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5-7.教師と生徒

 二学期が幕を開けてから数日。

 夏休みの余韻も徐々に薄らいでゆき、大半の生徒が学校生活という学生の日常を取り戻しつつあった中、遥はといえば、相変わらず青羽とどう接すればいいのか分からないまま、大変に心穏やかではない毎日を送っていた。

 一応、青羽は沙穂が合意を取り付けてくれた此方の方針にちゃんと従って、学校では必要以上に話しかけて来ない様に気を付けてくれていたし、放課後の不意打ちもあれっきり仕掛けて来なくはなったのだがしかし、それ以前の問題として、やはり学校生活の大半を過ごす教室内で席が隣というのはどう考えても具合が悪い。

 まず、遥が真隣に居る青羽の存在をどうしたって意識してしまうのは最早デフォルトとして、この席位置にはそれ以外にも具合の悪い事が幾つかある。

 例えばそれは授業中、窓際に座っている遥は教壇に立つ先生や黒板の方を注視しようとすると必然的にやや右斜めを向かなければならない訳だが、そうするとどうだろうか。なんと、先生や黒板に加えて漏れなく右隣に座っている青羽の横顔までもが視界に入ってしまうのである。

 しかも、当然といえば当然なのかもしれないが、青羽は青羽で遥の事が気になっている様で、此方を盗み見ている事もしばしばであり、うっかりでは済ませられないくらいには結構な頻度で目が合ってしまったりもするものだからさあ大変だ。

 青羽が横に居るというだけで意識しまくりの遥が目まで合わせてしまったとなれば、それはもう授業どころではなくなって、しばらくの間は自分でもハッキリと自覚できるほど熱くなっている顔をひたすらに俯かせて必死のクールダウンに努めるしかなくなってしまうのである。

 遥は一年生をやり直している関係上、それで成績が落ちるような事はおそらくないだろうが、授業態度としては間違いなく問題ありで、二学期早々な事もあって、教師陣からの覚えも中々に芳しくなく、そこもまた一つ具合の悪い点だろうか。

 実際、遥はたった今も、折角の昼休みに中邑教諭からの呼び出しを食らって、職員室横の面談室でお小言を頂戴せんとしている真っ最中だった。

「奏、二学期に入ってからどうにもお前さんの様子がおかしいと、各教科の先生方から多数の報告を受けているが、どうなっとるんだ? 何があった?」

 複数の教師から多数の報告とは、これまた随分と大ごとに捉えられている様だが、おそらくそれは遥が元来真面目で成績優秀な生徒だからなのだろう。そうであるならば、今回の呼び出しは、中邑教諭の言い様からしても、お説教というよりもお悩み相談という方が趣旨的には正しそうだ。

 尤も、趣旨が何であれ、どうとか何とか聞かれたところで、「隣の席の男の子が気になって授業に集中できません」、なんて恥ずかしい話を遥が正直に打ち明けられる道理は一切無かった。

「あの…えっと…なんて言うか…その…す、すみません…」

 理由を告げられない代わりに取りあえず謝ってみた遥だが、中邑教諭はその厳めしい面構えに違わず、そんな曖昧な返答で納得してくれるほど大らかな性格をしていない。

「まずは理由を言いなさい、謝るのはその後だ」

 どうやら中邑教諭は、原因をハッキリさせた上で無ければ、謝罪も受け付けてくれない様である。きちんと生徒の話を聞こうとするその姿勢自体は遥としても好感が持てなくは無かったが、ただ今回ばかりは一方的に叱って終わらせてくれていた方が良かったかもしれない。

「あ…ぅ…えっと…そのぉ…」

 結局のところ、遥はしどろもどろになって言葉を濁すしかなく、その様子に中邑教諭はただでさえ厳めしい面構えを益々険しくして溜息を一つついた。

「奏、お前さんが色々と大変なのは分かるがなぁ」

 ここで中邑教諭が分かっているという「色々と大変」な事とは、おそらく遥の身の上に纏わる特殊な事情に関する事柄だろう。遥自身はその事を学校内で口外しない様に制約を課せられてはいるものの、教師陣にはちゃんと周知されているのだ。

