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3-26.チャンスと逆境

「適当に座ってね」

 青羽を自室へと案内した遥は、部屋の中央に据えられた折り畳み式のテーブルと、それを囲む様に配置された四つのクッションを指し示す。これらは普段遥の部屋には無い物だが、この勉強会の為にとわざわざセッティングした物だ。テーブルは本来辰巳の持ち物で、クッションの方は通常リビングに置かれている物である。因みに言えば、非力な遥に代わって、二階にある辰巳の部屋からテーブルを運んだのは父の正孝だ。

「じゃあ、あの…遠慮なく…」

 青羽は遥に促されるまま室内へと足を踏み入れ、入口から見て奥に当たる席に腰を下ろして、かなり所在なさげに視線を泳がせる。

「そんなに面白い物は無いと思うよ?」

 青羽の正面に腰を下ろした遥が言う通り、室内にはベッド、本棚、勉強机、鏡台といった大抵誰の部屋にでもありそうなお決まりの物があるだけで、これといって目を惹くような特に珍しい物は置かれていない。見るべきところがあるとすれば本棚くらいのものだが、遥の蔵書は殆どがハードカバーの小説でジャンルも多岐にわたっている為、そこから読み取れるのはせいぜい本好きなのだろうという事位だ。その様に遥の部屋は本人も認める通りに特別面白味があるものではなかったのだが、却ってそのシンプルに纏まっている様子が青羽の興味を引いてしまっていた。

「何か…ちょっと意外…かも…」

 遠慮がちに部屋の中を見回していた青羽は、どこか拍子抜けした様子でそんな事を口にして首を傾げさせる。

「意外って、どうして?」

 その反応の理由を不思議に思った遥が問い掛けると、青羽は鼻の頭を指先でこすりつけて何やら気恥ずかしそうにした。

「や…なんか…もっとこう…フワっとした感じを勝手に想像してて…」

 遥は青羽が口にした表現の意味する所が今一つ分からず、それが具体的にどんなイメージなのだろうかと思わず考え込んでしまう。

「フワっと…?」

 語感から昔読んだ事のある本の物語に登場した雲で出来た宮殿を思い浮かべてみた遥だが、流石にそれは現実には有り得ないし大いに飛躍が過ぎるという物だ。

「や、ごめん! 気にしないで!」

 青羽は慌てた様子で思考の中断を申し出て来たものの、一度気になりだした遥はそれでは止まらず引き続き試案を継続する。

「本当にそんな気にしなくていいから! 姉貴の部屋だってこんな感じだし!」

 益々焦りを見せる青羽だったが、遥は「姉貴の部屋」という言葉を切っ掛けにようやくここで青羽が言わんとしていた事を理解した。

「あー…うん…」

 自室を見回してみた遥は男の子時代から大して変わり映えしていない室内の様子を認めて、確かにここが青羽の言う様な「フワっと」感とは無縁な、いわゆる「女の子らしい部屋」では無い事を認めざるを得ない。いくら遥が女の子であろうと努めているとはいえ、未だそれは発展途上であり、そんな現段階では当然自室の内装にまでは手が及んでいる筈もなかったのだ。

「フワっと…かぁ…」

 遥が具体例を挙げられる女の子の部屋という物は、昔遊びに行った事のある当時小学生だった真梨香の部屋くらいの物だが、それと比べて見てもこの部屋が明らかに味気ない物である事は間違いが無い。よくよく観察すれば遥の部屋にはファンシーな小物類が散見できるし、カーテンや布団カバー等はいつの間にやら母の響子によってパステル調の明るい色合いの物に差し替えられてはいるので決定的に男っぽい部屋という訳ではないがしかし、言ってしまえばその程度だ。

「何かごめんね?」

 何やら期待を裏切ってしまった様で少々申し訳なく思った遥が素直に謝りを入れると、青羽は焦った様子でぶんぶんと手を振って気まずそうな顔をする。

「い、いや! 俺の方こそ変な想像しちゃっててごめん!」

 慌てて謝り返す青羽であったが、不幸な事にタイミング悪く正孝と響子によって若干の足止めを食らいっていた賢治が部屋へとやって来たのは正にその時だった。

「変な想像って、どんな想像だ?」

 会話の全容を知らず最後の発言だけ耳にしていた賢治は入口で仁王立ちになって青羽へ向かって鋭い視線を向ける。賢治に睨まれぎょっとした顔になった青羽は、思わず席から立って一層慌てた様子を見せた。

「ち、違うんです! そ、その! 別に変な意味の変な想像じゃなくて! その、何て言うか…へ、部屋がですね!? もっとこう、ぬいぐるみなんかが一杯あるのかなって…勝手に思ってた…から…」

