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5-15.二つの想い、二つの証明

 賢治はその日、遥の事がずっと心配でたまらなかった。

 何しろその日は、遥が女の子として初めて体育の授業に参加する日だったのだから。

 昨晩、遥からその話を聞いた時点では、付随していた「お願い」が些かとんでもなかった事もあって、そこまで気が回っていなかった賢治だが、少し時間を置いて冷静になってみれば、それはもう心配にならない理由などは何一つとって無かったのである。

 特に賢治が其れを強く自覚したのは今朝、いつも通りに遥を学校まで送って行った際、その横顔に少なからずの気負いを見た気がしたからだった。

 それからというもの、賢治は昨晩に遥自身が最も不安視していた着替え問題の行く末から始まって、遥が慣れない運動で怪我をしたり体調を崩したりしないかどうかや、果ては、きっと可愛いに違いない遥の体操着姿が男子の目を惹いてしまわないかどうか迄、遥と体育の組み合わせから連想できるありとあらゆる事を心配して、まるで生きた心地がしなかった程である。

 故にその日、四限目こそ欠席したものの、午後からは授業に復帰した遥がいつも通りの放課後を過ごしてからバスに乗って帰宅したところ、妙に深刻な顔をした賢治が自宅の門前で待ち構えていたのも半ば必然の流れだった。

「…ん、あれ…賢治…だよね? あんなところで何してるんだろ?」

 バス停の方から歩いて来た遥が先にその姿を見つけて思わず眉を潜めてしまったのは致し方なかった事として、賢治の方もその帰宅に気付いたとなれば、そこから先がちょっとした騒動になったのもまた必然だったのだろう。

「ハル! おかえり! 体育は大丈夫だったのか!? 怪我とかないか!? 体調が悪くなったりは!? あと、男子にイヤらしい目で見られたリとかもしなかったか!?」

 その姿を見つけるや否や、ものすごい勢いで駆け寄ってきたかと思うとは挨拶もそこそこに、それまで溜め込んでいた心配事を一気呵成にぶつけて来た賢治であるが、これに遥がポカンとしてしまったのは言うまでも無い。

「えっ? えっ? ちょ、えぇ?」

 どうやら賢治が女の子として初めて体育の授業に挑んだ自分の事を大層心配してくれていたらしい事は遥にも何となく察せられはしたものの、今はそれ以上にそのただならぬ剣幕にもう只々呆気にとられるばかりである。

「どうしたハル!? やっぱりどこか具合が悪いのか!? なんなら家までおぶっていってもいいぞ!?」

 呆気にとられているその様子を何か圧倒的に勘違いしたらしい賢治は、只でさえ尋常では無かった心配振りをますます加速させていくがしかし、こうなって来ると流石に遥としてもこのまま呑気にポカンとはしていられない。

「ま、まって! おんぶとか恥ずかしいから絶対やめて! っていうか賢治の勢いにビックリしちゃっただけで、ボク、別に何ともないから!」

 ここでようやく遥が少しばかりの強い調子で反応と反論をしてみせると、賢治も若干の冷静さを取り戻したのか、はたまた「何ともない」という申告にホッとしたのか、対話を成立させられる程度には落ち着きを取り戻してくれた。

「す、スマン…、今日はずっとハルの事が心配で、顔を見たら居てもたってもいられなくなっちまった…」

 今し方の剣幕でその辺りは十分伝わっていた為、ご近所の目があるこの場でのおんぶを勘弁してもらえるというのであれば、遥としてもこれ以上賢治を咎める謂れは一切無い。寧ろ、それどころか遥は、賢治がそこまで自分の事を気に掛けてくれていたのだと思うと嬉しくすらあって、その胸の奥がほんのりと暖かくもなった。

「賢治、心配してくれてありがとね」

 暖かな心のままに遥がニッコリ微笑んで感謝の言葉を述べると、賢治も今度こそホッとした様子で笑みを返して来る。

「あぁ、そんなのは当たり前の事だよ」

 その言葉で遥の心はまたほんの少し暖かになったがしかし、今度はそれと同時に胸のもっと奥の方が僅かにチクリとした。

「うん…」

 遥は近頃、思うのだ。こうして賢治が自分の事を「当たり前」に心配してくれるのは、幼馴染だからとか、親友だからとか、そういった「当たり前の」事以上に、やはりあの事故とそれに纏わる辛い記憶があるからなのだろうと。

 またそれとは別に、遥は近頃こうも考えたりする。こうして賢治に心配してもらえるのはきっと今の内だけで、それにはいつの日か終わりがやって来るに違いないと。

 そんな二律背反の想いを抱えている遥だから、賢治が優しくしてくれると嬉しくて、切なくもあり、暖かな心の奥では胸がチクリと痛んだりもするのだった。

「ハル…、大丈夫か? やっぱり具合が悪いんじゃないのか…?」

 期せずして複雑な心境になって、その表情も少しばかり暗くなってしまっていた為か、賢治がそれはそれでまた心配そうに尋ねて来ると、ハッと我に返った遥は思わずアタフタとしてしまう。

「やっ、ホント全然大丈夫! そ、それより、こんなところで立ち話もアレだから家に入ろ! ね!」

 そう言って遥があと十メートルも無い自宅へと向かって歩き出せば、賢治も取りあえずは「そうか」と応えてその後をゆるゆると追って、二人は短い帰宅の途へと付いた。

 

 其れから程なく、元々大した距離でも無かった為、あっという間に自宅へと帰り着いた遥は、そのままごく自然な流れで賢治を伴って自室へと向かおうとしたがしかし、その為に階段を三段ほど昇った刹那の事である。

