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5-45.犠牲と贖罪

 病院の駐車場に停車した白いSUV車にもたれ掛かりながら、月影に仰ぐ沢山の窓。けれどもその瞳が捉えていたのはたったの一つだけ。それはそう、つい今しがた青羽を向かわせた先。そこはそう、遥の待つ病室の窓。

「…すまない…青羽…」

 月影に浮かぶ四角い窓の明かりを仰ぎ見ながら、賢治はポツリと贖罪の言葉を洩らす。

 青羽は遥の元へ向かう事を幾らも躊躇したが、説得するのはさほど難しい事では無かった。それが遥の為なのだと、そう言ってやるだけでよかったのだから。

「…すまない…青羽…」

 今一度呟かれた贖罪の言葉。それは、『断罪』されるよりもより辛い選択を強いてしまった青羽に向けて、賢治が送れたせめてもの言葉。無論、今やその言葉が青羽に届く事は無かったがしかし、代わりにそれを聞き咎めた者があった。

「どうして…ッ!」

 月影が落とす夜闇をつんざいて、薄暗い駐車場内に響き渡ったその声。それと共に、賢治の元へと真っ直ぐに駆けよって来た影が二つ。

「…あぁ」

 声は、影は、些か不意のものではあったが、賢治は驚きもせず、慌てもしなかった。何故なら賢治は、『待っていた』からだ。

「どうして…ッ! どうして早見を一人で行かせたんですか…ッ!」

 今一度、より明確に、より間近から響いてきたその声。

 月影に仰ぐ四角い窓の明かりから賢治がゆっくりと視線を降ろせば、そこには強い憤りに揺れる二組の瞳。賢治は待っていた。それがやって来るのを。

「二人とも、よく、来てくれた」

 賢治がまず送った歓迎の言葉にも、二組の瞳は強い憤りの灯を揺らし続け、更にはそのうち一つが今にも掴みかからんばかりの距離にまで迫りくる。

「なんで…ッ!」

 言葉に成り切らない程の強い非難の声と共に、今や怒りに満ちたその表情までもがハッキリと読みとれたその瞳はそう、沙穂のもので相違ない。

 賢治は待っていた。こうして沙穂がやって来る事を。

「…答えて…ください…」

 賢治は待っていた。沙穂ほどの苛烈さは無くとも、その後ろでやはり隠し得ない怒りを湛えていた楓の事も。

「とりあえず落ち着け…ってのは、まぁ無理な相談…なんだろうな…」

 敢えて聞くまでも無いとはこの事で、事実、沙穂と楓は鎮まるどころか、その瞳に一層の憤りと怒りを迸らせる。

「いいから…! はやくこっちの質問に答えて…ッ!」

「…答えてもらえないなら…ワタシたちもう…カナちゃんのとこに行きます…」

 もはや悲鳴にも近かった沙穂の声。その逆に、ゾッとするほどに冷淡だった楓の声。

 表し方は違えども、そこにあったのは明確なる敵意。ただ、そんな二人だからこそ、賢治は待っていた。そして、そんな二人にだからこそ、賢治は言わずにはいられない。

「二人とも、ありがとう…」

 二人の憤り。二人の怒り。二人の敵意。それらは全て、遥を想うが故。だからこそ告げずにはいられなかった感謝の言葉。沙穂と楓にその意味は正しく伝わっていただろうか。否、二人になら、きっと伝わっていたはず。賢治は半ばそう確信しながら、二人の問いにも答えを示す。

「青羽を行かせたのは、ハルの為だよ」

 本当は、沙穂と楓だって、そんな事くらい、聞くまでも無く分かっていたはず。

 いつだって、そうだったのだから。沙穂と楓だって、それくらいの事は知ってくれているはずなのだから。

「そんな…事は…ッ!」

 そう、沙穂は分かっている。沙穂は、知ってくれている。

「けど…そんなの…!」

 楓がその後に続けるべき言葉を口に出来ずにいるのも、分かっていたから、知ってくれていたから。

 それでも二人がその瞳に憤りや、怒りや、敵意を宿し続けるというのなら、賢治は幾らだって言葉を惜しまない。

「ハルはいつだって、自分の事なんて二の次で、誰かのために自分を責める…」

 それこそ沙穂と楓は、良く知っている筈だ。この半年余り、ずっと、遥の傍に居てくれた二人なのだから。

「ハルが今朝、俺に言ったよ…、自分の所為で俺が幸せになれないなら、自分が俺を幸せにするって…、それでアイツ、俺と『結婚』するとまで言ったんだぞ…?」

 今朝、その話を聞かされた時、賢治は『結婚』というその単語の持つインパクト故に、遥の想いを正しく受け止めてはやれなかった。けれども今はもう違う。十分すぎる程にあった考える時間と、そして何より、病室で目覚めた直後に、遥が消え入りそうな声でこぼした「ボクがこんなだったから」というあの言葉が全てを教えてくれた。

「…か、カナは…もう…」

「…賢治さん…知って…」

 不意に持ちだされた『結婚』の話題に、沙穂と楓は俄かにハッとした面持ちを見せたが、賢治はそれに構わず言葉を繋ぐ。

「そんな風にアイツは、これまでにも、きっと数えきれないくらい、周りの苦しみや、悲しみを、あの小さな身体で、背負い込み続けて来た筈なんだ…」

 今回だってそうだ。

 遥は『夢』を見て、それをそのまま自身の『罪』として背負い込んでしまった。

「そんなの…、このままじゃ…、いつかハルが潰れちまう…」

 誰よりもそれを背負わせてしまった賢治だったから。それでも尚、在りし日にたてた誓いを守り通すと決めていた賢治だったから。そんな事は、何があっても、何を犠牲にしてでも避けねばならないと、強く、強く、そう想うのだ。

