11話
店に入る前より軽快な足取りで人ごみを縫って歩く遙秀の手には、外出時には持っていなかった巾着が下がっている。
店員が、このまま贈れますよと、腕環の入った小箱を入れてくれた。
出際に頑張ってくださいと声をかけてくれた店員は、遙秀がいかにもふさいでいたから、彼なりに励ましてくれたのかもしれなかった。
事実遙秀は彼の話に聞き入って、悩んでいたことも忘れていい買い物が出来た満足感でいっぱいだった。
贈り物を買ってしまったから、もう後には引けない。花弥にこれを渡すために気張らなければ。
遙秀は可愛らしい桃色の巾着が少々気恥かしかったが、道行く人には、恋人への贈り物を手に浮き足立つ青年としか思われていなかった。
市場を抜けて家並みの間から川が見えた時に遅まきながら外出の目的を思い出した。
もう完全に記憶を取り戻すことは諦め、新しい人生を歩む方向に気持ちが傾いていたから、ただの散歩のつもりでそこに寄った。
花弥と歩いた時と変わらない風景は、川沿いに流れを上っていくと徐々に大きな石が目立つようになり、山のふもとでは、緑が深くなり人より大きな岩がいくつも流れを遮っていた。
「このあたりか?」
場所によっては水流も激しい。足をすべらせたら流れに飲まれてしまうだろう。どう転んでも避けようがないほど岩が散らばっている。
木立の間に申し訳程度の小道は作られているが、水滴にぬれて、そこかしこがぬかるんでいる。
これではうっかり転んだ拍子に頭を打っても仕方ない。下手をすれば死んでいた。人気もなく、誰にも気づかれなかったのも当然だ。
岩と岩の間、水かさが増したときにひっかかったような丸太が、対岸まで渡っていた。
ただの流木でない証拠に、二つならんだ丸太の上部は平らに削られ、人工的に固定されている。その両端の足元には、数段の長方形の石が積まれ、階段の様相を呈している。
ここまで管理が行き届いている証拠に、丸太の表面は水にぬれていても苔むしてはいない。誰かが定期的に擦り落としているのだ。
橋から渓流を見下ろすと顔に水しぶきがかかる。
冷たい滴を袖でぬぐったところで、橋の反対側から誰かが登ってくるのが見えた。
狭い橋の上で、互いが歩いたまますれ違うのは危なそうに思えて、遙秀は片側に寄って立ったままやりすごすことにした。
ところが遙秀の前を通り過ぎることなく立ち止まった男の顔に、見覚えがあった。
「あ」
眉を寄せ、不機嫌を隠そうともしない。官服ではないが、間違いなく先日の男だった。
「何度も言わせるな。成功したか否か、報告はそれだけで良い」
絶好の機会だ。上手く話を合わせて、相手が自分に何を命じたのか聞き出せれば、記憶を戻すきっかけになるかもしれない。
遙秀は精一杯平静を装った。
「あんまり気軽に言わないで下さいよ。難しいんですから」
「ふん。三か月前にも同じことを言ったな」
散歩でふらりと人が立ち寄るような場所ではないが、通ったとしても、水音で二人が何を話しているのかは聞き取れなかったろう。
「なんのためにお前を連れてきたと思っている」
「ですが――」
唐突に既視感を覚えた。
水音の煩い場所で、緑の濃い林を背景に、向かい合った男が喋る。
前にも同じことを言った。
ですが――。
「今度ばかりは、厄介ですよ」
遙秀の口は勝手にそう言っていた。
ますます男は不機嫌になった。
「くどい。また同じ問答を繰り返そうと言うのか」
支度をしろと男は言った。事情があって目立つことはしない。お前も辞めるのは私的な理由と言えと。
「わたしの言うとおりにすればいい」
慣れた屋敷を出たのは、北では雪の解け始めだった。
「前に起きたのは百年以上も前、どいつもこいつも油断しきっている」
初めて目にする常春の都は、語られた通り宮城の屋根に一片の雪もなかった。
「今が好機なのだ」
戻ったら、屋敷勤め仲間に都の様子を語って聞かせよう。
「次こそは必ず」
眩暈でふらついた足元から、橋が消えた。
あの日も最後に見たのは、上がった水飛沫と、流される川の水より冷たい、主の視線だった。
流木に掴まった遙秀は、そのまま下流まで流され続けた。
徐々に緩くなる水流を都に一番近くなる場所を見極めて泳ぎ渡る。
「いか、なきゃ」
飲みこんだ水を吐き出して土手を上がる。濡れた靴が気持ち悪いが、かまっていられない。石畳に水跡を残しながら、宮城へ走った。




