2話
人の行き交う市で、若い男女が連れだって歩いていた。片方は女官の衣服で、片方はありふれた下男の恰好だ。
「凄いわね。こんなに賑やかだなんて、知らなかった」
花弥がはしゃいで話しかければ、男も忙しなく辺りを見渡しながら興奮気味に答えた。
「本当だ。前の僕はこういうところに来たこと無かったのかも」
売り買いされる物は食べ物から小間物、日用品まで種類も質も豊富だった。
「ユウは市で買い物した記憶はないの?」
「分からない。見覚えは無いけど」
「そう」
結局、ひと月が過ぎても男の記憶は戻らなかった。呼び名が無くては不便だろうと、鮮やかな赤毛から夕日の『夕』、音だけ取ってユウと付けた。派手な髪色に反して真面目で柔和なところが女官たちに受けたのか、これといった問題もなく受け入れられた。
寄り添って歩く二人の姿は、ともすれば仲睦まじい男女のようにも見えるが、身分は服装から一目瞭然だった。人からは何かのお使いとその供とでも思われているだろう。
「あそこじゃないかな」
ユウが指差したのは、小間物を扱う比較的大きな店だった。今日の二人の外出は、他の女官たちから頼まれた物のお使いという名目だ。城に仕える娘が、そうそう頻繁に外出を許されるはずもなく、記憶の無いユウを、事情を知らない者と一緒に出すわけにもいかない。
こうやって何度となく色々な口実を作ってユウは花弥と出掛けていたが、記憶につながるものとは一向に出逢えない。
「頼まれたのは、櫛と紐と……」
「あと簪ね」
所狭しと並べられた小物と向かい合って、早々にユウは音をあげた。
「だめだ、全然違いがわからない」
「何を言ってるの。頼まれたものなんだから、ちゃんと似合うものを選ばないと」
一か月の間に変化があったとしたら、二人の関係だろう。
最初こそ花弥に丁寧に接していたユウだが、花弥が対等で良いと何度も言い、自分からあえて砕けた口調で話し掛けつづけたことで、随分とユウも表情が和らいだ。
蓮星や他の女官の前では緊張しているものの、こうして花弥と二人だけの時にはちょっとした冗談も言えるほどになっている。
「ほら見て。これは花をかたどっているけど、こっちは蝶。これとこれは意匠が同じでも真ん中の色石が違うのよ。宮中で使うなら、こんなにたくさん飾りが垂れ下がるものは好ましくないわ」
次々と選びとっていく花弥の説明を聞きながら、ユウはお手上げと言わんばかりに息を吐いた。
「女の子って、凄いね」
「あら。ユウだっていつかは好きな子に贈り物をするでしょ? その時には相手に似合う物のひとつやふたつ、選べないと困るわよ。なんとなくでいいから、この辺りから、珀瑛に似合うと思う物を選んでみて」
ユウは助け船を出す気配の無い花弥を恨めしげに見て、お使いを頼んだ女官の顔を思い出しながら眉間にしわを寄せていくつもの簪を取ったり置いたりを繰り返した。
ようやく一本を花弥に恐る恐る手渡すと、花弥は合格の丸印を指で作って見せた。
「簪一本を選ぶのにこんなに疲れるなんて……」
「慣れれば最初から似合うものを思いつくようになるわ」
「そうかなぁ……」
そうして花弥が櫛と紐を選ぶ間も、あれこれと解説されながら品物選びを続けたのだった。
「女の子の身支度に時間かかるわけだよ。こんなのをいくつも持ってたんじゃ、毎日どれを使うかってところから悩み始めてもしょうがない」
「待たされたの?」
「え? あ、そういえば……」
「どれくらい待たされた? 何か話したこと、思い出せない?」
「う~ん……」
けれどもなんの面影も浮かばず、二人はがっくりと肩を落とした。
「残念だわ。もう少しだったのに」
「きっと大したことじゃなかったんだろうな」
そうして城に戻った二人は宮城の西の宮へ向かっていた。お使い物を届けなければならなかったし、どちらもこの後そこで用事がある。
西側への近道の庭園は、この時間帯だと日当たりも良く、散歩に最適だ。
「おい、そこの」
庭に面した回廊から横柄に二人を呼びとめたのは、派手な刺繍の入った上着を着た、身分と金だけはありそうな中年の男だった。
「はい。なにか御用でしょうか」
