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2-1.日常

 賢治の運転する車に乗り病院から自宅へと向かう遥は、慣れ親しんだ地元の風景が三年を経て色々と変化している事に驚いた。比率で言えば変わっていない部分の方が多いのだが、見慣れない建物の出現と見慣れていた建物の消失は、体感時間で一ヶ月半しか経過していない遥にとってはまるで魔法の様に感じられた。

 横で運転する賢治は、遥が三年前と変わっている街の様子を発見する度、あれが無くなっている、あの建物のある場所は以前あれだった等々、賢治がもう覚えていなかった事柄を逐一報告するので、そう言えば前はそうだったかもしれないと、既に記憶から消えていた三年前の街の姿を思い出して少し懐かしい気分になった。

「賢治、あれ! あれ何?」

 見慣れない建物を見るたび感嘆の声を上げていた遥が一際大きな驚きの声を上げたのは交差点を曲がった眼前に遥の知らないかなり大きな建造物が現れたからだ。遥の記憶ではその場所は田園地帯で見通しのいい何もない場所の筈だったが、今では広大な駐車場と真新しい近代的で複雑な巨大建築がそびえ建っている。

「あぁ、ユニオンだよ。去年だかにできたんだ」

 一際目立つ見知らぬ建物を発見し子供の様にはしゃぐ遥に対し、賢治は自然と頬を緩ませながら目の前の建物について軽く説明した。その大規模な施設はスーパーマーケットを全国展開するユニオングループの郊外型ショッピングモールで、遥達の街に建設されたユニオンは正式名称をダイヤモンドモールと言う。有名ブランドを始めとした多数のテナントを揃え、スーパーマーケット、フードコート、ホームセンター、ボーリング場等のアミューズメント、そしてシネマコンプレックスから成り立つかなりの大型店舗になっている。

「すごいなー!」

 遥は目を輝かせて感激しているが、対して賢治は既に出来てからしばらくが経過している事と、あの施設が出来た為にちょっとした弊害を被っている事でややうんざりとした様子だ。

「あれが出来たせいで休日はこの道すげー混むんだよなぁ」

 今走っているユニオンに続くこの道は街の主要道路に当たり、何かにつけて頻繁に利用する道なので、かの施設が出来た為に休日の度かなりの混雑を見せる事を賢治は迷惑に思っていた。遥達の住む街は都市部からは電車で一時間程の距離があり、周辺には娯楽施設が少ない。それ故に休日の大型ショッピングモールにはこぞって地元の人間が集まるのだ。

「手近で暇潰すにはいい場所なのかもしれないけどなぁ。良く地元の―」

 賢治がそこまで言って言葉を止めたので、不思議に思った遥が「地元の何?」と続きを求めると、賢治は一瞬考え、本来言おうとしていた事とは別の事を口にした。

「いや、地元の暇人どもが集まるんだよ」

 遥は「なるほど」と納得した様だが賢治が元々言おうとしていた事は、地元のカップルが良くデートスポットとして利用しているという旨だった。しかし何故かそれを言うのは気まずいように感じてしまい言葉を濁してしまったのだ。

 賢治を気まずくさせたのは今も隣に座る遥の可憐で愛らしい出で立ちに外ならず、どうにもワンピース姿の遥を見てから変に意識してしまっている。遥は冗談半分で自分の事を「女の子」と言ったが、遥は女の子で居る以前に幼馴染で無二の親友だ。ましていくら美少女とは言っても外見年齢的には十歳前後の年端も行かぬ少女なのだ。賢治はそんな遥を異性として意識する等自分はどうかしてしまっていると思わずにはいられない。ふと美乃梨が度々口にする「賢治さんはロリコン」という発言を思い出し自分はその通りのヤバい奴なのか? と得も知れぬ苦悩に苛まれた。

