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2-2.二人の日常

 遥と賢治が馴染みの店の定位置に座り決まりの注文を済ませると二人の注文は熟練を思わせる竜造の無駄のない手際によって遥達が待ち遠しいと思う間もなく速やかに提供された。

「いつものおまちぃ!」

 遥の目の前に運ばれた「いつもの」は醤油豚骨ベースのスープに縮れ麺を合わせた店の看板メニュー「白竜ラーメン」に細切りの九条ネギをたっぷりと乗せた「竜の髭」と名付けられた一品である。因みに賢治の「いつもの」は遥とは別メニューで白竜ラーメンに独自ブレンドの辛味噌を加えた「竜の息」という辛口のラーメンだ。

 久々の食べがいある食事に胸躍る遥が早速一口麺をすすると縮れ麺によく絡んだコクのある醤油豚骨スープが味気ない病院食を食べてきた遥の味覚を強烈に刺激する。細切りの九条ネギも一緒に口へ運べばそのシャキシャキとした食感と爽やかな風味が口の中の油っぽさを程よく中和してくれるため箸が進んで仕方がない。馴染みのラーメン屋の三年経っても変わらぬ味は遥の期待と味覚を裏切らず存分に悦ばせてくれたがしかし、それを食べ進めて行く内に今の身体になった弊害が思わぬ形で姿を現した。遥はその弊害を前にして堪らず箸を止め小さく唸り声を上げる。

「ボクもうお腹いっぱい…」

 小さくなった身体は胃袋も相応に小さい様で、麺を三分の二程食べた時点でその許容量に限界を迎えてしまっていた。病院では身体に見合った分しか出されていなかったので昔と同じ量が食べられない事に遥は今まで気付いていなかったのだ。

「賢治、残り食べて…」

 自分の鉢を賢治の方へ寄せ救済を求めると賢治は少し苦笑して「仕方ねーな」と鉢を受け取って遥が残した分をあっという間に平らげてしまった。

「遥にゃ今度からお子様ラーメンだなぁ!」

 一部始終を見ていた竜造は愉快そうに笑うが、お子様という言葉の響きは遥の自尊心にチクりと刺さる。

「そんなのやだよぅ…」

 口を尖らせ抗議するものの以前はスープまで残さず平らげられていた決まりのメニューを完食できなかったのも事実なので少々落ち込んでしまう。

「食えない分は今みたいに俺が食ってやるって」

 賢治はしょんぼりとしてしまった遥にフォローを入れつつ「勘弁してよ」と竜造に提訴する。

「冗談だよ冗談!」

 豪快に笑う竜造と賢治のフォローを受けた遥だが、やはり食べ切れない物を注文するのは心情的に忍び無いので、お子様ラーメンはともかくとして今後の注文を一考する余地があるのは確かだ。そうとなれば遥は早速と店の壁に掲げられているお品書きを確かめ今の身の丈に合ったメニューは何かと考え始める。

「しかし賢治ぃ、遥が戻って来てよかったなぁ」

 不意に竜造が賢治に向ってそんな事を言ったので遥も賢治へと視線を移すと、言われた当の賢治は少し気まずいような微妙な表情を浮かべ僅かに苦笑していた。

「遥が居なくなってから賢治はいっつも辛気臭い顔してたもんなぁ…」

 しみじみとした竜造の言葉は、賢治がかつて病院で語った悪夢の様だったという三年間の一端を垣間見せる物だった。この店は遥と賢治にとっては馴染みの深い場所だ、賢治が遥の見えない姿を探して辛い気持ちを募らせただろう事は容易に想像できる。それでも賢治がこの店から遠ざからなかったのは、それもまた遥の面影を常に追い求めていたからこそなのかもしれない。

「賢治…」

 遥は当時一人でこの店に訪れていた賢治の心境に思いを馳せると胸が苦しくなった。きっとこの店だけではない、賢治は至る所でそんな辛い思いを募らせていたに違いないのだ。どうしようも無かった事とは言え、三年間も親友の傍に居られなかった自分を改めて悔しく思う。

「そんな顔すんな」

 切なげな表情で名を呼び上目で見つめてきた遥の様子に賢治は一瞬ドキッとしたが、自分はもう大丈夫だと知らしめるために笑顔を見せると、いつもそうしていた様に遥の頭に手を当てその少し癖のあるふわふわとした髪を軽く搔き乱す。遥が手の触れられる距離にいる今はもう何の憂いもない。

