5-18.年頃の悩み
青天の青空に薄っすらと掛かるうろこ雲が秋の訪れを感じさせる様になってきた九月上旬のとある土曜日。一年B組の男子と女子がクラスを二分する大舌戦を繰り広げた翌日でもあったその日、遥は朝から大層ソワソワしていた。
「大丈夫…、自然に…、普通に…、きっと大丈夫…、きっと出来るはず…」
まるで呪文のように、ぶつくさと独り言をつぶやきながら、部屋の中をぐるぐるぐるぐる行ったり来たり。かと思えば、不意にドレッサーの前でピタリと足を止めて、今度はその場でくるりと一回転、スカートの裾をふんわりひるがえして見せたりもする。
「良い感じ…だとは思うけど…うーん…」
今日の遥は、襟の大きな白いブラウスに、ダークブルーのジャンパースカートを合わせて、ちょっぴりクラシカルなお嬢さま風コーデ。実際にその装いは、幼くも愛らしい遥の魅力を良く引き出しており、確かにとても良い感じではあったがしかし、当の本人は一応の自画自賛を口にしておきながらも、何やら今一お気に召さない様子で。
「もうちょっとこう…大人っぽい感じにならないかなぁ…!?」
不満の種はそういう事の様で、遥が常日頃から自身の幼い外見にコンプレックスを抱いている事を思えば、その気持ちは何となく分からないでも無い。ただ、遥の身体が幼女である事もまたまごう事無き事実であるのだから、「大人っぽい感じ」などは、流石に些かの無い物ねだりである。
「持ってる服の中では、これが一番大人っぽい組み合わせだと思ったんだけどなぁ…」
姿見の前で今一度くるりとターンを決めて、遥は改めて自身の全体像を確かめてみるも、見れば見るほど幼女なものはどうしたって幼女だ。
「むぅ…」
普段なら、遥は自身の幼い外見を不満に思いながらも、最終的には仕方が無い事としてある程度の割り切を見せられるのだが、今日に限っては妙に固執してしまう。
「なんとか…したいなぁ…」
肉体年齢が幼女である事自体は最早如何ともしがたいとしても、例えば遥にもう少しだけ女の子的着眼点が身についていれば、ここで髪型を工夫してみたり、化粧に挑戦してみたりする程度の事は試みれたかもしれない。無論、それによって遥が「大人っぽい感じ」になれるかどうかはまた別の話で、その辺りは多分に議論の余地はあるが、少なくとも気休めくらいにはなっただろう。ただ残念な事に、女の子としてはまだまだ未熟な上、元来お洒落にそれほど頓着の有るタイプでも無い遥では、その気休め程度の発想ですら思いつくのは難しかった。
「よしっ! もっといい服が無いかもっかい探してみよう!」
結局、圧倒的に「女子力」の乏しかった今の遥が思い付けた事といえば、その程度が関の山であった。
素材がそのままであれば、どれだけ「側」を変えた処で大した成果は期待できないがしかし、当の遥は其れと知ってか知らずか、早速とばかりにクローゼット漁りを開始する。
「これは…ちがう…、これも…なんかちがう…、これは…うーん…微妙…」
クローゼットから服を引っ張り出しては放り出し、引っ張り出しては放り出し。そんな事を五分も続けていれば、元々大して広くも無い遥の部屋は、あっという間に床一面が洋服の海だ。
「これも、これも、これも、うー…かわいい系ばっかりだぁ…」
遥の所持している服の殆どは、その愛らしい容姿を最大限に生かす方向性で響子や朱美が用意した物なのだから、それも当然といえば当然の話である。
「一着くらいカッコいい感じのやつがあってもいいのにー…」
いつの間にか、求める物が「大人っぽい感じ」から「カッコいい感じ」にすり替わってしまっていたあたりは、如何にもファッションに疎い遥らしい発想の貧困だ。きっと遥は、大人っぽさのお手本として、何でもスタイル良く着こなして見せる沙穂あたりをイメージしていたに違いない。だとすれば、それこそ素材からして違うのだから無い物ねだりの極みというヤツであり、遥が自身のクローゼットからそれに相当するコーディネートを見つけ出す事などは最早ほぼ不可能な話しであった。
「だめだー! 全然良いのが見つからないよー!」
案の定、イメージを限定しすぎた所為もあって、クローゼットの大半を改め終わっても、「大人っぽくてカッコいい」服を見つけられなかった遥は、徒労感から堪らず自分で散らかした洋服の海にポテっと倒れ込んで溜息を一つつく。
「はぁ…」
部屋の扉が不意にガチャリと開いて、今日もノックを忘れた賢治がひょっこりと顔を出したのは、丁度そんなタイミングでの事だった。
「ハル―って、おわっ、何だこりゃ!」
扉を開けたら一面に広がっていた洋服の海と、そこに力なく揺蕩っていた遥。そんな光景を前にして、賢治が思わず驚きの声を上げてしまったのも無理からぬ話であろう。遥は普段、滅多な事では部屋を散らかさない為、賢治にとってそれは、もしかしたら初めて目にしたかつてない「惨状」だったかもしれない。
「なにって、見た通りだよぉ…」
遥は洋服の海に倒れ込んだまま、ありのままである事を回答するも、賢治がそれで状況を理解できた道理は無く、当然ながら改めての疑問が返って来る。
「すまんがサッパリわからん…、ダイナミックな衣替えか…?」
賢治は分からないなりに、一応の状況推察を試みた様だが、勿論それは不正解だ。
「もー…そんなわけないでしょー…」
遥は「仕方がないなぁ」と言わんばかりの口ぶりで今一度の溜息を一つつくと、ここでようやく上体を起こして賢治の方へと向き直る。
