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3-19.スケジュール

 諸問題が解消され、遥が安心安全で充実した高校生活を送れる様になってから数日、暦は皐月へと切り替わり、もう間もなく五月の三連休がやって来る。それは高校生である遥にとってはゴールデンウィークとされる期間中にある唯一の連休だ。

 そんな貴重な連休を二日後に控えた日曜の午後、遥は自宅で昼食を済ませた後に賢治の部屋を訪れていた。

「はぁ…」

 ベッドの上に寝転がった遥は、賢治の蔵書であるハードボイルド風味な漫画を読むふりをしながら、机に向かっている賢治の方を横目でチラリと窺い小さく溜息を付く。間もなくやって来る連休を賢治と過ごしたい遥は、その約束を取り付けるべく今ここに居るのだが、部屋を訪れて以来それを言い出せないまま、既に一時間余りが既に経過していた。

 過去の事を振り返れば、賢治と過ごした連休は数知れないものの、今となってはどうして平然とそうできていたのかも分からない。恋心を胸にした今、遥にとって賢治を誘う事はそれ程までにハードルの高いミッションなのだ。その難易度はかつて賢治に甘えるべく少々恥ずかしいお願いをしようとした時に勝るとも劣らない。あの時は場の流れで何とかそれを成し遂げた遥ではあるが、今は切っ掛けが全く掴めずにいる。ただ、このままではいつまでたっても埒が明かないのも確かだ。

「ね、ねぇ賢治…」

 遥がようやく意を決して口を開くと、それまで机のノートパソコンに向かって大学のレポート作成に勤しんでいた賢治が顔を上げ視線を向けて来た。

「ん、どうした?」

 わずかに口元を緩ませ微笑む賢治の表情にドキッとしながらも、遥は連休の予定を成立させる大前提が整っているのかを確認すべく、まずは軽く探りを入れる。

「えっ…と…賢治は次の連休って、どこか行ったりするの…?」

 遥の希望を叶えるためには、何はともあれ賢治のスケジュールが空いていない事には始まらない。ここでもし予定が有ると言われてしまった日には全てご破算だ。遥は問い掛けながらも祈る様な気持ちだった。

「…特にこれといって予定はしてないが」

 その解答に遥は心の中で小躍りと共に小さくガッツポーズである。これで後は約束を取り付け賢治のスケジュールを押さえてしまえば遥の願いは現実のものだ。現状まだどうやって過ごすかは全くのノープランではあるが、それはこれから賢治と相談すればいいだろう。

「あっ、あの…あの…じゃあ…連休は―」

 そこまで言いかけた遥は、以前沙穂が口にした「二人っきりでお泊り」という提案を思い出し思わず言葉を止めてしまった。

「むー!」

 それに関して特に具体的ビジョンがある訳では無いが、そのシチュエーションだけで遥の初心な恋心は一杯一杯である。布団に顔をうずめた遥が足をばたつかせ悶絶していると、賢治が椅子を回し怪訝な表情で身体ごと向き直って来た。

「ど、どうしたんだ?」

 困惑気味な賢治の声に、遥は何とか気持ちを落ち着かせてベッドから起き上がる。お泊りについてはもう一旦忘れる事として、とにかく約束だけは何としても取り付けなければならない。連休を賢治と一緒に過ごしたい事だけは間違いが無いのだ。

「あ…、あの…ね…」

 しかしどうしても、二人で一緒に、という誘い文句が出てこない。こうして今賢治の部屋で二人っきりでいる訳だが、それは言ってみれば男の子時代から続く慣れ親しんだ日常だ。しかし、それに対して今から言おうとしている事はそこから外れた非日常と言っても過言ではない。「普通」や「平穏」といった事を好む遥にしてみれば相当に勇気のいる事柄である。

「あの…えっと…」

 遥がもじもじして言い淀んでいると、賢治がフッとその表情をほころばせた。

「連休中、二人でどこか遊びに行くか?」

 その言葉に遥の心と表情がパッと明るくなる。

「う、うん!」

 賢治は愛らしい笑顔で勢いよく頷いた遥の様子を認め満足そうに笑うと、机に広げていたノートパソコンを膝の上に置き、椅子ごとベッドの方まで寄って来た。

「どこか行きたいところあるか?」

 パソコンを操作しながら問い掛けてくる賢治に、遥は明るくなった気持ちのままにはしゃいだ様子で身を乗り出す。

「えっとね! えっとね!」

 自分からは言い出す事が出来なかったものの、願い通り賢治と連休を過ごせる事になった遥は早くもかなりのウキウキ模様だ。

「どこがいいかなー?」

 男の子時代の前例からいくと、二人で改まってどこかへ出かけるといえば、スポーツ観戦やお互いが好きなアーティストのライブ、後は都市部での買い物と、そんな普通の少年らしい感じだった。しかし今回はそれに準ずるのも何か味気ない。何故ならそう、これは沙穂と楓が言う所のデートに他ならないからだ。賢治にその認識がないにしろ、遥としてはどうせだったらデートっぽい所に行ってみたいという希望がある。ただ、これはこれで中々の難題であった。そもそも遥はこれまでの人生においてデート等した事が無いので、実際問題それがどんなものか良く分かっていないのだ。

