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2-9.家族

 賢治と共にリビングへと降りた遥はテーブルを彩る料理の数々に思わず目を奪われた。

 軽く十品目を数える皿は和洋中入り乱れ統一感はないものの、どれもが一工夫こらされた凝った出来栄えで盛り付けも美しい。鶏のから揚げ一つとってもバジルと輪切りのプチトマトが一個一個に乗せらていて実に細かい仕事が窺える。しかしその出来栄えもさることながら、遥が何よりそそられるのはその全てが自分の好きな食べ物を基本としている事だ。

「これ、全部辰兄が作ったの?」

 遥は目をまん丸にして見事な料理と辰巳を交互に見やる。辰巳が小起用なのは知っていたが、料理をしている姿は見た事が無かった為、兄が本格的な料理を作れる事に驚きを隠せない。

「冷凍、レトルト一切なしだぞ。どうだ? 見直しただろ」

 感心しきりの遥に辰巳が胸を張って笑うと遥もうんうんと頷きその手腕を素直に賞賛する。素材の下ごしらえからから全て辰巳一人でやったようで、どうりで早い時間から準備にとりかかっていた訳だと納得する。

「すごいね賢治!」

 遥が横に立つ賢治に同意を求めると、辰巳の意外な才能を前に圧倒されていた賢治も我に返って「おぉ」と感嘆の声を漏らししきりに頷き返す。

 好物の品々を前にして遥のお腹がきゅぅっと小さく鳴った。

「急にお腹空いてきたぁ」

 賢治はお腹の音まで可愛らしい遥に苦笑したが、目の前の料理は期待感抜群で空腹をそそられるのも仕方のない事だろう。

「食べ甲斐ありそうだ…」

 普段よりも気力と体力を消耗していた賢治も釣られて食欲を掻き立てられる。辰巳の配膳を手伝っていた響子がそんな二人の様子を見て小さく笑った。

「お母さん辰巳がこんなにお料理上手だなんて知らなかった」

 響子は普段あまり凝った物を作らないので、辰巳の見事な料理の品々には正直負けた気分である。

「これからお料理は辰巳に任せようかしら」

 敗北感から響子がついそんな事を言うと辰巳は平然と笑って「任せとけ」と胸を張った。勤め人と主婦業を掛け持っている響子にとって辰巳のこの言葉は正に願ったり叶ったりだ。仕事で日中家にいられず、帰りが遅くなることも少なくはない為、高校が始まるまでの間は殆ど家にいる事になる遥の食事をどうするかと響子は頭を悩ませていた所だったのだ。インスタントやレトルトで済ませるのは育ち盛りの身体になった遥の今後を鑑みれば避けたいとこではあるし、かといって退院したばかりの遥に自炊を強いるのはかわいそうで、何より幼女以外の何者でもない遥をキッチンに立たせ包丁を持たせるのは母親の立場としては抵抗を感じざるを得ない。しかしそんな悩みも辰巳が引き受けてくれるとなれば一気に問題解決だ。

「それじゃあ、本当にお願いね?」

 響子が少々申し訳なさそうに改めて頼み込むと、辰巳は自分の胸を叩いて「おうよ」と快くそれを引き受ける。奏家のキッチンが今後も辰巳に任される事が決まり、今晩の配膳も大凡終えた辺りで父の正孝がリビングに姿を現した。

「やぁ、お待たせ」

 仕事から帰ったばかりだった正孝はスーツから普段着へと着替える為に自室に行っていた様で、今は白のシャツにチェックのベスト、それにベージュ色のスラックスという如何にも紳士の普段着といった装いだ。

「あぁ、これは見事だね」

 リビングにやってきた正孝も食卓を賑わす品々を認めると感嘆を顕にする。

「これ辰兄が全部作ったんだって!」

 遥が兄の仕事ぶりを正孝に報告すると「それは凄いな」と正孝は辰巳を見やった。

「辰巳、料理なんていつ覚えたんだ?」

 皆に絶賛されご満悦な辰巳は嬉しそうに笑って父の素朴な疑問に答える。

「俺、大学でお料理サークル入ってたからな。そこで覚えたんだよ」

 誇らしげな辰巳の意外すぎる回答に一同は一瞬動きを止めた。

「お料理…サークル…かぁ…」

 遥は思わず辰巳が可愛いエプロン姿で姦しい女子大生に紛れ和やかに料理をしている情景を思い浮かべてしまう。かなり違和感のある絵面に遥が乾いた笑いを浮かべると、両親も賢治もその反応は似たようなものだ。現在の屈強な外見を有する辰巳と「お料理サークル」という家庭的で女子力の高そうな集まりは満場一致で「似合わない」という見解だった。しかし辰巳はそんな一同の微妙な反応を見て愉快そうに笑う。本人もそのミスマッチ感を一種のネタにしているのかもしれない。