「は、ハル! すすすストップ!」

 後ろから掛かった唐突な「待った」に、遥は一応、言われた通りその歩みを止めながらも、呼び止められた意味については良く分からず、賢治の方へと向き返りつつキョントして小首を傾げさせた。

「どしたの? 流石に『階段は危ない』とか言わないでよ?」

 勿論、遥は冗談のつもりでそう言ったに過ぎなかったのだが、そういう時に限って案外正鵠を射ていたりするのだから物事とは分からないものである。

「いや…、マジで階段は危ないから俺が先に行く」

 遥からすれば、瓢箪から駒とは正しくこの事であり、これにより一層キョトンとしてしまったのは言わずもがなだ。

「ちょ、いくらなんでも、家の階段くらいボクだって大丈夫だよ!」

 その言い様だと、他の階段では意外と危ない時がある事を暗に認めてしまっているかの様だがそれはともかくとして、遥は自宅の階段なら今の身体になってからだってもう何百回と昇り降りしてきている。それを今更「危ない」なんて言われたら、例えそれがどれだけ善意溢れる忠告であろうとも、流石にそれは余計なお世話が過ぎるというやつだ。

「もぉ、賢治、心配しすぎ!」

 実際、若干プライドを傷つけられた感もあった遥は、プイっと正面に向き直って、「見てろ」とばかりに階段を上って行こうとしたがしかし、そうはさせてくれなかったがやはり賢治だった。

「まてまてまて! まってくれ! マジで危ないから! ほんともうマジでギリギリなんだって!」

 そんなにも危なっかしく見えるのかと思うと殊更に癪だった遥は、それだけに文句の一つも言ってやらねば気が済まないとばかりに、今度は昇りかけていた階段を駆け下りて、可愛らしい膨れっ面で真正面から賢治を睨みつける。

「もぉ! 何がそんなに危ないっていうの! それに危ないから先に行くっていうのも意味が分かんないんだけど! ボクが階段を踏み外すとでも思ってるなら、賢治が後ろに居てくれた方がよっぽど良いんじゃないの!?」

 納得できる理由が有るのならば聞かせてもらおうかと遥が猛抗議をすると、賢治は何とも気まずそうな面持ちでスッとある一点を指差して来た。

「それだよ…その短くしてる制服のスカートだよ…」

 遥にとってそれは、少々予想の斜め上をいく回答ではありつつも、賢治が何をもって「危ない」と言っていたのかには完璧な理解が及んで、これには思わずの「あー」という間の抜けた感嘆の声を上げてしまう。

「そんな短いスカートで前を昇られたら…、その…見えちまうだろ…」

 確かに言われてみればその通りで、放課後を経て来ている遥のスカートは現在ミニ仕様になっている為、下から付いていこうとした賢治の眼前には、さぞや「危ない」「ギリギリ」の光景が広がっていたに違いない。

「あぁ…うん、そだね」

 道理で賢治は必死だった筈で、今やその忠告にはかなりの正当性があった事を認めざるを得ない遥である。

「だから俺が先に行くっつったんだ…」

 賢治の主張が全面的に正しかった事を認めた今、遥としてはその点についても最早異論を唱えるべくも無い。

 ただし、残念ながら遥が納得して理解できていたのはあくまでも、それを一般常識として論じた場合の話であり、賢治の心理的な側面についてまではその限りでは無かった。

 だから遥は、賢治の気も知らずに、つい次の様な事を大変屈託のない笑顔でサラリとナチュラルに言ってしまったりもするのだ。

「まぁでも、賢治にだったら、ボク、見られても良いけどね?」

 無論、遥のそれは、敢えて言うまでも無いとは思うが、「大好きな賢治になら見せられる」とかそういう思わせぶりな意味合いが含まれた言葉ではない。寧ろそれは、「今さら賢治にパンツを見られたところで、別に恥ずかしくも何ともない」という女の子としては正しく残念極まりない趣旨の発言なのである。

 尤も、遥がどんな意図でその発言をしていたとしても、言われた賢治からすれば、それはもう色んな意味で堪ったものでは無い。

「お、おまっ!」

 長年幼馴染と親友をやって来た賢治なのだから、勿論、遥がどういった趣旨でその発言をしたのかは分かっていた筈だ。否、おそらくは分かっていたからこそ賢治としては相当に複雑な心境だった事だろう。

 何せその発言は賢治からすれば、遥にとっての自分が「特別」な存在であるという証明であったの同時に、遥が自分の事を「異性」と見なしていない事の証明でもあったのだ。

 実際は賢治が「異性」として見られていないというよりも、ただ遥に女の子としての自覚が今一つ足りていないだけの事だったのだが、いずれにしろ賢治が複雑である事には変わりない。賢治はその生真面目で常識にとらわれがちな性格ゆえに、遥と自分の関係性が「男女」でなければ、今もその胸の内に溜め込んでいる熱い想いは遂げられないものと思い込んでいるのだから。

「ふふっ、なんだったら見せて上げようか?」

 こういう時に限って、遥が無自覚な天然の小悪魔っぷりを発揮したりするものだから、賢治からしたらいよいよもって堪らない。

「ばっ! そ、そういうこと言うか!?」

 実際に、スカートをちょこっとたくし上げながらだった遥の「見せて上げる」発言に、賢治はもう目を白黒とさせるばかりである。

「あははっ、流石にそれは冗談だよ」

 慌てふためく賢治の様子が可笑しかったのか、コロコロと愛らしく笑う遥であるが、言われた賢治からすれば全くもって冗談ではない。

「はぁ…ったく…勘弁してくれよぉ…」

 今日一日、ずっと遥を心配していた事もあり、いつからか口癖になりつつあったその台詞を今回もまた口にして、最早完全にゲッソリの賢治であった。

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