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3-15.異性として

 三限目を終えた休み時間、次の授業準備を整え終えた遥は、二人で女子トイレへと向かって行った沙穂と楓の帰りを一人でぼんやりと待っていた。

 二人は当然遥の事も誘い合わせはするものの、遥自身は多くの女生徒が訪れる休み時間の女子トイレという場所を苦手としている為、特に必要が無ければこれを断っているのだ。故にクラス内に他の親しい友人が居ない遥はこうした時間を大抵一人で過ごす事になるのだがしかし、今日この時間に限ってそうはならなかった。

「奏さん、何か良い事あった?」

 そんな風に話しかけて来たのは、遥が「危近リスト」に入れたばかりだった隣の席に座る青羽である。普段青羽は休み時間になると、親しい男友達と雑談に興じている事が殆で、今も青羽の周りには二人の男子生徒の姿が見られるが、何を思ったのかそんな中突然遥に話しかけて来たのだ。

「えっ…何? 急に?」

 遥が少々戸惑いながら無視するわけにもいかず問い返すと、青羽は目を細める様にしていつもの爽やかな笑顔を向けて来た。

「何となく雰囲気とか表情が柔らかくなった感じする」

 青羽の指摘に遥は少々びっくりしながら、自分の両頬を手で抑えて口を尖らせる。

「急に変なこと言わないでよ」

 浮かれていた気持ちが態度や表情に現れていたのだと思うと少々気恥ずかしい遥だ。

「いやいや! アオっちの言う通り大分良い感じよ?」

 そんな事を言いながら遥の事を覗き込む様に身を乗り出して来たのは、青羽の友人Aで、新山耕太にいやまこうたという黒髪短髪のスポーツ少年風の男子生徒だった。

「奏ちゃんは今まで近寄らないでオーラ出てたもんねー」

 特に親しい訳でも無いのに、ちゃん付けで馴れ馴れしい事この上ないこの男子生徒は、青羽の友人B、最上篤史もがみあつしだ。茶色のミディアムヘアーと左耳に小さく光るピアスが目に付くちょっとチャラい系の少年である。

「新山君と最上君は適当な事言ってない?」

 自分が浮かれていた事は遥も自覚できる事ではあったが、特に親交もない青羽の友人二人の意見に関しては少々心外だった。

「二人とはあんまり喋った事ないよね…?」

 遥が更に言葉を重ねて抗議すると、新山耕太と最上篤史はお互い顔を見合わせ同時に苦笑する。

「カナっちは自分がすげー目立つ子って自覚無いの?」

 新山耕太の指摘に遥が「へ?」と少々間抜けな声を上げて問い返せば、今度は最上篤史が肩をすくめながら思いがけない事を口にした。

「奏ちゃん狙いの男子、ウチのクラスじゃ結構多いと思うよ?」

 それは未だ自身の魅力については無自覚でいる遥にとっては、思ってもみなかった余りにも斜め上の事柄だ。

「えっと…、えっ…?」

 今一意味が良く分からない、と言うよりも分かりたくない、という思考停止に陥った遥が、助けを求めて青羽に視線を送ると、その青羽は苦笑しながらも友人二人の意見を更に強烈な意見と共に肯定してしまった。