 後半明らかに尻すぼみになっていった青羽は、元座っていた席へ脱力する様に座り直してかなり気まずそうな顔を覗かせる。

「ぬいぐるみなぁ…」

 青羽の弁明を聞いた賢治は大変微妙な顔になりながら、遥の部屋を見回して言わんとしている事には大凡で納得した。元男の子である遥がぬいぐるみに興味が無い事は賢治も勿論良く知っている事だ。遥が今の外見になってから、ついその容姿につられてぬいぐるみをプレゼントしようとして笑われてしまった事もある。

「ぬいぐるみかぁ…」

 賢治の後に続いてその単語を口にした遥は、記憶にある真梨香の部屋にもぬいぐるみの類が多く飾られていた事に思い当たった。女の子ならば誰しもがそんな部屋作りをしている訳では無いだろうが、確かにそれは青羽の言う所のフワっと感を演出していた様に思わないでもない。

「うーん…」

 何でも形から入るタイプである遥は、女の子らしさを演出できるのであれば、自室にぬいぐるみの一つや二つ飾ってみてもいいかもしれないと検討を始めてみたが、どうにも少しばかり気掛かりなことがあった。遥の認識からするとぬいぐるみというアイテムは女の子っぽいというよりかは女児っぽい物に思えてならないのだ。

「…ぬいぐるみってなんか子供っぽくないかな? ボクには似合わないよね…?」

 友人達の意見も聞いてみようと問い掛ける遥であったが、賢治と青羽は共に即応はせず、その代わりに二人とも非常に微妙な表情を見せた。

「あれ…? どうしたの?」

 二人の反応を怪訝に思った遥が首を傾げさせると、賢治が横へ腰を下ろしながら、小さく息を吐いて頭に手を置いてポンポンと軽く撫でつける。

「まぁ…ハルは高校生だからな…」

 半笑いで子供をあやす様な態度を見せる賢治に、遥はその言葉が全くの本心では無い事を悟って思わず頬を膨らませ若干の涙目だ。

「どうせボクの見た目はぬいぐるみが似合いそうなお子様だよ…」

 賢治に小さい子扱いされて不機嫌顔になった遥は、そもそもこんな話の流れになった切っ掛けを作った青羽の方へと恨めしそうに視線を送る。

「ご、ごめん! だ、だって奏さん可愛いから!」

 フォローすべく勢い込んで若干口を滑らせている青羽だったものの、遥にしてみればこの場面で「可愛い」と言われてもそれは幼い外見に対する評価を上塗りする物にしか聞こえなかった。

「早見君酷いよ…」

 遥が完全に頬を膨らませてぷいっとそっぽを向いてしまうと、フォローしたつもりだった青羽は益々と焦って一人あたふたとする。

「俺、奏さんが子供っぽいとか、そんなつもりで言ったんじゃないよ!」

 青羽は何とか遥の機嫌を取り戻そうと必死になって言葉を取り繕うも、遥は耳を貸さず引きの不機嫌顔だ。

「ほ、本当に俺そんな…馬鹿にしてるとかじゃなくって!」

 ふくれっ面の遥に青羽は困り果てた顔でひたすらにあたふたとするが、そんな二人のやり取りが続く中、横でそれを見ていた賢治は少々心中穏やかでは無かった。

 遥の解釈や青羽の本心がどうであるかはともかくとして、普通に考えれば男子高校生が同級生の女の子を「可愛い」と評価するという事は即ち、その相手を少なからず異性として意識している事の証明に他ならない。当然そうなれば賢治にとってこれは捨て置けない事柄だ。

「ハルが可愛い…か…」

 遥の頭から手を退けた賢治が鋭い視線を向けると、青羽はギクリとした表情になって蛇に睨まれたカエルの如くその身を縮こまらせる。 

「あっ…い、いや…その…、奏さんは…誰が見ても…可愛いっていうか…」

 青羽は遥の愛らしさが誰の目にも明らかであるという趣旨で弁明を図ろうとするも、賢治の視線はより一層鋭さを増し、更にその横では遥までもが物申したげなジト目になっていた。遥からすれば青羽が弁解のつもりで口にした言葉は「見た目通りの幼女」と言われているも同然だったのだ。

「良いよぅもう…」

 何を言っても墓穴にしかならず針の筵状態である青羽は顔を青ざめさせながらも、起死回生を図ろうと少々前のめりになった。

「ご、ごめん! 俺―」

 何とか誤解を解こうと勢い込んで発言しかけた青羽であったがしかし、その言葉を遮る様にして突如室内に軽快な電子音が鳴り響く。青羽は構わず発言を続ければ良かったのだが、余りのタイミングだった為に思わず言葉を止めてしまっていた。