「ま、そんな事は置いといて、取りあえず皆座んな」

 ひとしきり笑った辰巳は満足げな表情でリビングに揃った顔を一瞥して、そこに全員が揃っている事を認めると一同に着席を促した。

 辰巳に促され正孝がリビングの上座に着くと響子はその隣、その対面には遥と賢治が座る。辰巳はそんな二組の間、キッチンに近い側の位置に腰を下ろす。奏家はダイニングテーブルを用いず、リビングに着座してテーブルを囲み食事を摂るスタイルだ。

「おっと…」

 一旦腰を下ろした辰巳は再び立ち上がって冷蔵庫の方へと向かって行く。遥が何だろうかと思っていると冷蔵庫を開けた辰巳が「遥はオレンジだな?」と振り返らず声を掛けて来たので、飲み物の用意がまだ為されていなかったのだと遥も気が付いた。

「賢治は?」

 遥が問い掛けると隣に座る賢治は落ち着いた笑顔で「同じ物でいい」と頷きを見せる。

「辰兄、賢治もオレンジジュースで!」

 遥は元気よく兄に希望を告げると小さく笑みをこぼす。奏家の冷蔵庫には健康志向である響子の意向で常時無添加のオレンジジュースがストックされており、遥と賢治にとっては二人で揃ってそれを飲むのもまた一つの日常だ。

 辰巳が飲み物を用意している間、響子と正孝は正面に座る三年ぶりの帰宅を果たした我が子の姿に深い感慨を覚え、何も言わず穏やかな眼差しで遥を見守っていた。

 響子は可愛い女の子の姿でいる我が子を愛しく思い、これからどうやって甘やかしていこうかとそんな事を考え、正孝は娘になった息子の心境を慮って、自分は何を与えてやれるだろうかと思索する。胸の内はそれぞれだったが、二人は共通して遥がこの場にいる事を心より嬉しく思っていた。

 そんな両親の視線を受け心に暖かな物を感じた遥だったが、不意に言い様のない不安に駆られ目の前を黒い影が覆うような錯覚を覚える。

「…!」

 突然襲われた不安に遥が困惑していると、不安の象徴たる黒い影は徐々に人の形を成し、両親の暖かな視線を遮る様に立ち塞がって真っ暗な顔で遥の心を覗き込んできた。

『お前は誰だ…』

 影が遥の心にそう問い掛ける。遥は虚無の様な視線に射抜かれ竦んでしまう。問い掛けに答える事も出来ず遥が茫然としていると、影は闇を滲ませ、やがて十五歳の男子だった頃の自分へと変貌を遂げた。それは遥が不快感のある自室で直面し、賢治が駆逐してくれたはずの過去の幻影に他ならない。一度心に巣くった恐怖は、未だその心の奥底に根付いたままだった。

 過去の姿で覗き込む影は、両親の暖かい眼差しも、兄の心尽くしも、それを受けるべきはお前ではない。まるでそう言っている様だった。恐怖の象徴を前に強迫観念に苛まれた遥は俄かに呼吸が荒くなる。

「ハル…?」

 隣に座っていた賢治が遥の異変に気付き声を掛けると、遥はすがる思いで賢治の袖をぎゅっと掴んだ。賢治は遥の様子からすぐさまその心理状態がどの様な物かに気付いたが、両親を目の前にして、遥の部屋でそうしたのと同様の行動で落ち着かせてやる事には理性が邪魔をして躊躇する。しかし遥が苦しんでいる以上自分にできる最も効果的な対応はそれしか思い浮かばない。賢治がどうすべきかと逡巡していると、正面に座っていた正孝が僅かに身を乗り出し、荒い呼吸に上下する遥の肩にそっと触れた。

