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5-46.一番の我儘

 遥の為。その言葉を信じて立ち戻った病室の前。

 扉にかざした手を動かせないまま、青羽はしばらくその場で立ち尽くしていた。

「……」

 自分が犯してしまった愚かな間違い。間違いを犯してしまった愚かな自分。

 正直、合わせる顔が無い。否、会う資格がない。そんな想いが青羽を躊躇わせる。

「……奏…さん…」

 遥に会って、何を言えば良いのか、何を話せばいいのか、青羽にはそれも分からない。

「俺は…賢治…さん…」

 賢治は自分を「許す」と言ってくれた。それどころか、「それ以上自分を責めるな」とまで言ってくれた。

「賢治さん…俺は…」

 優しかった賢治の言葉。優しかった賢治の眼差し。そこに込められていた想い。

 青羽はそれを受け取って、此処まで来たはずだった。けれども青羽は、ここへきて逡巡せずにはいられない。

「俺は…」

 本当に、賢治の想いを正しく受け取れているのだろうか。

 本当は、何一つとして、受け取れていないのではないか。

 そんな想いが、青羽をますます躊躇わせる。

「賢治さん…俺は…俺は…どうすれば…」

 その答えはもう、自分で探すしかない。

「俺は…俺は…」

 遥の為。その言葉を信じてここまでやって来た。

 けれども一体、遥に会って、どうすれば良いというのか。

 賢治は一体、どうして欲しかったのか。

 青羽にはもう、分からない。どれだけ考えても、その答えは見つからない。

「奏…さん…」

 会えば、分かるのだろうか。会えば、見つけられるのだろうか。

 扉にかざしたまま動かせずにいた手は、自分でもハッキリと分かる程に震えていた。

「……ッ」

 やっぱり、会うべきでは無いのかもしれない。

 やっぱり、自分には、会う資格なんて無いのかもしれない。

 挫けそうになる心。殊更に震える手。だがしかし、その時だった。

「もぉ、じれったい!」

 背後から飛んできた不意の叱責。

「なっ…!?」

 半ば反射的に振り返った青羽の真横を掠めて行った細い腕。

「まっ―」

 咄嗟の制止を掛けようとした青羽だったが時すでに遅い。次の瞬間には、軽快なノックの音が鳴り響いていた。

「あ、あぁぁぁ…」

 覚悟が定まり切らず、一向に扉をノックできずにいた青羽だ。ともなれば、ここで思わず頭を抱え込んでしまったのも無理からぬ話ではあったが、そうこうしている間に、扉の向こう側からはノックに応える声が返ってきてしまう。

「……はぁい、どぉぞぉ」

 澄んだ中にも甘さが残るちょっぴり舌っ足らずな声。それは、もちろん遥のもので間違いがなく、こうなっては青羽も覚悟を決めるより他ないだろうか。

「う、うぅ…」

 それでも尚、扉を開けるのにも躊躇してしまう始末の青羽だったが、最早それとて無駄な足掻きというやつである。

「ほら、さっさと行きなさいよ!」

 先の叱責と変らぬ強い調子と共に、青羽が手すら伸ばせずにいた病室の扉を躊躇なく開け放ってしまったのはそう、沙穂だった。 

「早見くん、おさきにどーぞっ!」

 沙穂に比べれば幾らか優しげではあったものの、つい今しがた病室の扉をノックしてみせたその細腕で今度は青羽の背中を叩いて急かすこちらは勿論、楓である。

「ちょっ、まっ、まって、二人とも…!」

 等と言われても、どうして沙穂と楓がそれを聞き入れただろうか。賢治との対話を経て、今度こそ遥の助けになれると、そう意気込んでここへやって来た二人なのだ。

 大体、扉は既に開け放たれ、ちょっぴり戸惑った様子でこちらを窺っている遥の姿だって、もうしっかりと見えてしまっていたというのに。

「往生際が悪い…、っての!」

「早く行ってあげて…よッ!」

 案の定、沙穂と楓は待ってくれるどころか、青羽の背中を力強く押しやって、問答無用の実力行使だ。

「ぬ、ぬぁぁぁ…!」

 幾ら青羽が運動部で日々鍛えているといっても、二人がかりで来られては流石に分が悪い。背中を押されるままにジリジリと、けれども着実に縮まってゆく遥との距離。

「ぐぬぬぬぅ…!」

 事ここに至っても尚、青羽は無駄な抵抗をしてみせるがしかし、それももうお終いだ。

「ほら、早見!」

「早見くんっ!」

 最後のダメ押しと言わんばかりに、沙穂と楓の手がその背中を突き放せば、遥はもう、目の前だったのだから。

「おわっ! っと、っと…と…」

 最後のダメ押しが若干強すぎたのか、青羽は二、三歩たたらを踏みながらも、遂に遥の前へと立つ。ただ、青羽はまだ、見つけられてはいなかった。

「と……」

 遥に会って、何を話せばいいのか。遥に会って、どうすれば良いのか。

 まだ、見つけられていなかったその答。それなのに、立ってしまった遥の前。

「…か、奏…さん…」

 その後に続けるべき言葉だって、青羽は見つけられずにいる。絞り出すようにして、その名を口にするのが青羽に出来る精一杯ですらあった。

「……ッ」

 遥はいま、どんな顔をしているのだろうか。

 こんな情けない自分を、どんな目で見ているだろうか。

 それを確かめるのが恐ろしくて、青羽は俯いてしまわずにはいらない。

「早見君…」

 自分の名を呼んでくれるちょっぴり舌っ足らずなその声に、青羽の胸がきつく締め付けられる。その後に続く言葉を聞くのすら、青羽はもう恐ろしくて堪らなかった。

「か、奏さん! お、俺…俺は…!」

 ともすれば、溢れ出しそうになる後悔と自己嫌悪。ただ、そんな事をする為に、ここへ来たんじゃない。賢治だってきっと、そんな事をしてほしくて自分をここへ送り出してくれたんじゃない。それくらいの事は、青羽だって分かっていた。

