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2-22.願い事

 リビングに腰を落ち着けた遥が再会を果たした友人達と親交を深めたり揶揄われたりしていると、辰巳の焼いたバースデーケーキのデコレーションを手伝っていた真梨香と美乃梨がキッチンより戻って来た。

「お、ケーキ出来たの?」

 甘い物好きの淳也が瞳を輝かせて問い掛けると、美乃梨も瞳を輝かせ「バッチリ!」と満面の笑みでブイサインを見せる。

「可愛くできたよぉ」

 真梨香もその出来栄えに自信があるらしく、美乃梨に倣ってブイサインを作りゆるゆるとした笑顔で少し誇らしげだ。

「ほれ子供たち、ケーキが通るぞー」

 そう言いながらケーキを持ってキッチンの奥から姿を現した辰巳は、ピンク地に大柄な水玉模様があしらわれた随分と乙女チックなエプロン姿である。例によってエプロンは本来響子の物だろう。遥はまた随分と奇怪な出で立ちだと兄の姿に苦笑したが、他の面々はそのミスマッチも過ぎるスタイルを気に留めた様子もなく、それよりも手にしているケーキのほうに興味津々だ。

「ほれ、お待ちどう」

 皆の注目の視線を浴びながら悠然とその前を通り過ぎた辰巳がリビングの一番奥に座っていた遥の目の前に出来立てのバースデーケーキを置くと、全貌を目にした一同から一斉に「おぉ」という感嘆の声が上がる。辰巳と東中ペアーズによるバースデーケーキはストロベリーショートを基本としながら、ハートのスプリンクルと銀に輝くアラザンで華やかに飾り付けられた実に可愛らしい、女子力の高そうな逸品に仕上がっていた。

「うわー、すごいねぇ」

 遥が目を丸くして驚きの声を上げると辰巳は自信に満ちた笑顔を見せ、真梨香と美乃梨はお互いの両手を合わせて「やったー」と嬉しそうに笑う。

「さて遥…」

 ケーキを置いた辰巳はエプロンのポケットから小さな四角いビニールの包みを取り出し、意味ありげな笑みを浮かべその包みをつまんで遥の前に掲げて見せた。

「蝋燭は何本立てる?」

 辰巳のその問い掛けは、遥にとっては少々難解な問題である。実年齢で言えばこの誕生日で十九歳になるがしかし、その内の三年間は全くの空白で歳を経て来た実感や経験はまるでない。遥の心は未だ十五歳だった頃のままで、そして身体の方は十歳前後の幼女。四月からはまた高校生を一からやり直し、十五年間を共に過ごして来た賢治や同級生だった友人達には随分後れを取ってしまっている。

「蝋燭は…」

 遥は今までの事、そしてこれからの事、それらに思いを馳せ今の自分と向かい合う。心の中には自分が生きて来た十五年間を象徴する男子高校生だった頃の自分がいて、それと同時に女子高生になると覚悟を決めた女の子としての自分が同居している。遥は自分の胸に手を当て自身の想いを確かめるとすっと人差し指を立てて辰巳の問い掛けに答えを出した。

「一本…かな」

 穏やかな笑みで答えを導き出した遥に、辰巳は満足そうに「よし」と頷き掲げていた包みの中から蝋燭を一本だけ取り出しそれをケーキの中央にと据える。

「女の子としてのボクは…一年目だから…」

 遥が選んだ蝋燭の数は、これまで生きて来た十五年間全てを抱えた上で、今の自分を一から始めて行こうという決意の表れだ。皆もそれを認め、一本だけの蝋燭とこれから新しい身体で生きていく遥の事を暖かい眼差しで見守っていた。

 辰巳が蝋燭に火を付けると真梨香と美乃梨がパタパタと窓際まで行ってリビングの遮光カーテンを閉じ、薄暗くなった室内で暖かなオレンジ色の光がゆらゆらと揺れる。バースデーケーキは散りばめられたアラザンが蝋燭の光を反射して、まるで宝石のように美しく煌めいた。

「遥ちゃん、ローソクを消す時はお願い事するんだよ!」

 蝋燭の炎と煌めくバースデーケーキを瞳に収め、いつも以上にキラキラとした眼差しの美乃梨が朗らかな笑顔でそんな事を言ってくる。

「遥くんは何をお願いするの?」

 真梨香がゆるい調子で尋ねてくると、遥は少し困りながら口元に人差し指の背を当て、自分の願いとは何だろうかと考えを巡らせたが、今こうして友人達に囲まれているその事が既に十分に幸せで、それ以上願う事何てそうそう思いつきはしなかった。

