9話
「『茗 遥秀』という男が該当しました」
紙面上の文字を蓮星が指差す。
「北部の人間です。ある屋敷に住み込みで働いていたようですが、ふた月前、家主の許しがあって、暇をもらっています。赤毛で中背。特徴も一致するようです」
「家族は?」
「ありません。なんらかの理由があって都に出てきたのでしょうが、挨拶を済ませて屋敷を辞したために、誰も不審に思わなかった、と」
「なんの用事があったのかしら。少なくとも相手がいる用事じゃなさそうね。約束していれば、そちらから届けが出ていたはずだもの」
ユウは、男が言ったことを隠して、ただ自分を『ヨウシュウ』と呼んだ人物が現れたことだけを花弥に伝えた。
そして花弥――耀弥は、蓮星にその名前を調べるように命じた。
手掛かりが音だけでは案の定難しかったらしく、結果が出るのに数日を要した。
耀弥の目が紙面上を走るのを見ながら、蓮星は何気なく言った。
「ユウが『遙秀』ならば、もうお会いになる必要もありませんね」
思いもよらないことを言われた顔で蓮星を見上げた耀弥に、出来た側近は、内面をおくびにも出さず述べた。
「記憶は別として、素性は判りました。ユウも安心することでしょう。姫様がもう『花弥』として様子を見る理由がありません」
「それは……そうだけど……」
「街にお出になりたいなら、わたくしがお供致します。わたくしでなくとも、女官でよいではずです。――それとも、彼でなければならない理由が、なにか」
耀弥は苦笑した。蓮星の心配を笑うようでもあり、考えないようにしていたことを暴かれたようでもあった。
「――そうね。ないわ。ただ、楽しかったのよ」
お忍びは珍しくない。
ただ、屋台でまんじゅうを買ったのは初めてだった。
公務で男と会話することもある。
ただ、義務で会う異性より、居心地が良かった。
一時の遊びであることを忘れるほどに。
色々なことが新鮮だった。
「考えてみれば私、男の人と個人的に親しくなるの、初めてだった」
「姫様」
「友情と愛情の違いって何だと思う?」
「は……わたくしには、よく」
「私もなの。遙秀が好きか嫌いかと聞かれたら好きよ。でもそれが、恋なのか、親愛なのか、区別がつかない。――それに、仮に恋だとしても、だからどうなるの?」
蓮星と耀弥の視線が交わる。
底知れない黒い瞳に、蓮星はつかの間吸い込まれそうな錯覚に陥った。
「色に溺れて遙秀を要職に就けたとしても、能力が伴わなければすぐに罷免される。不当に財を貯めようとしても監査官は見逃さない。そういう仕組みが出来上がっているのだもの」
傍に置こうと思ったら、せいぜい夫か情夫として奥に入れるのが関の山だ。
「過去に夫も恋人もつくらず帝位についた女性は多くいるわ。女帝だからといって男の支えが必要とは限らない。なら、あえて遙秀への感情を恋に分類しなくても、友情だと思っておけば十分じゃないかしら」
窓の外には中央の宮の楼閣がある。
「遙秀が見ているのは『女官の花弥』。私が耀弥だと知っても、彼は同じように接してくれるかしら。なによりまず――許してくれるかしら」
蓮星は答えなかった。否、答えられなかった。