「俺は…!」

 自分が此処へ来た意味。遥の為に、自分がすべき事。

 それは一体なんだ。自分には一体、何ができる。

「俺…は…」

 どれだけ考えても、分からない。どれだけ考えても、見つからない。

「…早見…君」

 再び名を呼んでくれた遥がどんな顔をしていたのかも、俯くばかりだった青羽には分からなかった。ただ、そんな青羽にも、たった一つだけ、ハッキリと分った事がある。

「…ねぇ、早見君」

 澄んだ中にも甘さが残るちょっぴり舌っ足らずなその声。

「そんな顔、しないで」

 俯くばかりだった青羽の両頬に、そっと触れた小さな手。

「……ッ!」

 青羽がハッとなって顔を上げれば、真っ直ぐに自分を見つめる大きな瞳。

「ボクなら、大丈夫だよ」

 その声。その手。その瞳。青羽にも、ハッキリと分かった。

 そこに込められた想い。そこに溢れていた優しさの意味。

「奏…さん…」

 以前、賢治が言っていた。いつだって遥は、自分の事なんて二の次だと。

 青羽はその言葉を今でも鮮明に覚えている。遥がそれを自分勝手な『我儘』なのだと、そう言った事だって、青羽はちゃんと覚えていた。

「えっとぉ、なんか、ゴメンね?」

 ペロリと舌を出しながら、まるでそれがとても些細な事であるかの様に謝って見せている今だって、きっとそうなのだ。

「ヒナとミナもゴメン! ほら、この通りボクはもう全っ然ヘーキだから!」

 後ろで見守っていた沙穂と楓に向って、両手を大きくパタパタさせて自身の健在ぶりをアピールして見せている今だって。

「カナ…」

「カナちゃん…」

 沙穂と楓も、きっと分かっている。

「ちょっとは体力ついて来たと思ってたんだけどなぁ、もっと頑張んなきゃだねっ」

 そう言って笑って見せている今だって。

「あっ! いっそボクも運動部とか入ってみようかなー!」

 遥はいつだってそうなのだから。

「…奏…さん」

 遥に会って、何を言えば良いのか、分からなかった。

 遥の為に、何ができるのかも、分からなかった。

 けれども今は、一つだけ見つけられた事がある。

「あー、でも、部活に入っちゃうと、放課後にブラブラしたりお茶したりする時間がなくなっちゃうから、それはちょっと考えものだよねー」

 遥が饒舌になるほど、遥が明るく振る舞うほど。

「奏…さん…」

 此処へ来た意味。此処へ来た自分に、いま出来ること。

「んー、だったら、早朝ランニングとかしてみようかなー? ボク、早起きだし、これならいいかもー?」

 遥がいっそう明るく、いっそう饒舌になるのなら、尚更に。

「そうだ、ねぇねぇ早見君、早見君ってさ、たしか―」

 遥の為。その言葉を信じて、此処へやって来たのだから。

「奏さん!」

 遥の言葉を遮って、病室内に強く響き渡った青羽の声。

 そこに溢れていた強い意志。そこに満ちていた確固たる想い。

「……あ、う、うん?」

 面食らった様子でキョトンとしてしまっていた遥は、覚えているだろうか。

「奏さん、もう、いいんだ!」

 優しくて、我儘な遥は、もしかしたらそれを望んではくれないかもしれない。

 ただ、それでも、ほんの少しだけでいい。ほんの少しだけでも、遥が信じてくれたなら。そんな想いを乗せて、青羽はいま、言葉を走らせる。

「俺、奏さんの事が好きだよ、大好きだよ!」

 だからこそ積み重ねた深い後悔と強い自己嫌悪。

 けれども今は、それ以上に強いたった一つの願い。

「えっ、あ、う、うん…、ぼ、ボクも…早見君のこと…だ、だ、だいすき…だよ…?」

 戸惑いながらも、気恥ずかしそうにしながらも、遥がそう、応えてくれたから、青羽の『願い』は『希望』にもなって眩しく輝き出す。

「だったら、だったら…」

 もしかしたら遥は、困ってしまうかもしれない。遥は優しくて、我儘だから。けれども遥は、覚えているだろうか。一番の我儘は、誰なのか。想いを伝えあったあの日、誰が一番、我儘だったのか。

「もっと、もっと、俺に甘えてよ!」

 それは、遥の我儘なんてものともしない、これ以上ないくらいに身勝手な願い。

「もっと、もっと、俺を頼ってよ!」

 それは、あの日よりもいっそう我儘な、青羽の内で燦然と輝く強い希望。

「俺は奏さんが大好きだから! 奏さんもだいすきだっていってくれるから! だから俺に気なんて遣わなくって良いんだ!」

 それが贖いにならない事は分かっている。それで間違いを贖いたいとも思っていない。

 だってそれは、我儘なのだから。どれだけ後悔の念を重ねようとも、どれだけ自己嫌悪に苛まれ様とも、ほんの少しでいい。遥が信じてくれさえすれば、きっと叶えられる願いと希望なのだから。

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