を幻滅させて。

 オレって、なんのために…魔法使いなんてやってるんだろう?

 好きだよ、凪綱。

 口には出したことないけど、おまえが思ってるよりずっと愛してる。

 でも、さようなら。


「…なんなの、これは」

 お約束のごとく、表にデカデカと『辞表』と書かれた封筒を出したオレに、社長が怪訝そうな表情をした。

「辞表です。…ペナルティは最後まで遂行しますが、それまでの契約ということで」

「辞めてどうするの?普通の人間でもないあんたが」

 魔法を使う以外に、なにも取り柄がない自分を知っているだけに、そう言われてしまうとなにも言い返せない。

 凪綱のように神憑り的な営業力でもあればいいけど、こう見えてオレは激しく人見知りする。

 普段は顔を見せまいと、深々とフードを被ってる不審人物でしかない。

「結構、対価が身に染みてるみたいねえ…。凪綱くんのこともあるの?」

 …恥ずかしい話、社内にオレと凪綱の関係は知れ渡っている。

 特に、この見た目は二十代な社長はオレの母親でもあるわけで。

「っ」

 凪綱とは、あの日以来顔をあわせてない。

 もともと部署が違うから、互いに会おうと思わなければ顔をあわすこともない。

 この状態に陥って、どれだけ、凪綱がオレに会おうとしてくれていたかが判る。

「彼に、あんたの対価がなんなのか話してないんでしょう。それで理解されようだなんて、無理に決まってるわ」

「…理解されようなんて思ってない」

 ただ、逃げただけだ。

 オレがこれ以上、凪綱とのことを忘れてしまわないために。

「まあ、辞めるも辞めないも、いまのあんたじゃ、すぐに魔法も使えなくなるわね」

 社長はオレの持つ杖についた水晶を見て、やれやれと嘆息をついた。

 水晶の輝きは、そのまま持ち主の生命力を示している。

 生命力は、魔力へと繋がり、その力を魔法として行使できるんだ。

 濁った水晶は、病んだオレの心を隠さない。

 誰が見ても、オレが調子を崩しているのが判る。

「とりあえず、これは預かっておくけど。自分がこの世界で生きていくにはどうしたらいいのか、よく考えなさい」

 …生きていく、か。

 いまは、生きていることにも疲れてる。

 もともとは、自分の招いたことだけど…ひとを幸せにするはずの魔法の存在意義を疑ってしまう。

 幸せの対価。

 そんなものを支払って、本当の幸せは手に入るのか?


「魔法使いさん」

 突然声をかけられて、オレは驚いて振り向いた。

 にこにことやさしげな眼差しで立っていたのは、髪も目も服も真っ黒な、十六、七の少年だった。

 見たことのある顔、だ。

 誰だっけ?っつーか、なんでオレの姿が見える?