「ハルのスマホじゃないのか?」

 聞き覚えのある音から鳴ったのが遥のスマホである事に気付いた賢治がそれを告げると、遥は頷きながら自分のスマホを確認すべく席を立つ。

「うん、メッセージだよ。ヒナかミナかな?」

 出鼻をくじかれ完全に勢いを削がれてしまった青羽は再び言葉を発する気力も失って、のんびりとした足取りでベッドの方へと向かってゆく遥を目で追う他なかった。

「二人とも…遅い…なぁ…」

 かなりの気まずい顔で視線を泳がせる青羽の一方で、賢治の方はその鋭い視線を未だ解除してはいない。高校生相手に大学生である賢治がムキになるのは些か大人げなくもあるが、遥に纏わる情事ともなればそう悠長な事は言ってもおれず、中々冷静で居られるものでもないのだ。遥が居る今この場で青羽の真意を問い質すような性急な真似こそしなかったものの、その動向を一瞬たりとも見逃さない構えである。

 それぞれの想いで賢治と青羽が緊張感を高まらせる中、スマホを確認し終えた遥は席には戻らず入口のへと向かって、扉脇のフックに吊るしてあった毛玉のポーチを手に取った。

「ボク、ヒナとミナを迎えに行ってくるね」

 賢治と青羽の間に横たわる微妙な空気に気付いて居ない遥は毛玉を装着するなり、先程までの不機嫌顔とは打って変わってのほほんとした顔でそんなお気楽な事を口にする。来客が居る最中に部屋主の一時的不在となってしまうが、この場には青羽だけでは無く賢治も居るので遥からすれば何の問題も無い。賢治は遥のみならず遥の家族からしても身内同然の存在で、ちょっとした留守を任せるくらいの事はそれほど珍しい事ではないのだ。賢治もそれを承知している為に、出かけようとする遥を止めようとはしなかったがしかし、青羽にしてみればこれは堪った物ではない。

「奏さん、俺も行くよ!」

 ただでさえ色々と気まずい思いをしている青羽の立場からいけば、この場に賢治と二人で残される事など是が非でも遠慮したい事柄である。同行を申し出て勢いよく席を立った青羽であったが、こうなってくると賢治としても黙って留守番という訳にもいかなかった。

「ハル、何だったら車だすぞ?」

 じっくりと青羽の真意を問い質せるチャンスだった為、この場に二人で残される事には異論のない賢治だったものの、肝心の青羽が遥と仲良く出掛けてしまうとなればそれは到底看過できない事だ。

「二人とも付いてこなくても良いよ?」

 共に同行を申し出て来る賢治と青羽に、二人の思惑など全く考えの外である遥はきょとんとした視線を送りながら小首を傾げさせる。

「歩いて行けるしボク一人でへーきだよ」

 同行の必要が無い事を告げられても当然賢治と青羽は尚も食い下がろうとしたがしかし、遥はのほほんとした顔で実にお気楽な調子だ。

「二人とも直ぐ近くまでは来てるみたいだけど、この辺ちょっと入り組んでるからねー」

 そんな事を言いながら遥は愛らしい笑顔でにっこりと笑ってテーブルの上を指し示す。

「早見君は先に勉強始めてて? 分からない事があったら賢治が教えてくれるから」

 その言葉に賢治と青羽が思わず顔を見合わせてしまうと、遥はその隙に「いってきまーす」とお気楽な一言を残して一人でとっとと部屋を出て行ってしまった。

 そのマイペース振りに二人が呆気に取られている間にも、遥のパタパタとした軽快な足音はどんどんと部屋から遠ざかり、程なく玄関の扉の開閉音が三階にまで届いて家から出て行った事を知らしめる。賢治と青羽はすぐさま後を追えばまだ間に合ったかもしれないが、遥に遠慮されている以上、二人ともその意志を尊重した方が良いのではないかと考えてしまい完全にタイミングを逃して我に返った時には既に手遅れであった。

「…えっと…早く帰って来ると良い…ですね…」

 初対面の大学生と二人っきりで取り残されてかなり気まずい青羽が引きつった笑顔を見せると、賢治はニヤリと口角を吊り上げる。

「ハルは足が遅いからどうだろうな」

 本人不在となった遥の部屋で、賢治にとってはチャンスタイムであり、青羽にとっては逆境この上ない、そんな二人の時間が今ここに幕を開けた。

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