「うーん…賢治はどこか行きたいところある?」

 結局今一つこれといったプランが思いつかなかった遥は、一先ず賢治の希望を尋ねてみる事にした。イケメンで女の子にモテモテな賢治ならもしかしたら気の利いた提案をしてくれるかもしれないと思ったのだ。だが、賢治は考えるそぶりも見せずに、遥の淡い期待をあっさりと打ち砕く。

「俺はハルが行きたいところならどこでもいいけどな」

 それは多分賢治の本心には違いないし、こちらの希望を優先してくれるというその大らかな気遣いは嬉しくもあるのだがしかし、遥にしてみれば身も蓋もない話であった。

「うー…」

 賢治から行き先を一任された遥は改めて考えて見るも、思いつかない物はやはり思いつかない。遥の凡庸で貧困な発想で思い付くのは映画館、遊園地、水族館と、そんなありふれた定番くらいでどうにもパッとしない。

「考えて見ると難しいね…」

 全く良い案の思い浮かばない遥は、もういっそ、連休中ずっと賢治の部屋に入り浸ってひたすら賢治と一緒にいられるだけでも十分なのではないだろうかと、そんな風にすら思えて来る。遥がそれはそれで悪くないかもしれないと、半ばヤケクソ気味にそんな事を本気で検討し始めたところで、不意に賢治の部屋の扉がノックされた。

「ケンちゃーん、入っていーい?」

 その呼びかけに賢治が「おう」と少々ぶっきらぼうに応えれば、ゆっくり扉が開き、そこに姿を現したのは、腕に飼い犬のマルを抱いた賢治の母親だ。

「あっ、朱美あけみおばさん、こんにちは」

 遥が笑顔で挨拶を送ると、賢治の母親、朱美もにこやかな笑顔を見せる。

「あらあら、ハルちゃん来てたのぉ、今日も可愛いわねぇ」

 遥の事を幼少の頃から良く知っている朱美は、当初幼女になってしまった遥の姿にいたく驚いていたが、今ではもうすっかりと慣れた物だ。むしろ以前より可愛がってもらっているまである。

「そうそう、ハルちゃんの為にまた親戚からおさがり貰って来たのよー」

 これもその一つで、朱美が口にしたおさがりと言うのは女の子物の衣類や小物類の事だ。女の子の身の上になってしまった遥のためにと、度々提供してくれているのだが、遥が見た限りではそのどれもが新品に相違なく、おさがりと言うのは単に気を遣わせない為の建前だろう。

「あー…たすかりますー…」

 朱美の気遣いは勿論嬉しくはあるものの、その一方で遥は内心ちょっと複雑な気分でもあった。もう女の子物の洋服には抵抗が無いのでそれ自体は別段嫌では無いのだが、遥のクローゼットは母の響子が日々買い集めて来る物と、こうして朱美によって提供される物で今やはちきれんばかりなのだ。平日は高校から帰るとすぐパジャマに着替えてしまうので、正直そんなに沢山持っていても遥には着る機会が無い。それに朱美はどうも着せ替えを楽しんでいる節があるので、それもまた遥を複雑な気分にさせる理由の一つである。因みに朱美の提供してくれる洋服はトップスやアウターを除けばその全てが漏れなくひらひらとしとしたスカートやワンピースで、その趣向は遥の母、響子といい勝負だ。

「そんな事より何か用じゃなかったのか?」

 どこか困った様子の遥に助け舟を出すかのように、賢治が咳払いをしながら、朱美に向って本来の要件に入って欲しいと若干煙たそうにする。

「あ、そうそう、ケンちゃん連休って何か予定入ってる?」

 要件を切り出した朱美のその問い掛けに、遥は賢治のスケジュールを持っていかれてしまうのではないかと俄かに不安になったがしかし、その不安を払拭するかの様に賢治が既に遥との先約がある事をしっかり明言してくれた。