 慌てて周囲を見渡すと、公園にいる誰もがオレを見ていた。

 明らかに異形のものを見る視線に、恐怖を覚えた体が強張る。

 はっとして水晶を見ると、完全に輝きを失っていた。

 いまのオレには、姿を隠す魔法すら使えないらしい。

「お久しぶりです。暑くないですか?」

 パサッ 彼の手が、やさしくフードを落とした。

 普段なら、顔を出すのは嫌だし、誰かに触られるのは以ての外だ。

 なのに、なぜかほっとするのは、彼の雰囲気がとてもやわらかいからだろう。

「ちょっと、座りませんか?」

 彼に手を引かれて、太陽の光で熱くなったベンチに腰かけた。

 隣に座った彼の膝には、それが定位置なのか、すぐに三毛猫が座ってまるくなった。

「昼間も歩くんですね。びっくりしました」

「あー…たまたま…」

 オレが誰か判るってことは、オレが願いを叶えたうちのひとりだろう。

 そんなふうに、幸せですって顔をされると、嬉しいのに憎らしくなってくる。

 ダメだ。そんなんじゃ、もう魔法は使えない。

 制約が『善人』である以上、かける人間も善きひとでなければならない。

 いまのオレにはその資格がないから、だから水晶の光も失せてしまったんだ。

「ずっと、お礼を言いたいって思ってたんです」

「…別に。仕事だし」

 ムスッとして、大人げないと思うけど、彼はオレには眩しすぎる。

 彼はそんなオレの態度にも、にこにこと人の好い笑顔を向けてくれた。

「そういえば、願いを叶えてもらうには、代わりになにかをあげなくちゃいけないって、本で読みました」

「普通は、な。いまはキャンペーン中だから、いいの」

「いいって顔、してないですよ?ボクで払えるものがあるなら、お支払いします」

 気軽に言うな。

 記憶がなくなるってのは、結構ダメージが大きいんだよ。

 いままで、ずっと気にしないで対価を受け取ってきたけど、本当はこんなに辛いことなんだ。

「…大切な、思い出がなくなってもか?」

「なくなったら、またつくればいいじゃないですか」

「…お気楽だな」

 どうしたら、そんな前向きなことが言えるんだ。

 本当に失っても、同じことが言えるのか?

 頭を抱えるオレに、やわらかい彼の言葉が降り注ぐ。

「少なくても、ボクは猫だったときにはできないことができるようになりました。届かないって思っていた想いも届きました。だから、一番の願いが叶って代わりに大切ななにかが無くなっても、またつくりなおします。いまのボクにはそれができるし、一緒につくってくれるひともいるから」

 顔を上げると、オレよりもずっと年下のはずなのに、達観した彼が諭すようにオレを見ていた。

「だから、ボクでできることがあるなら、恩人のあなたがそれで元気を出してくれるなら、喜んで差し出します」

 猫の恩返し?ちょっと違うかな、と彼は微笑んだ。

 …オレの魔法は、彼のようにみんなを幸せにしているんだろうか?

 こんなふうに、オレにやさしく微笑んでくれるんだろうか?

 オレのしていることは、間違ってない…?

