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5-33.眩しさ

 青羽からの電話があった翌日。

 その日は、昨日までの雨が嘘だったかのように、朝から抜ける様な晴天の青空が頭上一杯に広がっていた。

 何処までも続く青い空。それはまるで、昨夜、青羽が響かせてくれた想いの様で、だからだろうか。その日はいつもより、世界が眩しく見えた。

 街路樹から溢れて揺らぐ日差しは、アスファルトに残った水たまりにキラキラと反射して、通り過ぎてゆく自転車の車輪はチカチカと瞬き、前をゆく白いワイシャツでさえ、淡く光をにじませる。

 嗚呼、世界はこんなにも眩しくて、こんなにも光が溢れているのに、どうしてなのだろう。それはきっと素晴らしい事であるはずなのに、遥は目を伏せずにはいられない。それどころか、その眩しい世界が本当に素晴らしいものなのかどうかも、遥は分からずにいた。

 例えばそれは、いつも通りちょっぴり早めに登校して来た遥が学校の正門をくぐって、昇降口を目指している最中。

「あっ、遥ちゃんさん! おはざーっす!」

 グランド脇にある水飲み場の横を通り掛かった所で、威勢よく送られて来た体育会系ノリの挨拶。遥の知る限り、「遥ちゃんさん」だなんて、そんなへんてこな敬称を使う人物は、ただの一人しかいない。

「…智輝君」

 遥が足を止めて、挨拶が送られて来た方へと視線をやれば、そこに居たのはやはり思っていた通りの人物、塚田兄弟の三男坊、智輝で相違なかった。

「うっす!」

 一学期頃の智輝は、もう少し丁寧な言葉遣いをする男の子だった筈だが、日々野球部で揉まれている所為か、もうすっかり体育会系ナイズされてしまった様で、遥はこれに若干の苦笑を洩らさないでもない。

「あ…うん、えっと、おはよう…、智輝君はいま朝練おわったところ?」

 挨拶に沿えて遥が何と無しの世間話として一つ問いを投げ掛ければ、智輝からはスポーツ少年然とした清々しい笑顔と共に元気のいい頷きが返ってくる。

「っす! 朝からしごかれまくりでキツイっすよー!」

 そう言いながらも、智輝の表情はただただ明るくて、だから遥にはやはり分からなかった。智輝の笑顔があまりにも眩しくて、遥にはそれをそのまま直視し続けることなんて、到底できはしなかったから。

「そっか、おつかれさま。えっと、智輝君は、これから着替えなきゃだよね? だったらボクはもう行ったほうがいいかな?」

 努めての平静と、今見せられる精一杯の柔らかさを心がけながら、遥が告げたその如何にも尤もらしい台詞は、決して相手の都合を慮って見せたものではない。遥はただ、その場から逃げ出す口実が欲しかっただけだ。

「あ、そっすね! もう少し遥ちゃんさんと話したかったっすけど、また今度っす!」

 特に何の疑いを持つこともなく、遥の進言を素直に受け入れて、別れの句を告げてきてくれた智輝は、果たして気づいていただろうか。

「うん、またね、智輝君…」

 そう言って小さく手を振った遥の表情が翳っていたのは、決して陽の光を背にしていた所為ばかりではない事に。

「おーし! 今ならまだ早弁も間に合うかー!」

 そんな事を口走りながら、クラブハウスの方に走り去っていった智輝の背中は、せっかくの白いユニフォームが砂ぼこりと泥にまみれてもうすっかり汚れてしまっていたけれども、遥にはそれすらもがどうしようもなく眩しく見えていた。

 

