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3-22.ムードと失策

 ベッド問題に一応の決着がついたその後、到着が遅まきだった遥と賢治はパーク内に繰り出す間もなく夕食時を迎えてしまい、ホテルのレストランへと向かう事となった。ホテルで提供されるディナーはフレンチのコース料理で、これは賢治の両親が元々予約していたプランの一環だ。

 遥は食べ慣れないフランス料理にいちいち感嘆して、沙穂や楓との付き合いの上で身に付いた習慣から、それらを逐一写メへと収める事を怠らない。そんな随分と女子高生らしい遥の行動に、賢治は若干苦笑気味ながらも、夕食の時間は和やかに過ぎ去り、食事を済ませた二人は再びホテルの部屋へと戻ってきた。

「ご飯美味しかったね」

 提供されたディナーに満足顔の遥は、ベッドにちょこんと腰を下ろしてニコニコとしながら先程撮影した料理の写真を整理してゆく。

「ウマかったけど、もうちょっとガッツリ系がよかったなぁ」

 室内の椅子に腰を下ろした賢治の方は、ディナーの味については認めつつも、些か食べ足りない様子だった。遥には少々多いくらいであったが、身体の大きな賢治は幾分か物足りなかった様だ。

「あー、賢治って昔からああいうコース料理あんまり好きじゃないよねー」

 不服顔を見せる賢治の様子に、遥は過去の事例を思い返してクスクスと笑い声を上げる。何時だったかは定かでないが、遥は何年も前に賢治が親戚の結婚式に出席した際、そこで振る舞われた同じようなコース料理に不満を洩らしていた事を覚えていた。

「嫌いって訳じゃないんだが、どうもあのちまちまと出される感じがなぁ」

 賢治の不満の種は味に関する事では無く、その提供方式の様である。確かに一皿ずつ小出しにされるコース料理は食欲旺盛な賢治にしてみれば、食べた気がしないのだろう。

「じゃあ、明日のお昼は賢治が食べたい物でいいよ?」

 ディナーはホテルの予約プランの内に含まれていたので選択肢は無かったが、明朝にはホテルをチェックアウトする事になっているので、明日の食事に関してはその限りでは無い。遥の提案に賢治は腕組みをして、実にしみじみとした顔になった。

「そうだなぁ、やっぱ肉が食いてぇなぁ」

 如何にも男っぽい賢治の発言に、遥はまた小さく声をたてて笑いながらも、頷きを見せそれを快く了承する。パーク内には和洋中様々な飲食店が存在している為、きっと賢治が望む様な料理を提供している店もある筈だ。

「お肉系も色々あるみたいだねー」

 遥はスマホでパークの公式サイトを開きそこに掲載されている飲食店情報に目を通してゆく。遥が二十を超える飲食店の中からいくつかに当たりを付けた辺りで、スマホの画面に楓からのメッセージが届いたことを知らせる通知がポップアップした。今まで沙穂とはちょくちょくやり取りをしていたが楓からはこの連休に入ってから初めてだ。遥は早速その内容を検めるべく、ポップアップをタップして画面をLIFEへと切り替える。

『カナちゃん、お泊りデート上手く行ってる?』

 メッセージはそんな内容で、どうやら楓は今になって遥と沙穂がLIFEのグループメッセージでやり取りしていた内容を目にした様だった。アニメのイベントに参加すると言っていた楓は、昨日学校が終わった後、夜行バスで目的の地へと旅立ち、今日の日中はずっとそれにかかりきりだったのだろう。

 遥はお泊りデートという単語に少々ドキドキとしながらも、今ではそれについてかなり前向きになっていた為、意気揚々と返信の文面を作成してそれを送信する。

『賢治がボクの事女の子だって認めてくれたよ』

 遥がそのメッセージを送ってからそれ程間をおかずに、今度は相変わらず家族旅行中手持無沙汰らしい沙穂からのメッセージが送られて来た。

『大チャンスじゃん! もういっそ告白しちゃいなよ!』

 その余りに性急な沙穂のメッセージに遥は思わず苦笑いである。

『まだ無理じゃないかなぁ…』

 遥がそう返すと、次に送られて来たのはキザな美青年風のアニメキャラが「お前の気持ちを聞かせて欲しい」と発言している楓からの中々に奇抜な感じのスタンプだ。

「ぬぅ…」

 友達二人からの煽りだか応援だか分からないそんなメッセージを受けた遥は、少し赤くなった顔を俯かせながら、ベッド正面の椅子に腰かけパーク内の案内冊子に目を通している賢治の方をチラリと覗き見る。