『ありがとう!』

 風船を手にした子供の声が脳裏によぎった。

 対価を支払うことを実際に我が身で体験して、自分の仕事にまで疑問を持つようになってしまった。

 決して、良いことではないけれど、彼のように本当に幸せになってくれるひとがいるなら、それは必要悪なんだろうか。

 ふわり やわらかくあたたかな言葉に心が浮上していく。

「…ありがとう。キミに会えてよかった」

「なに言ってるんですか?お礼を言うのはボクなのに。ありがとう、魔法使いさん」

「キミはいま、幸せ?」

 問う必要のない問いに、それでも彼は満面の笑顔で

「はい。とっても、幸せです」

 こっちまで幸せになる笑顔をくれた。

 すると、突然彼の膝で眠っていた猫が顔を上げて、『なぁう』とひと鳴きした。

「お迎えがきたみたいですよ」

「え?」

 オレには判らないけど、ふたり(ひとりと一匹?)には判るようだ。

 首を傾げるオレの目にも、すぐにその姿が入ってきた。

「ナオ!」

 いつも整えている髪を振り乱して、ネクタイもだらしなく下げた姿でこちらに走ってくるのは、凪綱だった。

「ナオっ」

 飛びかかるように抱きしめられて、顔に凪綱の汗が散った。

「な…づ、な…っ」

 恋しかった凪綱の匂いを感じて、途端にポロポロと涙が零れた。

 凪綱の前で泣くなんて、なんという失態だ。

 でも、嬉しくて…止まらない。

「魔法使いさんの、願いも叶うといいね」

「も、叶っ…た…」

 鼻を啜りながらの情けない声に、彼はあたたかく微笑んだ。


「…どうして」

 まだ力の戻らないオレは、真っ黒なローブというアヤシイ姿のまま、スーツ姿の凪綱に手を握られて歩いていた。

 …周囲の視線が痛い。

 けれど、手を離そうとすると、今度は抱きしめられてしまうから、これ以上どうすることもできない。

「どうしてこんな場所にいるのが判ったかって?」

 凪綱が不機嫌を隠しもしない表情で指した場所は、この付近で一番大きな高層ビルだ。

 そういや、社長が今度あれを超すビルを立ててやるって息巻いてたな。

「あそこが、おれがいま派遣されてる会社。それで、昼飯を買いに出てた奴が『マンガから飛び出てきたような黒装束の美人』がいた、とか言うから」

「そんなの、オレと限らねえだろ」

「魔法切れするようなドジはおまえしかいないだろうが」

 おまえが調子悪いの、おれが知らないとでも思ったのか、と低い声で言われて、悔しいけど図星なオレはきゅっと唇を噛むしかない。

 オレの手を握る凪綱の手の力がさらに強くなる。

 痛いくらいの圧力は、彼の心からの怒りと心配。

「…おまえの魔力が消えたって連絡がきたとき、おれがどれだけ…」

 水晶にはGPS機能もあって、いまのオレのもののように力が無くなった水晶では機能は停止する。

 水晶の光は生命力。つまり、それが消えてしまうということは、持っている本人になにかがあったということだ。

 生まれてからずっと、水晶と過ごしてきたけど、光を失ったのは初めてだ。

 それだけ、心に巣食った闇が大きかったんだ。

 生きる、ということを放棄しそうになるまでに、心を追いこんだ。

「そしたら、もっとマシな奴と付き合えるだろ」

 誰が見ても魅力的な容姿と、どんな仕事も完璧にできる手腕と頭脳。

 実はライバルとか言ってるのはオレだけで、魔法使いの中でも落ちこぼれに近いオレには手の届かないようなひと。

 捻くれたオレの言葉に、凪綱は立ち止まる。

「…バカだよな、ナオは。そこが可愛いんだけど」

「っん」

 振り向くなりいきなり唇を攫われて、オレは目を瞠った。

 いまは姿を消していない。しかも、ここは凪綱の職場のすぐ側で、一番人通りが多い昼間で。

 そんな場所で、見るからに不審者のオレに!なにすんだよッ!

