3-31.心の在り方
青羽の犠牲を乗り越え電車に乗って表街まで繰り出した遥達三人は、まずは予定通り楓の希望であるアニメ関連グッズを扱う大型ショップ、アニメトイを訪れていた。
「なんか…、目が痛いわね…」
自動ドアをくぐって店舗内に足を踏み入れるなり、沙穂はそんな第一声を洩らす。
沙穂がそう言うのも無理はない。店内は赤、青、ピンクにオレンジ、黄色に紫、黒に白と、とりどりのテーマカラーを与えられたアニメや漫画のキャラクター達が描かれた様々な物が所狭しとひしめき合っている。それは商品だったり、それをレコメンドする販促用のポップだったり、はたまた各所に設置されたモニター内に映し出されるプロモーション映像だったりと形態は様々だが、とにかく賑やかで目の落ち着く場所が一所もない。一言で言えば、その空間は色彩のるつぼだ。
「すごいねぇ…」
沙穂の横に立って店内をぐるりと見渡した遥は、些か語彙力を欠いてその空間から流れ込んでくる膨大な情報量に唯々圧倒されるばかりである。
「二人はこういとこ…あんまり来ないよね…?」
店内の様子を目にして呆気に取られている友達二人に対して、この場を訪れる事を所望した当人である楓は何やら少しばかり気恥ずかしそうだった。
「あんまりっていうか、初めて来るわ…」
楓の問い掛けに答えた沙穂は、入って直ぐの場所に主張激しく設置されていた美少女キャラクターの大型立て看板を眺めながら呆れた様な感心した様なそんな微妙な表情である。
「ボクも初めて来るかなぁ…」
沙穂同様に遥もこの異空間は初体験である事を返答すると、楓は少し考える仕草を見せてから、うつむき加減になって急にしょんぼりとしてしまった。
「ごめんね、こんなところに付き合わせちゃって…、二人ともこういうの興味ないよね…」
楓はオタク趣味の無い友達二人をこの場に連れてきてしまった事を若干後悔している様子であったが、その言い様に遥と沙穂は顔を見合わせて共に苦笑する。
「まー、正直あたしは興味ないけどさ、でもミナは来たかったんでしょ?」
沙穂が僅かに微笑んで諭す様にして言うと、遥もそれに同調して笑顔で頷いた。
「そうだよ、それにお薦めの作品、教えてくれるんでしょ?」
理解ある友人二人からの言葉に不安を払拭された楓は、パッと表情を輝かせて大きく頷くと共に二人の手を取って感激を顕にする。
「ヒナちゃん、カナちゃん、ありがとう! じゃあ、あの、早速案内するね!」
気を取り直した楓は二人の手を放すと踵を返して店の奥へと歩き出す。遥と沙穂はそんな楓の様子に自然と笑顔を交わし合いながら、ゆるゆるとその後を追って行った。
楓の案内で店舗の一階部分を通り抜けた遥達は階段を昇り、コミックスやライトノベル等の書籍商品が売られている二階のフロアへと足を踏み入れる。因みに楓の説明によれば一階はアニメのブルーレイやCDを扱うフロアで、上の三階はフィギュアやプラモデル等のホビーに加え、各種アニメ関連グッズを扱っているフロアとの事だ。
「ここは、普通に本屋さんみたいだね」
一階フロアで受けたインパクトは打って変わって、コミックスやライトノベルが殆どとは言え、本という見慣れた媒体で占められている空間に遥も少し人心地ついた気分だった。
「二人はどんなジャンルが好き?」
案内役の楓が向きかえってお勧めを紹介する上でのガイドラインを問い掛けて来ると、遥と沙穂は共に思案の態勢に入って考えを巡らせる。遥は小説であればジャンルに拘り無く何でも読むが、その中でも比較的好んでいるのは私小説に分類される純文物だ。とは言え、漫画やライトノベルのお勧めを紹介してくれるという相手に、好きなジャンルは純文学と答えるのは流石にナンセンスというものである。
「うーん…ジャンルかぁ…」
折角ならば普段読む小説では余り無い様な、漫画やライトノベルならではの物をお勧めして欲しいという気持ちのある遥だが、その取っ掛かりでどんなジャンルが好みかと問われると、これはなかなかに答え難い。そもそも遥の有している漫画やライトノベルに関する知識はかなり貧困なので、これといった物が特には思い浮かばないのだ。