「今度二人で行ってみようよ」

 賢治の苦悩を露知らず、すっかりショッピングモールに興味津々な遥は無邪気に提案するが、賢治は先ほど言わなかったデートスポットという単語が脳裏を掠めぎくりとしてしまう。当然遥は友人同士で遊びに行こうという意図意外になく、賢治としてもそれは百も承知なのだが、妙に気がそわそわとしてしまうので、素直に遥の提案に乗ってやる事ができなかった。

「あー、うん、その内な…」

 今はそんな曖昧な返事をして誤魔化すのが精いっぱいである。

「それよりハル、腹へってないか」

 賢治はひとまずショッピングモールから話を逸らそうと話題を切り替え、カーオーディオのパネルに表示されている時計がそろそろ正午を示そうとしているのを確認した。

「そういえばお腹空いたかも」

 賢治に言われて遥も昼食時である事に気が付き、自分のお腹辺りをさすってその空き具合を確かめる。病院で規則正しい生活を送っていた遥の体内時計も食事時だと告げている。

「そんじゃ白竜でも行くか」

 賢治が昼食のメニューに馴染みのラーメン屋を提案すると、遥も「いいね!」と嬉々とした笑顔を見せた。この一ヶ月半、味気ない病院食で過ごして来た遥にとって、それはこの上なく魅力的な提案だ。白竜亭の濃厚な醤油豚骨ベースの味を想像すると遥のお腹はきゅぅっと小さく鳴った。

 賢治が敢えて遥に食べたい物を聞かず白竜亭を提案したのは、多彩な飲食店が組み込まれている目の前のショッピングモールを回避するためだったが、遥は喜んでいる様なので結果としては良かっただろう。


 賢治と遥が昼食を取るため行きつけのラーメン屋「白竜亭」に入ると短髪に鉢巻きをした厳つい風貌の店主、白藤竜造しらふじりゅうぞうが「らっしゃい!」と威勢のいい挨拶で二人を迎えてくれた。カウンター席と四人掛けのテーブル席が二つしかない狭い店内は、遥の記憶と寸分と変わっていない。これまでの道すがら変化した街並みに度々驚かされて来た遥だが、記憶と変わりない馴染みの店内に自分のテリトリーに帰ってきた実感が持てて少しほっとした気分になる。平日の店内は昼食時であるにも拘らず他の客は見当たらないが、今も遥の記憶通りの客足なら、夜になればそこそこ賑わう店のはずだ。

「なんだ賢治じゃねーか、いつものカウンターでいいかい?」

 竜造は入ってきたのが賢治だと分かると気さくな笑顔を見せた。賢治と遥は近所に住んでいる事と昔からよくこの店を利用している事もあり竜造とは顔馴染みの気心知れた間柄といった感じだ。賢治は竜造の勧めと普段の習慣かから自分の定位置であるカウンター席へと進もうとしたが、ふと足を止め遥の方をちらりと見やる。

「あー、おっちゃん、テーブル席いいかな?」

 白竜亭のカウンター席は椅子が高く、今の遥では座りにくいだろうと思い至った。

 賢治が珍しくテーブル席を要求して来たので竜造は不思議に思ったが、賢治が自身の陰に隠れる様にして立っていた小さな女の子を見た事で竜造もその存在に気が付き納得がいく。しかし小さな女の子を連れている賢治というのはテーブル席を要求された事よりも馴染みのない不思議な光景だ。

「見慣れない子連れてるね。親戚の子かい?」

 竜造は物珍しそうに賢治の連れてきた小さな可愛らしい女の子を眺めるが、姿が全く変わってしまっているのでこの小さな女の子が遥だとは到底気付くはずもない。

「あー…えっと」

 賢治はこのどう見ても十歳前後の幼女にしか見えない人物が幼馴染の遥である事を何と説明したらいいものか、そもそも遥は今の身体で自分の素性を明かす事に抵抗は無いのだろうかと考え竜造に対する答えに迷った。馴染みの店に来ればこういった少しややこしい事態になるのは予測できたはずなのだが、事前の確認をしなかった自身の迂闊さが悔やまれる。賢治が言いあぐねていると遥が賢治の袖を引っ張った。