 例えばそれは、二限目の休み時間。その日の三限目は体育の授業で、誰よりも早く着替えを終えて教室飛び出した遥が沙穂と楓を待っていた時。

 順次着替えを終えて、続々と教室から出て来る女生徒達の多くが、廊下の窓から外を眺めていた遥の後ろを通り過ぎてゆく中、それは唐突にやってきた。

「だーれだっ!」

 そんな元気いっぱいの掛け声とともに暗転した視界と、その分だけハッキリと伝わってきた背中に当たる柔らかな感触。

「ひにゃっ!?」

 突然の事に、思わず妙な悲鳴を上げてはしまったものの、遥はその弾む様に明るかった声をよく知っていたし、そうで無くともこんなイタズラを仕掛けてくる相手には一人きりしか心当たりがない。

「み、美乃梨! 美乃梨でしょ!」

 遥がズバリ正解を言い当てると、暗転していた視界があっさりと開けて、その代わりに思っていた通りの顔が覗き込んで来ていた。

「にゃはは、やっぱり分かっちゃったかー!」

 その言い様から察するに、当の美乃梨も初めからそれが問題として成立するとは思っていなかった様で、おそらくはただ遥とのスキンシップを計りたかっただけなのだろう。

「もぉ…ビックリするでしょ…」

 答えが丸わかりだったのはともかくとして、不意を突かれて驚いてしまった事に対しては抗議せずにいられなかった遥だが、それに対する美乃梨はといえば、全く悪びれる事無く実に良い笑顔でニコニコとしていた。

「だってビックリさせたかったんだもーん」

 等とのたまって大変に満足げな美乃梨ではあるものの、遥にはそれの一体何が楽しいのかサッパリ分からない。

「まったく美乃梨は…」

 そう零しながら、遥が頬を膨らませれば、まるで狙いすましていたかのように差し出されていた美乃梨の人差し指がそれをちょこんと押し戻す。

「遥ちゃん怒っちゃやだよー」

 別に遥は怒っていた訳では無く、ただ呆れていただけだったのだが、わざわざそれを説明するの面倒だった為これには特に反論せず、その代わりに別な事に対して抗議した。

「わかったから…それよりも美乃梨、そろそろはなれて…」

 美乃梨はこの間ずっと背中にピッタリと張り付いたままで、他の事はともかくこれについては流石の遥もそろそろ抗議せざるを得なかったのだ。ただ勿論、そう言われてあっさりとはなれてくれる様な美乃梨ではなく、案の定、その口からは「えー」という不平の声が上がってきた。

「遥ちゃんのけちー、ちょっとくらいいいでしょー」

 遥の体感的には「ちょっと」どころではなく、もう大分くっつかれている様な気がしてならず、となれば当然これには再度の抗議をしない訳にはいかないかったがしかし、そんな折の事だ。

「それにね、こうしてくっついてたら、少しくらいはあたしの元気を遥ちゃんに分けてあげられるかなって」

 そう言った美乃梨の声は、それまでのおどけていた調子がまるで嘘の様に、ただ、ただ優しかった。

「……みの…り」

 思いがけない美乃梨の優しさに、遥の瞳からは、ともすればはらりと涙がこぼれ落ちそうにもなる。

「…なん…で」

 きっと美乃梨は、ここ最近の自分に、何があったのかなんて知りもしない。けれども、絞り出す様だったその呟きに対する答えなんて、考えてみるまでも無かった。

「そんなの、きまってるよ?」

 そうだ。そんなものは、決まり切っている。

「あたしが、そうしたかったからっ!」

 その言葉で、遥の瞳からは、今度こそ、一筋の涙がはらりとこぼれ落ちて行った。

「…そっか…、そう…だよね」

 きっとそれは、理屈なんかじゃない。

 ただ、自分が暗い顔をしていたから。理由だって、それ以上は必要ないのだろう。

 美乃梨は、そういう子だから。いつだって元気いっぱいで、けれども人一倍優しい女の子。それが美乃梨なのだから。

「ふふ、あたしの元気、ちょっとは伝わったかな…?」

 朗らかに笑って、ここでようやく背中からはなた美乃梨の笑顔は、ほんのちょっとだけ照れ臭そうにも見えた。

「……うん、ありがとう、美乃梨」

 僅かに戸惑いがちだった肯定の頷きと、心から告げられた感謝の言葉。美乃梨がそれをどのように受け取ったのかは分からない。遥は其れを確かめたいとは思わなかったし、美乃梨も敢えて何も言ってこなかったから。

