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3-20.お泊りデート

 迎えた三連休初日、賢治の運転する車に揺られる事六時間、遥は予定通り憧れのリゾート施設、ネーデルラントパークへとやって来ていた。

「ようやく着いたなぁ」

 施設の駐車場に車を停めた賢治は、外に出るなり長時間の運転で凝り固まった身体をほぐすべく大きな伸びをする。

「お疲れ様…」

 賢治に続いて車を降りた遥は労いの言葉を掛けながらも、どこか浮かない顔だった。

「ハルも座りっぱなしで疲れただろ?」

 賢治は遥の浮かない顔を旅疲れだと考えた様だったがしかしそうではない。この連休を賢治と二人で過ごしたいと願ったのは遥自身で、こうして訪れているネーデルラントパークは憧れの場所ではあるものの、やはりその初心な恋心では、賢治と二人でお泊りというシチュエーションを前に気負わずにはいられないのだ。

「来ちゃった…」

 誰に言うでもなく呟いた遥は、油断すれば茹で上がったタコの様になってしまいそうな両頬を手で覆って、賢治の顔を到底直視する事などできず明後日の方へと視線を逸らす。遥は道中の車内でも終始こんな調子で、その上現実逃避するかのように、現在家族と温泉旅行中で退屈しているらしい沙穂とずっとスマホでやり取りをしていたのだが、思えばこれも良くなかった。

 遥が『緊張する』と送れば沙穂は『チャンスじゃない』と返し、遥が『どうしよう…』と送れば沙穂は『手くらい繋ぎなよ?』とそんな風に返してくるのだ。沙穂が応援してくれている事は分かるのだが、だからと言ってそう煽られては、必要以上に意識して仕方がないという物である。

 それでも遥は懲りずに、目的の場所に着いた事を友達に報告する事を怠らない。

『ネーデルラントパークに着いたよ』

 遥が入場ゲートの写メを添えてメッセージを送信すると、沙穂はよっぽど暇を持て余しているのか、即座に返信を寄越して来た。

『せっかくのお泊りデート、楽しんで♪』

 その破壊力抜群の文面に堪らず顔が熱くなってしまう遥だ。お泊りデート等如何にも恋人のイベントっぽい響きではあるが、最早遥にはそれが酸いのか甘いのかも微妙な所である。ただひとつはっきりと言えるのは非常にドキドキするという事だけだ。

 そんな感じで遥が一人で赤くなっていると、賢治が「ハル」と名を呼び、その大きな手で肩に触れてきた。

「うにゃっ!?」

 不意を突かれ思わず変な声を上げてしまった遥だが、賢治はその素っ頓狂な声に苦笑気味ながらも、いつも通りの落ち着いた笑みを見せる。

「ほら、行こうぜ」

 そう言った賢治はいつの間に車から下ろしたのか、その手に二人分の荷物を携え、準備万端の態勢だ。

「あっ…、ごめん…」

 荷物を受け取ろうと手を伸ばした遥だったが、賢治は何を思ったのか荷物は渡さず、遥の伸ばしたその手を掴んできた。

「んー!?」

 突然だったその行動に遥は声にならない悲鳴をあげるも、賢治はそれに気づいてないのかはたまた気にしていないのかそのまま手を引いて入場ゲートに向って歩き出す。

「け、賢治、な、なんで!?」

 沙穂のメッセージにあった「手を繋ぐ」という行為が思いがけず実現した遥が酷く動揺した様子で問い掛けると、賢治は一瞬だけ振り返り口角を吊り上げたニヤリとした笑みを見せた。

「ハルが迷子になったら困るからな」

 賢治の事が大好きとは言え、流石の遥もこれには、堪らず膨れっ面である。確かに連休中のパークは多くの人で賑わっているがいくら何でもその言い草はあんまりだ。

「ボク小さい子じゃないよ!」

 そんな抗議の声に賢治はピタリと足を止め、遥の姿を上から下までといった感じでしげしげと観察する。高校の制服を着ていればかろうじて女子高生と認識できなくも無い遥だが、祝日の今日は勿論私服姿だ。胸元に大きなリボンがあしらわれた三段スカートのAラインワンピースを身に纏った遥は誰がどう見たって可愛らしい幼女以外の何者でもなかった。

「その恰好で言われてもなぁ…」

 賢治の指摘に自分の服装に目をやった遥は少ししょんぼりとして口を尖らせる。

「えー…」

 遥の持っている服はどれもその容姿に似合いの甘々としたデザインの物ばかりではあるが、これはその中でも格段に女の子らしい一着で、遥なりに精いっぱいデートである事を意識して、賢治に可愛いと思ってもらえたらという希望の上でのチョイスだった。

