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2-15.経験値

 健全な男故の想像力によって俄かに血行を促進させた賢治が辰巳に先立ち男湯から上がると、ロビーには既に真梨香と美乃梨、そして遥の姿が見られた。

 女の子は長湯をする生き物というイメージを持っていた賢治は当初意外に思ったが、ロビーの長椅子で横になっている遥の様子を目にして女の子達が自分よりも先にロビーにいた理由に察しが付いた。

「ハル、大丈夫か?」

 湯当たりしたのか赤い顔でぐったりとして女の子二人に扇がれているその様子を心配した賢治が声を掛けると、対する遥は酷く恨めしそうな表情を見せる。

「ボクも男湯が良かった…」

 その弱々しい呟きは遥がダウンしている原因は湯あたりのせいばかりではない事を雄弁に物語っている。

「遥ちゃん全然女の子に免疫無いよねぇ」

 そんな遥も可愛いと言わんばかりの良い笑顔でいる美乃梨は、ぐったりとしている遥とは対照的に妙に満足げで肌艶も入浴前より数段良い。

「遥くんは賢治くんと違って非モテだったから仕方ないんですよぉ」

 相変わらずゆるい雰囲気の真梨香は湯上りのせいか、その雰囲気をさらにゆるくさせているものの言葉には容赦がない。

 常にクロスレンジな距離感を見せる美乃梨と、幼少時からの付き合いでこちらもある意味距離の近い真梨香の二人が遥に遠慮や恥じらいなどしない事は賢治にも容易に想像できる処だ。こんな事ならば男湯に連れて行ってやればよかったかと賢治は一瞬後悔したが、遥に対する気持ちに気付いた今では殊更その選択肢は有り得ない。

「すまんハル、それに関してはやはり力になれん」

 いくら賢治が幼女に劣情を抱かない真人間だとしても、健全な男である以上愛しいと思っている相手と一糸まとわぬ状態で共にいたら流石に冷静でいられる自信が無かった。

「遥ちゃんは男の子の時、彼女とか居た事無かったの?」

 あまりにも初心だった女湯での反応に疑問を持ったのか美乃梨が遠慮のない質問を飛ばしてくると、遥は先ほど真梨香がした発言で察して欲しかったと小さく溜息をつく。

「彼女とか何それ美味しいの…」

 非モテ男子の僻み意識丸出しで美乃梨の疑問に答える遥は、これまで彼女どころかクラスの女子にすら自分からはろくに話しかけられなかった過去を持っている。その性格は自身が女の子になってしまった現在でも継続中であり相変わらず女の子に対しては奥手で免疫がなく、多少の例外が有るとすれば幼い頃から良く知っている真梨香と、特殊な事情で知り合った美乃梨という今同行している二人くらいの物だろう。そう言う意味では辰巳の人選は正しかったのだがしかし、いくら例外的存在とは言え裸の付き合いともなれば最早関係が無い。脱衣所では一旦タオルを巻いてもらい何とか耐え凌いだものの、結局入浴時には露わになってしまった女の子達の裸体を前に遥は目を回してしまい、今こうしてぐったりとロビーの長椅子に寝かされているのだった。

「うぅ…」

 男であれば本来大興奮大歓喜であろうシチュエーションだった筈なのに、それをちっとも満喫できなかった非モテ系男子の卑屈で奥手な精神力に遥は自分でもうんざりとしてしまう。

「遥くん大丈夫だよぉ、マリも恋人居た事無いしー」

 慰めのつもりなのか真梨香はそんな事を言うが、遥は再会初日に聞かされた卒業式で五人の先輩に告白されたという話しを思い出して、自分とは大分事情が異なっているのではないだろうかと、少々惨めな気分になってしまった。

