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彩幻  作者: 新流晃夜
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5話

(まさか蓮星の口から冗談を聞く日が来るとは思わなかったわ……)

 人参を見比べながら、花弥になった耀弥はついつい遠くを見てしまった。それとも、彼女なりの気遣いだろうか。毒騒動でいささか気が立っていたのは事実だ。

「花弥? どうかした?」

 大根を選んでいたユウはいつになく心ここにあらずの花弥が気になったらしい。

「あ、いいえ、別に。おばさん、これ下さい」

「やっぱり、一昨日何かあったんだね?」

 帰る道すがら、ユウは花弥を引きとめた。

「あったとしても私は」

「言えないのはわかってるよ。ただ、無理をして出てきたんじゃないかと思って」

「そんなことないわ。むしろ、行けって言われたのよ。私、よほど暗い顔してたのかしら」

「暗い顔っていうか、悩んでる感じ」

 何かを言いかけて、やはり言い淀んだ花弥は、ユウの袖を引いた。

「お腹すいてない? 特別にお小遣いを貰ったの。何か食べて行きましょう」

 二人が選んだのは、蒸したての肉まんじゅうを売っている露店だった。他の店よりやや値は張るが、その分大きくて中身がたっぷり詰まっていると以前の買い物で聞いたことがあった。

 だから、本当に何かあったのだと、ユウは思った。おまけに貰った果物ではなく、わざわざ買ってまで寄り道していくのは、きっとそれほど大変な悩みなのだろうと。

 実際に悩んでいたが、それとは別に本当に蓮星から夕飯用の財布を貰っていたことは、ユウの知る必要のないことだ。

 どちらともなくいつもの川辺にやってきて、まんじゅうの紙包みを開いた。

 片手に余るほど大きなまんじゅうはまだ温かい。白い皮に齧りつくと、中からはほっこりと湯気が立った。中の具の塩加減も絶妙で、これならば普通の蒸しまんじゅうより人気があるのもうなずける。

「宮城で食べるのより美味しいかもしれないわ」

「え、そういうもの?」

「だって宮城では……」

 冷めてはいないが出来たてでもない、と言いかけて、慌てて口を閉じた。それは重要な役職の者だけのことだ。

「たしかに、女官はこういう庶民的なものは食べなそうだ」

「ないことはないけど、こんなに大きくはないわね」

 最近、ユウが意外な気遣いを見せる。派手な髪色と比べると働き者で実直な性分だが、答えづらい話題は避けてくれる。

「――記憶、早く戻るといいのにね」

「え」

「辛いでしょう? いつまでも自分のことがわからないのは」

 言われて久しぶりに、ユウは自分が記憶喪失だったことを思い出した。あと十日もすれば、宮城に拾われて早ふた月になる。

 もう何年も城に勤めているような気になるのは、それだけ馴染んできているからだろうか。過去のことは欠片も思い出さないし、今のところ、自分らしき人物の捜索願いや行方不明の知らせも無いという。

「僕は毎日楽しいよ。皆よくしてくれるし、仕事は大変だけど、充実してる。置いてもらえるだけでもありがたいのに、ちゃんとお給料も貰えるし」

「それは当然よ。働けばそれに見合ったものがちゃんと返ってくる。そのために朝廷はあるのよ」

「地界と違ってね」

 それは幼子でも知っている神話。あるいは伝承。

 遥か昔、神が世界を創った時、まだ世界はひとつだったという。長い間神と人間は仲良く暮らしていたが、やがて数を増やした人間は、神に『不公平だ』と言いだした。神は偉大な力を持っている。我々は持っていない。ならばその恩恵を少しは受けてもいいはずだ。神は快くそれを承諾し、田畑に実りを与え、山海の恵みをもたらした。けれども人間の要求は止むことを知らず、やがて神の力を巡り争い始めた。惨憺たる有様を嘆いた神は世界を月の扉で天と地の二つに分け、これを堅く閉ざした。天界には新しく生命を満たし、神は一人の娘を妻に娶り、やがて初代の帝となった。

「神が去った後、地界は大いに荒み、今でも不浄の地として、罪を犯した者の流刑地に定められている」

「逆に天界は、神の力で豊かな平和の地になったわ」

神はこの地に住む全ての者に等しく実りを約束し、この世の安寧は、神の力を継ぐ者によって護られると決めた。畑は耕した分だけ、家畜は育てた分だけ実を結んだし、朝廷の管理下で商家は決して暴利をむさぼることは出来ないが、農家と消費者の仲立ちとして安定した収入を得ることが出来た。全ての職、人が、理想的にめぐる世界。

「そうして皆が安定した生活を送れるようになって、子供たちにも勉学をする余裕が出来た。今では誰でも、望んで努力すれば官吏になれるし、学んだ知識を生かして働くことが出来る」