「…だいたい衣替えには―」
まだ早い、と続けようとした遥が其処で言葉を止めたのは、賢治が扉を開けた状態のまま、一向に部屋の中へ入ってこようとしない事に気が付いたからだ。
「…どしたの? そんなとこに突っ立ってないで、中に入ったら?」
今さら気兼ねする間柄でもあるまいしと、遥は其れを不可思議にすら思って小首を傾げさせたがしかし、賢治からすればどうしたもこうしたも無かっただろう。
「いや、そうしたくても足の踏み場が無いんだが…」
言われてみればそれは全くもって然りで、これには遥も思わず納得頻りだ。
「あぁ…うん…そだね…」
見渡す限り一面洋服の海になっている部屋の有様は、冷静になってみれば遥自身の眼から見ても「酷い」の一言で、今更ながら何となく恥ずかしいところを見られてしまった気がしなくも無い。
「てへぺろ…」
照れ隠しにわざとらしく舌を出して見せたりする遥だが、さしもの賢治と言えども最早完全に呆れ顔だ。
「ったく…、取り敢えず、部屋に入れる気があるならもう少し何とかしてくれ…」
それもまた然りで、遥はいそいそと床に散らばっていた服を適当にかき集めると、それらを一旦ベッドの上へと避難させる事で、何とか賢治の立ち入れるスペースを確保する。
「えっと…とりあえず…これで、何とか…」
本当に「取りあえず」の雑な処置ではあったものの、入口付近から賢治の定位置までしっかり導線を作ってあった辺りは、一応「流石」という事にしておいてもいいだろうか。ともかく、これでようやく部屋の内へと踏み入る事ができた賢治は、それ以外に行き様も無かった事もあって、きっちり遥の用意した導線を辿って、いつもの定位置へと腰を落ち着ける。
「で、これはいったい何の騒ぎなんだ…?」
人心地着いた、かどうかは若干微妙ながらも、取りあえずの行き場を得た処で、賢治が当初の疑問に立ち返ったのは至極当然の流れだったとして、これに対する遥の回答はといえば、先ほどよりはもう少し明瞭だった。
「あぁ…うん、だから見ての通り、今日着る服が決まらなくて…」
賢治としては、見ても分からなかったからこその問いかけだったのだろうが、今度の回答には一応納得が言った様子で「成程」と頷きを見せる。
「…そうすると、今日はどっか出掛けたりするのか?」
この時、賢治がやけに神妙な面持ちになっていた事に遥は気付きつつも、その理由については今一つ分からず、また今日は特に出かける予定も無かった為に、二つの意味合いから小首を傾げさせた。
「ううん、どこも行かないよ?」
こうなってくると、自ずと今度は賢治の方が首を傾げさせる番である。
「…うん?」
遥が特別お洒落に頓着のあるタイプで無い事は、幼馴染である賢治にとっては殆ど常識にも等しい公然たる事実だ。女の子になってからは、家にいる時でもそれなりにきちんとした可愛らしい格好をする様にはなっていたのだが、それは持っている服が殆どそうだからという理由が主で、相変わらずお洒落に関心が高いという感じでは無い。それにも拘らず、今日の遥は、どこかへ出かけたりする訳でもないのに、着る服が決まらない等と言って嘆いている。
「スマン、良く分からないんだが…、出掛けもしないのにどうして服で悩むんだ?」
遥の事を良く知っているだけに、理解に苦しんだ賢治が思うさま疑問を投げかけると、それには何や少しばかり歯切れの悪い返答が返って来た。
「あぁ…、えっとね…今日は…その…ウチで文化祭の打ち合わせをする事になってて…」
昨日、学校で有った事を聞き知っていれば、賢治はこの時点で大凡の事に察しが付いただろう。ただ勿論、何も知らなかった賢治は、それでどうして遥が着る服で悩むのか今一つピンと来ていなかった。
「文化祭の打ち合わせって…、あれか? いつものヒナちゃんとかか?」
もしかしたら賢治は、頭のどこかでは既に正し答えを見つけていたのかもしれない。だとすれば、賢治がここで真っ先に沙穂の名前を挙げてみせたのはきっと、そうであってほしいという願望の現れだったのだろう。だがしかしそんな賢治の願いも空しく、遥が今日このタイミングで、文化祭について打ち合わせる相手と言えば、それはもう昨日の段階から決まり切っていた。
「ううん…今日来るのは早見君だけ…だよ…」
最早敢えて言うまでも無い事とは思うが、今日の遥が朝からソワソワしていたのも、やたらと「大人っぽさ」に固執したのも、全てはこれが原因だったのだ。
学校では、席が離れた事によって必要以上に意識しなくても済む様にはなっていたが、文化祭で着用する衣装草案を青羽と二人で週明けまでに練って来るべしという中邑教諭の謎采配によって、今日は正面切って顔を合わせなければならない。となればそれは、ソワソワするなという方が無理な相談であろうし、幾ら恋愛音痴な遥といえど、否、恋愛音痴な遥だからこそだろうか。それはもう、クローゼットを引っ掻き回したりするくらいには着る服で大いに悩んだりするというものだった。
「だからボク…、ちょっとでも大人っぽい感じにしたのに…、でも全然いい服がなくて…、もぉどしたらいいの!?」
そんな如何にも年頃の女の子らしい悩みで大騒ぎする遥は、見様によっては何とも微笑ましい限りではあったのだがしかし、残念ながらそのようには受け止められず、それどころか到底心中穏やかでは居られなかったがもちろん賢治だった。