「そういえば真梨香ちゃんは男子から人気あるのに彼氏つくんないよねー」

 そんな美乃梨の言い様が、真梨香はその気になれば恋人の一人や二人簡単に作れる、かつての平凡だった遥とはまったく異なる別世界のリア充である事を裏付けている。

「マリは遥くんのお嫁さんになる予定だったからぁ、彼氏とかいいかなって思ってたんですよぉ」

 惨めな気分になって気落ちしている遥を他所に、美乃梨の質問にゆるゆると答える真梨香は一瞬だけ以前見せた様な口惜しそうな表情を垣間見せた。

「でも遥くん女の子になっちゃったからなぁ」

 少し寂しげにそう言った真梨香は直ぐに元通りのゆるい笑顔に戻って、乾かしたばかりで普段よりもふわふわ度を増している遥の髪を優しい手付きで撫でやった。

「マリ、妹欲しかったし女の子の遥くんも良いかなぁ」

 改めて遥が女の子になってしまった事実を受け止めた真梨香は嫁になる道を諦め、姉ポジションに収まる道を見出した様だ。

 遥は願いを叶えてあげられなかった事に若干の申し訳なさを覚えつつも、女の子としては大先輩である真梨香の妹ポジションも悪くない様な気がしないでも無かった。何かあれば真梨香はきっと女の子の身の上について親身になって相談に乗ってくれるだろう。

「あたしは遥ちゃんとは運命だから性別なんて気にしないよ!」

 お嫁さんという言葉に対抗意識を燃やしたのか美乃梨はドヤ顔で胸を張って相変わらずのブレのない姿勢を見せる。遥にとっては美乃梨もまた女の子の大先輩で比較的話しやすい相手ではあるがしかし、美乃梨に女の子の身体の事を相談するのは何やら憚られる様な気がしてならない。

「あー…」

 遥は先ほども美乃梨が女の子らしい下着を着用する様にと強硬策に出たばかりなのを思い出してその気だるい身体を一層ぐったりとさせた。

「ねぇねぇ、そういえばさー」

 遥がぐったりしていると、美乃梨がふと思い出したように人差し指を立ててチシャ猫の様なニンマリとした笑顔で口を開いたので、遥はそれにビクッと身震いして今度は一体何だと戦々恐々となる。しかしその笑顔は意外にも遥では無く賢治の方へと向けられていた。

「賢治さんは今まで何人女の子と付き合って来たんですー?」

 どうやら美乃梨はイケメンの賢治ならばその恋愛模様はさぞ多彩であろうと、そんな風に考えた様だ。突然話の鉢が回って来た賢治はおかしなガールズトークに巻き込まないで欲しいものだと深々と溜息をつく。

「俺はハルが戻って来るまで恋愛どころじゃなかったっつうの」

 賢治がうんざりとした様子で答えると、美乃梨は予想外に重たかったその返答に気まずさを覚えたのか、ちょっと困った笑顔で「そっかぁ」と曖昧な納得を示し少々しおらしくなってしまった。

 賢治としては別段美乃梨を責める気持ちがあった訳では無かったが、これでおかしなガールズトークからは離脱できるだろうと打算的に考えそのまま我関せずを決め込もうとする。しかしそんな賢治を逃さない意外な伏兵が直ぐ傍に潜んでいた。

「賢治、待たせちゃってごめんね」

 湯当たりで頬の赤い遥が上目遣いでそんな事を言ったので賢治は勘違いだと分かりつつも、その言葉を意味深に感じてしまう。

「だ、大丈夫だ、俺は待てるよ」

 一人勝手に動揺した賢治がついうっかり先程決意したばかりの想いを口走ってしまうと、遥は小首を傾げて小さく笑った。

「ボクもう戻って来たんだから、賢治の好きにしていいんだよ?」

 相変わらず赤い顔で上目遣いでいる遥のその言葉は賢治にとってますます意味深に捉えられる物だったが、流石にさっきの今で遥の受け入れ態勢が整っていると思う程には楽観的ではない。

「あー…、そう…だな、そうだよな」

 賢治は微妙な返答を返しながらも、遥が気持ちに応えてくれるその日が来るまでは親友という立場で傍に居られるだけで満足だと自身に言い聞かせ何とか心を落ち着かせた。

「そ、そういえば美乃梨はどうなんだよ?」

 積極的にガールズトークに参加するのは癪だったが、賢治は話を逸らそうとこの中でまだ一人だけその恋愛事情を明かしていない美乃梨に向かって話題を放り投げる。

「あたしは遥ちゃん一筋だよ!」

 話しを振られた美乃梨は別段慌てる様子もなく、先ほどまでのしおらしさの影もないいつものドヤ顔で臆面なく遥に対する好意を口にしてみせた。そんな美乃梨の様子に賢治は「美乃梨はライバル」だと以前辰巳が示唆した事を思い出して少々複雑な心境なってしまう。遥の精神が男として保たれている現状では賢治にかなり分が悪いと言わざるを得なかった。