 遥はかつて告白のつもりで「だいすき」と賢治に想いを告げてはいるのだが、不振に終わり親友同士という関係性を維持している状態だ。それは賢治が自分の事をかつてと変わらず男同士の親友と認識している事が大きいと考えていた遥にしてみれば、その意識が若干変わり始めている今は、確かに沙穂の言う様にチャンスに感じられなくもなかった。

 賢治が女の子だと言ってくれたのはあくまで身体に関する事に留まっているので、告白が成立するとまでは思えない遥だが、それでも自分の事をより異性として意識させるくらいには持っていけるのではないかというささやかな期待感はある。

「うーん…」

 賢治に対する恋心を一層前向きにした遥は、是非このチャンスを生かすべきだと考えたがしかし、それにはどうしたらいいのかが少々見当もつかない。遥は恋愛初心者であるし、そもそも元男の子である為、好きな男を振り向かせる術など知る訳が無いのだ。

 結局遥は沙穂と楓に助言を求めるしかなく、その旨を伝えるべくメッセージを作成してゆく。二人にどの程度の恋愛経験があるのか遥には分からないが、少なくとも自分よりはマシである筈なのだ。

『告白はまだちょっと無理だけど、賢治にもっと女の子として意識してもらうにはどうすればいいと思う?』

 遥が送信したメッセージは即座に既読が二件付いたものの、どちらからも直ぐには返事が返ってこなかった。これに関しては二人とも少々考えを巡らせているのだろう。

 二人の返信を待つ間に、遥が自身でも何かいい作戦は無いものか独自に考えていると、賢治がそれまで座っていた椅子から不意に立ち上がった。

「ハル」

 賢治が名を呼んでそのまま真っ直ぐ近寄って来た為、遥は慌ててスマホの画面を見られないように、それを胸前でぎゅっと抱き締める。

「な、なに? どしたの?」

 若干ぎこちない遥の問いかけに、賢治はちょっと不思議そうな顔をしながらも、いつも通りの落ち着いた様子で手にしていたパークの案内冊子を広げ、ページの一部を指差した。

「明日の昼飯、ここで良いか?」

 これには遥も堪らず脱力である。自分が恋の難問に取り組んでいる傍らで、賢治はずっと明日の昼食で訪れるべき店を探していた様なのだ。遥からしてみれば相当にお気楽な話と言える。

「あー…、うん、賢治が行きたいならボクはそれで大丈夫だよ…」

 賢治が指差していたのはボリュームが売りのステーキハウスで、小食な遥にとっては中々にヘビーな店ではあるが、とりあえず今はそんな事にかかずらっている場合ではない。

「よし、じゃあ明日の昼はここで決まりだな」

 遥の気を他所に賢治は満足顔で頷き、ポケットからスマホを取り出して、店の情報をメモでもしているのか、冊子と交互に見やりながらそれを操作し始める。一先ず賢治の意識が自分から外れた事に遥はほっと胸を撫で下ろし、抱き締めていたスマホに再び目をやろうとしたがしかし、次の瞬間賢治は自分のスマホをポケットに収めて隣に腰を下ろして来た。

「にゃわっ!」

 賢治の不意の行動に遥は素っ頓狂な声を上げ再びスマホを胸元で抱き締める。万が一沙穂と楓とのやり取りを見られた日には恥ずかしすぎて堪った物ではない。

「け、賢治、ど、ど、どうしたの…?」

 遥がかなりしどろもどろになって問い掛けると、賢治は眉を潜め怪訝な顔をしながらパークの案内冊子を差し出して来た。

「いや、明日どこ回るかある程度決めとかないか?」

 パークは広大でとても一日やそこらで全てを周りきれはしないので、賢治の提案は至極真っ当なものではあったが、遥はとにかく今それどころでは無いのだ。

「ボクが行きたいのは一か所だけだから、あとは賢治に任せるよ!」

 遥は大好きな絵本作家のミュージアムさえ見られれば満足だし、そもそも今はそれよりもこのまま賢治が隣に居ては沙穂と楓との作戦会議を進められない。賢治を追い払うにしてもそれに対する真っ当な言い訳が思いつかなかった遥は、仕方なく自分の方から離れるべくベッドから立ち上がった。