「遥は昔からあんまり欲が無いからなぁ」

 願い事と言われ戸惑っている遥の様子を認めた淳也が肩をすくめて見せる。

「どうせ『もう十分幸せ』とか思っているだろうな」

 眼鏡を中指で押し上げた亮介がニヒルに笑うと、その横で光彦がそれに同調する様に頷いた。友人達にすっかり考えを見抜かれてしまった遥は気恥ずかしさに少し顔が赤くなってしまったが、幸い暖色の強い蝋燭の光でその事は周囲にはバレていないだろう。

「ハル、何だって良いんだぞ」

 横にいた賢治がポンと肩を叩き落ち着いた笑顔を見せると、遥は少し気を楽にしてほんのささやかな願い事を胸の内で一つだけ見出した。

「それじゃあ…」

 遥はわずかに微笑み一度友人達に視線を送ってから揺らめく蝋燭の炎へと向き直る。友人達に見守られる中、遥は今し方決めた願い事を胸に留め、一度大きく息を吸い込むと一瞬溜めを作って蝋燭の炎に勢いよく息を吹きかけた。

「フーッ」

 遥の吐息と共にオレンジ色の明かりが大きく揺らめくと、バースデーケーキは一層キラキラと輝いてみせる。そして程なく遥の息が切れるのと同時に蝋燭の炎もふっとその姿をくらませた。

 無事に蝋燭の炎が消えたのを見届けた賢治が「おめでとう」と言って手を叩けば、それを切っ掛けに他の友人達も祝福の言葉と共に拍手を送りそれが合奏の様に重なり合う。

「ありがとう!」

 友人達からの祝福を一身に受け笑顔でそれに応えた遥は、本当に今日はなんて幸せな日だろうかと今この時間を何より得難い物だとその胸に刻み、改めて先程願ったささやかな願い事を胸中で繰り返す。『この幸せな気持ちが皆に伝わりますように』と。

 やがて拍手の合奏が落ち着くと、真梨香と美乃梨がまたパタパタと窓際まで行って遮光カーテンをさっと開け室内に陽の光を取り入れる。暗闇に眼が慣れてきていた遥は眩しさに一瞬目を細めたが、あふれる様な光の中で友人達の笑顔を見つけると、願った事はもう既に叶ってしまっているかもしれないと満たされた気持ちになった。

「ねぇねぇ、遥ちゃん何をお願いしたの?」

 カーテンを開け戻って来た美乃梨が朗らかな笑顔で詰め寄ると、遥は口元に人差し指を当てて少し悪戯っぽく笑って見せる。

「内緒だよ」

 答えをはぐらかした遥は、美乃梨から更なる追及を受けるかもしれないと少し身構えたが、当の美乃梨はそれ以上何も聞いてこず代わりに眼を見開いて何やら驚きの表情だ。

「かっ…」

 美乃梨の口からその一語が漏れると、これは不味いヤツだと遥は察知してさらに身構えいつでも動き出せるようにと臨戦態勢を取る。

「可愛いぃぃぃ!」

 遥の予想通り美乃梨は遥を可愛がりたい気持ちを迸らせ、その気持ちの奔流のまま熱烈な抱擁を仕掛けて来るがしかし、遥が躱すよりも早く賢治の腕がそれを遮った。

「ぐぬぬっ! 賢治さん邪魔しないでください!」

 悔しそうに唸った美乃梨が目を三角にして抗議の声を上げると、賢治は口角を吊り上げた笑みで美乃梨を挑発する。

「賢治さんのお邪魔むしぃ!」

 挑発された美乃梨がパッと席を立って詰め寄っていくと、賢治も立ち上がり一層挑発的な笑みでそれを迎え撃つ。そんな二人の様子に、またいつものやつが始まったと遥は一人苦笑する。

「さて、俺はケーキ切って来るかな」

 美乃梨と賢治の攻防戦を尻目に、辰巳が蝋燭の消えたバースデーケーキを手に取ると、真梨香が「手伝いまーす」とゆるい口調でそれに同調した。

「あぁ…けーきぃ…」

 恐らく今いる面子の中で最もケーキ対する期待感が高いであろう淳也は、辰巳達と共にキッチンの奥へと消えてゆくケーキを目で追って実に口惜し気だ。

「直ぐに食べられるよぉ」

 淳也の余りに残念そうだった表情に遥が小さく声を立てて笑うと、当の淳也は不意に真面目な面持ちになってじっと遥の事を見つめてきた。

「ん…どうしたの?」

 その改まった表情と眼差しに遥が小首を傾げていると、淳也は突然自分のスマホを取り出し慣れた手つきで素早くそれを操作しはじめる。遥がきょとんとしている間に、淳也の手にしていたスマホが遥の眼前に掲げられ、カシャッと疑似的なシャッター音立てた。

