16話
「何故、このようなことをした」
日をあらため、元通りの姫姿になった耀弥は此度の尋問の為、帝に召喚された。
「山の向こうを見たかったのです」
「山の向こうとな?」
「はい」
「そのためだけに、職務を放棄したというか」
耀弥と遙秀が消えたことが発覚してから、宮城は上を下への大騒ぎだった。
罪人が逃亡した。見張りをしていた兵に聞けば、夜のうちに、耀弥姫付きの女官から、姫がどうしても会いたがっていると面会の申し入れがあった。罪人がとても大人しく従順だったため、これを承諾。東屋に続く道の手前で戻るのを待っていた。
ところがいくら待っても戻らず、ついに時刻は夜明け前。いぶかしんで様子を見に行くと、そこには耀弥姫も罪人もおらず、あの女官もいない。周章狼狽して耀弥姫の住まいを訪ねれば、そこでは半狂乱の女官たちが、耀弥姫を知らないかと迫ってくる始末。すわ誘拐かと内偵中だった悟諸を緊急捕縛し詰問したが、知らないと言う。
調べてみれば、罪人を呼びに来た女官はなんと耀弥姫の側近。この明け方に私室で衣服を整え座っているところを発見された。蓮星の口から二人が北へ向かったとの証言を得て、急遽探索隊が編成され、山頂で耀弥姫を保護、罪人を拘束するに至った。
「罪人、茗遙秀が逃亡するのをそなたが助けた。これに相違はないな?」
「いいえ。わたくしが北へ行くために、遙秀を案内に連れ出しました。遙秀に逃亡の意志はなく、全ての責はわたくしにあります。蓮星もわたくしの命に従っただけ。どうか二人には御寛恕を」
耀弥は毅然と帝をふり仰いだ。
「……都から出てはならぬ約束を、よもや忘れたわけではあるまい」
「はい。ですから、一線は越えておりません」
耀弥の力は強すぎた。本人がいかに抑えようと抑えきれない世を統べる力が、都の土地を越えると、二つ目の太陽のように働く。世界の均衡を崩す懸念から、帝と耀弥は、耀弥が帝位を継ぐまで都の地を離れないと取り決めた。
あの山頂はいわば中間地点。あそこから北側の山道へ一歩降りれば、取り決めを破る結果になっていた。検分した兵士からは北側の道周辺で、都の平地に咲く花が発見されたと報告があったが、影響としてはごく微細だ。数日もすれば枯れてしまう。だが、中間地帯に半時ほど踏み入れただけでこの影響力。もっと長く、あるいは一線を越えていた場合、発生する変事は計り知れない。
「それならば何故、連れてゆくのが罪人でなければならなかった」
「遙秀と約束していたのです。いつか一緒に山の向こうを見ようと」
彼女の答えは明瞭だった。
前の審問で抗弁ばかりしていた悟諸や弟に比べたら、いっそ清々しい。
その心証は他の司法官も同じらしい。
「悟諸の罪を明らかにしてからでもよかったのではないか」
「罪状から遙秀の流刑は避けられません。あらゆる審議が終わった後、、流刑になる罪人とともに北を見たいと申し上げましたら、お許し頂けたのでしょうか」
帝は唸った。耀弥は言っているのだ。いつ願おうが結局許されないなら、いつ行動しても同じだったと。かえって願っていたら、脱走を防ぐために警戒を強化していたはずだ。
「罪人に逃亡の意思がなかったことは認めよう。だが、知らなかったとはいえ危険人物を宮城に引き入れ、優先すべき政務をないがしろにして罪人を連れ出し、世を乱しかけた。その罪は重いぞ」
「覚悟の上でございます」
帝は書記官に目配せをし、咳払いをして傲然と判を下した。
「よかろう。では、力を封じたのち、地界でしばらくの間、謹慎を命じる」
立ちあっていた官がざわめく。
力を封じれば、本来の彼女の力からすれば本当に手妻のようなことー―ほんのわずかの間人の目から姿を隠すのが精いっぱいになる。それもあの汚れた地界で。いささか厳しすぎるのではと、異論を唱える官もいた。
「耀弥。そなたがこの判決を受け入れるのであれば、本人も罪人ではあるが、此度の奸計阻止に尽力したことを酌量した上、茗遙秀の魂には地界で不自由ない生を与えよう」
「是非もありません」
一片の迷いも無く笑って受け入れた耀弥は、それでは次の満月に。と言い残して広間を去った。
椅子の背もたれに体重を預けていた帝に、側近が苦笑気味に茶を差し出した。
「さすがと申しましょうか。陛下のお裁きには司法官でも驚きましたのに、姫はまったく動じておられませんでしたね」
「末恐ろしいとはあのことだ。見事に笑いおって……」
耀弥はことの顛末を蓮星に語った。
「姫様が地界に!? なんという……」
「ほんの少しの間よ。お父様も随分寛大な処置をしてくださったわ」
悟諸や叔父がただ地界に流されるのに対し、遙秀の場合は転生して新たな生を受ける。天界のことを忘れられる分だけ、かなり減刑されている。
帝位継承権第一位に返り咲きたかった悟諸と、現帝の弟でありながら世間からはまるで評価されない叔父は、悟諸が無事第一位になった暁には側近として取り立ててもらう密約を交わしていた。
証拠も次々と上がってきては、言い逃れは出来ない。
「脱走の協力に関しては、一切お咎めなしよ。巻き込んでごめんなさい、蓮星」
「姫様……」
流刑執行の昼、耀弥は特別に監視付きで遙秀に会う許しを得た。
「お父様ったら、あまり娘に甘くては周りに示しがつかないのに」
「これが今生の別れだからね。きっと可愛い娘への愛情だよ」
扉は開け放ったまま、時間を限られての逢瀬だ。
途切れることなく話し続けたのは、共に歩いた市や土手や屋台のことばかりだった。街中を歩いていた時間が、二人の中ではなにより長い。
最後は、夜中の静まり返った街中から、払暁の都、そして北の地。
「あんな口約束、忘れちゃってよかったのに」
「本当よね。急がなくても、帝になれば見られると思って気長に待っていたのに。あなたが流刑になると思ったら、どうしても、遙秀と山の向こうを見たいと思ってしまったんだもの。仕方ないわ」
胸を張って言う耀弥がおかして、遙秀は笑った。
耀弥も笑った。
「最後に見た風景が耀弥とでよかった」
「あの景色はきっと、千年経っても忘れないわ」
二人は、最後まで笑っていた。