完璧な所作で礼を取った花弥を見降ろし、回廊の上から男はぞんざいに訊ねた。
「お前たち、耀弥姫のお住まいに勤める者か」
「さようにございます」
「では、これを姫に」
懐から出てきたのは、一幅の巻物と文だった。
「確かにお預かり致しました。失礼ですが、お名前をお伺いしても?」
「渡せば姫にはわかる。おまえごときが知る必要は無い」
大げさに袖をゆらしながら立ち去った男は、ユウには一瞥もくれなかった。下男など男の視界には存在すらしないようだった。
「花弥、いまのは?」
「よくあることよ。耀弥姫様は未来の帝。そこになんとしても繋がりを持ちたいんでしょうね」
ユウが止める間もなく開いた巻物は、椅子に座った若い男を描いてあった。
「さ、早く行きましょう。お使いは渡すまでがお使いよ」
西に戻って頼まれた小間物を渡し、二人はそこで一度別れた。ユウにはまだまだ仕事があったし、花弥も、仕事の無い時だけユウに同行することを蓮星に許されている。つまり彼女にもやらなければならない事があるということだ。
「また来たわ。あの叔父様、姪の顔くらい覚えていないのかしら」
渡された絵巻物を開いて、蓮星は小さく笑った。
「日頃お会いになる時には、姫様は髪をきちんと結って、お化粧もお衣装も整えていらっしゃいますから。男というものは、化粧ひとつで女を見失うものです」
「それで本人に見合い絵を渡しているのなら、世話はないわね」
「叔父君様の奥方の縁戚の方だそうです。もっとも……こんなに美男子だとはついぞ聞きません」
後半を内緒話のように耀弥の耳元で言うと、耀弥も笑った。
「絵姿って本当に信用出来ないわ。その絵、他の女官にも見せてあげて。みんなの感想を聞きたいわ」
代筆させた恋文には目もくれず、文机に積まれた書簡を次々と開き、筆を走らせる。
花弥の時の娘らしい顔から一変して、目つきが変わっただけで突然十も年上になったような貫禄を漂わせている。
蓮星は彼女が一山書類を終えるごとに新しいものを差し出し、処理済みのものを箱へ納め、時折硯へ墨を注ぎ足す。
また別の女官は未処理の物を分類し、その隣では処理された書類の最終確認を行い、届ける場所ごとに分けていく。
「簾中にいるだけになるって知っているのに、園遊会のお誘いは逆に酷いと思わない?」
一部の保留を除き全てをさばき終えて、耀弥は蓮星が持ってきた茶碗を取り上げた。
耀弥姫のお出ましともなれば、当然席は一段上で、たいてい四方に御簾が降ろされている。
歩こうとすれば周りに紗を垂らした傘がかざされ、前後左右に女官が付いて、さらに先導に一人、後ろから数人が付き従い、ちょっとした行列が出来上がってしまう。
耀弥としては、自分も周りが見えないほどの仰々しい行列はやめたいのだが、それをしてしまうと今度はお忍びで外に出ることが出来なくなる。
たまの息抜きが出来なくなることと引き換えにするほど、園遊会は大事ではない。
「顔ぶれも変わらないのに、どうしてこうも園遊会やら茶会やら開きたがるのかしらね。月に一度で十分だわ」
他の貴族にとっては楽しみかもしれない集まりも、耀弥にとっては義務であり仕事だ。出席すればご機嫌伺いの取り巻きが次々にやってくるだけで、妙な勘違いをされないように受け流すのも、慣れてはいても楽しいものではない。
「姫様は次代の帝です。姫様のお気に入りになれば、栄耀栄華は思いのまま。そう考えているのでしょうね」
「帝がなんなのか民よりも貴族のほうが良く解っているはずなのに、これも因習と呼ぶべきかしら」
茶碗を置き、着ていた女官服に目をやる。それこそ園遊会やら親族との会談で着る衣装とはまったく違う、実用性のある、飾り気の少ない衣。
「体裁とは言うけど、髪を結うだけで簪が重くて仕方ないのよ」
「まあ、姫様」
耀弥が無駄な華美を好まないのは蓮星も良く知っている。しかし姫付きの女官としては、主が華やかに着飾る姿を見たい。飾りがいのある主だから、飾る手にもつい力が入ってしまう。
薄化粧に質素な衣でも匂い立つような容貌はまったく色あせないのにと、見合い絵を持ってくる叔父に、正直苛立ちを覚える。もっとも、所詮その程度の男なのだと内心冷やかに考えもする。
