終話
「かぐやや、今上からお文ですよ」
地上での養い親である老婦が、花の枝の添えられた文箱を差し入れた。
広げるとそこには流麗な筆蹟で歌と文が書きつけられている。
口元をほころばせ、かぐやも歌をしたため、庭の一枝を添えるように女房に言いつけた。
流されたあの日からすでに十数年が経過している。
神が見捨てた地と聞いていた地界は、確かに一部の特権階級が民を虐げてはいたが、養父母は優しく、父帝がこっそり送ってくれた心づけのおかげで生活に不自由もない。
次々に湧く求婚者には困ったものの、無理難題でもってようやく退け、最近は落ち着いた日々を過ごしていた。
御簾を巻き上げた一陣の風が、文机の料紙を吹き散らす。
「まあ、大変」
手元に飛んできた料紙を拾い上げ、そこに書かれていた文字に手が止まる。
「……縁は、こうも強いものなのかしら」
悲しげに微笑んで胸に抱いた文はどれも帝からのもの。
「ねえ、遙秀……」
かつてあの世界で遙秀と呼ばれた人は、何の因果か現世の最高権力者に生まれ変わっていた。よりにもよって求婚者の一人として。耀弥のことを全て忘れて。
「それとも、これこそが罰なのかもしれないわね」
すぐ近くにいながら、添うことは許されず、間もなくそばにいることすら叶わなくなる。そして相手は、耀弥と重ねた日々を微塵も覚えていない。
それならばそれまでの僅かの間、文を交わすくらいは許されるだろうと、己を誰か知らぬままに恋文を送ってくる帝に文を返す。
天からの迎えが来るこの日、兵を率いてまで地上にかぐやを留めようとしてくれた帝の熱意が嬉しくもあったが、所詮今は地上の人間。天の帝の意向をうけた迎えに為す術のあるはずがない。
月の扉をくぐって現れた迎え行列の先頭には蓮星が立ち、厳重な鍵の甲斐もなく、なんなくかぐやのいる部屋の扉が開け放たれた。
地上の両親へ形見の衣と文を残して、穢れを祓う妙薬とかぐやの封印を解く衣を差し出されたその時になって、かぐやの心に躊躇いが生まれた。
「だめね。覚悟は決めたはずだったのに」
新しく文をしたため始めたかぐやに、地界に一瞬たりとも長く居たくなかったのか、蓮星は焦れて衣を着せかけようと歩み寄った。
かぐやは微笑むだけで蓮星をおしとどめた。
「わたくしはここで十年以上を過ごしたのよ。そんな悲しいことをしないで」
ゆったりと帝へ最後の文と一首を綴り、僅かの逡巡の後にさらに一言書き添えた。
妙薬と文を中将が受け取るや否や、蓮星が素早く衣を着せ、耀弥は天へと還った。
その最後の文を受け取った帝は、端に小さく付された一文に瞠目した。
『千年経っても忘れないわ』
何度読み返しても擦っても消えない一文。
「……ああ、そうか」
脳裏に閃く眩しい笑顔。一緒に見た、最高の景色。
「そうだったね」
帝は、かぐや姫が残した薬を、国で一番高い山で焼くよう命じた。せめて煙と共に、変わらぬ愛が届くようにと。
「いつまでも、君を想い続けるよ。耀弥」
まどろみの中からゆるやかに目覚めた。
夢と知りせば、とは、あの短い日々に読んだ書物に書いてあった言葉だったと記憶している。
これから生きていく時間に比べたら一瞬にも満たないひと時は、ただ一人への想いと共にいつまでも色褪せること無く、胸の内にとどまりつづけるのだろう。
左手の腕環に、そっと唇を寄せる。
あの人が好きだと言ってくれた世界。
千年の安寧を心に誓って、耀弥は頭上に冠を受けた。
〈了〉