「素晴らしい世界だよ。記憶喪失の僕だってこんなに幸せに生きられるんだから。地界に生まれなくて本当によかった!」

 瞠目した花弥に気付かず、ユウはさらさらと流れる川を見下ろした。その澄み切った水。

「神様の子孫が今の帝で、お世継ぎが耀弥姫様。きっとこの風景みたいに、綺麗で優しい姫様なんだろうな。花弥はお会いしたことあるよね? どんな人?」

 曖昧に笑った花弥の中に、忍びこんだ思考があった。争いの無い平和の地を信じているユウに、その頂点たる帝位を巡る醜い争いがあることを話したら。

 けれどもそれはひとつの選択肢として浮かび上がっただけで、耀弥は選ばなかった。ユウとて、耀弥がいずれ守るべき民の一人なのだから。

 妙な縁だ。

 もし耀弥が継承権を持っていなければ、いまごろ彼女は老女になっていた。夫や子や、孫もいたかもしれない。ユウに出会い、こんな風に並んでまんじゅうを食べることもなかったのだ。

 物心ついた時には姫と呼ばれていた。帝になれなかった悔しさは解らない。第一継承者を殺してまで帝になりたがる心理も解らない。

 それでも耀弥はひとつだけ、はっきりとわかっている。

 そんな理由で殺されている暇はないことだけは。

 民よりも美しい衣を着て華やかに装うことは、それだけの大任を意味している。重い簪の一本、指輪のひとつひとつ、肉体労働には必要ない装飾品が、肉体労働以上の働きを求めている。

 帝たれと育てられてきた耀弥には当たり前の事実であるその重みを、帝位を求める者がどこまで飲みこんでいるのかはなはだ疑問であった。

 もしもその相手が耀弥以上に深く理解しているのなら、耀弥も継承権を譲ったってかまわないと思ったかもしれない。

 しかし、一度として彼(もしくは彼女)は耀弥の前に姿を現さない。

 耀弥と帝という大任について話し合おうともしないし、いかに己が帝にふさわしいか主張しに来るでもない。

(そんなでは、相手にするのも馬鹿馬鹿しくなるわ)

 八つ当たりぎみにまんじゅうにかぶりついた花弥は、かじりかけの肉まんじゅうを見下ろした。

 屋台の周りでは、親子や、知り合い同士や、恋人たちが、同じように大きなまんじゅうを買い、笑いあっていた。

「ユウ。帝って、どう思う?」

「帝って……帝?」

「そう。この世界を統べる最高権力者」

 ユウは、考えたこともなかったなぁと呟いた。

「不公平って思ったこと、ない?」

「不公平? なんで」

「時にはもっと短かったり長かったりするけど、一人の帝の治世は平均して二百年。民の寿命が七十年程度なのに、おかしいって思わない?」

「帝は神の子孫だから、そういうものだと……」

 厳密に言えば帝位に着いた者の力が尽きるまでが治世年数だ。力が尽きる頃はおおよそ自分で感じ取れるから、時期を見定めて帝位を譲る。

 過去には治世がたった三十年だった帝もいる。

 帝位か帝位継承第一位につけば老化が止まる。耀弥の場合はほぼ生まれた瞬間に第一位についたが、この姿まで成長してから不老になった。神の血の成せる技にあれこれ問うても徒労に終わる。そういうものとしか答えようがない。

 継承第一位に選定される時期によって、帝位を待つ年数も変わる。耀弥自身もう何年姫でいるか、忘れかけている。

神の血を持つ者は多く子を成す義務を持ち、帝の候補者たちがそれぞれ何位にあたるかは伏せられている。二位さえ告知されることはないから、一位に変事があってようやく、二位は己が二位であったことを知る。

 全ては民の預かり知らぬ内実だ。

「そういうもの……。そうね、それでいいのよね」

 帝は平穏の礎たれ。

教育の間、しつこいほど解かれた言葉だった。

「ユウ。あなた、この世界は、好き?」

 またも唐突な問いに、ユウはまんじゅうの最後のひとかけらを飲みこんで、頬をかいた。

「そりゃあ、綺麗だし、平和だし、楽しいし。ここが嫌いな人はいないと思うけど――やっぱり花弥、何か悩んでるんじゃない? もし悩みがあるなら、話せる範囲でいいから教えてよ。たいしたことは言えないけど、口に出してみると整理出来ることもあるし。誰にも言わない。聞くだけでいいならいくらでも聞く。だからさ、そんな難しそうな顔しないで、笑ってくれないかな」

 言ってからユウはあたふたと弁解を始めた。

「別に暗い顔するなって、そんなことが言いたいんじゃなくて! あの、嫌ってわけじゃないんだよ? 結構そういう顔も似合うけど、じゃなくて、最初の頃の笑顔の方が可愛いっていうか、ああああもう何言ってるんだ!」

 一人でじたばたしていたユウを止めたのは、小さな笑い声だった。

 声をたてて大笑いするのではないが、堪え切れなくなってくすくすと笑っている。

 大げさに振り回していた腕をおろして、ユウも笑った。

「ほら、その方が可愛いよ」

 長い睫毛に縁取られた目が、ユウをまっすぐに見つめた。

「ありがとう」

「どういたしまして」


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