2-24.女子高生
遥のGPS付き防犯ブザーを誰のスマホと連携させるかと問題提起した亮介の言葉を発端に、奏家のリビングルームは今、かつてない程の緊迫感に包まれていた。
「ここはやはり贈り主である俺が…」
緊迫を破って賢治が自らの正当性を主張すると、これに対して美乃梨が猛烈な反発を見せる。
「そんなの駄目です! 絶対に駄目です!」
敵愾心剥き出しの美乃梨の眼差しに賢治は若干気圧されそうになったが、かと言っておめおめと引き下がる訳にも行かない。
「お前という選択肢もないぞ」
美乃梨の思惑を先回りして賢治は真っ向否定と共に鋭く睨み返した。これまで局地的小競り合いだった遥を巡る攻防戦が遂に全面戦争へと突入した瞬間である。
「んじゃ、間を取って俺ってのはどうかなぁ…?」
何の間なのかは分からないが抜け目ない淳也が自らの参戦を表明すると、それまで火花を散らし合っていた賢治と美乃梨が同時にその視線を淳也に向けて無言の圧力を掛けた。
「あ…、ごめんなさい…」
あまりに迫力のあった二人の眼光を前に、あくまで軽いノリだった淳也はあっけなく敗走してしまう。
「なら俺が…」
淳也が敗れたと見るや意外にも光彦がその遺志を継いで参戦を表明したが、やはりこれも賢治と美乃梨の燃え盛る様な眼力によって瞬く間に一掃されてしまった。
「すまん…」
おずおずと引き下がった光彦を尻目に、賢治と美乃梨は激しい睨み合いを再開させ、このまま戦局は激化の一途を辿ってしまうかと思われたがその時、そもそもの引き金を引いた亮介がスッと人差し指を立て新たなる局面を提示した。
「ここは遥に決めてもらおう」
この発言により賢治と美乃梨はお互い顔を見合わせて一旦の休戦状態に入ったものの、指名を受けた遥としては堪った物ではない。確かに自分自身の事ではあるのだが、賢治と美乃梨の余りの気迫にすっかり気圧されてしまい、関わらない方が良さそうだと他人事を決め込もうとしていた矢先の事だったのだ。しかしそんな遥の心境を他所に一同の視線は決定権を委ねられた遥へと一身に注がれた。
「えっとぉ…」
遥は困惑しながらも、こうなっては自分が何とかするしか無いと腹を括って、自分の身の安全を任せるのに最も相応しいのは誰かと友人達の顔を順に見回してゆく。女の子である真梨香と美乃梨にはあまり危険な事を負わせたくないので除外するとして、そうすると元同級生の四人だがしかし、そもそもの問題としてプライバシーという観点から鑑みれば、それが例え親友の賢治であっても自分を監視できる権利等という物は到底渡したくはない。
「う、うーん…」
結局誰も選べない遥がどうすればいいのかと決めあぐねていると、キッチンでの洗い物を終えた辰巳が悠然とした足取りでリビングへと戻って来た。
「『おにいちゃん』という選択肢も有るぞ?」
そんな若干ふざけた物言いでありながらも、辰巳の「肉親」という立場が強力かつ確実である事はこの場にいる誰の眼にも明らかな所である。賢治と美乃梨も実兄である辰巳ならばと納得して、このまま状況は一気に打開へ向かうかと思われたがしかし、一件強力無比思えた辰巳には重大な欠陥が存在していた。
「辰兄はスマホ持ってないよね…」
辰巳は未だに旧式の携帯電話、いわゆるガラケーを愛用している為に、遥の防犯ブザーと連携を取る術を持ち合わせていないのだ。
「そういやそうだったわ!」
遥のもっともな指摘を受けた辰巳が愉快そうに笑うと、辰巳恐れるに足らずと察知した賢治と美乃梨がやはり遥を見守るのは自分以外に有り得ないと、再び激しい睨み合いを再開させた。
「お前は単にハルをストーキングしたいだけだろ?」
駄々漏れな欲望などお見通しだと賢治が牽制すれば、対する美乃梨も負けじと冷ややかな視線を賢治に浴びせかける。
「そう言う賢治さんはどうなんですか? いくら親友って言っても…ねぇ?」
二人はお互い一歩も引かず、賢治と美乃梨の激しい睨み合いは結局いつ終わるとも知れない完全な泥沼状態に突入したが、そんな二人をゆっくり交互に見やった辰巳が小さく溜息をついた。
「お前らはアホなのか…?」
心底呆れた様子の辰巳は賢治と美乃梨に憐れむ様な視線を送ってから肩をすくめて見せる。
「遥のケータイに連携させてお前らは通知だけ受け取れればよくないか?」
何も常時遥の居場所を把握している必要はなく、緊急時にさえその居場所が分かれば問題ないと言う辰巳の示した実に単純明快な解決策を前に賢治と美乃梨ははっと我に返った。
「多少確度は落ちますが、それが一番無難でしょうね」