 賢治がいつも通りの落ち着いた笑顔とスキンシップを見せた事で遥もまた、これから二人で三年間の穴を埋めて行けると感じられ親友の手の下で愛らしく笑顔を返した。

「本当によかったなぁ」

 明るい表情で昔の様にじゃれ合う遥と賢治を前にした竜造は一人何度も頷きそんな二人に優しい眼差しを向ける。竜造にとっても遥と賢治が隣り合い店に居る光景は馴染みある日常の景色だ。遥の姿は変わってしまっているが賢治の穏やかな眼差しはその小さな女の子が間違いなく遥である事を知らしめていた。

 かつて失われていた情景を取り戻した店内がちょっとしたハートフルな空間になっていると、厨房の奥側からとたとたとした軽い小刻みな足音が店内に向ってやって来る。足音は厨房の目前で一旦止まると、それから賢治の座る席からは正面に当たる厨房奥、白竜亭の店舗部分と白藤家の住居スペースを繋ぐドアがゆっくりと開かれた。

「おとーさーん、おひるごはーん」

 開かれた扉から間延びした声と共にセーラー服姿の少女が姿を現すと賢治は内心で「ややこしそうなのが来たなぁ」と若干気が重たくなり遥の頭から手を退ける。

 遥は現れた人物を一瞬見惑ったが、その少女が白藤家の一人娘で自分達の妹分に当たる白藤真梨香その人である事には直ぐに気が付いた。かつて小学五年生だった真梨香は三年の月日を経て遥と賢治が有望視していた通りの魅力的な娘に成長していたが、そのおっとりとした顔立ちにはきちんと遥の記憶にある小学生時代の面影が残っていたし、何よりトレードマークのツインテールが相変わらず健在だ。中学二年生になった真梨香を目の当たりにした遥は、これがかつて無邪気に「遥くんのお嫁さんになってあげる」と言っていた子供かと思うとなかなか感慨深い物がある。

「賢治くん来てたんだー」

 真梨香は自分が出てきた扉正面の席に座る賢治を見つけると両手を振って緩い笑顔を見せた。遥の小さな姿はカウンターを挟んでいる事もあって死角になっているのかその存在には気付いていない様である。

「何だ真梨香、平日なのに随分帰りが早えな」

 平日の昼中に学校から帰宅した娘を竜造は不思議に思った様だが、遥と賢治はその理由に心当たりがあった。

「今日は中学の卒業式ですよ」

 遥の退院に駆けつけられなかった美乃梨によってもたらされたその情報を賢治が告げると竜造はポンと手の平を打つ合点の仕草を見せる。

「そういや今朝そんな事言ってたなぁ」

 どうやら事前に聞かされてはいたが失念していた様だ。竜造は一人娘の真梨香を溺愛しているが、今回の件に関しては真梨香が卒業する訳では無いので余り興味が無かったらしい。

「まあいいや、なんにせよ丁度いいとこに来たな」

 娘がいつもより早い帰宅をした理由に納得がいった竜造は、早々にその話題を切り上げ真梨香を手招きすると賢治の隣に座る遥を指し示した。

「真梨香、賢治の隣見てみろ」

 真梨香が促されるままやや身を乗り出して賢治の隣に目をやると、そこには当然可愛らしい幼女の姿で背の高いカウンター席にちんまりと座っている遥の姿が有る。しかし当然真梨香にはこの幼女が遥である事は想像だにもできない事で、単純に初めて目にする女の子という印象だろう。

「賢治くんどこでさらってきたの?」

 真梨香が小首を傾げ冗談とも本気ともとれない緩い口調で賢治にそう問いかけると言われた賢治は飲みかけていた水を思わず吹き出しそうになってしまった。

「さらってねぇよ!」

 慌てて飲み込んだ水にむせ返りながらも声を荒げ強く否定した賢治だが、対して真梨香は更に首を傾げて見せる。

「賢治君はロリコンなの? だからモテモテなのに彼女作らないの?」

 不思議そうに悪意ない無意識で追い詰めに掛かった真梨香に賢治はげんなりとして深いため息を漏らす。

「勘弁してくれ…」

 ワンピース姿の遥に見惚れてしまって以来、遥を異性として意識し初めている事に内心自分でも、俺はロリコンなのかもしれない、と疑念を抱き始めていた矢先だったので中々堪えるものがある。

「もっと他にあるだろ、親戚の子とかさぁ」

 先ほど竜造から言われた事を思い出した賢治がロリコン以外の代案を提示してみせると真梨香は胸前で手を合わせてゆるい笑顔を見せた。

「親戚の子なんだぁ」

 納得の表情で笑う真梨香だが、ただの例え話だった賢治はそう納得されてしまっては身も蓋もないし、遥が既に竜造に自身の素性を明かしている以上ここでその設定を通す事にも意味がない。