「ボクが自分で説明するよ」

 遥は望めばこのまま賢治と口裏を合わせ、賢治の親戚という設定を押し通す事も出来たのだが、今後の為に少なくとも自分の生活圏内にいる顔見知りには、自分の事情をちゃんと話そうと決めていたので自ら進んで賢治の肩の荷を下ろす。遥は一旦心の準備を整えてから馴染みの店の馴染みの店主へと向き直ってにっこりと笑って見せた。

「竜造さん、遥です」

 遥は自分が既知である事をアピールする為に敢えて竜造の名前を呼び自分の正体を告げる。

「そうか、はるかちゃんって言う…ん?」

 竜造は普通に自己紹介されたのだと思ったが、聞き馴染みのある名前と、自分の名前を読んだ事、そして何より賢治と連れ立って来た事で近所に住む遥少年の存在に思い至った。しかし今名乗りを上げたのは十歳にも満たなそうな可愛らしい女の子だ。平凡な男の子だった遥とは似ても似つかない。

「奏正孝の息子、奏遥です。事故で前の身体が無くなっちゃって、今はこんな見た目です」

 混乱している様子の竜造に遥が怯まずかなり掻い摘んだ説明したので賢治は、これで通じるのか? と若干不安になるがしかしそれは杞憂だった様だ。

「マジでマサくんとこの次男坊か! まさかと思ったがこりゃ驚いたな!」

 竜造は目を丸くしながらも目の前の幼女が近所に住む奏家の遥だとちゃんと理解した様だった。手酷い事故に見舞われた遥が治療の為に長期間の入院をしている事は知人間では共有されている情報ではあったし、何より正孝の名前を出したのが効果的だった様である。正孝と竜造は小中校と同じ学校に通った先輩後輩の間柄で良く知る仲なのだ。因みに正孝の方が二つ年上の先輩に当たる。

「そう言やこないだ、もうすぐ遥が退院できそうだってマサ君嬉しそうに言ってたよ!」

 竜造は豪快に笑って「良かった良かった」と目の前の幼女が遥だという事をあっさりと認め、遥の帰還を大いに祝福してくれた。

「まあ取りあえず好きな所座んな!」

 賢治は話がスムーズに済んだ事に安堵し、手前のテーブル席にそのまま腰を落ち着けようとしたが遥が再び賢治の袖を引っ張った。

「賢治、そこじゃないよ」

 そう言った遥は一番奥のカウンター席まで行くと、椅子の高さに多少難儀しながらも、よじ登るようにしてその場所に腰を落ち着ける。遥の座った場所は、入店直後に賢治も自然と足が進みそうになった遥と賢治がこの店を利用する時の定位置に他ならない。

「ああ、そうか…そうだよな」

 賢治は誰に言うでもなく一人小さく呟き、馴染みの店で馴染みの席に遥が座っている光景をその視界に収め胸の奥に熱い物が込み上げた。

「おっちゃん、ボクいつものやつね」

 席に着いた遥が当然と言う様に決まりの文句を口にすると竜造は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにニカッと笑い「あいよ!」と快く注文を受け付ける。遥の居る馴染みの店、遥の座る馴染みの席、そして決まりの言葉、それは賢治がずっと追い求めていた情景その物だ。

「賢治はどうすんだい?」

 賢治は竜造の問い掛けに穏やかな笑みで応え、遥同様決まりの文句を口にする。

「おっちゃん、俺もいつものやつで」

 床に届かない足をぶらぶらとさせている遥の隣に座った賢治はこの三年間望んで止まなかった日常が目の前にある事を強く実感し、その幸福感に心を震わせる。遥の姿は確かに変わってしまったかもしれないが、遥がそこに居ると言う事実に比べればそれは些細な事柄でしかないと感じられた。

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