 美乃梨がクラスで仲良くしているらしい数人の女の子が体操服に着替えを終わって教室から出て来たのは、丁度そんなタイミングでの事だった。

「みのりー、おまたせー」

 出て来た女の子達の一人が声を掛けて来れば、美乃梨もそれに元気よく応えて彼女等の方へと向き直る。

「もー、皆おそいよー!」

 美乃梨はそのまま仲の良い女の子達の輪に加わっていこうとしたが、去り際にピタリと足を止めて今一度遥の方へと振り返ると、今日一番の、それこそ眩しい程に明るいひときわ朗らかな笑顔を見せた。

「遥ちゃん! 笑ってこ!」

 それだけ言い残して、今度こそ仲の良い女の子達の輪に加わっていった美乃梨は、果たして気付いただろうか。遥がそのとき、美乃梨が送ってくれたその言葉通りに、精一杯の笑顔を返そうとしていた事に。そして、美乃梨の見せてくれたあの明るい笑顔ほど、遥が眩しくは笑えていなかった事に。

「……」

 遥には、やはり分からなかった。美乃梨が気付いてくれていたかどうかだけではない。いつもより眩しく見える世界が本当に素晴らしいものなのかどうかも、遥にはやはり分からなかった。

 ただ、それでもその日、世界は確かに眩しく見えて、其処には確かに沢山の光が溢れていた事を、遥はきっとこの先、一生涯忘れはしないだろう。


 それは、連日続く文化祭の準備に連日通り励んだ放課後の更に後。下校時刻を迎えた帰り際、校門を出た直後の事だった。

「それじゃあ二人とも、また―」

 文化祭の準備が本格的に始まって以来、ずっとそうしていた様に、今日もそのまま真っ直ぐ家に帰ろうとしていた遥が別れを告げようとした正しくその瞬間。

「ま、まってカナちゃん!」

 咄嗟の制止と共に、手を振ろうとした遥の腕を掴んだのは、楓だった。

「…ミナ? えっと、どうしたの…?」

 その問い掛けに、楓はほんの一瞬だけ、戸惑いがちに目を伏せはしたが、直ぐに視線を上げて遥を真っすぐに見る。

「あ、あのね、カナちゃん…わ、ワタシ…」

 楓が何を言おうとしているのか、遥にはまだ見当もつかなかったけれども、何かそれがとても大切な話である事だけはハッキリと分かった。眼鏡の奥でキラキラと揺らぐ楓の眼差しはとても真剣で、その瞳は遥がこの日見て来たどんな光よりも眩しく輝いていたから。

「え、えっと…その…、ワタシ…、ちゃんと上手く…言えるかどうか…分かんないけど…、で、でもね、どうしても、カナちゃんに伝えたい事があって…」

 遥には、楓が伝えようとしてくれている事も、その瞳から溢れる眩しさの意味も、やはり分からなかった。けれどもそれはとても大切な事なんだと、それだけは確かに分かったから、今はまだそれに同じような眩しさで返すことは出来ないとしても、今ならば目を逸らさずにそれを真っすぐ見つめ返す事くらいならきっと出来る。

「うん…」

 腕を掴んでいた楓の手をやんわりとほどいて、遥がそれに自身の手を重ねると、楓の瞳は一層眩くまたたいて、その想いは言葉になった。

「カナちゃん! わ、ワタシ、ワタシたち! 諦めないって決めたから!」

 ようやく編み上げられた楓の想い。それを継いで、それまで横で静かに聞いていた沙穂も真っ直ぐに遥を見る。楓と同じ様くらい、眩しく光を溢れさせる瞳で。

「あたし達、何があっても、カナの友達でいたいから」

 その日、世界は確かに眩しく見えて、其処には確かに沢山の光が溢れていた事を、遥はきっとこの先、一生涯忘れない。

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