「遥、大丈夫だよ」

 正孝の穏やかなよく通る声と、幼少期の記憶と違わぬ節くれだった手の感触が遥を現実へと引き戻す。大丈夫だと言った父の言葉は確かに自分に向けられていた。

 そんな父親の存在感にかき消されるようにして目の前の黒い影が形を保てなくなり散っていくと、遥の開けた視界の先には穏やかな笑みを湛えた父の顔がある。

「おとう…さん…」

 絞り出す様だった遥の声に正孝は静かに頷くと肩から手を放し元の位置に座り直す。遥がそれを目で追えば、正孝の隣では響子が万感の思いを抱いた優しい眼差しで見守っていた。

 両親の姿を確認した遥が隣に目をやると、そこでは心配そうな眼差しで賢治が寄り添ってくれている。心の中で影はまだ霧の様に渦巻いていたが、遥は自分を見守る両親の眼差しと親友の存在に支えられ、一度大きく息を吸うと竦んでいた心は幾分か和らぎ呼吸も緩やかになった。

「遥、何も心配するな。俺たちは家族だ」

 缶ビール三本とオレンジジュースのパックを両手に持って戻って来た辰巳がいつも通りの平然とした口調ではっきりとそう告げると、遥は「家族」と言った辰巳の言葉を胸中で繰り返し、父と母、そして兄を順に見回して自分の胸に手を当てる。

 父も、母も、兄も、確かに自分を家族だと認めてくれている。横に座る賢治も親友としてずっと傍で支えると言ってくれた。遥は思いを馳せる。彼らの想いが有るのは、今までの十五年間、自分が奏遥として生きて来た証に他ならない。

 確かな物を胸にした遥は意を決して自分の心と正面から向かい合う。ゆっくりと瞳を閉じると霧の様になっていた影が再び集まって、十五歳の男子だった頃の自分を形作りまた問い掛けて来くる。

『お前は誰だ…』

 遥はその言葉を胸中で反芻すると確信を持つ。その問い掛けは拒絶等ではない。むしろ受け入れがたかったのは、今の自分の方だったのだと自身の心を見つめ直す。答えはずっとそこにあった筈なのに、目の前の光景に竦んで気付かずにいた。でも今は違う。家族が、親友が傍にいて見守ってくれている。遥は目を逸らさず真っすぐと影に向かい合う。恐れる必要はないのだと心を落ち着かせ、過去の自分に向って小さくなった手を差し伸べる。

『ボクはキミだ…』

 遥が心の中でそう応えると過去の自分も遥に向ってゆっくりと手を伸ばす。遥が迷いなくその手に触れると、今まで黒い影の様だったそれはおびただしい光の粒子となって、そのまま遥の心に吸い込まれていった。

 遥は自分の胸の内を確かめる。姿が変わっても、ボクはボクだ。過去の自分は恐れるべき対象なんかじゃない。過去の自分があって今の自分が有る。家族や、親友の存在がそれに気付かせてくれた。あの問い掛けは拒絶等ではなかった。きっと、今の自分を受け入れようと必死になって置き去りにしていた過去が助けを求めていたのだ。光となって取り込まれていった影に遥はそう感じていた。

 今では心の中で共にある過去の自分を認め遥はゆっくりと瞼を開ける。瞳に差し込んだ光の中で「おかえり」とそう言われているような気がした。

「ただいま…」

 呟く様だった遥のその一言に正孝は何も言わず頷き、辰巳は満足そうな笑顔で応え、賢治は穏やかになった遥の表情に胸を撫で下ろす。

「遥、おかえりなさい」

 そう言って笑った響子の目には小さく涙が光っていた。遥が改めて家族と親友の顔を順に見渡すと皆一様に優しく穏やかに微笑んでいる。遥も落ち着いた心で笑顔を返すと、それを見た辰巳が自身の膝を叩いてしっとりとしていた場の空気を改めた。

「よっしゃ、始めよう!」

 辰巳は持ってきた缶ビールの内二本を正孝と響子にそれぞれ渡し、遥と賢治のグラスにはオレンジジュースを注ぐ。それから手元に残っていた缶ビールの蓋を開け、それに続いて正孝と響子がそれぞれの缶を開けたのを認めると辰巳は自分の缶ビールを掲げ音頭を取る。

「そんじゃま、乾杯!」

 そんな辰巳のアバウトな合図の元、心身共に三年ぶりに帰宅を果たした遥を祝う宴の席が始まった。

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