「美乃梨、賢治はそう言う事を聞いてるんじゃないと思う…」

 熱烈な好意を示された当の遥は相変わらずのぐったりとした様子で、美乃梨が質問の意図をはき違えている事を冷静に指摘する。賢治の複雑な心境を他所に、遥はその凡庸で形にこだわる価値観から片や肉体だけとは言え女の子同士での恋愛という発想に全くピンと来ていないのだ。

「花房先輩は男の子にも女の子にも人気があったんだよー」

 趣旨とズレた回答をした美乃梨に代わって、後輩である真梨香が中学時代美乃梨を取り巻いていた恋愛事情を明らかにすると、遥と賢治は少々意外に思って「へぇ」と揃って感嘆の声を上げた。二人は暴走気味でいる美乃梨の印象が強いが、本来は人当たりの良い明るい性格もあって学年性別問わず中学校では広く好感を集める存在だったらしい。

「でもあたしだって彼氏とか居た事無いよ!」

 これについても美乃梨は何故かドヤ顔だ。本人曰く、愛されるよりも愛したいタイプなのだと言う。その結果が遠慮も恥じらいもないクロスレンジな距離感だとするのならば、遥にとっては全くもって有難迷惑な話である。

 遥達が期せずしてそんなガールズトークらしきものに興じていると、一人心行くまで温泉を満喫した辰巳が男湯の暖簾をくぐってようやくロビーに姿を現した。

「女の子達ももう上がってたかぁ」

 ロビーに自分以外の全員が揃っている事を意外そうにしながらゆったりとした足取りでやって来た辰巳は、遥が赤い顔をして長椅子に横たわっているのを見つけると愉快そうに笑う。

「遥にゃ女湯はまだ敷居が高すぎたかぁ?」

 そう思うのならば男湯に連れて行って欲しかったと、遥は顔をしかめて見せるが、当然辰巳はそんな事は気にも留めず殊更愉快そうに笑い飛ばす。

「まっ、四月から女子高生やるんだ、これくらいの経験値は積んでおかないとな」

 辰巳のその言い草に遥はやっと今になって、このあまりに突発的だった今回の企画の趣旨を理解し、当初疑問に思っていた真梨香と美乃梨という参加メンバーにも納得がいった。

「それで温泉だったんだ…」

 遥がややうんざりとした調子でその真意を確認すると辰巳は「そう言うこった」とそれを肯定し満足げに笑う。確かに今後の事を考えれば良い経験ではあったのかも知れないが、遥にしてみれば余りにも強烈に過ぎた為、兄の心遣いを素直に喜ぶ事ができなかった。

「女の子はスキンシップも多いし慣れとかないとね!」

 そう言って怪しい手つきを見せた美乃梨は欲望剥き出しにその相貌を怪しく光らせ息遣いも荒く、遥は思わず身の危険を感じてしまう。唯でさえ慣れない女湯で気力を使い果たしてしまっている今、美乃梨のスキンシップは是非とも遠慮したい事柄だ。

「賢治助けてー…」

 力の入らない今の身体では逃げ出すこともできないと、遥は賢治に救いを求めて手を伸ばす。助けを求められた賢治はどうすべきかと一瞬考えたが、ライバルと目される美乃梨に遥を良いようにされるのは、密かに思いを寄せる男心としては当然見過ごす訳にはいかなかった。

「よしっ」

 意を決した賢治は遥の伸ばして来た手には触れず、ぐったりと横たわるその背中と下半身に腕を滑り込ませ横抱きにして一気に持ち上げる。

「ひゃっ!?」

 単純に引っ張り上げて立たせてもらうつもりだった遥は、賢治の取った不意の行動に思わず小さく悲鳴を上げてしまった。

「お姫様だっこだぁ」

 賢治としてはただそれが一番遥を持ち上げやすい形だったというだけなのだが、確かに今の態勢は真梨香が口にした通り、俗にいうお姫様だっこと言うやつで相違ない。賢治は一瞬態勢を改めた方がいいだろうかと考え込んでしまったが、男心とは現金な物で、かつては遥の無警戒な距離感にあれだけ動揺していたにもかかわらず、遥を愛しく思っている自分を自覚した今、むしろこの態勢は願ったり叶ったりなのではないだろうかと、ふとそんな事を思って何やら俄然やる気になった。