眼鏡を光らせニンマリとした笑みを浮かべる亮介は、どうやらその選択肢に初めから気が付きながらも場を煽って面白がっていた様である。遥の保護者になりたいという思いが先行していた賢治は、完全にその線を見落としていたがしかし、言われてみれば確かにそれで必要充分であると認めざるを得ない。
「それが…良さそう…だな」
賢治が嘆息と共に美乃梨への視線を解除すると、対する美乃梨も賢治に向けていた敵愾心を沈下させて若干残念そうではある物の素直に辰巳の提案を受け入れた。
「あたしもそれなら良い…かな」
遥を見守る権利自体にはかなりの未練があるものの、遥本人がそれを所持すると言うのであれば、流石の美乃梨も引き下がらない訳には行かない。
こうして遥のプライバシーが守られつつも、GPS付き防犯ブザーは緊急時に友人達全員へ通知を送信するという形でその機能と役割を無事果たせる事となり、ここに第一次遥見守り権争奪戦はめでたく終局を迎えたのだった。
賢治と美乃梨の睨み合いが終わり、リビングに充満していた意味不明な緊迫感も消え去った事で遥がほっと胸を撫で下ろしていると、「そう言えば」と辰巳がふと何かを思い出した様にキッチンの方へと消え、それから程なくして何やら大きな黒い箱を持って戻って来る。
「誕生日プレゼントじゃねぇが、これ届いてたぞ」
辰巳の手によってリビングテーブルの上に据えられたその黒い箱は大きさの割には厚みが無く、天面に金の箔押しでロゴの様な物が刻印されているだけの簡素な物だった。
「あー…今日届いたんだぁ…」
箱の中身が何であるのかを把握した遥は、何も今この場で持ち出してこなくても良いのにと、この後の流れを想像して少々引きつった笑みを見せる。
「この箱久々に見るな」
美乃梨との壮絶な睨み合い等無かったかのような落ち着いた様子の賢治は、それに見覚えがある様で箱の刻印部分を指先でなぞって懐かしむ様な面持ちだ。
「中身は果たしてどうかな?」
亮介が意味深な事を言って不敵な笑みを覗かせると、出来ればその事に触れて欲しくなかった遥が一層笑みをひきつらせる。
「遥ちゃん、コレってアレだよね? ね?」
期待に満ちた瞳を煌めかせる美乃梨に迫られた遥は、箱と美乃梨から目を逸らし「どうかなぁ?」と白を切って見せたものの、美乃梨は問い掛けながらも箱の中身を確信している様で何の誤魔化しにもなっていない。
「これ何なのぉ?」
どうやらその箱を初めて目にするらしい真梨香がゆるい口調で無邪気に疑問を呈すると、遥は掘り下げるのはやめてくれと内心で悲鳴を上げる。
「えっとぉ…」
自らの口でその中身を明らかにすることを躊躇った遥が言い淀んでいると、それに代わって光彦が抑揚の無い低い声でボソリとその正体を明らかにしてしまった。
「高校の制服だな」
そう、その箱の中身は光彦の言葉通り、遥がこの四月から着て行く事になる高校の制服で間違いが無い。そして当然女子高生として通学する事になる遥の為にあつらえられたそれはスカートタイプの女子制服だ。
「って事はだ…」
他の友人達同様既に中身を察していた淳也が悪い笑顔を浮かべると、遥は背筋に冷たい汗が流れるのを感じこの世に慈悲は無いのかと絶望的な気分になる。
「お披露目タイム行ってみよう!」
持ち前のノリの良さで淳也がこぶしを突き上げそう提言すると遥以外の一同が景気よく「おー!」とそれに同調姿勢を見せたため、箱が登場した時点で予想していた通りの流れになった事に遥はがっくりと肩を落として深いため息を付く。遥は友人達の期待の眼差しを前に、女子高生としての制服姿をこの場で披露する事を余儀なくされてしまった。
「おまたせー…」
女子高生スタイルになった遥がリビングの扉を開けその姿を露にすると、「おぉ」という感嘆の声と共に一同が一斉に視線を注いでくる。遥の通う高校の制服は上下紺のブレザータイプで中は白のシャツにネクタイという至ってオーソドックスな物で、特別可愛いデザインという訳でも無かったが、そんな堅実な作りの制服も遥が着れば実に可憐な装いと化していた。
「えっと…、どう…かな?」
慣れない女子制服姿と、友人達の視線が一身に集まった事で遥は赤い顔で少々俯き加減になってモジモジとしてしまう。
「遥くんかわいいねぇ」
それが制服姿についてなのか、はたまた恥ずかしがっているその態度についてなのかは今一判別できないが、真梨香はゆるゆるとした笑顔で遥の事を絶賛した。
「やっぱJKっていいなぁ。もうちょいスカートが短いとモアベターだけど…」
制服姿を舐めまわす様に観察する淳也はまるでスケベな中年オヤジの様で、遥は思わずドン引きである。
