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5-38.核心と不可解

 青羽との事をどうするのか。

 青羽との恋をどうするのか。

 沙穂から突き付けられたその問い掛けに、遥はほんの少しだけ沈黙して、それから穏やかな表情でやわらかく笑った。

「……ヒナ、ありがとう」

 まず告げられた感謝の言葉。

 それは、今ここで青羽の名前を持ち出した沙穂の想いを、遥がちゃんと分かっていたからこその言葉だ。そして、遥は薄く伸びた秋の雲に青く透ける晴天の空を仰ぎ見ながら、静かにポツリと告げる。沙穂の問い掛けに対する答えを。青羽と実らせた恋のやり場を。

「……早見君にも、きちんと、報告しなきゃね」

 そう告げた遥の面持ちは、あくまでも穏やかではあったが、それを受けた沙穂の表情は決めて険しかった。

「カナ…、あんた…、本当に、それで良いの…?」

 沙穂がそう問い返すのは当然の事だったのかもしれない。

「だってあんた、早見の事、あんなに…、あんなにも…!」

 沙穂がそう訴えて来る事もまた、きっと当然なのだ。

「ヒナ…、ごめんね…」

 遥が告げずにはいられなかった謝罪の言葉。遥がそこに込めていた気持ちは、果たして沙穂にちゃんと伝わっていただろうか。

「あたしに謝ったって…、仕方ないでしょ! あんた自身の事なのよ!」

 思えば、いつだってそうだ。

 いつだって沙穂は、まるでそれを自分のこと様に憤ってくれる。

 遥が今まで、そんな沙穂の存在に、どれほど救われて来た事か。

 遥が今、そんな沙穂の存在に、どれほど救われている事か。

 だからこそ遥は謝罪の言葉を告げずにはいられなかった。そしてだからこそ遥は、今一度、穏やかな表情でやわらかく笑う。

「あのねヒナ、ボクなら、大丈夫だよ」

 その言葉は、決して嘘や誤魔化しなんかではない。

 遥はそれを知らしめる様に、自身の胸に両手を重ね合わせ、その内で今も尚リンリンと鳴り響く想いがある事を確かに感じ取りながら、ひときわ穏やかに、一層やわらかく笑う。

「ボクね、早見君のこと、だいすきだよ」

 いつからだろう、ハッキリとそう言い切れるようなったのは。

「ねぇ、知ってた? 早見君も、ヒナやミナと同じ様に、『諦めたくない』って、そう言ってくれたんだよ?」

 きっと、その日からだ。その言葉と共に、青羽が想いを響かせてくれたから。その想いが今も尚、胸の内でリンリンと鳴り響いているから。だから遥は、青羽の事が『だいすき』だと、今では躊躇いなく、ハッキリとそう言い切れる。

「だったら、なおさら…!」

 おそらく沙穂は、その後に、「考え直すべきだ」と、そう続けようとしたのだろう。けれどもそれを言葉に出来なかったのは、きっと容易に想像できてしまったからだ。たった今、青羽の事を「だいすき」だと言った遥が、その言葉とは全くの裏腹に思える『賢治との結婚』という結論を導き出すまでに、どれほどの苦悩を経て来たのかが。

「どうしてよ…!」

 誰よりも辛そうな顔で、吐き捨てる様にそう言った沙穂は、やはりその後を言葉には出来なかったが、まるでそれを継ぐように、今まで二人のやり取りをただ黙って静かに聞いていた楓がここでゆっくりと口を開いた。

「ねぇ…、カナちゃん…、カナちゃんは…諦められるの…?」

 それは、今まで沙穂が敢えて言葉にはしてこなかった核心とも言える問い。楓がそれを言葉に出来たのは、きっと、楓が人の気持ちに共感しやすい優しい子だからだ。

「早見くんは『諦めたくない』って、そう言ってくれたんでしょ…? それなにカナちゃんは、諦めちゃうの…?」

 楓は優しい子だから、更に重ねられたその問い掛けには、批判的なニュアンスだって見え隠れしてしまう。楓は優しい子だから。その優しさと、共感性故に、遥の事は元より、遥の苦悩を想像し得て辛い気持ちでいる沙穂や、そして今、諦められ様としている青羽に対してだって感情移せずにはいられないのだから。