「奏さん可愛いからさ」

 若干照れくさそうにそんな事を言い放った青羽を前に、遥の思考は完全に停止しかけたがしかし、そんな場合では無いと気付いてはっと我に返る。

「そ、それはあれだよね? ボクが小さいからだよね?」

 可愛いという単語は幼さに対する評価である、と強引に結論付けた遥がその事を確認すると、青羽達三人は少し困った顔をしながらも左右に首を振ってそれを否定した。

「小柄なのも可愛い要素の一つではあるけどねー」

 それはあくまで付随する魅力の一つで全てでは無いと最上篤史は言う。

「カナッちって天然だったんだ…」

 余りに困惑した遥の様子に新山耕太は若干あきれ顔だ。

「今まで水瀬さんと日南さん以外寄せ付けない様にしてたのは自覚があるからだと思ってたよ…」

 苦笑交じりにそう言った青羽の見解は単なる思い違いである。遥は単純にこれ以上友好関係を広げて悪戯に苦悩を増やさないようにと努めていたにすぎないのだ。

「俺とコータは彼女持ちだから別に奏ちゃんの事は狙ってないけど、それでもクラスにこんな可愛い子いたらやっぱ気になっちゃうよねー」

 その愛らしい人目を惹く外見から、遥はクラス内の男子からは常に意識される存在で、最上篤史も遥に対してそれなりの興味を持って注目していたらしかった。

「今まではどっか近寄りがたかったけど、雰囲気丸くなって話しかけ易くなったから皆積極的に狙いに来ちゃうかもよ?」

 新山耕太はどこか楽し気にそんな事を言うがしかし、言われた方の遥としては楽しいどころか到底心中穏やかではない。男の子としての自意識を未だ残したままでいる遥にとっては、賢治というたった一人の例外を除けば、かつての同性から異性として注目される等、間違っても歓迎し得る様な事柄ではないのだ。

「誰が奏ちゃんを物にするのか見ものだなー」

 追い打ちをかける様に最上篤史がそんな事を口にすると、遥の脳裏に突如以前美乃梨から言われた言葉がハッキリと蘇る。

『近くに可愛い女の子が居たら襲いたくなるの!』

 それはかつて自身の性別と容姿に無自覚でいる遥に対して、美乃梨が警告した所謂『超絶可愛い遥襲われる論』だった。

「あっ…」

 今までそれを美乃梨の暴走が生んだ妄言である様に捉えていた遥の中でそれが俄かに現実味を帯び始める。それは言ってみれば行き過ぎた錯覚ではあったのだがしかし、遥は元男の子だった身の上からつい想像してしまったのだ。男子高校生が異性に向ける好意の中には大なり小なり『性的』期待感が含まれているであろう事を。

「そ…そんなの…」

 遥が自分はクラスメイトの男子から『異性』として、延いては『性的対象』として注目されていると認識してしまってからの感情の流れは実にシンプルだった。

「おーい? カナっちー? 急に固まってどうしたの?」

 新山耕太が眼前で手を振って呼びかけて来ると、遥はビクッとしてその身を大きく震わせる。遥は今、目の前にいる男子高校生の存在に只ひたすら恐怖を覚えていた。もし美乃梨の言う事が本当だったのなら、もし目の前にいる男子高校生が牙をむいたのならば、小さな幼女である自分にはなす術がない。遥は陥った錯覚と湧き上がった恐怖心から、そんな想像を膨らませずには居られなかった。

「奏ちゃん、だいじょーぶ? 顔真っ青だよ?」

 今度は最上篤史が顔を覗き込もうと覆いかぶさるように身を乗り出してくれば、遥は一層恐怖心を煽られ堪らず席から立ち上がって一歩後退る。

「もしかして、まだ具合悪いの?」

 体調を気遣ってくれる青羽のそんな優しい言葉も、今の気が動転している遥にとっては恐怖の対象でしかなかった。

「奏さん、本当に大丈夫?」

 青羽が席から立ち上がって心配そうな顔で近づいてくると、遥はその場から逃げ出したい衝動に駆られたがしかし、その足は竦んで最早距離を取る事もままならない。

「やっ…!」

 遥に出来た事は、ただ弱々しく悲鳴を上げてその小さな身体を縮こまらせる事だけだ。

「俺達、何かしちゃった…のかな…?」

 青羽達男子三人は互いに顔を見合わせ困惑し、遥は唯々恐怖してその身を震わせる。沙穂と楓が女子トイレより帰還したのは、教室でそんな光景が繰り広げられている只中だった。

