15話
朝日が昇る。
屋根という屋根が光を反射して、都中が光っていた。
「綺麗ね。こういう風に見えるなんて、知らなかった」
「僕もだ。北では都のことを光の都って呼ぶ人がいたけど、このことなのかな」
山道の中腹に立ち止まって眼下に都を見下ろしていた二人は、また山道を登り始める。
夜陰に紛れ城から抜け出した耀弥と遙秀は、北へ繋がる一本道を一晩中歩いて、今は山越えの最中だった。
なだらかな山は、道は長くとも傾斜は緩い。馬車が使えるよう整備されているから、女の足でも山越えは難しくない。
「ちょっと意外だった」
「え?」
「耀弥が、疲れたって言わないことが」
邪魔だからと長い髪をひとつに編み、裾の短い旅装に身を包んだ耀弥は、これまでになく活動的な出で立ちだった。肩には自分の荷物をしっかり背負っている。
「疲れたなんて泣きごと言うくらいなら、輿で来ているわ。それに、姫ってけっこう体力使うのよ。簪や薄絹だって重ねればそれなりに重いの」
「そっか。そんな恰好で長い時間立ってれば、嫌でも足腰は強くなるか」
途中の湧水で喉を潤し、甘い香りを漂わせていた木苺を摘んだ。
「この木苺、よく熟してる」
「本当。宮城では煮てお菓子に使っているけれど、採れたてを食べたのは初めて」
やがて山頂の目印が見えた。目印を境に、都と北の土地が区切られる。
通り慣れた商人さえ足を止めることから景勝峠。北から来た者は都の美しさに息をのみ、都から来た者は北の絶景を賛美する。
「目を閉じていて。耀弥」
大人しく従った耀弥の手を引いて、転ばないよう注意しながら、目印まで導く。
「――目を開けてみて」
耀弥の目から涙がこぼれた。
広大な土地がどこまでも続いている。
緑の小高い丘には牛の群れ。広がる畑の畔道に農具を持った男がいて、籠をしょった女が、畑で作物を収穫している。
遥か遠く、連峰の頂上が白いのは、年中雪が降っているからだと聞いた。
山から延びる道が枝分かれして、その先にいくつもの町や村が点在している。屋根がみな明るい赤なのは、北に特有の瓦を使っているのと、冬に雪が積もって畑や道が埋まっても、建物だけは遠くからも見えるようにと、数百年前の北方行政府の長官が定めた。
一番大きな建物の集まりが北の中心で、北方行政府もそこにある。
商魂たくましい商人の馬車が、上から何台も数えられた。
並んで景色を見ていた遙秀も眼を細めた。
「来る時は、なにも感じなかったのにな」
この景色を美しいと感じる自分が嫌ではなかった。
並んで丸太に腰を降ろし、竹筒に汲んでおいた水を出した。
同じことを考える人間が多いのか、山頂には丸太を組んだ椅子が見晴らしの良いところに並んでいた。
「心境で食べ物の味が変わるなんて、嘘だと思ってた」
「ええ。同じ水なのに、景色が違うだけで美味しく感じるなんて」
水筒をしまおうと袋を広げた耀弥は、入れていた預かり物を思い出した。
「最後に話した部屋に落ちていたの」
見るからに女物だったから、下男が耀弥に届けた桃色の巾着。遙秀のものだろうと預かっておいた。
「中身は見ていないけれど、遙秀のかしら?」
いつのまにか無くした巾着が、思いがけないところから戻ってきた。
驚きながら受け取って、巾着の中を覗く。
そこにはきちんと小箱が収まって、開けられる時を待っていた。
この時この巾着が戻ってきたことが酷く暗示的だった。偶然が遙秀の背中を押しているとしか考えられない。
これが最後なら、躊躇う理由はなかった。
取り出した小箱を耀弥の掌に乗せる。
目を瞬かせる耀弥に開けるよう促した。
「綺麗……!」
「耀弥……花弥に渡したくて買ったんだ」
日光にきらめく腕環は、室内で見る以上に立派だった。
「本当のことをいうと、昨日これを買った時は、もう記憶を取り戻すつもりはなかったんだ。新しい人生を歩もうって決めて、その目標がこれ」
言葉の意味を測りかねて耀弥は首をかしげた。
居住まいを正した遙秀は、精一杯真剣な顔で言った。
「花弥。僕と、これからの人生を、一緒に生きてほしい」
一拍おいて、耀弥が耳まで赤くなった。
「えっ、あっ……ええ!?」
あの叔父が持ってくる縁談は透けて見える下心に却下し、園遊会でひたすら耀弥の外見を褒める男は、蓮星たちが蹴散らしてきた。
薦められて恋物語を読んだりもしたが、結局自分には無関係と、睦言を言われる状況など考えたことも無かった。
「あの……その……」
「……って、言うつもりだったんだよ。官吏になれたら」
遙秀は姿勢を崩した。耀弥を見ていられず、景色に視線を移す。
「蓮星様に、本人達に本当にその気があれば、身分の差なんて越えられるって言われてさ。君が良いとこのお嬢様でも、官吏になって出世したら、望みがあるんじゃないかって思ったんだ」
その前提が大間違いだったんだけど。とわざと明るい調子で笑い飛ばす遙秀に、耀弥は小箱を持つ手に力を込めた。
「はい」
「はい……って、耀弥?」
「その話、お受けします」
遙秀の手から巾着が落下した。
「……って、『花弥』だったら、答えていたわ」
遙秀がただの下男で、耀弥が当たり前の女官だったなら。
考えても詮無いことだ。
耀弥は目印を越えることはなく、遙秀も求めなかった。
「夢みたいな三か月だったわ」
「僕は、最高の三か月だった」
都側の山道から、馬蹄が轟いてくる。
「あの屋台の肉まんじゅう、また食べに行きたいわね」
「次は蓮星様と行くといいよ。きっと知らないから」
「こんなことになるなら、もう一回くらい、遙秀にちゃんと綺麗にしているところ、見せたかったわ」
「一回でも充分だよ。物語のお姫様みたいに綺麗だった。本物の姫だから、当然なんだけど」
「私に出来ることはある?」
「腕環をはめてみてほしいな。受け取ってくれるなら」
二十近い騎馬隊の一頭に、蓮星が乗っていた。
彼女は座っている二人を見つけ、迷わず馬を降りた。
立ちあがって微笑する耀弥の左腕には、銀色の腕環が光っていた。




