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3-25.勉強会

 迎えた日曜日、午後から開催される事になっている勉強会に参加すべく、最初に遥の家を訪れたのは青羽だった。時間は丁度昼の一時を回ったばかりで、その正確さは如何にも律儀な青羽らしい。

「早見君いらっしゃい。時間ぴったりだね?」

 門前まで出迎えた遥が小さく笑みをこぼしながら挨拶をおくるも、青羽は何やら呆けた顔を見せるばかりで返事を返してこなかった。

「どうしたの?」

 不思議に思った遥が下から覗き込むようにして顔を近付けると、青羽は我に返った表情になって、僅かに仰け反りながらサッと目を逸らす。

「あぁ…えぇと…」

 青羽は何やらしどろもどろになりながら、一瞬チラリと遥をみやってから、一度大きく深呼吸をして改めて遥の方へと向き直った。

「私服…はじめて見る…から」

 青羽の言葉に遥は自分の服装を見下ろして、そんなに驚くような物だろうかと小首を傾げさせる。

「何か変かな…?」

 ゆったりとした白いリネンのワンピースに水色のカーディガンという今日のコーディネートは、遥の持っている甘々とした洋服の中では比較的大人しめな部類だ。

「あっ、いや、変とかじゃなくって、その…かわ―…い、いや! 新鮮だなって!」

 遥の問い掛けに答える青羽は途中から妙に慌てた様子になって、目線を明後日の方へと泳がせる。遥はその様子を不思議に思いつつも、目の前にいる青羽の姿を一瞥して、確かにクラスメイトの私服姿が新鮮である事には少しだけ納得した。今日は青羽も勿論制服では無く私服姿だ。青羽は襟がV字になったボーダーのTシャツにチャコールグレーのジャケットを合わせ、下はベージュのチノパンにスニーカーという装いで、肩からは勉強用具一式が入っているであろう黄色い布製のショルダーバッグを掛けている。

「早見君の私服は何かカッコイイね?」

 そつのないその着こなしに遥が素直な感想を述べると、青羽は嬉しそうでいながらも困った様な顔になって鼻の頭を人差し指でこすりつけた。

「ふ、普通…だと思うけど…」

 そんな青羽の返答に、最近の男子高校生は普通のレベルが随分と高い物だと妙に感心頻りの遥である。遥はかつて男子高校生だった頃の自分はもっと野暮ったかった様に記憶しているし、幼馴染の賢治だって普段着はシャツにジーンズといったごくシンプルな物が多い。尤も賢治の場合は素材が良いので何を着ても様になってしまうというアドバンテージがあるので今一参考にはならないのかもしれない。素材という観点で言えば青羽も賢治程では無いにしろ中々どうして大したものなので、格好良く見えるのはファッションセンス以前の問題なのではないかという説も無きにしろ非ずだ。

「取り敢えず…中入ろっか…」

 何か一抹のやるせなさを覚えた遥は、服装の話を切り上げて、本来の目的である勉強会を開始させるべく青羽を促し玄関の方へと歩き出す。

「あ、うん…それじゃあ…お邪魔します」

 遥が何やら突然気落ちした様子を見せた事に青羽は戸惑いつつも、素直に促されるままその後に従い、二人は玄関の方へと向かって行った。


「お、お邪魔します」

 玄関の扉を抜けた青羽は若干緊張気味な挨拶を送りながら、いよいよ遥の家へと足を踏み入れる。

「ボクの部屋三階だから」

 客人が屋内に上がった事を認めた遥が、階段の方を指差し勉強会の会場が自室である事を示すと青羽はかなり驚いた顔になった。

「えっ! か、奏さんの部屋でやるの!?」

 謎の動揺を見せる青羽の様子に、遥は不思議そうに小首を傾げさせてきょとんとする。

「うん、ちょっと狭いけど四人くらいなら入れるよ?」

 見当違いの回答をする遥が早速自室へ向かおうと階段へ足を踏み出したその時、リビングの方からひょっこりと顔を出す者があった。

 上は白いポロシャツにブラウンのベスト、下はグレーのスラックスという紳士然とした装いのその人物こそは、奏家の家長にして遥の父、正孝である。正孝は普段であれば日曜でも何かと家を空けている事が多いのだが、今日に限っては家に居合わせていた。勿論それは偶然などでは無く、遥が今日家に高校の友達を呼ぶとの情報を事前に聞き知っていた為だ。

「やぁ、いらっしゃい」

 挨拶を送りながら正孝がゆったりとした足取りで近づいていくと、青羽はピシッと姿勢を正してきっちりとしたお辞儀をする。

「は、初めまして! クラスメイトの早見青羽です! 今日は奏さんに勉強を見てもらいに来ました!」

 礼儀正しい青羽の態度に正孝は穏やかな面持ちを見せていたがしかし、その眼差しにはどこか鋭く光る物があった。

「遥から話は聞いているよ」

 正孝は青羽に頷きを返しながら、家にやって来た我が子の同級生をその鋭い眼差しでまるで値踏みするかのように観察する。青羽の来訪は、事前に聞き知っていた事とは言え正孝には色々と思う所があった。遥が女の子として生きていくという覚悟を示して以来、父親である正孝もまた、遥の事を娘として受け入れているのだ。