「だからだ…、誰かがハルの『重荷』を引き受けてやらなくちゃならないんだ…」

 それが自分の課してしまった『重荷』であったなら、賢治はそれを喜んで引き受けただろう。だがしかし、今の遥が背負い込もうとしている其れは、駄目なのだ。賢治では、それを引き受けてやる事はできないのだ。

「だから俺は、青羽を一人でハルの処へ行かせなきゃならなかった…」

 これ以上、遥の『重荷』を増やさない為には、そうするより他になかった。それが、ただでさえ自責の念で押しつぶされそうになっていた青羽に、更なる『罪』を科すことにもなり得ると知りながら。

「ハルの為だと、そう言ってやったら、アイツは迷わずに行ったよ…」

 青羽は『断罪』を欲していたのに、そうしてやることも出来ず、それ以上の『犠牲』をも強いてしまった。

「青羽は自分を、『最低のクズだ』なんて言ったけどな、アイツはそんなんじゃない…」

 遥の為。その言葉を信じて、自らの『罪』と対峙する事を恐れなかった青羽。そんな青羽がどうして『最低のクズ』なんかであるだろうか。

「キミたちに、想像できるか? 青羽が…アイツがどんな想いで遥の元へ行ってくれたか…」

 それは瞠目にすら値する果てしない勇気。

「だからそうだな…、最低のクズは…俺の方だ…、だからキミらにこうして責められるのだって当然の筋だ…」

 遥の為。そんな大義名分を掲げて、自分では降ろし得なかった遥の重荷を、そのままそっくり青羽に肩代わりさせる事を厭わなかったのだから。否、青羽だけではない。それだけは、足りないのだ。賢治は今、それを沙穂と楓に伝えなければならない。その為に、賢治は待っていたのだから。その為に、賢治は沙穂と楓をここへ呼び出したのだから。

「…二人とも、すまない」

 その言葉は、賢治が今、二人に送れるせめてもの贖罪。

「キミらにも、行ってもらいたい、青羽の次は、キミらの番だ…」

 きっと、沙穂と楓は断らない。青羽がそうだった様に、沙穂は、楓は、その瞳に憤りや、怒りや、敵意を宿せる程に、遥の事を想ってくれているのだから。

 賢治はそうと知りながら、青羽にもそうした様に、今こうして二人にも犠牲を強いている。遥の為。否、遥と交わした約束を果たす為に。在りし日にたてた自身の誓いを守る為に。それがどれほど身勝手で、どれほど理不尽な事なのかも、賢治は知っている。だがしかし、そんな賢治には、一つだけ、大きな見誤りがあった。

「…そんな…そんなの…」

 絞り出す様にそうこぼした楓の声。

「…どうして…そんな…」

 拳を固く握りしめながら、そう訴えた沙穂の声。

 その後に、二人がどの様な厳しい言葉を続けたとしても、賢治はそれを甘んじて受け入れただろう。けれどうどうだろうか。実際に、沙穂と楓が続けた言葉は、果たしてどうだったか。

「…ううッ…うぅ…」

「…うぐっ…ひぅ…」

 大きな見誤りをしていた賢治は、沙穂と楓がくぐもった嗚咽を洩らしながら小さく震えるお互いの肩を抱き合ったのも、『畏れ』、ないしは、『慄き』からくるものだと、その瞬間まで信じて疑わなかった。

「…二人とも、本当に―」

 すまないと、賢治が今一度の贖罪を告げようとしたその刹那。

「あたしら、今度は…、やっと…今度こそ…!」

「うん…! カナちゃんを助けられるんだ…!」

 肩を抱き合いながら、沙穂と楓が交わしたその言葉。そこに溢れていたのは、『畏れ』でも、『慄き』でもない。そこにあったのは、紛れも無い喜びと、途方も無い幸福感。

「なっ…、き、キミたち…は…」

 遥の力になりたいと、そう願い続けて来た沙穂と楓の想い。賢治は見誤っていた。その強さ。その絆。沙穂が、楓が、それ程までに、遥の事を想ってくれていた事を。

「…あ、あぁ…あぁ…そうか…、そう…なの…か…」

 それは、身勝手で、理不尽な、『犠牲』の筈だった。けれどもそうじゃない。

「ワタシたち、行きます…!」

 淀みなくそう告げて来た楓の瞳にはもう、憤りも、怒りも、敵意も無く、ただ眩しさだけが溢れていた。

「賢治さん、ありがとう!」

 感謝の言葉すらも送って来た沙穂の瞳にも、ひたすら溢れる眩しい光。

「…あ、ああ…、いや…礼を言わなきゃならないとすれば…、それは…、俺だ…俺の方だ…!」

 身勝手でも、理不尽でも、犠牲でもない。

 沙穂と楓が遥へと注ぐ眩しい程のそれはそう、願いであり、希望だった。

「二人とも…ありがとう…、本当に…、ありがとう…!」

 沙穂と楓に心からの感謝を返しながら、賢治は月影に浮かぶ四角い窓を仰ぎ見てふと想いを馳せる。

 もしかしたら、青羽もそうだったのだろうかと。

 無論、青羽に犠牲を強いてしまったというその事実は、今更どう言い繕ったところで決して変えられはしないだろう。

 ただ、それでも賢治は今、それこそが身勝手な理不尽であると分かりながらも、切に願わずいられない。

 沙穂や楓がそうだった様に、青羽もまた、『希望』や『願い』足り得る程の想いを持って、遥の元へと向かってくれた事を。

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