「あたしは強いて言うなら恋愛物かなぁ」
遥が悩んでいる間に沙穂が先立って好みのジャンルを回答すると、これに対して楓は身を乗り出して眼鏡の奥で瞳をキラキラと輝かせた。
「恋愛物ならお勧めのが沢山あるよ! 純愛物? 逆ハーレム? ちょっとインモラルな兄妹物とか? 最近は色んなシチュエーションの作品があるし、きっとヒナちゃんの気に入るのがあると思うよ!」
好きな話題を前にして食い気味に捲し立てる楓の様子に、沙穂は気圧された様子で若干笑顔を引きつらせる。
「あ、うん…じゃあ、純愛物で…」
挙げられた三つの例から一番無難そうな物を選んだ沙穂であったが、楓は益々瞳を輝かせてより一層前のめりになった。
「純愛物! いいよねー! それだったら超お勧めのがあるよ! ヒナちゃんも絶対にハマると思う!」
完全に火が付いた状態になった楓の様子に、沙穂はいよいよ堪らなくなったのか、遥の後ろに回り込んで、その小さな身体を盾にする。
「ていうか、あたしはついでで、メインはカナでしょ?」
沙穂によって矢面に立たされた遥ではあるが、実の所未だに考えが纏まってはいない。
「うーん…、ごめん、もう少し考えさせて?」
遥が未だ考え中と見るや、楓は再び沙穂へと標的を定めて実に良い笑顔でニコニコとする。
「じゃあ先にヒナちゃんのからだね!」
結局鉢が回って来た沙穂は、若干恨めしそうな顔を遥へと向けて来ていたが、お勧めしてもらうジャンルが決まっていないのだから仕方がない。
「それじゃあ、二人ともついて来てね!」
沙穂の提示していた恋愛物というワードから既にいくつかの目星をつけていたらしい楓は、生き生きした様子になって淀みない足取りで店内を歩き出す。
遥と沙穂が取りあえず素直にその後に続いてゆくと、楓は迷いなく少女漫画等の女性向けコミックスが並べられているコーナーで足を止め、早速見つけた一冊をその手に取った。
「えっと、これは鉄板として…、あっ…! アレも外せないよね!」
楓はそれから最初に取った一冊を持ったまま、更にいくつかのお勧め候補を求めて棚の間をウロウロとしだす。
「ミナ、楽しそう」
遥が思ったままの感嘆を洩らすと、横で沙穂も少し表情を緩ませて頷きを見せた。
「そうねぇ、最近は勉強漬けだったせいか淀んでたし余計ね」
テスト勉強からの解放感を満喫する様に実に溌溂としている楓の姿に、遥と沙穂はほっこりとした気持ちになって共に目を細めさせる。テスト勉強は学生である以上避け得ない物で、遥と沙穂は度々根を上げる楓にその必要性を幾度となく説いた物ではあるが、それはそれとしても、やはり友達が楽しそうにしてくれているに越した事は無い。常に行動を共にしている三人であれば尚の事だ。
「しっかし…、ミナはいったい何冊持って来るつもりなのよ…」
見ればお勧めの作品をピックアップしている楓が抱えているコミックスは早くもかなりの量に達しようとしており、このままいくと本の塔が出来そうな勢いである。
「一冊ごとに紹介してくれれば良いのにね」
そうこう言っている間にも、楓は着々とお勧めの作品を棚から取り上げ続け、これには遥も思わず苦笑を禁じ得ない。そんな楓の様子をぼんやりと目で追っていた遥であったがその視界の端で、ふと一冊の本が目に留まった。
それは、楓の右往左往している場所よりもさらに奥、通路を挟んだ平積みの島の中に何気なく積まれていた一冊。少年二人が肩を寄せて笑顔で笑い合っている割とありがちな構図が表紙に描かれた少女漫画と思しき一冊のコミックスだった。
その本は、他に比べて格別に美しい絵柄だった訳でも、特別に見事な装丁だった訳でも無い。元々その作品に興味が無ければ、見落としてしてしまいそうな、そんなごく普通のありふれた感じの物である。しかし、それでも遥は遠巻きながらもその一冊を見出し、そして今、それに強く興味を惹かれていた。
「…ボクちょっと、あっち見てくるね」