「早見君だったかな、君は遥と仲が良いのかな…?」

 家に招く位なので、普通に考えれば聞くまでも無く親しい友人である事は容易に想像できる事ではあるものの、それでも正孝は聞かずには居られなかった。遥が男の子だった頃ならいざ知らず、今の遥は愛らしい女の子なのだ。父親心理としては気を揉む事無かれという方が無理な話である。

「どうなんだい?」

 再度の質問と共に、一層鋭さを増した正孝の眼差しに射竦められた青羽は、一瞬チラリと遥の方に目をやって思わず言葉に詰まってしまう。

「えぇと…せ、席が隣で…」

 青羽はクラス内では遥と一番交流がある男子である事は確かなのだが、だからと言って仲が良いのかと言うとそう言う訳でもない。なにせ青羽は遥の「危近リスト」に登録されている人物なので、遥の方から積極的に関わっていく様な場面は学内ではまず殆ど無いのだ。

「早見君はボクの事を色々と助けてくれてて、だから今日はそのお礼を兼ねてるの」

 言い淀む青羽に代わって遥がこの場を設けた経緯を説明すると、正孝は顎を撫でつけながら愛娘とクラスメイトの男子を交互に見やる。

「遥がお世話になっているみたいだね、ありがとう」

 礼節を違えない感謝の言葉を口にしつつも、正孝の眼光はそれでも鋭さが消えていなかった。

「あっ…い、いえ! クラスメイトとして当然の事で…」

 穏やかながらも威圧感を増す正孝の眼差しに青羽は完全に委縮状態である。流石に遥が少々可哀想になって助け舟を出そうかと口を開きかけたそんなタイミングで、今度はリビングから、いつぞやに辰巳が纏っていたストライプ柄のエプロンを身に着けた母の響子が姿を現した。

「もー、お父さん、お友達が怖がってるじゃないのー」

 お気楽な調子で警戒心バリバリの夫を嗜める響子は、傍まで歩み寄って青羽の姿を見るなり「あらあら」と感嘆の声を上げる。

「初めまして! クラスメイトの早見青羽です! 今日は奏さんに勉強を見てもらいに来ました!」

 現れた遥の母親に対して青羽は再び礼儀正しくお辞儀をして、先程正孝にしたのと同様の挨拶を響子へと送った。

「そんなに、固くならなくても大丈夫よー」

 あからさまに緊張している青羽に響子は楽にする様に促すが、青羽にしてみれば女の子の家に訪れていきなり両親が揃い踏みともなれば到底リラックス等出来る筈もない。そして青羽にとっては不幸な事に、その身を更なる緊張へと叩き落とさんとする第三の刺客がやって来てしまった。

「おじゃましまーす」

 チャイムもノックも無く、さも当たり前の様に奏家の玄関を開け放ってそこに姿を現したその人物は、他でもない遥の幼馴染にして無二の親友、賢治その人である。休日ともなれば遥と賢治はどちらかの家で無為な時間を共有する事が昔からの習慣である為、賢治は今日もそんなつもりでここへとやって来たのだった。

「あっ、賢治!」

 賢治の姿を認めた遥はパッとその表情を明るくして、直ぐ傍まで駆け寄っていく。今日は勉強会の為に賢治と会うつもりの無かった遥であるが、それでも顔を見られたその事だけで胸の内にある恋心が華やがずには居られない。

「やあ、賢治君」

 現れたよく知る青年に正孝が真に穏やかな面持ちで挨拶を送れば、響子もそれに続いて「いらっしゃい」とにこやかに挨拶を送る。

「小父さん、小母さん、こんにちは」

 傍にやって来た遥の頭を軽くかき乱しながら、遥の両親に向って軽い会釈と挨拶を返していた賢治は、その場に居合わせていた青羽に気付いてピタリと動きを止めた。

「高校の友達…か?」

 賢治の問い掛けは遥に向けられたものであったが、遥がそれに答えるよりも早く青羽が一歩進み出る。

「クラスメイトの早見青羽です! 今日は奏さんに勉強を見てもらいに来ました!」

 今日三度目となる青羽の挨拶に遥は思わず苦笑するも、その頭に手を乗せたままでいた賢治の方はと言えば、到底心中穏やかではなかった。今まで沙穂や楓という女友達の話は遥から多く聞かされていた賢治だが、高校における男友達の存在は殆ど知らされていなかったのだ。聞いていたのはせいぜい晃人や智輝といった光彦の弟達の話ぐらいのもので、そこへ来てこの見るからに爽やか好青年といった風体の青羽の登場である。賢治が正孝同様に、寧ろそれ以上にあれやこれやと気を揉んでしまったのは言うまでもない。