「御髪の艶! 絹糸よりも滑らかで、朝の髪結いをさせて頂くのが楽しみですわ」
「歩ゆまれる時に足音をお立てにならないから、衣擦れの音ばかりがそよ風のようで」
「最初に女官服を着ていらっしゃるところをお見かけした時には、何事かと思いました。だけど、あの方を見間違えることなんて絶対にありえません」
『花弥』に見合い絵を渡した叔父の話をすると、他の女官たちも口を揃えて蓮星に同意した。
当の耀弥はもう花弥になってユウのところへ行っているはずだ。
耀弥が日々きちんと勤めを果たしているから、蓮星たちも毎日昼過ぎに休息時間が与えられている。
「男でなくても、どうしてわからないのかと思いますわ。よーく見れば判りますのに」
宮中で最も美しいのが耀弥姫。そう民には知れ渡っている。噂だけ聞いた民は、妖艶な絶世の美女を想像して遠くから城を眺める。だが、お忍びの耀弥とすれ違っても、誰もそれが耀弥姫だとは思わない。彼女が、十代半ばの娘に見えるからだ。際立って愛らしい顔立ちの娘とは思っても、耀弥姫の想像とは重ならない。
それを理解していて、耀弥もお忍びの時は意図的に幼い顔を作っている。
だが、決して彼女は大掛かりな変装をしているわけではない。耀弥の時の輝きを、ほんの少し抑えるだけだ。たおやかな笑みを、ほんの少し年相応の無邪気な笑顔にしているだけだ。
それだけで姫が娘に変わってしまう。
そんな耀弥をすぐに見分けられることが、姫付き女官たちの密かな自慢だ。
彼女たちの言い分は、
「どんな格好をしようとも、魅力に変化はない」
だそうだ。
「くしゅっ」
「大丈夫? 風邪?」
「いいえ。きっと誰か噂してるのよ」
可愛らしく口元を覆った花弥は、今日は街娘の恰好だ。あ、と声を上げて道の先を指差した。
「あそこ。市場で一番新鮮だって評判の果物屋さん」
瑞々しい果物を二つの籠にたくさん買い込み、代金を渡す。
「おっ、お嬢ちゃん可愛いねぇ。おまけしてあげよう」
「ありがとう、おじさん」
ころころと李の実を渡され笑みを返すと、果物屋の店主は年甲斐も無く顔を赤らめた。
「ちょっとあんた、また可愛い子に鼻の下伸ばして!」
「違うんだおまえ!」
「何が違うんだい。ほら、お嬢さんの連れが待ってるじゃないか」
遠慮なく夫の耳をぐいぐいと引っ張るおかみさんは、外で待っていたユウを見て、花弥にしたり顔でささやいた。
「なかなか格好良い子じゃないか。仲よくおやりよ」
花弥はおかみさんとのやりとりをそのままユウに伝えた。
「逢引に見えたのかしらね、私たち」
「今日は君が女官服じゃないから」
おまけに貰った李を片手に、ユウも花弥も街の若者のように川沿いの草むらに腰をおろしている。
柔らかな緑。流れる川は空の色を映して青く、時折銀色に光る魚が見える。風にそよぐ、川辺に咲いた薄黄色の花。
水の音すら聞こえそうな場所だが、土手の上、舗装された道を歩けばすぐに都だ。市場も近い。
「ちょっと都を出るだけで、こんなに静かなんだね」
「だから、ここは私のお気に入りの場所なの」
四半刻も黙っていた二人だったが、居心地の悪い沈黙ではなかった。
さやさやと鳴る草は一度として同じ音を鳴らさなかったし、頭上を飛び交う小鳥はしきりと呼び合っていた。
肌を撫でる風は柔らかく、良い匂いがする。
五感で自然を感じているだけで一刻でも座っていられそうだ。
「綺麗だ」
「ええ」
「あの山を越えたところには、どんな景色があるのかな」
「動物を育てる村や、作物の畑が広がっているそうよ」
花弥もまだ踏まぬ地だ。勝手に出掛けることは出来ない。『耀弥』に与えられているものは、それほど大きい。
「それじゃあ、いつか一緒に行こうよ」
「……そうね。いつか、行く日が来れば。――帰りましょう。もう時間だわ」
服についた草を払い、結局食べなかった李に目を落した。
「これは、お仕事が終わってからにするわ」
「あとで、また会えるかな」
「ごめんなさい。今日は、夕餉の後も仕事があるから」
事件が起きたのは、この日の夕方だった。