「ん? カナどうしたの?」

 教室内に入って来るなり、遥の様子を目にした沙穂はすぐさま傍まで駆け寄って来る。

「カナちゃん大丈夫?」

 沙穂に少し遅れて楓もやって来ると、遥はすがる思いで二人の袖をぎゅっと掴んだ。

「あんた達…カナに何したの?」

 明らかに何か怯えている遥と、それに相対する形になっていた青羽達三人を一瞥した沙穂はサッと遥を後ろに隠す様にして間に入り険の有る表情で三人を睨みつけた。

「何って言われても…困るんだけど…」

 青羽が戸惑った表情で言い淀むと、沙穂は残りの二人を順に見回し、無言の圧力を掛ける。

「いやぁ…俺達単にカナっちは男子に人気あるよーって話をしてただけで…」

 新山耕太の言い様に沙穂は「は?」と素っ頓狂な声を上げて、残りの一人となった最上篤史へと視線を移す。

「奏ちゃん可愛いから男子皆狙ってるって教えて上げてたんだよ?」

 三人からの供述を得て大凡の事情を呑み込めた沙穂と楓は、顔を見合わせてから共に大きく溜息をついた。

「カナちゃんにそれ直接言ったんだ…」

 未だ小さくなって震えるばかりの遥と青羽達三人を見比べ、楓は眉尻を下げて非常に困ったといった面持ちを見せる。

「あんた達バカじゃないの? 本人にそういう事言う?」

 沙穂の冷ややかな言葉に、新山耕太はムッとした表情で身を乗り出し反論しようとしたが、青羽がそれをなだめ制止した。

「俺達別に悪気があったわけじゃないんだけど…」

 青羽がバツ悪そうに弁明すれば、最上篤史が肩をすくめながらそれに続く。

「ていうか、褒めてたつもりだったんだけどねー」

 青羽達の言い分に沙穂は今一度ため息を付いて、そこに悪意が無かった事を認めながらも三人に対して追い払う仕草を見せた。

「分かったからもう向こう行って」

 青羽達三人はその言葉にそれぞれ顔を見合わせ、渋々ながらも遥の席から距離を取る。新山耕太は若干恨めしそうな視線を向けて来ていたが、沙穂はそれには構わず遥の方へと向き直った。

「カナ…へーき? ではなさそうね…」

 顔面蒼白で袖を固く握って離さない遥の様子に沙穂は目を細め、肩を抱いて自分の元へと引き寄せる。

「カナちゃん、保健室行く?」

 寄り添うように問い掛けて来る楓の声に、遥はようやく少し我に返ったものの、周囲からの視線を感じ取って堪らず身体を縮こまらせ一層二人に縋りついた。この時周囲から向けられていた視線は、何事かが起こっている事に興味を示したクラスメイト達の好奇心に依る物ではあったが、今の遥にそれがどの様な感情かなど判断できるはずもない。ただその視線の中には確かに男子生徒の物が決して少なくはない数含まれていた為に、遥はひたすらその事に恐怖し震えるばかりだった。

「やっぱこれは保健室ね…」

 そう言って沙穂が目配せすると楓もそれに同意して、二人は遥を守る様にして両側に寄り添い歩き出す。丁度そんなタイミングで四限目の開始を告げるチャイムが鳴ったものの、遥は最早授業どころでは無く、沙穂と楓もそんな遥を保健室へ連れて行かなければいけない為、三人はそのまま教室を後にした。


 教室を出た三人は途中、四限目の授業教科である英語の指導に当たろうと遥達の教室に向って来ていた老年の英語教師と鉢合わせになりながらも、特には咎められず、程なく保健室へと辿り着く。

「美鈴ちゃーん、この子休ませたげてー」

 沙穂が声を掛けながら保健室の扉を開けるも、室内からは特に何の反応もなく中は無人であった。沙穂が呼んだ美鈴ちゃんというのは遥達の高校に勤務する女性養護教諭で、フルネームを美鈴恵美みすずえみという三十代前半のショートカットが似合う親しみやすい風貌の人物だ。

「美鈴ちゃんいないけど、とりあえず休ませてもらおっか」

 沙穂は誰もいない保健室内を一瞥してから、遥をベッドまで誘導してそこへ座らせると、自分もその横にと腰を下ろす。

「ヒナ…ミナ…ごめんね…」

 遥は自分でも思いがけなかった心理的落とし穴に嵌ってしまっている自身の脆弱さを顧みながら、それに沙穂と楓を巻き込んでしまっている事に申し訳なさを感じていた。

「何言ってんの、友達助けるのは当たり前」

 沙穂はそう言いながらうっすら微笑み、昨日してくれたように遥の頭を抱いて自分の肩へと引き寄せる。その優しさに遥が思わず涙ぐんでしまうと、沙穂の反対側に腰を下ろした楓がやんわりとした手つきで遥の背中をさすりながら笑みをこぼした。

「ワタシ達カナちゃんの事大好きだから」

 遥はその言葉にまた涙ぐみながら、自分も間違いなく二人の事が大好きだという気持ちを改めて胸に抱いて「うん」と小さく頷きを返す。

「ボク…急に男子が怖くなって…おおかしいよね…自分もそうだったのに…」

 かつて自分も彼らと同様の存在であったはずなのに、突然それが恐怖の対象となってしまった自らの心理状況を、遥は上手く受け止めることが出来ないでいた。

 その複雑な心境を聞き届けた沙穂と楓は一層優しく寄り添い、遥の抱えている不安を和らげようとしてくれる。しばらく三人はそうして肩を寄せ合っていたが、ややあって楓が「多分だけど」と少し躊躇いがちに口を開いた。