「いや…違うけどな…」

 納得しかけていた真梨香は賢治にそう否定されてはただただ不思議そうに首をかしげるばかりだ。

 遥と竜造は賢治と真梨香のやり取りをしばらく愉快そうに見守っていたが、そのやり取りがひと段落したと見るや竜造が真梨香の肩に手を置いて改めて遥を指し示す。

「真梨香、お前もよく知ってる遥だぞ」

 竜造の言葉に真梨香は目をぱちくりさせしばらく首を捻って何やら考えを巡らせてから改めて幼女姿の遥を見やる。真梨香の良く知る遥という人物は賢治の幼馴染でパッとしない男の子であった遥しか該当者がいないのだ。

「遥くん? 賢治くんの幼馴染の?」

 幼女以外の何物でもない遥を不思議な物を見る様にして心底不思議そうに首を傾げる真梨香に遥は頷き返す。

「うん、事故で身体が無くなっちゃって今は女の子の身体なんだ」

 混乱する事頻りの真梨香に対し竜造にしたのと同様のかなりざっくりした説明をしてから遥は少し悪戯っぽく笑った。

「真梨香をお嫁さんにしてあげられなくなっちゃった」

 遥のその言葉に賢治は横で苦笑し、本人からの回答を受け取った真梨香はしばらくポカンとしていたが、およそ一分程間をおいてからようやく事態を飲み込んだのかそのおっとりとした瞳がまん丸に見開かれる。

「え? えぇぇぇー?」

 表情にワンテンポ遅れて驚きの声が上がった。

「嫁入り先が無くなって残念だったなぁ!」

 驚愕する娘の肩をバシバシと叩きながら竜造も遥の言葉に乗っかり豪快に笑う。正孝の息子である遥の事を気に入っている竜造は半ばそれを公認していたが、それも遥の性別が変わってしまった今となっては白紙に戻さざるを得ない。

「そんなぁー、マリずっと待ってたのにぃ」

 真梨香は気の抜けた声で女の子になってしまった遥を困り顔で口惜しそうに眺めるが、その反応を見た遥は少々慌ててしまった。

「えっ? 真梨香あれ本気だったの?」

 真梨香の嫁になる発言は幼少期の無邪気な戯言だと思っていた遥は、自分が奏遥本人であるという証拠提示を兼ねた冗談のつもりで「嫁にしてあげられない」と言ったに過ぎなかったので、ずっと待っていたと言われた事はかなりの想定外である。

「マリはずっと本気だったけどぉ…でもそっかぁ…遥くん女の子かぁ」

 遥のどう見ても愛らしい女の子である姿を尚も口惜しそうに眺める真梨香だったが、ふと何か考える様にして数度首を捻るとそれからやや間を置いて胸前でぽんと手を叩いた。

「でも遥くん帰って来てくれたしもういっかぁ」

 自分なりに納得がいったのか、真梨香はゆるいニコニコとした表情になって嫁入り先が無くなった事よりも遥が戻って来たその事がまず何よりだと受け止めてくれたようだ。

「ごめんね真梨香」

 遥は謝りながらも、三年を経て年近い魅力的な娘になった真梨香の姿に、これはもしかして惜しい事をしたのではないかと思わないでもなかったが、もう女の子になってしまった今となってはどうしようもない。

「こんな事だったら今日された先輩の告白受けとけばよかったなぁ」

 真梨香が間延びしたあまり残念そうではない口調でそう言うと、今まで色恋沙汰など経験した事がなかった遥は最近の子は進んでるんだなと妙に感心してしまったが、真梨香が男受けしそうなタイプなのは確かなので告白されたと言うのも頷ける話だ。

「先輩から告白とかマリちゃんやるなぁ」

 特に意外でも無い様子で率直な感想を述べる賢治も中学時代にはラブレターを貰ったり卒業式でボタンが全部無くなったりしていた事を思い出した遥は、成程これがリア充とそうでない者の差かと一人妙に切ない気持ちになった。しかしそんな遥の切なさなど可愛い物で、この話題で最も心中穏やかではない人物は何を隠そう真梨香を溺愛する父竜造その人だ。