 ただ、そんな楓は、一つ、決定的な思い違いをしている事に、果たして気付いていただろうか。

「ミナ…」

 沙穂が言葉に出来なかった核心を楓がどんな気持ちで口にしたのか、遥はそれに想いを馳せてちょっぴり胸が苦しくなりながら、それでも穏やかに、やわらかに笑って見せる。

「違うよ…、ボクは、なにも、諦めてないよ」

 それが楓の思い違い。だから遥は笑う。青羽が響かせてくれたその想いを胸に抱きながら、それとは裏腹に思える様な結論にたどりつきながらも、何一つ諦めてなんていなかったから。

「で、でも…カナちゃんは…あの人と…結婚…するって…」

 楓が言う様に、ともすればそれは、青羽との恋を諦める選択以外のなにものでもないだろう。ただ、それでも遥は、何一つとして、諦めてなんかいない。賢治の幸せも、青羽との恋だって、そう、何一つだ。

「確かにボクは、賢治の人生を台無しにしちゃったんだって知ってから、早見君を好きな気持ちを諦めなきゃって、そう思ったよ…」

 賢治の幸せな未来が失われてしまったのだとしたら、自分だけが青羽との恋を甘受して幸せでいるわけにはいかないと、遥はずっとそう思ってきた。けれどもそんな時に、青羽が響かせてくれた想いで、世界はいつもよりも眩しく見えて、遥はそこで見つけたのだ。

「でもね、さっきも言ったけど、ヒナやミナや、それに早見君が『諦めない』って言ってくれて、ボクはそれが本当に嬉しくて、幸せで、ボクもそうありたいって思った」

 もしもそれが本当に叶うのなら、他の誰をおいてもまず真っ先に賢治を幸せにしたいと、遥がそう考えたのは当然の帰結だった。賢治の幸せは、他でもない自分の所為で失われてしまったのだから。そして何より遥は、賢治の幸せをずっと、ずっと一番の『願い』にしてきたのだから。

「だからボクは、賢治と…結婚して、賢治を幸せにするよ!」

 ここまでは、先ほども語った通りの道理で、沙穂と楓がそれを受け入られているかどうかはともかくとして、一先ずの理屈としては理解できている旨の頷きが二人からは返って来る。

「その話は、取りあえず分かったし、あの人を幸せにしたいっていうカナの気持ちも、分からなくはないよ…」

「うん…、カナちゃんがあの人の事をどんなふうに想ってきたのかも、ワタシたちはずっと傍で見て来てるし…」

 ただ、それでもやはり、二人の口からは「でも…」や「けど…」といった否定的な言葉が続かざるを得なかった。

「それだと…早見との事は…」

「諦めちゃったようにしか…」

 遥が賢治との結婚を目指している以上、どうしたってそこは覆りようが無いと、そう考える沙穂と楓の思考は至って常識的で至極真っ当なものではあっただろう。ただ、そんな二人に向って、遥はそれこそが大きな思い違いである事を正しく高らかに謳い上げる。

「ちがうよ! だってボクは、結婚して賢治を幸せにできるなら、早見君をだいすきな気持ちを無かった事にしなくたっていいんだから!」

 まるで宝物を見つけた様にキラキラと輝いていたその瞳。それに勝ると劣らず極めて明るかったその表情。遥が心の底からそれを素晴らしい考えだと思っている事は、まず間違い無く沙穂と楓にも伝わっていた筈だ。ただ、だからといって遥の言わんとしている事が沙穂と楓に正しく伝わっていたかどうかに関しては、また完全に別の話だった。