「トイレか?」

 賢治のそんなデリカシーのない発言に遥はまた脱力しながら、とにかく距離を取るべくとぼとぼとした足取りでベッドから離れてゆく。その間すかさずスマホをチェックすると、LIFEには沙穂と楓からの返事が送られて来ていた。

『カナちゃんの上目遣いで男の人なんてイチコロだよ!』

『そういうのはムードが大事よ! いい感じの雰囲気になったら思い切って迫っちゃえ!』

 楓の些か楽観的な意見はともかくとして、沙穂からのアドバイスは多少参考にできそうではある。幸い今居るホテルの部屋は雰囲気という点に関して言えば申し分はない。室内の明かりを間接照明だけに絞れば相当にムーディな空間と化すだろう。

 気の逸った遥は早速ムード作りをすべく、室内にある照明スイッチを探して周囲をぐるりと見渡してみる。

「トイレなら入口の脇だぞ?」

 尚もデリカシーゼロの賢治に遥が少々辟易としながらも、引き続き室内を見渡していると、窓を覆うカーテンの隙間からきらびやかな光が瞬いている事に目を奪われた。

「なんだろ…」

 そのまま吸い寄せられるように窓際まで足を進めた遥は、カーテンを勢いよく開け放ち、目の前に飛び込んできた光景に思わず息を飲んだ。

「すごっ…」

 そこにあったのは、夜の闇をキャンバスにして色鮮やかに煌めく幻想的な光の世界。ネーデルラントパークが売りにしている物の一つ、園内全体を覆いつくさんばかりのイルミネーションによる夜間ライトアップだった。遥は陽が落ちる前にホテルへやって来て以来外へは出ていない為に、今初めてそれを目の当たりにしたのだ。

「賢治…!」

 遥はこの光景を賢治にも見せなければと、室内に振り返ったが、呼ぶまでも無く賢治は直ぐ側までやって来ていた。

「すげえな…」

 遥同様初めてそれを目にする賢治も眼下に広がる光景に感心頻りだ。

「あっ、そうだ! せっかくだし外で見ようよ!」

 部屋にバルコニーが備わっている事を思い出した遥は、早速とそこへ続く掃き出し窓を通って部屋の外へと足を踏みだす。

「わぁ…」

 窓越しでは味わえなかった視界一面に広がるパークの夜景をその瞳に収め、遥の口から無意識の内に感嘆の声が零れ出た。見渡す限りの幻想的なその夜景は、まるで敷き詰められた宝石さながらだ。

「キレイ…」

 感動して遥がその表情をうっとりさせていると、少し遅れてバルコニーに出て来た賢治がすぐ横へと並び立つ。

「こういうのもたまには良いもんだぁ」

 賢治は普段、感傷的だったりロマンチストだったりはしないが、それでもパークの夜景には十分感じる物がある様だった。

 しばらく目の前の景色に見惚れていた遥は、ふとある事に思い至る。誰にも邪魔されない二人だけの時間と空間。並んで眺める溜息が出る程に美しい夜景。そんな今現在身を置いているこのシチュエーションは、正しく沙穂が言っていたムードのある状況に他ならないのではないかと。そうであれば後は賢治に対して何らかのアプローチを掛けるだけだ。

「ねぇ…賢治…」

 遥は隣を上目で見やりながら、胸の内に花咲く恋心の赴くまま、半歩横に身体をずらして賢治の方へと身を寄せる。

「な、なんだ…?」

 その突然の行動に賢治は若干上ずった声を上げたが、遥は構わずピッタリ引っ付くようにして賢治の身体にもたれ掛かった。これまで幾度か抱き着いたりしている事を考えれば、控えめではあるものの、今大切なのは雰囲気なのだ。遥なりにそれを成立させようと、その乏しい恋愛知識を総動員して導き出したのがこの行動だった。後は賢治がそれを何と受け止めるかだ。

 しかし、この作戦には遥の想定していないその根底を覆す大きな誤算がある。そもそも賢治は既に随分と前から、遥をこれ以上無いくらい異性として意識してしまっているのだ。それ故に、恋人っぽい甘い雰囲気を演出しようという遥の思惑とは裏腹に、この行動は賢治に只ひたすら気まずさを募らせる結果となっていた。