「そんなに変…かな…?」

 スカートの端を摘まんで見せる遥の問いに、賢治は今一度その姿をしげしげと観察して思わず唸ってしまう。

「うーむ…」

 似合っているかどうかと問われれば間違いなく似合っているし、可愛いかどうかで言えば恐ろしく可愛いのだがしかし、それ以上に幼さが強調されている様に見えてならない。かつては遥のワンピース姿を切っ掛けに異性を意識してどぎまぎしていた賢治だが、今となってはそれも随分と見慣れた物だ。更に言えば近頃制服姿を目にする事も多かった為、その落差で私服姿がどうにも幼く見えてしまうのだった。

「似合ってはいるんだがなぁ…」

 真人間である賢治にしてみれば自分が想いを寄せる相手が、こうも幼女然としていると少々複雑な心境である。

「なに…?」

 含みのある言い方だった為どうやら全面的には肯定されていないと悟った遥がその真意を問い質すと、賢治は一度小さく息を吐いてフッとその表情をほころばせた。

「いや、良いと思うぞ」

 賢治は一人で何やら納得して、遥の手を握ったまま前を向いて歩みを再開させる。

「むぅ…」

 今一つ釈然としない遥ではあったが、余り深く追求して藪蛇になってしまうのもそれはそれで居た堪れない。遥はそれ以上何も尋ねず、大人しく手を引かれるまま賢治に付き従う他なかった。


 程なく二人はゲートにまで辿り着き、入場パスを購入する為賢治が手を放したので遥は一先ずほっと胸を撫で下ろす。かつて何度か抱き着いたりしている事を考えれば、今更手を繋ぐ程度どうという事は無さそうな物だが、敏感な感覚器官である手の平という部位が相手のそれと密着するという点で言えば、それはそれで遥にとっては中々にアバンギャルドな体験と言えるだろう。

「うぅ…」

 今まで握られていた手の平を見つめ、その感触を思い出し、遥が真っ赤な顔で俯いていると、不意にさっきまで触れ合っていた賢治の手が視界に割り込んできた。

「はわっ!」

 今日何度目かになる奇声を上げ咄嗟にその場から一歩飛びのいた遥がうつむき加減のまま上目で窺うと、賢治は少し困った顔をして苦笑を見せる。

「今日はどうしたんだ?」

 どうしたと言われても、賢治の事が好きすぎていちいち動揺してしまう等と到底遥には言える筈もない。

「えっ…と…始めて来る場所だから…緊張…してる…のかな?」

 それは言い訳にしてはかなり苦しいと言わざるを得ない物であったが、賢治は納得したのかいつもの落ち着いた笑みで「そうか」と頷いた。

「でも、俺が付いてるから大丈夫だろ?」

 大変頼もしいセリフを口にして遥の気分を和らげようとする賢治ではあるものの、寧ろ一緒である事に緊張頻りの遥としては複雑な心境である。こうして賢治と二人で過ごせている事は勿論嬉しい事この上ないのだが、今からこの調子では先が思いやられるという物だ。

「それより、ほら、ハルの分だ」

 そう言って改めて伸ばして来た賢治の手には、パークの入場パスが握られており、先程遥の眼前に手を差し伸べて来たのもこれを渡す為の様だった。

「あっ、ありがと…」

 賢治の手に直接触れない様、若干恐る恐るパスを受け取った遥はそれを一旦口にくわえ、自分の財布を取り出す為に、首から下げていた毛玉の様なポーチに手をかける。立て替えてもらった代金を渡す為だがしかし、賢治が途中でそれを制止した。

「ハルは払わなくていいぞ」

 賢治はそう言うが、律儀な遥にしてみればいくら親友とは言え、決して安くはない入場料を丸々負担してもらうのは流石に気が引ける。

「でも、そんなの悪いから…」

 遥が申し訳なく思いやはり入場料を支払う事を進言すると、賢治はそれに対して気楽な笑顔でかぶりを振った。

「実はハルの小母さんに、ハルの為って事で小遣い貰ってるんだよ」

 それは賢治に良い恰好をさせてあげようという、響子なりの気遣いだったのだが、それをあっさりバラしてしまうあたりが如何にも生真面目な賢治らしいところだ。とは言え、出所が自分の母親で有るのならば、それは遥にしてみれば受け入れやすい。