遥は沙穂に断りを入れながら、その本に吸い寄せられるようにして、そのままふらふらと奥の島と足を進めてゆく。
「あれ? カナちゃんどうしたの?」
すれ違いざま、その行動を不思議に思った楓が問い掛けて来るも、遥は「ちょっと…」と生返事を返しながらその意識は既に目的の本へと真っ直ぐ向かっていた。
程なく奥の島に辿り着いた遥は足を止め、先程目に留まった本と向かい合う。間近で見れば、その表紙に描かれていた少年二人の内一人は、精悍な顔つきの男らしい雰囲気のキャラクターで、どことなく賢治に似ている様だった。
「あぁ…」
遥はその本に惹かれた理由に納得しながら、そのままそれを手にしようと腕を伸ばしてゆく。しかし、そんな遥の行動に気付いた楓が、妙に慌てた様子でそれに突如待ったを掛けてきた。
「か、カナちゃん! そっちはダメだよ!」
その突然の制止に遥は動きを止めて少しばかり驚きの表情を見せながら、一先ず素直に手を引っ込める。それから遥は小首を傾げさせながら、声を掛けて来た楓の方へと向き返った。
「えっ? なに?」
制止された意味の分からない遥がきょとんとして問い掛けると、楓は持っていた本の山を沙穂に託すなり、少々慌てた様子で傍まで駆け寄ってくる。
「ちょっとミナ!」
本の山を押し付けられた沙穂もそれを抱えたまま、抗議の声を上げつつも大股になって楓に追従した。
「いきなりなん―」
楓に対して更に抗議を重ねようとした沙穂であったが、傍までやって来ると遥の手に取ろうとしていた本の在った島を一瞥するなり何やら察して小さく溜息を付く。
「あー…そういう事ね…」
慌てた様子の楓と、半ば呆れた様子の沙穂を前にしても、遥は意味が分からずに唯々小首を傾げさせるばかりだ。
「なにがダメなの…?」
不思議に思った遥がその理由を問い掛けると、楓は島の上方に掲げられているコナー名が記載されたプレートを指差しながら非常に困った顔をした。
「カナちゃん、ここ…BLコーナーだよ…」
その島が扱っているジャンル名を告げて来る楓であるが、遥はその単語が意味するところが分からずに益々小首を傾げさせる。確かに楓の指さす方を見てもコーナー名を示すプレートに「BL」と大きく表示されてはいるものの、意味が分からなければ何の情報にもなりはしない。
「びーえる…?」
告げられた単語を繰り返し、まるでピンと来ていないその様子に、沙穂は呆れ返った様子になると、平積みから適当な一冊を取り上げ、遥の目の前へと掲げ見せる。
「BL、ようするに、ボーイズラブってヤツよ…聞いたことないの?」
略語の解説と共に沙穂が突き付けて来た本の表紙は、美少年二人が服をはだけさせて妙になまめかしい表情で抱き合っているという、そんな少々意味深な構図が描かれた物だった。
BLという略語は初耳だった遥も、流石にここまで情報が出そろえば、それがどんなものであるか理解できない訳もない。
「つまり…男の子同士の恋愛物って事?」
遥の確認に楓は引き続き困った様子で頷き、それが正解である事を示す。
「うん…、だからその…ちょっと特殊だから…」
これでようやく遥も、楓が制止して来た意味は理解できたものの、本を多く読んでいるその経験上、それは言う程特殊な物の様には感じられていなかった。文学の世界で同性愛は古典であるし、著名な作家も度々扱っている題材なのだ。遥の雑多な読書歴にもその手の作品はいくつかある。
「漫画でも結構あるんだねぇ」
遥が島に並ぶ沢山のBL漫画を眺めながらのほほんとした様子で感心していると、沙穂は眉間に皺を寄せて渋い顔をした。
「カナって…そっち系の趣味があんの…? 腐女子ってヤツ…?」
その質問に遥は首を捻って考えを巡らせる。「ふじょし」という単語の意味するところは今一つ分からなかったし、あくまでその読書歴の中にはそういった作品もあったというだけで、遥は特別にそれを好んでいたという訳でもない。興味の程度もその他のジャンルと同程度の物だ。
「三島由紀夫とかの有名所をちょっと読んだ事があるくらいで、特に好きって訳ではないかなぁ?」