「…え…えぇ?」

「…う、うん?」

 案の定、沙穂と楓はその面持ちに『不可解』の三文字をありありと浮かばせて頻りに首を傾げさせるばかりで、どう見ても遥の言わんとしている所は上手く伝わっていない。

「…あ、あれ? え、えっとぉ…?」

 遥は遥で、二人に上手く伝わらなかった事だけは分かりながらも、その理由がどこにあったのかはサッパリ分からず、こちらも頻りに小首を傾げさせてしまう。お互いがお互いにこんな調子では、せっかく遥が見つけた答の素晴らしさが伝わらず仕舞いに終わってしまう可能性も無きにしろ非ずであったが、こんなとき頼りになるのはやはり沙穂だった。

「あの…さ…カナ、ちょぉっとよく分からなかったから、一つ確認させて欲しいんだけど、いや、こんなこと聞くのは流石にバカバカしいとは思うよ?」

 遥としては、沙穂のやたら念を押すような前置きが少々気になりつつも、それが理解の手助けになる可能性がるのであれば、勿論その問い掛けに答えない選択肢はない。

「うん」

 その頷きを持って質問が受け付けられると、沙穂は相変わらず『不可解』の三文字が浮かんだ面持ちで、前置きされていた通りの『確認』を一つ入れて来る。

「カナはさ…、本当なら早見と付き合いたかったのよね…?」

 聞いてみれば成程然り。沙穂からすれば、確かにそれは、わざわざ確かめるのも馬鹿らしい様な疑問以前の『確認』で相違なかったのだろう。だがしかし、それでもわざわざ確認した沙穂の判断は、極めて正しかったと言わざるを得ない。何故なら、遥が自分の考えを沙穂と楓に上手く伝えられなかった最大の要因は、正しくそこにあったのだから。

「早見君と…付き…合う? えっ? ボクが…?」

 これこの様に、もうすっかりキョトンとしてしまっている遥の様子からも、いったいどこに齟齬があったのかが一目瞭然であろう。

「えっ? ま、まってカナちゃん、なんでそんな不思議そうな顔するの? カナちゃんは早見くんと両想いだよね?」

 楓があからさまに困惑した顔で、より前提的な確認を入れくるも、遥はやはりキョトンとした様子で先程にもまして小首を傾げさせてしまう始末だ。

「うん、でもボク、前にも言ったと思うけど、早見君が好きになってくれて、早見君を好きになれただけで幸せだったから、それ以上の事はあんまり考えたこと無くて…」

 そう、つまりは、そういうことなのである。沙穂と楓はごく一般的な年頃の女子高生的観点から、賢治との事や、その他もろもろの障害が無ければ、遥は当然のよう青羽と『付き合いたい筈だ』と、そう考えていたのだ。だがしかし、当の遥はといえばどうだっただろうか。今しがた自身でも言った通りに、遥は普通なら在って然るべきその発想をまるっきり、とまではいかないまでも、沙穂と楓が理解に苦しむ程度には持ち合わせていなかったのである。

「まさかとは思ったけど…アンタって子は…」

 それはもう沙穂がいつも以上の呆れ顔で、いつも以上の深々とした溜息をついてしまうのも無理からぬ話である。それでも沙穂がその可能性について言及出来たのは、遥が青羽と両想いになった直後に、とある人物とそれについて論じた事があったからだ。とは言え、流石の沙穂もその時論じられた通りの感性を遥が本当に持ち合わせているとはよもや思っていなかったらしく、いざそれを目の当たりにした今では、もうただただ呆れ果てるばかりだった。

「はぁ…、要するにこういう事? あの人を不幸にしたままじゃ、早見と両想いで幸せな自分が許せないから、早見を嫌いになろうとしてたけど、あの人を幸せにできるなら、早見を嫌いにならなくても済むと…」

 沙穂が用いた「嫌いになる」という表現には些かの齟齬があったものの、概ねの理解としてはそれほど間違ってはいなかった為、遥はこれを頷いて肯定する。

「うん、だからね、ボク、何にも諦めてないでしょ?」

 確かに遥は、何一つ諦めてはいなかった。

 最早、沙穂と楓がそれに異を唱える事は無い。

 尤も、両想いで付き合うという発想はないのに、幸せにしたい人と結婚するという発想が出て来るあたりについては、遥に対する一抹の『不可解』を今一つ拭い去れずにいた二人ではあった。

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