「あー…そういやもうすぐ中間か。勉強って二人でか?」

 賢治があくまで平静を装いつつ疑問を口にすると、未だ頭に手を乗っけられたままでいる遥が小さく笑い声を洩らした。

「後でヒナとミナもくるよ?」

 遥の回答によって男と二人っきりでの勉強会では無い事が判明して、賢治はほっと胸を撫で下ろす。

「そうか、じゃ俺は帰った方が良さそうだな」

 女友達も来るというのであれば心配する事は無さそうだと判断した賢治は、勉強の邪魔になるだろうと遥の頭から手を退け今日の所は引き取る意志を見せた。

「うーん…」

 遥としてはせっかく来てくれた賢治をこのまま帰すのは忍びないが、居てもらっても相手をできないとなればそれも致し方ない。

「…ごめんね賢治」

 賢治に乱された髪を手櫛で整えながら遥が名残惜しそうな顔を見せていると、突然正孝が少々意外な事を口にした。

「遥、折角来てくれたんだ、賢治君に勉強を見てもらったらどうだ?」

 折角も何も賢治の家は隣なので来ようと思えばいつでも来られる距離である。

「ちょっと、お父さん、何言ってるのよー」

 夫がした突拍子もない発言に響子は呆れ顔だったが、意外にも遥は父のした提案をそれ程悪くないように感じられていた。学業の成績は今まで遥の方が優秀ではあったが、今や賢治は先を越して大学生だ。高一レベルの勉強を見るくらいは過不足ないだろう。何より遥としては賢治と一緒に居られる大義名分が掲げられるとなれば、その提案を受け入れない手はない。

「賢治、頼める?」

 遥が袖を摘まんで上目遣いで問い掛けると、賢治は少し困った顔になって青羽の方へと視線を向けた。

「俺は構わないが…」

 目配せを受けた青羽は遥と賢治を交互に見やってかなり困惑した面持ちである。クラスメイトの家にやってきて両親との顔合わせがあったかと思ったら、そこへ遥と妙に親し気なイケメン大学生の登場だ。しかもその人物は以前青羽も含むクラス一同が目にしている前で、遥に抱き着かれていたあの人物に相違ない。その上更にその人物が指導役として勉強会に参加するというのだからこれは中々に複雑な状況だ。

「えぇと…水瀬さんと日南さんは大丈夫なのかな…?」

 独断では判断しかねた青羽が沙穂と楓の名前を上げると、遥は少々小首を傾げて考えを巡らせてからのほほんとした笑顔を見せる。

「大丈夫じゃないかなー? 賢治はヒナとミナには会った事あるし」

 遥にそう言われてしまっては最早青羽に賢治の参加を拒む理由などなく、若干その笑顔を引きつらせながらも了承の頷きを見せた。

「じゃあ…俺は…大丈夫だよ…」

 賢治の参加を認める青羽の返答に、遥はパッと明るい笑顔を見せて賢治の腕にしがみつく。

「それじゃあ賢治、お願いね!」

 遥が何やら嬉しそうにしているので、賢治としては悪い気はしないがしかし、その一方では何やら少々申し訳なくもあった。賢治も男である以上、クラスの可愛い女子と一緒に勉強できると思ってやって来た男子高校生の心境はそれなりに想像できるところだ。青羽が遥の事をどのように思っているのかは与り知らぬ所だし、もし遥に好意を寄せているのであれば到底看過できない事ではあるが、それでもやはり同じ男としては同情を禁じ得ない物がある。

「まあ、そういう訳だから、早見君…だったか? よろしくな。俺はハルの幼馴染で紬賢治だ。隣に住んでる」

 賢治がせめてもの慰みに友好的であろうとして笑顔を向けると、青羽は少々慌てた様子で今一度丁寧なお辞儀を見せた。

「よろしくおねがいします!」

 賢治と青羽はそれぞれがそれぞれに複雑な心境であろうが、その一方では遥が一人にこにことして満足顔だ。

「それじゃ、ボクの部屋いこっか」

 遥が促すと大変居心地の悪い状況だった青羽は素直にそれに従い、遥の後を追って階段を昇ってゆく。未だ玄関口で靴を履いたままであった賢治は、ここでようやく奏家へと上がり、遥と青羽に少し遅れてその後を追おうとしたが、その途中正孝によって肩を叩かれた。

「賢治君、頼んだよ」

 不意のその言葉に賢治が戸惑っていると、響子が心底呆れた顔をして正孝の背中を押してリビングの方へと進んでゆく。

「もー、やぁねぇお父さんったら」

 正孝をリビングに押し込めた響子はそのまま自分も室内へと入って行こうとしたが、途中動きを止め賢治の方へと振り返ってウィンクを一つ見せた。

「賢治君、頑張ってね」

 響子がそれだけ言い残してリビングに去っていくと、残された賢治は少々唖然としていたが、ややって我に返り思わず苦笑する。遥の両親からそれぞれ掛けられた言葉は些か不穏当な気がしなくもない賢治だが、遥を想う気持ちを鑑みれば後押しと解釈しても良さそうではあった。

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