6話
二人の会話は他愛ない話ばかりだった。庭師の息子が結婚したとか、厩舎の仔馬が大きくなったとか、最近流行りの書物のこと。市場で見た子供、屋台、近道になりそうな路地。
そうやって聞いてきたことを耀弥が蓮星に話すものだから、耀弥に近い女官たちは、行っていない都の様子にやたらと詳しくなった。
「ユウ、聞きたいことがあります」
「はい、なんでしょうか」
せっせと庭で働いていたユウを、回廊から見つけた蓮星はやや硬い面持ちで呼び付けた。
「記憶はいまだ戻らないようですが、不便はありませんか」
「いえ、もうまったく。みなさんに気を使って頂いて、快適すぎるくらい快適に働かせてもらってます」
「そうですか。――花弥は、よくあなたに会いに行っているようですが、迷惑をかけていませんか」
「それこそ逆ですよ! 花弥のほうが忙しそうなのに、あんなに頻繁に来てくれて……。嬉しいですけど、申し訳ないくらいで」
「……嬉しい、ですか」
口調に混ざった冷やかさに気付いて、ユウは急いで言い添えた。
「別に仕事がさぼれるからとか、そんな理由じゃないですから!」
「それはわかっています。下男長も、良く働いていると褒めていましたよ。わたくしが聞きたいのは花弥のことです」
「え? あ、ああ……同僚にも同じこと聞かれました。でも、下男と女官じゃ身分が違うってちゃんと……」
「問題はそこではありません」
怪訝な顔をしたユウに、蓮星は淡々と説明した。
「多少身分が違っても、本人たちの意思と将来の展望、それを周囲に認めさせる努力さえあれば些細なことです。勿論『愛があればなんとかなる』などというのは馬鹿馬鹿しい限りですが。問題は、今、あなたが、花弥をどう思っているかです」
答えられなかった。
花弥との関係を同僚にからかわれて、その時から薄々考えてはいた。
過去のことが思い出せない中で、最も親しい異性は花弥だったし、街を歩いていても段違いに可愛い。何より話していて楽しい。
仕事を等閑にしている様子もない。他の年上の女官たちからも可愛がられているところを垣間見る。
総括すれば魅力的な娘だが、男女の関係を結びたいと思ったことは無い。
外出するのは数少ない楽しみだ。買い物のついでに街中を歩き、ユウの記憶に関わるものを探す。前はそんなこと意識したことも無かったのに、あちこちで逢引の恋人たちをみかけると、自分たちもそう見えるだろうかと期待してしまっている。
少なくともユウは、そんな勘違いをされることが嫌ではなかった。
向こうはまだ十代の半ば、きっと良い家の娘だろうし、女官なのだから、勢いや雰囲気などには流されず大事にしたい。
(あれ、でもこれって……)
ユウは一気に顔が熱くなるのを感じた。
自覚以上に、自分は花弥を好ましいと思っていたらしい。
蓮星から退去を許されて自室に戻ったユウは、辿り着いた自分の結論に身悶えた。
例えばもし、このまま記憶が戻らなくても、ここで下男として働かせてもらえるだろうか。給与はかなり良い。ふた月の間に、贅沢をしなければ半年は生活に困らないだけの金がたまっている。下男がこれだけ稼げるのだから、女官がそれ以下ということはあるまい。
だとすれば共働きで貯蓄をし、余裕が出来たらどちらかが辞職して家のことに専念――いや、それならば、今からでも勉強して下っ端でも官吏になったほうが安泰かもしれない。
蓮星が示唆したのはそういうことだろうか。
はたと気付いた。
(違う……)
蓮星の様子は、そうではなかった。
真逆の意味で「花弥はあなたが妻に出来るような娘ではない。諦めろ」と、まさかそちらだろうか。可能性は十分にありうる。
花弥の仕草はいかにも躾が行き届いている。よほど良い家に生まれたか、女官教育を徹底されているのは見ればわかる。
その花弥の伴侶として、自分は役者不足だと暗に言われていた可能性もある。
もしや突き詰めて「これ以上花弥に関わるな」と言われていたのだろうか。
(それはさすがに穿ち過ぎか……。あ、いや、でもあの蓮星様だしなぁ……)
理不尽な人ではないが、近くにいると緊張する。
