10話
調査の結果はそのままユウに渡された。
「『遙秀』か……あんまり今と変わらないな」
「ほぼ間違いないみたい。本名は遙秀だったって、みんなに伝えておかないと」
朝から小部屋に呼び出されたユウは、花弥に見せられた紙にひとしきり目を通した。
「これが物語だったら、実は僕は貴族の子息でした、とか、恋人との再会、とか、そんな展開が待ってたのかもしれないね。現実はそんなに劇的じゃかったけど」
「誰だったの? 遙秀を知ってた人って」
「それが良くわからないんだ。官服で僕より年上の男なんて、宮城にはいっぱいいるだろう? 特徴のある顔ってわけでもなかったからなぁ」
ユウ改め遙秀となったはいいが、名前が判明しても記憶に著しい変化はなかった。
「遙秀は」
「花弥は」
顔を見合わせ、互いに照れて笑った。
「花弥からどうぞ」
「遙秀は、これからどうしたい?」
どういういきさつで遙秀が前の勤め先を辞めたにしろ、事情を説明すればまた雇ってもらうことは可能だった。
「希望があれば他の仕事も紹介出来ると思うわ。このままここに留まることも可能よ」
遙秀は机の上で組んだ指に力を入れた。
「官吏になるなら学校に……」
「花弥」
最初から耀弥と名乗っていたら、遙秀がまっすぐ彼女をみつめることはなかっただろう。
「下男のままでも、もう、会えなくなる?」
遙秀も同じことを考えていたのだと、すぐに解った。
「そうね。少なくとも会う口実は無くなるわね。話してはいけないって規則はないけど、女官と下男ではまず行動範囲が違うから」
「そっか」
ひとまず今後の身の振り方を考える時間を与えられて、井戸から水をくみ上げていた遙秀はため息と共に空を仰いだ。
また前と同じ悩みが頭をもたげた。
よく晴れた空には、白い雲がぽつぽつと浮いている。
間もなく昼で、正面に眩しい太陽があるから、後ろがだいたい北だ。
山を越えてまで、何をしに都に出てきたのだろうか。
官服の男は「計画」と言っていた。不吉な言葉だ。
記憶を取り戻せば「計画」の内容もきっとはっきりする。知りたいような、知りたくないような、微妙な感じだ。
(そういえば、上流はまだ行ってなかったっけ……)
自分が流されていたという川には行ったが、引き上げられた場所しか見ていない。
次の休み、初めて遙秀は一人で城の外へ出た。
これまで頼まれた買い物以外で外に出ようと思ったことがなかった。下男だから休日ならば自由に外へ出られたが、外に興味がなかった。花弥はいつだって中にいたから。
一人で歩く街中は、おつかいの時とは違って見えた。目的がないから、露店をひやかしながらぶらぶらと人ごみを泳ぐ。
つい足をとめたのは、花弥と一緒に簪を選んだ小間物の店だった。
入り口近くにはいつも若い娘が多い。そこに混ざる勇気は無くて奥の棚を見るともなしに眺めた。花弥と見るのはいつもこのあたりの棚だった。
この辺まで来ると、質も値段も随分上がる。遙秀にも、使われている石の色や装飾の細かさが違うくらいはわかる。
着飾った花弥の姿を思い出す。女は化粧をすると変わる、と同僚たちが話しているのを小耳にはさんだが、花弥は変わるというより、眩しくなっていた。
見惚れる、とはまさにあのことだ。
いつもの笑顔にもきらめきが付加されていたように思う。あれを見たら、他の女官など見えなくなった。
「いらっしゃいませ。今日はお一人ですか?」
顔なじみの店員が愛想よく話しかけてきた。ひと月に訪ねる回数などたかが知れているが、訪れる度に高価な品をいくつも買っていく花弥は、店から上客扱いされていた。同行している遙秀も必然的に互いを見知っている。
「はい、ちょっと……」
歯切れの悪い遙秀に、店員はさもありなんと頷いた。
「そうでしょうねぇ。城勤めの女官は、本当だったらそんなに外には出られないもんなんでしょう。御贔屓にして頂けるのは嬉しいですが、あんなに出歩けるなんて珍しいって話してたんですよ」
言われてみれば、他の女官が私用で外出しているところなど見たことがない。入り用のものは出入りの商人から買うのが普通だと、花弥から聞いた。
遙秀と花弥も頼まれ物しか買わないのだから私用ではないが、特殊な状況ではある。