 妙にやる気を見せる賢治の一方で、遥は小さく溜息をついて、やっぱり賢治は天然だと苦笑する。

「まぁ…いいか…」

 お姫様だっこというかなり恥ずかしい単語は遥を幾分もげんなりとさせたが、自分を抱く賢治の腕は何やらやけに力が入っているし、美乃梨から逃れる事を考えればこの上ない事は確かだ。ならばもういっそより安定した態勢をと開き直って遥は賢治の首に腕を回してしがみついた。

「あぁ! 賢治さんなにしてるんですか!」

 遥を抱きかかえ、また遥からしがみつかれる賢治を前にした美乃梨は当然の如くその行動を激しく非難する。

「もぉ! 賢治さんのロリコン!」

 嫉妬心に火のついた美乃梨は堪らず必殺の言葉を投げつけたものの、今や賢治は遥個人を好きなだけでロリコン等という特殊な性癖ではないと自覚しているため最早その言葉は何のダメージも及ぼさなかった。

「そういうお前はやっぱりノーマルなんかじゃなかったな?」

 余裕の笑みを浮かべる賢治は、先程性別など関係なく遥一筋だと言った美乃梨自身こそ特殊な性癖の持ち主だと突き付ける。

「遥ちゃんは例外なんです! 男の子でもあり女の子でもある、そう究極の存在!」

 賢治の予期せぬ余裕の反撃を受けた美乃梨は口を尖らせ、あくまで自分はノーマルだと言い張り、その主張を通すためのかなり大それた理論をぶち上げた。究極とまで祭り上げられた遥は、相当微妙な心境だったが今は突っ込む元気は無いので賢治の腕の中で傍観の構えである。

「あたしの遥ちゃん返してください!」

 美乃梨は俊敏な動きで迫って賢治から遥を引きはがそうと試みるが、賢治もまた運動能力には秀でた物が有る為容易には遥を渡さない。遥が羞恥心を圧してお姫様だっこに甘んじただけはある期待通りの働きぶりである。

「賢坊、丁度いいや、そのまま遥を車まで運んでやってくれや」

 三人のじゃれ合いにどこか微笑ましい視線を向けていた辰巳は、帰宅の意図を見せゆったりとした足取りで施設の出口へと向かって歩き出した。そんな辰巳の後にゆるい笑顔の真梨香が付き従う。

「帰りはマリが助手席に乗りますねぇ」

 行きは賢治が助手席で、後部座席には遥を挟んで真梨香と美乃梨という位置取りで乗り込んでいたのだが、帰りは賢治と美乃梨に遥任せた方が良さそうだと気を利かせた様だ。

「真梨香は温泉満喫できたか?」

 辰巳がそう問い掛けると真梨香はいつもと変わらぬゆるい笑顔でニコニコとする。

「遥くんと一緒にお風呂とかちっちゃい時以来で楽しかったですー」

 辰巳が真梨香を連れて来たのは遥を同世代の女の子に慣れさせる為だったが、それはそれとして本人が楽しんでくれた様ならば何よりだった。

「そりゃよかった。今後も遥の事頼んだぜ?」

 辰巳が満足げな笑みを向けると真梨香も引き続きのゆるい笑顔でそれに応える。

「りょうかいでーす」

 女の子になって自分をお嫁さんにしてくれないのだとしても、真梨香にとって遥は変わらず慕って行きたい存在である事には変わりがない。今では頼れるお兄ちゃんと可愛い妹が同時に出来た様な感覚で遥が戻って来た事に二倍の嬉しさを感じている様だった。

 先行する二人にやや遅れて、賢治と遥、それを追いかける美乃梨もやって来くる。一行が外に出ると三月の風はまだ少し冷たかったが、温泉に浸かってきた皆の身体はポカポカと暖かく、そして一部の者は胸にしたその想いにどこか心も熱を帯びていた。

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