うっかり失敗しようものなら厳しく叱責されそうで、下手に動けない。花弥に接する態度は姉のようで、花弥も全幅の信頼を寄せているから、少々のことで激昂する人物でないと解ってはいても、いつも蓮星がいると背筋が伸びてしまう。
恋人にするなら、そうやって緊張を強いられる相手よりは、隣にいて心地よい花弥のほうがいい。
結局その結論に戻ってきてしまってからは、難しく考えることをやめた。
人目も憚らず睦み合う恋人たちのようにはなれなくとも、きっとこれが自分なりの好意なのだろう。
記憶喪失とは言っても、今のところこれといった支障はない。誰も自分を探していないとなると、めぼしい親族もいないのだろう。ならば、これからどうしようと、少なくとも過去の自分の関係者に迷惑がかかることは――家賃や借金があれば別だが――あるまい。
時間はある。花弥にそういう対象と見てもらえるよう頑張らなければ。
……無理のない程度に。
無理をして恰好をつけても、気が抜けてボロが出れば、かえって恰好悪いことになる。すでにふた月、毎日のように顔を合わせて話してきた仲だ。今さら下手に取り繕ってもきっと意味はない。
そう決めて、季承にこっそりと相談しに行くと、季承は驚き、大声で笑った。
「お前、なかなか見どころがあるじゃないか! かっこつけないだと? よくそんなことが言えたもんだ! そうだその通りだ! 多少は必要だがな!」
背中を叩かれつんのめったユウが椅子ごとひっくり返ったが、季承は起き上がったユウの肩を掴んで力説した。
「昔なぁ、やっぱり女官に惚れた奴がいたんだ。だが、そいつは名前もわからん花を贈り物にしたんだ。そしたらその花はな、花言葉ってやつが最悪で、女官に笑われたあげく下女にまで馬鹿にされたんだ」
「きついですね……」
「贈り物には気をつけろ。装飾品なら何でもいいってもんでもないぞ。自分で買えるような安物も駄目だが、高すぎるものも見栄っ張りがバレて引かれるからな。相手に自分の稼ぎを知られてるときは要注意だ」
「はい」
「それからな、このことは、とりあえず俺とお前だけの秘密にしておけ。あんまりおおっぴらにしていいもんでもない。人の口に戸は立てられん。下手に漏れるとやっかいだ」
ユウは神妙に頷いた。
説得力のある教えを胸に刻んで、いざ実践と花弥に会ってみると、これが予想以上に難しい。
肩が触れそうなほど隣を歩く。人ごみで手を引く。顔を寄せて品定めをする。無意識にしてきたことが、意識してしまうと途端に恥ずかしくなる。
(これを無意識でやってた僕って!)
なお悪いことに、なに考えていなくても花弥を目で追ってしまうようになった。
髪を耳にかける仕草が色っぽい。手首が細い。爪は綺麗な桜色。これまで見逃していたものが次々目に入るようになった。酷い時には仕事中にまで事あるごとに花弥の面影を見ている。
最近毎晩のように寝台で悶絶しているユウをいぶかしんで、同室の下男が大丈夫かと訊ねてきたが、世に言うところの恋の病ですとも言えない。
だが、充足感もある。
仕事は大変なこともあるが、休息はしっかりとれる。交代で休日まである。人間関係にも困っていないし、やりがいがある。好ましいと思う娘も、向こうがどう思っているかは知らないが、すぐ近くにいる。
この際前の自分は捨てて、このまま生きることは、許されるだろうか。
過去の自分がどういう人間だったかはわからないままだが、思い出すことに対して、ユウはそこまで積極的になっていない。
諦めているというより、記憶に執着がなかった。
記憶喪失が理由で雇ってもらっているのに、無責任と言われそうだ。
それとも記憶が戻ったとしても、望めばこのまま働き続けられるだろうか。いや、それではきっと花弥とはもう会えない。
(それじゃ……だからっていつまでも都合よく過ごすなんて出来るわけ無い……。記憶が戻るか、戻さないと決めれば、きっと花弥との接点は消える)
忘れてはいけない。花弥はユウの記憶を探すために、街歩きに付き合ってくれているのだ。わざわざ外に出る仕事を作ってまで、皆が協力してくれている。
「これじゃあ本当に無責任だ……甘えてるだけじゃないか」
口に出して言った途端に自己嫌悪に陥った。
花弥に並ぶ男になるには、大変な道のりがありそうだった。