「淳也…オッサンみたいだよ…」
高校生活を経て青年になった淳也が女子高生というカテゴリに、一種の劣情を抱くのはそれなりに健全な事ではあったのだが、高校生の入口で時間が止まっている遥にしてみれば全くもって理解できない価値観だ。
「なんだよ、褒めたつもりだったんだけどなぁ」
遥の非難する様な冷たい眼差しを受けた淳也は不服そうに口を尖らせると「なぁ?」と横に居た光彦に同意を求めた。
「…ちゃんと女子高生に見える」
同意を求められた光彦が低い声でそう答えると、淳也は光彦の肩を叩きながら明るい笑顔でしきりに頷きを見せる。
「そうそう! それが言いたかった!」
調子のいい淳也の態度に遥は一層冷たい視線を浴びせたが、それはそれとして、女子制服を纏った自分がちゃんと女子高生に見えるという意見については正直ほっとして嬉しくもあった。
「まぁ、俺達は三年間その制服を見ていた訳だから、格好だけで自然と女子高生であると認識してしまう節は有るがな」
眼鏡をクイッと押し上げた亮介が制服を纏った遥が女子高生に見えるのは一種の刷り込みによる錯覚であると指摘すると、遥はほっとしたのも束の間、俄かに不安になって次なる意見を求めるべく賢治の方へと向き直る。
「賢治はどう思う?」
遥から意見を求められた賢治は、心ここにあらずと言った感じで、どことなく遠い目をしながら実に複雑そうな面持ちをのぞかせていた。
「ハルが女子高生…か…」
そんな否定とも肯定とも取れない呟きに、それまで遥に向いていた一同の視線が今度は一斉に賢治の方へと注がれる。そこに居合わせた遥を含める誰しもが、親友である賢治こそ一番の理解を示す物と思っていたので賢治のこの反応は正直予想外だったのだ。
「ボク…やっぱり変かな…」
賢治が見せた微妙な反応を前に、遥はしょんぼりと肩を落として、やはり元男で現幼女の自分が女子高生なんて無理があるのかもしれないと不安を増大させてしまう。
「あー…いや、そういうんじゃないんだ…」
遥が落ち込んでしまったので賢治は慌てて弁解すると、少々バツが悪そうに苦笑しながら席から立ち上がり遥の元に歩み寄って、その少し癖のあるふわふわとした髪を無造作にかき乱した。
「ハルが俺の知らない所で女子高生やるんだと思ったら、ちょっとな…」
どこか寂し気な面持ちでそう言った賢治を前に遥はハタと気付く。
「そっか…そう…だよね…」
これまで遥と賢治の学生生活には、お互いの存在が当たり前でありまた必要不可欠な物でもあった。しかし賢治はもう既に大学生で、四月から一緒に高校へ通う事は出来ない。その上賢治は遥に先立って遥の存在しなかった高校生活を経験しているのだ。
これから先の自分の高校生活、そして自分の居なかった賢治の高校生活、それらに思いを馳せて遥は一層しょんぼりと肩を落とす。
「ハル…」
切なく顔を伏せる遥を前に、賢治は今一度その大きな手で遥の髪を乱すと、自身の複雑な心境を振り払う様に一つ大きく息を吐いた。
「高校には一緒に行ってやれないが…」
賢治はそう言って、自分のポケットからスマホを取り出しうつむき加減になっている遥の視界に入る様それをかざして見せる。
「あっ…」
それを目にした遥がはっとなり顔を上げると、賢治は穏やかないつも通りの落ち着いた笑顔を見せて自分胸元を親指で指し示した。
「いつも一緒だ」
その言葉と、賢治のスマホにぶら下がる柄にもない可愛らしいマスコット付きの携帯ストラップを前に、遥はその表情をパッと明るくする。
「賢治それ、ちゃんと付けてくれてたんだ」
遥は着替えた際、ブレザーのポケットに収めた自分のスマホを取り出すと、そこにぶら下がる賢治の物と揃いのマスコットが付いた携帯ストラップを愛おしそうにキュッと握りしめた。
「ハルとお揃いだからな」
賢治が穏やかな笑みでストラップのマスコットを指先で軽く弾くと、遥は胸の内がじんわりと暖かくなるのを感じとって、少しはにかんだ様に頬を赤らめる。
傍には居られなくとも心は常に寄り添っている、そんな想いを通じ合わせた二人がその気持ちを確かめ合う様にしてしばし見つめ合っていると、それまでその様子を黙って見守っていた淳也が申し訳なさそうにおずおずと口を開いた。
「二人の世界に浸ってる所悪いんだけどよぉ…」
淳也は若干青ざめた顔でそう言いながら二人の後方、リビングの入口辺りを指さす。淳也に促されるまま、遥と賢治がゆっくりそちらへ視線を送ると、そこには今にも怒髪天を突かんばかりの美乃梨が目を三角にした仁王の様な形相で立ち尽くしていた。