遥の回答に沙穂は成程と納得した様子で、少し呆れながら小さく溜息を付く。
「あぁ…そういう事ね…」
沙穂は先程取り上げた本を元あった位置に戻すと、少し考え込む様にしてから、遥が手に取ろうとしていた本を指差した。
「じゃぁ、なんでソレに興味を持った訳…?」
沙穂の問い掛けに遥は思わず少し顔が熱くなって少々モジモジとしてしまう。
「えっと…なんと…なく?」
表紙に描かれていたキャラクターが賢治に似ていたからとは、気恥ずかしくてとても言えるはずもない。
「カナちゃんにBLはお薦めじゃないから…あっち行こう?」
そう言って遥の腕を掴みBLの島から引き放そうとする楓であったが、肝心の遥の方はといえば、賢治似の少年が描かれた本に後ろ髪惹かれる物を感じて僅かばかりの力でそれに抵抗をみせた。
「ミナ、ちょっとまって」
その申告を受けて楓が足を止めると、遥は掴まれていた腕をやんわりと振りほどきながら賢治似の少年が表紙に描かれたコミックスへと視線を落とす。
「うーん…」
その本に惹かれた切っ掛けは、確かにそこに描かれていたキャラクターが好きな人に似ていたからというそんな単純な理由にしか過ぎなかった。しかし、それが少年同士の恋愛を扱っていると知らされた今、遥は寧ろ一層強くそれに興味を惹かれていた。
「これ…、買っちゃ駄目…?」
遥が上目で遠慮がちに問い掛けると、その申告がよっぽど予想外だったのか、楓は眼鏡の奥で瞳を見開いて驚愕の表情になる。
「えぇ!? か、カナちゃん!? さっきも言ったけどそれBLだよ!?」
店内である事も忘れ声のトーンを上げて驚きを顕にする楓に、沙穂も同意しながら溜息を付いた。
「カナ…あんた本気…?」
余り肯定的では無い反応をそれぞれに見せる沙穂と楓に、遥は少し戸惑いながらも、本を平積みから取り上げそれを両手で大事そうに抱えて少し顔を赤くする。
「だって…ボクが今好きなのは…男の賢治だから…」
はにかみながらも僅かに深刻な面持ちでそう告げた遥の発言に、沙穂と楓は一瞬間を置いたが共にそれが意味するところに気付いてハッとした顔になった。
「そういや…あんたってそうだったよね…」
沙穂が少し複雑そうな顔をしながら納得すると、楓の方もまた納得した様子で目を細めさせる。
「そっか…そうだよね…」
遥は確かに今でこそ女の子では在るがしかし、元をただせば男の子だ。沙穂と楓はそうなった経緯を知っているとは言え、女の子である遥しか知らない為、ともすればその事を失念しがちだった。
それは遥が女の子である自分を受け入れ、そうであろうと努めているからではあるが、実際の所、その内に抱える心の在り方が複雑を極めているであろう事は少し考えてみれば二人にも想像が付く。その事を今改めて認識した沙穂と楓は、最早BLを読んでみようとする遥を咎めようもなかった。二人もそれが今の遥にとって、心理的な側面においては決して特殊な物等ではなく、今正に直面している事柄だと理解できたのだ。
「そういう事なら!」
事情を察して納得した楓は突如意気込んだ様子になると、BLの島をざっと一瞥して、そこからいくつかの本をピックアップしてゆく。
「えっ…? ミナ…?」
遥がその行動に戸惑いながら、若干嫌な予感を覚えていると、楓は数冊のBL本を持って実に良い笑顔でそれを差し出して来た。
「ワタシもあんまり詳しくないけど、このへんはお勧めだよ!」
予感通りいくつかのBL本を勧めて来る楓に、遥は思わずたじろいで一歩後退る。あくまで賢治に似た少年の表紙だったから興味を持ったのであって、遥は決してBL全般に対して興味を持った訳ではなかったのだ。
「大丈夫! このレーベルは描写もソフトなやつだから!」
生き生きとした様子でお薦めの作品を提示して来る楓に、遥は今更それを無下に拒める筈もない。描写がソフトという文句が若干気になりつつも、結局は自分で見つけた物と合わせ、楓推薦のBL本を二冊ほど買う羽目になった遥であった。