「カナちゃんが急に怖いと思ったのは『そうだった』からなんじゃないのかな?」

 それは遥にとっては今一つ判然としない事柄ではあったが、沙穂が「そうかもね」と納得と同意を示しながら言葉を引き継いだ。

「あたしらはさ、やっぱり体格や腕力じゃ男には劣る女子なんだよ。そういうのって成長と共にだんだん実感していくと思うの」

 沙穂はそこで一旦言葉を区切って、遥のふわふわした髪を撫でつけながら、その心境を思い遣る様に目を細める。

「けど、カナはそれすっ飛ばして女の子になっちゃったから、そういう心構えがまだできてなかったんじゃないのかな」

 沙穂が前提に置いた女性は男性に対して生物的弱者であるというその価値観が独自の物なのか、それとも女の子全般に共通する考え方であるのか、それは遥には分からない事ではあったが、ただ何となく腑に落ちた事だけは確かだった。

「ワタシも普通に大きな男の人って怖いと思うし、カナちゃんは身体が小さいから余計そうだよね」

 楓の言葉にまた一つ腑に落ちた遥は、恐怖心を喚起させるきっかけとなった美乃梨の『超絶可愛い遥襲われる論』を思い起こす。少し冷静さを取り戻した今、やはりあれは些か極端な考え方で、そうそう実際に起こり得る事ではないと認識を改めてはいたが、ただ今し方沙穂と楓が指摘した「女の子としての心構え」を説いてくれていた事は確かなのだ。

 美乃梨の忠告をちゃんと聞いていれば、こんな事にはならなかったのだろうかと、今になって少なくない後悔の念を抱くも、遥が沙穂の言う所の「生物的強者」である男としての価値観を未だ多く引き継いでいた以上、それは中々難しい事だっただろう。

「でもちょっと困ったねぇ」

 沙穂がふとそんな事を言って小さく溜息をこぼした。

「あっ…ボク、ちょっと混乱してただけで…もう…大丈夫だと…」

 遥が若干自信なさげに気を持ち直してきている事を申告すると、沙穂は「そーじゃなくて」とかぶりを振る。

「まー、実際カナは可愛いからさ、やっぱ男子がほっとかないと思うのよ」

 神妙な顔の沙穂に楓も同意してうんうんと頷いた。

「そうだよねー、カナちゃん可愛いからなぁ」

 それから沙穂と楓は「うーん」と何やら考え込んでしまう。友達二人に面と向かって可愛いと言われて遥がどう反応すればいいのか戸惑っていると、保健室の扉が開き養護教諭の美鈴恵美が姿を現した。

「あら、あなた達、体調でも悪いの?」

 美鈴恵美は遥達三人の姿を認め、手にしていた書類束を自分のデスクに置いてからベッドの方までやってくる。

「あ、この子ちょっと具合悪くて、あたしらは付き添い」

 沙穂の申告を受けた美鈴恵美は、纏っている白衣のポケットから体温計を取り出しそれを遥の前へと差し出してきた。

「後は私が見ておくから、付き添いの二人は授業に戻りなさい」

 その言葉に沙穂が「えー」と不平の声を上げると、美鈴恵美は少し困った顔をしながら苦笑する。

「あなた達B組の子でしょ? 中邑先生怒らせると怖いわよー?」

 厳つい風貌の担任教師の名前を出された沙穂と楓は、お互い顔を見合わせてから共に渋い表情でベッドから立ち上がった。

「カナ、また昼休みに来るから」

 沙穂がまた後で訪れる事を約束すれば楓も頷きそれに同意する。

「カナちゃんのお弁当持ってきてあげるね」

 遥がそれに小さく笑って「うん」と応えると、二人は遥に手を振りながら授業へと戻る為に保健室を立ち去って行った。

「一応熱計ってね」

 沙穂と楓が出て行った扉を見つめぼんやりとしていた遥に、美鈴恵美が体温計を指差しながらまた少し困った顔を覗かせる。

「あっ…はい…」

 その後遥は言われるまま熱を測り、別段異常のない平熱だったものの、顔色は良くないとの理由で美鈴恵美からその場に留まる事を許可され、四限目は授業に復帰することなく保健室で過ごす事となった。

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