「今の話ちょぉっと詳しく聞かせてくれないか?」

 腕を組み笑顔で真梨香に問い掛ける竜造は、可愛い娘に言い寄る素性の知れぬ不貞の輩を看過できないらしく、笑いながらも眉間に皺が寄り青筋を浮かべ何よりも目が笑っていない。

「卒業式の後に五人くらいの先輩に付き合ってくださいって告白されたんだぁ」

 不貞の輩に怒り心頭しているであろう父親の様子を特に気にした風もなく、真梨香はその事を少し誇らしげに言うが、それを聞いた竜造は眉間の皺を数割増しにして額の青筋をよりクッキリと浮かび上がらせる。娘に言い寄る輩が一人では無かった事がその荒ぶる親心に火を付けてしまったようだ。

「五人…だとお!?」

 わなわなと身体を震わせる竜造の姿を目にした遥と賢治は本能的に危険を察知する。二人は竜造の感情が爆発すると周囲を巻き込む大噴火に発展する事を今までの経験から知っていた。そしてそれは遥の退院という晴れの日にあっては断固として味わいたく無い種類の事柄だ。

「ハル、俺らはそろそろ行くか…」

 今にも高温の蒸気を吹き出しそうな竜造の様子に賢治が顔を青くして退店を促すと、同様に顔を青くしていた遥もそれには異存なかった。

「おっちゃん御馳走さま! お金ここ置いとくから!」

 そうと決まれば善は急げと、賢治は竜造火山が噴火する前に店から脱出しようとそそくさと席を立ち二人分の食事代をカウンターに置く。代金ぴったりは無かったがまごまごして大噴火に巻き込まれる事を考えればこの際釣りは惜しくない。賢治はそのまま足早に店を出ようとしたが、そんな賢治を竜造が強い語気で呼び止めた。

「待て待て! 金は置いて行くな!」

 賢治を呼び止めた竜造は真梨香から向き直るとカウンターに置かれた代金を鷲掴みにしてそのまま賢治に付き返す。その行動に賢治が困惑の表情を見せると竜造は賢治に出遅れて足のつかない背の高いカウンター席から慎重に飛び降りようとしている遥の事を親指で指し示した。

「遥の復帰祝いって事で今日は俺の驕りだ!」

 威勢よくそう言った竜造の心意気に賢治は感激を顕にして姿勢を正す。

「ありがとうございます!」

 賢治がきっちりと頭を下げ感謝の気持ちを述べると無事椅子から降りられた遥も賢治に倣ってぺこりとお辞儀する。

「おっちゃんありがとう」

 二人が竜造の粋な心遣いに感激していると真梨香が竜造の陰から顔を出して笑顔を見せた。

「遥くんが帰って来てくれてマリも嬉しいよぉ」

 真梨香の笑顔は相変わらずのゆるさで普通の人にはその感激度合いは伝わりにくい物だが、それなりに付き合いの長い遥にはそれがいつもの三割増しにニコニコとしていると判別でき、その喜びがちゃんと心からの想いである事がしっかりと伝わって来た。

「真梨香ありがとう、今度またゆっくりね」

 遥が愛らしい笑顔で手を振ると真梨香も引き続きのゆるい笑顔で手を振り返し、次に賢治に向ってもまたニコニコ三割増しのゆるい笑顔を見せる。

「賢治くんもよかったねぇ」

 遥が居なくなってから賢治が随分と落ち込んでいたのを真梨香も勿論知っていた。中学生の真梨香にその心情を思い遣られた賢治は苦笑するが悪い気はしない。

「あぁ、心配かけたな」

 少々照れくさくはあったが、真梨香は真梨香なりに心配していてくれたのだとその気持ち自体はありがたい物だと素直に受け止め、いつかその気持ちに報いねばなと心に留める。

「よし真梨香、そんじゃ続きを聞かせてくれ!」

 竜造が再び娘とのやり取りに戻ったのを認めると、遥と賢治はお互い顔を見合わせてこれ以上の長居は無用である事を確かめ合う。

「それじゃご馳走様!」

 二人は真梨香を問い詰める竜造の背中にそう投げかけ店の扉を開く。竜造の陰から真梨香が再び顔を出して手を振ってくれると遥と賢治もそれに軽く手を振り返してから店の敷居を跨ぎ外へと向かった。

「二人でまたちょくちょく顔出せや!」

 竜造が振り返らず真梨香に向き合ったままで退店する二人の背中にそう投げ返す。「二人でまた」というその言葉に、どちらともなく視線を合わせて自然と笑みを交換した遥と賢治は三年前に止まっていた二人の日常が再び動き出した実感を互いの心でしっかりと分かち合った。

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