「そっか…そういう事なら…」

 入場パスの件に関して遥が承服すると、賢治はそれを満足げに笑ってまた手を伸ばしてきた。

「じゃ、行こうぜ」

 賢治の意図するところはまた手を繋げという事なのであろうが、それに対して素直に従える遥ではない。

「と、取りあえず…ゲートを通らないと…いけない…から…」

 その際にはパスの提示が必要である為、手を繋いでいては不便だという遥の申告に、賢治は一瞬考えてから「成程」と頷きを見せた。

「それもそうだな」

 納得した賢治は伸ばしていた手を引っ込め入場ゲートへと向かって歩き出す。一先ず何とか事態を乗り切った遥もとりあえずほっとしながらその後を追った。


 自動改札風になっているゲートの機械にパスを読み取らせた二人は、いよいよネーデルラントパークの内側へと足を踏み入れる。ゲートをくぐって直ぐはトンネル状で、そこをしばらく進んでゆくと、やがて視界が開け遂にパークはその全貌を現した。 

「うわぁ、すごぉい…」

 眼前に広がる光景の美しさに、遥の口から思わず感嘆の声がこぼれ出る。

「確かにこれはすげぇなぁ」

 瞳をキラキラとさせる遥の様子に頬を緩ませながら、賢治も遥同様パーク内の風景には感心すること頻りだった。

 一面を彩る色とりどりの花々、その間を縫う石畳の道、そしてその先にはヨーロッパの街並みを思わせるレンガ造りの見事な建物群。ネーデルラントパークは遊園地的な派手なアトラクションこそ無いものの、東京ドーム三個分を超える広大な面積に延々と広がるこの景観と、それによって味わえる異国情緒こそが何よりの売りだった。

「綺麗だねぇ…」

 再び感嘆の声を洩らした遥は、毛玉のポーチからスマホを取り出し、目の前の風景を思い出として鮮明に焼き付けるべく写真を撮り始める。

「あんまり離れるなよ」

 スマホを手にしてふらふらとする遥に声を掛けながらも、賢治はその様子に一層頬を緩ませ、それと同時にこれまで何処か浮かない顔をしていた遥の表情が明るくなった事には一安心だった。遥が来たいといった場所で遥が喜んでいる様なら、それは賢治にとって何より喜ばしい事である。六時間にわたる長距離運転の労力も報われるという物だ。

「賢治、見て風車小屋だよ!」

 ひとしきり写真を撮影し終え駆け寄ってきた遥が指さす方を見やれば、鮮やかな花畑の中にオランダの代名詞とも言える風車小屋が点々と建っているのが覗える。実に趣のある風景だ。

「あっ! あっちは双子だよ!」

 遥が別の場所に仲良く二棟建ち並ぶ風車小屋を見つけて駆け出そうとすると、賢治はそれを後ろから呼び止めた。

「ハル、とりあえず見て回るのは後にしないか?」

 その呼びかけに立ち止まり振り返った遥は、賢治の元まで駆け戻り小首を傾げさせる。

「どうして? お腹空いたの?」

 そんな少しズレた事を言う遥の問い掛けに、賢治は苦笑しながら肩に掛けていた二つの旅行鞄をもたげて見せた。

「先にホテル行ってこの荷物預けてこようぜ」

 その一言で今までウキウキとしていた遥の動きがピタリと止まったのは言うまでもない。

「ほて…る…」

 賢治の口にした単語を復唱した遥の顔が俄に熱を帯びてみるみる内に赤くなってゆく。パーク内に入ってから目の前に広がる美しい光景に一時心を奪われ、気が紛れていた遥ではあったが、賢治の口にしたホテルという単語は、二人っきりのお泊りという最難関ミッションがこの後控えている事を思い出させるには十分すぎる物であった。

「うぐっ…」

 自分から来たいと言ってしまった手前、それを改める事も出来ず当日を迎えここまで来てしまったものの、遥は未だ二人っきりでのお泊りに関しては心の準備が整ってはいない。むしろ考えれば考える程ドツボに嵌って益々気まずくなる一方なのだ。

「ホテルはもっと奥の方だな」

 遥の内心を知らぬ賢治は、いつの間に手に入れたのかパーク内の見取り図を広げホテルの場所を確認するなり問答無用で遥の手を取って早速と歩き出す。これから向かう先が正に賢治と一夜を過ごす事になる場所なのかと思うと全く気が進まない遥だったが、だからと言ってしっかりと握られた手は到底振りほどけそうも無く、そもそもここに一人留まる訳にも当然行くはずもない。

「うぅ…」

 結局遥に出来る事はそのまま賢治に手を引かれ、ホテルへと向かって行くただそれだけであった。

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