「へ?」

 不意に撮影された遥は意味が分からず呆然としてしまったが、淳也はスマホの画面と目の前の遥を交互に見やって引き続き真面目な面持ちだ。

「いやぁ…これは手が付けられない美少女ぶりだぞ…」

 スマホの画面を亮介と光彦に見せながら、淳也が妙に感心した様子でそんな事を言うと、光彦が無言でそれに頷き肯定の意志を見せる。

「うむ、どこに出しても恥ずかしくないな」

 淳也の撮影した遥の写真を確認した亮介も眼鏡をクイッと押し上げ同意を示す。それから友人達三人は改めて遥をまじまじと見やってから妙に納得した様子で一様に深く頷いた。

「えっ? ちょっ、三人とも何急に?」

 三人から改めてその姿を観察され評価された遥は堪らず頬を赤らめもじもじとしてしまう。初めからこの姿で知り合った相手ならいざ知らず、友人達三人は平凡の代表格であったころの自分を知っているので何とも言えない気恥ずかしさがあった。

「俺…、ロリに目覚めそうだわ…」

 淳也がゴクリとつばを飲み込み、神妙な面持ちと若干熱を帯びた視線でそんな事を言い出したので、遥はぎょっとして視線を遮る様に顔の前で腕を交差し身を縮こまらせる。

「遥、それは逆効果だと思うのだが」

 その可愛らしい仕草に亮介が冷静な突っ込みを入れると、遥は慌てて姿勢を正し少しキツイ視線で淳也を睨みつけたがあまり効果は無く、むしろそんな表情すら格別な愛らしさだった様である。

「遥マジやばくね?」

 淳也が遥を指さしながら亮介と光彦に同意を求めると、光彦がそれに頷き謎のサムズアップと共に微かに口元を緩め滅多に見せない笑みを覗かせた。

「うむ、光彦の笑顔がそれを証明しているな」

 亮介が光彦のレアな表情を引き合いに出して淳也を肯定すると遥はもうこれは何をしても逆効果だと悟って小さく溜息をつく。

「三人共面白がってるでしょ…?」

 遥が三人にジト目を向けると淳也と亮介はやはり面白半分だったようで、遥の微妙な反応にわざとらしく声を立てて笑う。光彦だけは相変わらず謎のサムズアップを見せたていたが、遥はそれに関しては見なかった事にして、ともかく愉快な友人達だと再度小さく溜息をついた。

「いやぁ、それにしても…」

 亮介と共にわざとらしく笑って見せていた淳也が、それまでのふざけた表情を引っ込め不意におだやかな微笑みと共に遥の肩を一度軽くポンと叩く。

「遥が戻って来て本当に良かったよ」

 その言葉に亮介と光彦もまた同様に穏やかな表情になって賛同する。

「ああ、事故の話を聞いた時は本気で肝が冷えたぞ」

 亮介が眼鏡の奥でその涼やかな瞳を細め当時に思いを馳せる様に遠い目をすれば、光彦はその切れ長の瞳に優し気な色を湛えてまた薄っすらと笑みを覗かせた。

「心配したぞ」

 光彦の簡潔だが気持ちの籠った一言に、遥は事故当日からつい最近までLIFEに絶え間なく送り続けられていた友人達からのメッセージを思い起こす。

「今までごめんね…」

 この三年間と、そして目覚めてから連絡を取るまでの二ヶ月余り、その間に友人達が抱いていた想いを鑑みると遥は少なからず申し訳ない気持ちだった。そんな気持ちから少し俯き加減になっているとまた淳也にポンと肩を叩かれ、それに促された遥が顔を上げると、淳也は満面の笑みで、光彦も引き続き微笑み、そして亮介は若干シニカルに笑って眼鏡をクイッと押し上げる。

「遥、そうじゃないだろう」

 亮介の指摘を受けた遥ははっとなり、こんな時いうべき言葉は、と思考を巡らせようとしたがふと胸の内に存在する暖かな気持ちを認め、頭で考えるのはやめようと無用な思考を放棄した。

 遥は考える代わりに気持ちをしっかりと抱いて、胸の内にあった暖かさが心の隅々まで広がっていくのを感じ取ると、それをそのまま言葉に代えて紡ぎ出す。

「皆とまた会えて、ボクも嬉しい!」

 柔らかな笑顔と共に遥が気持ちを伝えると、友人達は遥の胸の内で広がっている暖かさその物の様な穏やかな笑みでもってそれに応えてくれた。

「本当に…ボク…今日は凄く幸せだよ…!」

 友人達の笑顔を前に、遥は改めてさっきの願い事はもう本当に叶ってしまったとのだと、お互いの気持ちが重なり合う確かな実感を得る。

「ケーキ切ったぞー」

 更に幸せを積み上げる様に、辰巳と真梨香が人数分に切り分けたケーキと、淹れ立ての紅茶をトレーに乗せ戻って来たのはそんタイミングでの事だった。

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