「ハルと出掛ける。今それを相談してたところだ」

 賢治の返答を受けた朱美は「あらあら」と感嘆の声を上げ、息子と現在可愛らしい女の子であるその幼馴染を見比べて、やたらにニコニコとする。

「なら丁度よかったわぁ」

 その言い様に遥は何が丁度いいのだろうかと思わず小首を傾げてしまうが、次には朱美がとんでもない提案をしてきた。

「それなら、二人で泊まって来るといいわぁ」

 その言葉に遥は思わず愕然である。それは先程遥が精神衛生上の問題から一旦考えの外に置いた事柄に他ならないのだ。

「は? 今からじゃ宿泊施設なんて何処も空いて無いんじゃないか?」

 別な理由で難色を示す賢治だったが、朱美はこの問題をあっさりと解決してしまった。

「実はもう予約してあるのよぉ」

 その言葉に遥は尚更愕然である。

「いや、意味が分からないんだが…」

 賢治も若干困惑気味で疑問を顕にすると、朱美は事の次第を説明してくれた。

「実はねぇ、元々お母さんがお父さんと二人で行くつもりだったんだけど、お父さん急なお仕事でお休み駄目になっちゃったのよねぇ」

 という事らしい。この段階で予約をキャンセルするとなると、結構なキャンセル料が発生する為、朱美は夫の代わりに息子を連れて行こうと、そんな事を思いついたのだという。しかし、その相談を持ち掛けにやってきたところ、そこに居合わせた遥を目にして、それならいっそ若い二人に譲った方が良いだろうと、今し方の提案に至ったという訳だ。

「あー…ハル、どうする?」

 どうすると言われても、賢治と二人でお泊り等考えただけでも悶絶ものなので、遥としてはとてもじゃないが二つ返事で行くとは言い難い。しかし、ここで行かないと言ってしまうと、賢治のスケジュールを朱美に持っていかれてしまう可能性もある。それだけは何としても避けたい遥にとってこれは究極の選択にも等しい難問だった。

「お袋、ちなみに場所はどこなんだ?」

 遥が答えあぐねている間に、朱美に向って目的地を問い掛ける賢治はノートパソコンで検索サイトを開きながら、もし行く事になるのであればと、あらかじめの情報収集を行う構えを取る。

「九州なんだけどねぇ、ホテルはほら、あそこ、オランダがテーマのお花が綺麗なぁ」

 朱美の解答はそんな曖昧な物で、賢治はそれらのワードを検索窓にタイプしていくが、その一方でそれを耳にしていた遥の目の色が変わった。

「えっ! もしかしてネーデルラントパーク!?」

 突然声のトーンを上げて何やら生き生きとした表情になった遥の様子に、朱美は朗らかに笑いながら頷きを見せる。

「そうねぇ、そんな名前だったわねぇ。その中にあるホテルを予約してるのよぉ」

 朱美からの肯定を受けた遥は瞳を輝かせて賢治の袖をぐいぐいと引っ張った。

「賢治、ボク行きたいかも!」

 その余りの食いつき振りに若干戸惑いを隠し得ない賢治だったが、それでも遥がそれを望むと言うのであれば異論を唱える筈もない。

「ハルが行きたいなら俺はそれで良いよ」

 賢治の同意を得られた遥は思わず「やった!」と喜びの声を上げて笑顔満面である。遥がこのネーデルラントパークという場所に異様な勢いで食いついたのには訳があった。そこには遥が愛好してやまない口元のバッテン印がトレードマークのキャラクターをデザインしたオランダの絵本作家を扱った国内唯一のミュージアムがあるのだ。言わばそこは遥にとっての聖地の様な物である。

「ハルちゃんが喜んでくれておばさん嬉しいわぁ」

 朱美は喜びを顕にする遥の様子に満足げに微笑むと、後の事は賢治に伝えておくことを言い残し、歳のせいか終始大人しかったマルを引きつれ部屋から立ち去って行った。

「楽しみだねー!」

 今から既に浮かれ模様でキャッキャとする遥の様子に顔をほころばせていた賢治は、何やら疑問を持ったのか、ふと首を傾げさせる。

「どうしてさっきそれを言わなかったんだ?」

 それ程興味のあった場所なら、先刻行きたい場所を訪ねた際に言ってくれれば良かったのではないかと、賢治はそんな事を思った様だ。

「えっ、だって遠いから、行くなら泊まりじゃないと―」

 賢治の疑問に答えた遥は言ってからはっとなる。思いがけず訪れた憧れの聖地へ行けるチャンスを前に完全に頭からその問題が置き去りになっていた。そもそもの朱美の提案が予約しているホテルを無駄にしない為の物だった事すらも失念してしまっていたのだ。

「あー…!」

 肝心な事を思い出した遥は堪らずベッドに突っ伏し足をバタバタとさせ悶絶する。

「今からそんなに浮かれてたら当日まで身が持たないぞ?」

 苦笑しながらそんな事を言う賢治は完全に誤解しているが、二人でのお泊りが心臓に悪過ぎる等と遥には到底言える筈もない。それは勿論朱美に対しても同じ事だ。

 こうなってしまっては最早覚悟を決めてそのスケジュールを受け入れるしかなく、こうして遥はこの連休、かつて沙穂が提案した通りの、賢治と二人でお泊りという、夢だか悪夢だか分からないそんなシチュエーションに身を置く事となった。

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