「ううむ…」

 遥がそうしたいのであれば、賢治としてもこの態勢を無暗に拒む訳にはいかないがしかし、この後ベッドを共にする事を考えればそうも言ってはいられない。今ここで必要以上に遥の事を異性として意識しすぎてしまうと後々抑えが効かなくなりそうなのだ。

「あったかい…」

 賢治の気まずさを他所に遥が、一層身を寄せあまつさえ腕まで絡めてきた為、これには賢治も堪らず遥の身体を押し戻してしまった。

「…寒いんだったら中に入ろうぜ?」

 些か困り顔でそんな事を言う賢治に、遥は思わず口を尖らせる。

「むぅ…」

 遥は勿論寒かった訳ではない。しかし何れにしても作戦は失敗した様だと悟ってしょんぼりと肩を落とす。そもそも遥の目的は本人が無意識の状態で、随分と過去に達成されているので、今更成功も何もないがそれを知る由もない。

「ほら、中入るぞ」

 賢治がそう言ってそそくさと室内に戻ってしまった為に、遥も仕方なくその後に付いてバルコニーを後にする。掃き出し窓を閉める間際、再び目をやったパークの夜景は、何度見てもひたすらに美しく、それだけに非常に口惜しい物がある遥だ。

「ハル、風呂どうする?」

 部屋に戻るなり賢治はそう言いつつ自分のバッグを漁り、既に入浴後の着替えを用意し始めていた。このホテルには共同浴場の類は無い為、入浴は部屋に備え付けられたユニットバスを利用する事になる。

「賢治先入って来て?」

 その隙に次なる作戦を沙穂と楓に相談する事を思いついた遥が順番を譲ると、賢治は素直にそれを了承して、今し方取り出したばかりの着替えを手にバスルームへと向かってゆく。

「んじゃ、お先」

 そんな一言を残して賢治がバスルームへ消えて行ったのを認めた遥は、スマホを手にしてこれから二人で眠る事になるダブルサイズのベッドへと倒れ込んだ。

「んー…」

 先程の夜景を見ながらのシチュエーションではこれといった成果が得られなかった以上、この後二人で枕を並べる時間帯に期待するしかない。就寝間際ともなれば、当然灯も落とすことになるであろうし、そうなればムード的には申し分ないだろう。そこで少々大胆なスキンシップと共に何か甘いピロートーク的な物でもできれば、それなりの効果が期待できる筈だ。

 そんな事を考えながら沙穂と楓に意見を求めるメッセージの文面を考えていた遥であったが、この時点で一つ失策を犯していた。

 スマホを握った遥がベッドの上で沙穂と楓に送る文面を作成し終えないまま、ニ十分程が経過した頃の事である。

「ハル、上がったぞ、次入って来いよ」

 入浴を終えてバスルームから戻った賢治が次を促して声を掛けるもしかし、遥はベッドの上で僅かに身じろぎをしただけで何の返事も返さなかった。

「ハル…?」

 何の反応も示さない遥を怪訝に思った賢治は、そっと近づきその顔を覗き込んで思わず頬を緩ませる。

「しょうがねぇな…」

 賢治が小さく息を吐いて、その小さな身体の下に腕を潜り込ませ持ち上げるも、遥はやはり何の反応も示さなかった。それもそのはず、遥は賢治を待つ間、一足先に夢の世界へと旅立ってしまっていたのだ。遥は今日の前半、言ってみればずっと緊張状態であった為知らず知らずに疲労がたまっていたのだろう。そんな状態でベッドへ横になればこうなるのも当然の事だった。

「ハル…お休み」

 賢治は掛布団をめくり再び遥をベッドに下ろすと、ひっそりと就寝の挨拶を告げてその隣へと横になる。警戒心ゼロの穏やかな顔で安らかに眠る遥をしばらく見つめて、一人その表情を緩ませていた賢治であったが、そこから眠りに落ちるまではそれ程時間を要しなかった。賢治は元々寝つきが良い質で、その上六時間に及ぶ運転疲れもあったとなれば無理もない話である。

 こうして、一つのベッドで初めて過ごす二人っきりの夜は、遥の期待や賢治の危惧とは全く裏腹に、何事もなくただ穏やかに過ぎ去っていった。

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