 ドガッ 目一杯力を込めた拳が、凪綱の腹にめり込んだ。

「…お、おま…っ」

 ズルズルと地面に崩れていく凪綱に、杖で止めの一撃を喰らわせる。

「恥を知れ!」

 真っ赤な顔でなに言ってんだ、と思いながら、なぜか周囲の拍手を受けたオレは、そのまま走ってその場を退散した。

 すぐに追いついてきた凪綱に、今度こそ容赦なく拘束されたオレが、彼の傍から離れることができたのは、別の意味で気力も体力も失った翌朝のことだった。


 目が腫れぼったくて、声もガラガラ。おまけに身体と足取りが重いのは、殆ど寝てないからという理由だけじゃない。

 そんなワケで、自主休社を決め込もうとしてたら、社長から呼び出しを喰らって出社するハメになった。

「ナオ、本当に大丈夫か?」

「…おまえがそれを訊くか?」

 隣を歩く凪綱が支えようとするのを断固拒み、杖に両手で縋ってズルズルと歩く。

 何度かローブの裾を踏みそうになりながら、たどりついた社長室の前で凪綱と別れた。

 ノックをする前に、大きく深呼吸して姿勢を正す。

 こんなダラけた姿で入った日には、なにを言われるか判ったもんじゃない。

 しかし、オレの苦労虚しく、『失礼します』と入った声と、水晶の輝きを見るなり社長は手でパタパタと顔を扇いだ。

「は〜…ヤラシイわねえ」

「っ!…うう…っ」

 ボッ 顔が火を噴いた。

 一晩ですっかり光を取り戻した水晶は、オレ本人の体調をよそにキラキラと輝いている。

 …誰か、コレを制御する方法を教えてくれ…。

「それで、どうするか決まった?」

「…ご迷惑をおかけしました」

 素直に頭を下げると、社長は引出しから取り出した辞表を目の前で破り捨てた。

 それから、と手帳を出すように言われて、溜息をつきながら差し出す。

 …また、ペナルティが付くんだろうな。

 凪綱によると、社員全員にオレの捜索命令がくだされたらしい。

 それだけ、水晶の光が消えるというのは大変なことなんだ。

 朝から消えてたんなら、もっと早く気づけよ自分…。

 せめて、毎朝会社に顔を出す習慣でもあったなら、これほど大事にならなかったんだろうけど。

 …みなさん、申し訳ゴザイマセン…。

「はい」

「…え?」

 返された手帳を見ると、残りの無料奉仕回数が消えていた。

 驚いて社長に顔を向けると、彼女は大きな溜め息をつく。

「もう十分反省したということにしましょう。…わたしも、心臓が止まる思いをしたわ」

 心配かけて、とあやすように抱きしめてくれるその腕は、社長ではなく母親のものだった。

「ごめん…母さん」

「あんたが女だったら、さっさとこんな仕事辞めさせて、凪綱くんに貰ってもらうのに」

「…それは…」

 そうできれば一番なんだけど。そうできないのが現実。

 …きっと凪綱は、オレが望めば小さな箱庭の中に閉じ込めて、うんとやさしく可愛がってくれるのだろうけど。

「男なんだから、ずっと隣で一緒に歩いて行けるように、強くなりなさい」

「はい」

 本当に自我ばかり強くて、中身が脆くてみっともない。

 強く、やさしく、あたたかく…そして幸せにならないと、誰かを幸せにすることはできないだろう。

「それにしても、凪綱くんにももう少し加減してもらうように言わないと。事情が事情だけど、翌日に休むくらい酷使するのはちょっと、ねえ?」

「…は、い…」

 母親にそんなコト言われるほど、恥ずかしいものはない。

 …凪綱、殺ス…。

 オレはしばらく赤くなった顔を上げられなかった。


「おまえさあ、もうちょっと手加減っつーもんを…」

 頭にデカイたんこぶを拵えた凪綱が、頭を擦りながら恨めしそうにオレを見下ろす。

 どうやらかなり心配してたみたいで、一度社長室の前で別れたものの、引き返して待っていたらしい。

 母親に忠告された居たたまれなさを引き摺った、オレの前にのこのこ姿を現すからだ!

「ん…でもまあ、ツンデレ萌え」

「はあ?」

「ナオみたいのを、巷ではツンデレって言うんだよ」

 最近の言葉に疎いオレが首を傾げると、凪綱はオレの腰をぐいっと引き寄せた。

 …まだ懲りねえのか、この男は…。

「普段はツンツンしてるけど、ベッドの…ぐはっ」

 ニヤけた男の顎に、ガツンと頭突きをかます。

 最後まで聞かずとも、言いたいことは判った。

 くそ…顔が熱いのがムカつく…図星ってか?んなワケねえよっ!

 ただ、ちょっと…甘えたがりなだけだ。

「一回、死んでこいッ!」

 もう知らん、こんなヤツ!

 置いて行こうとしたら、ぎゅっと手を掴まれた。

「おれが死んだら、泣いてくれる?」

 真摯に見つめてくる瞳に、どきどきと胸が高鳴った。

 オレが、こんなにも凪綱が好きなこと、おまえは全然判ってない。

「…死んだら、殺す」

「なんだよ、それ」

 どっちにしろ死ぬだろ、と笑う凪綱の、オレの手を掴んだままの手を引いて、バランスを崩した彼の唇に自分のソレを、一瞬だけ触れ合わせた。

 驚いた凪綱の表情が可笑しい。鳩が豆鉄砲?みたいな。

 途端に真っ赤になる凪綱に、オレは大いに満足した。

 だから…一度だけ、素面で言ってやるから、ちゃんと聞けよ?

「凪綱、大好きだよ」

「! ナオ…っ」

 ばっこーん 飛びかかってきた凪綱を杖で一蹴して、びしっと指を突きつける。

「しばらく、おあずけだからな!」

「判った。おまえから、ねだるように仕向けてやるから」

 どこにそんな自信があるのか、凪綱は全然懲りてなかった。

 凪綱に読まれてるのは悔しいけど、勝負は最初からついてる。

 …惚れた弱み、って言葉があるだろ?

 一度、甘くて心地いいところに浸かって溺れてしまえば、そこから抜け出すのは至難の業だ。


「キミの願いを叶えてあげる」

 今日もオレは仕事をする。

 まだ、これが正しいことなのか判別できてないところもあるけど、それでもキミが少しでも幸せになれるのなら。

 オレの持てる力のカケラを分けてあげる。

「なんでも、ひとつだけ叶えてあげる」

 それが、キミの大切な思い出と引き換えてもと望むモノであるなら。

「キミの望むモノはなに?」

 叶えたら、キミは幸せになれるだろうか。

 素晴らしい未来が拓けるだろうか。

 迷っていた一歩を踏み出せるだろうか。

 その手伝いを、させてもらえるかな?

 対価を受け取るのに、おこがましいけれど。

「キミの願い、叶えよう」

 キラキラと、星が降る。

 願いを叶える、キミの流れ星が。

完璧なコメディーを目指してたハズなんですが…あれ?

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