「もうねぇ、あのお嬢様がいらっしゃる度に、裏で若いのがそわそわしっぱなしで。あんなに綺麗なお嬢様だから、きっと勤めあげたら良いとこにお嫁に行くんだろうって、娘たちまで噂してるんですから」
遙秀が落した肩を叩いて、店員がそっと奥を指差した。
奥と店内の間には厚い布が垂らしてある。その隙間から覗いていた顔があって、遙秀と目があうと小さな悲鳴を上げて引っ込んだ。裏から何人かの嬌声がする。
「そんなに落ち込まなくても、あなたとお嬢様、けっこうお似合いですよ。一念発起してみてはいかがです?」
遙秀は蓮星や季承に言われたことを思い出した。本当に、それこそ官吏になるか相応の地位を得たら、花弥を妻に願っても、門前払いにはなるまい。
会えなくなってへこむなら、会いに行けばいい。方法はいくらでもある。時間はかかるが、地界と天界ほど遠くはない。
そう思ったら急に気持ちが前向きになった。
記憶が無いまま生きるなら、生まれ変わったつもりで頑張ってみるのも悪くない。
傍目にも生気が戻った遙秀に、店員が棚から取り出したものがあった。
「あのお嬢様に贈るなら、これなどお奨めですよ。次にいらしたら御提案しようと用意していたものですが」
触るのも怖い銀色の腕環は確かに美しかった。きっと花弥に似合うと思ったが、遙秀はあっさり首を横に振った。
「こんなに良い物、僕の財布じゃ買えないですよ」
幅の太い腕環は、ところどころ透かしが施され、表面には精緻な柄が彫られている。今にも動き出しそうな小鳥の目や花弁には、細かな玉がちりばめられ、少し角度を変えるだけでもきらきらと光る。草が調金だけなので、大きな玉がなくとも花だけが立体的に浮かび上がって見える。
玉も一色ではない。花によって橙、紅、藍、黄、中には何も乗せていない部分もある。しかし花一つ一つは小さいから華美ではなく、それがまた花弥に似た印象で好ましい。ここまでくると縁まで抜かりない。巻き付く蔦を現した上下の縁は、優美な曲線を描きながら一周している。一本ではなく数本の蔦が巻き付く様子はまさに神業だ。
近くから見ても遠くから見ても見事な一品は、目の玉が飛び出るような額がついているに違いない。
店員がすすめるままに手にとって灯りに翳したが、すぐに返してしまった。いつまでも触っていたら壊してしまいそうだった。
「素晴らしい一品でしょう。たいていの女性にはお気に召して頂ける自信がありますよ。そこで聞いて頂きたいのが、お値段なんですが」
提示された金額に、遙秀は思わず腕環を見てしまった。
「あの、桁三つくらい間違ってません?」
「いい反応ですねぇ。驚くでしょう? これには理由がありましてね。まず使ってる玉ですが、これ、一級品の玉の、屑なんですよ。こちらの花のように大きな玉から削り出したものや、隣の大粒の玉を並べたものは確かにお値段も張りますが、その工程で出る屑にはほとんど価値がありません。粉末にして化粧品に混ぜるために、そういった店が買い取ってくれますがね。そういうときはもう色で分けてしまいますから、まさに玉石混合。大した値段にもなりません」
「女の子の化粧品って、そんなもの入ってるんですか!?」
「入っていますとも! 瞼の上なんかに、ちょっと光る粉をつけているでしょう? あれですよ」
「へええ……」
ひとつの塊から彫った宝石の花や、整形された紅玉を並べた髪飾りは、聞いただけで卒倒しそうな値段が付いていた。
腕環は、その十分の一どころか千分の一の値段だ。遙秀でも今の手持ちで買える。
「もうひとつ大事なのは、これを作ったのが無名の若手ってことです。この玉の屑を使う技法は彼が編み出したんですよ。だけど御覧の通り、ひとつを作るのにえらく時間がかかる。才能は素晴らしいんだが、まだまだ世には出回らない。名前が売れてない今だから、このお値段でご提供出来るんです」
商売人は凄い。遙秀が抱いた素直な感想だった。そんなことを聞かされてしまったら、つい買いたくなる。恐ろしい。
演説をさておいても、同じ値段の装飾品と比べて綺麗なことには変わりない。
花弥に奨めるつもりだったと店員は言ったが、他の常連にも奨めるつもなら今買わねば無くなってしまう。
今後贈り物を選ぶなら、今ここで選んでもいいはずだ。
遙秀は財布を握り締めた。