 ただ、勿論それは今回の事とはあまり関係がなく、そんな所に理解を示されたところで遥としては困ってしまう。

「す、すみません…、そういうんじゃ…ないんです…」

 本当の事を正直に明かせないのなら、「そういう事」にしておいた方がこの場は無難に乗り切れたかもしれないが、そんな要領の良さを持ち合わせないのが遥だ。

「ふむ…、どうにも要領を得んな…、そんなに言い難い事か?」

 それはもう物凄く言い難い事で間違いなかった遥は、ここに少しだけ希望を見出して、コクコクと首を縦に振って肯定する。

「そ、そうなんです!」

 この返答で「それなら仕方が無いな」的な方向に話が進んでくれる事を期待した遥であるが、残念ながらそうそう都合よくはいかなかった。

「いいか奏、俺は教師だ、生徒が何らかの問題を抱えているのなら、それをそのまま放置する事は出来ない、分かるな?」

 分かるか分からないかでいけば、自らの職責を全うしようとする中邑教諭の言い分は遥にも良く分かる道理ではあったし、事の次第によっては大変に頼もしくも感じただろう。ただ、中邑教諭が親身であればある程、遥としては余計に自分が直面している問題を打ち明け難くなってしまった節が無きにしも非ずだ。

 何しろ、遥が抱えている問題は、言ってしまえばただの「恋煩い」なのである。そんな事をこの如何にも教師然とした中邑教諭に相談するのは、恥ずかしさもさることながら、何やら申し訳ない気すらするのだ。

「うっ…せ、先生のいう事は…すごく…分かるんですけど…で、でもぉ…」

 もしこれがもう少し若くて気さくな感じの、例えば体育の菅沼教諭や養護教諭の美鈴恵美なんかが相手であれば、遥も悩みを打ち明けやすかったかもしれない。

 それに引き替え、四十代で強面な中邑教諭は、どう考えても高校生が気軽には話しにくいタイプの教師なのである。

 これでは、遥が悩みを打ち明け難いのも半分くらいは無理のない話だが、ただそれならそれでやり様を心得ているのがベテラン教師というやつだった。

「では、幾つか質問をさせてもらうが、それくらいは構わないな?」

 ここで敢えて「それくらい」と何でもない様な事に思わせつつも、「構わないな?」と断定的な言い回しを用いて了承を半ば強要している辺りがベテランの味だろうか。

 無論、それは誰にでも通じるやり方では無いが、そこはそれ、中邑教諭は当然相手を見た上でそのやり方を選択している訳で、実際、根が素直な遥に対しては正しく効果覿面だった。

「そ、それくらい…なら…」

 これこの通り、遥がまんまとその術中にはまって質疑応答を了承してしまうと、中邑教諭はその眼光をキラリと鋭くしてここぞとばかりに早速の質問を投げ掛けて来る。

「まず、教師として真っ先に危惧すべきは苛め問題だが、これはどうだ?」

 中邑教諭は今までにも散々その手の問題に遭遇して来たのか、非常に苦々しい面持ちを見せていたが、これに関しては取りあえず只の取り越し苦労だ。

「いえ、そう言うのは別にないです」

 淀みの無かったその返答に中邑教諭は僅かに安堵の表情を垣間見せると、続けて次なる質問を繰り出して来る。

「それでは、家庭環境についてはどうだ? 親御さんの教育方針がストレスになっていたりはしないか?」

 親御さんの教育方針と言われても、奏家は両親ともに割と放任主義で、遥は今も昔も進路の事はおろか、宿題をやりなさいと言われた記憶すらも殆どない。

 強いて言えば、女の子になった直後に響子が実施していた可愛い物漬けは多少のストレスではあったものの、高校に復学した頃には遥もすっかり慣れてしまっていたので、これを問題視するのは流石に今更過ぎる。

「そういうのも特には無いです」

 これにも遥が淀みなく応えると、中邑教諭は先ほど同様僅かな安堵の表情を見せるも、今度は直ぐに次の質問を繰り出してはこずに、ここで少しばかりの間をとって何やら思案顔になった。

「そうか、それならいいが…、ふぅむ、そうなると次に考えられるのは…苛めとは別な学校内での対人トラブル、例えばそうだな…、喧嘩、仲たがい、恋愛沙汰…」

 中邑教諭のそれは、おそらく考えを纏める為の独り言のふりをした一種のカマかけだったのだろう。そして遥は、またしてもその術中にあっさりとはまって、「恋愛沙汰」という単語にまんまと反応してしまっていた。

「…ッ!」

 遥の見せた実際の反応としては、ほんの一瞬だけサッと視線を泳がせた程度だったのだが、教師生活二十年のベテラン教師、中邑一がそれを見逃す筈はない。

「成程、恋愛沙汰か」

 中邑教諭が完全に確信を得てしまったとなると、遥にはこれをひっくり返せるだけの巧みな話術の心得は無く、こうなっては最早大人しく認めるより他ないだろう。

「あぅ…すみません」

 厳格な中邑教諭なら、そんな事で勉学がおろそかになるなど言語道断、と厳しい事を言ってくるかと思いきや、意外にもこれには些か予想外の言葉が返って来た。

「いや、謝る事はない、授業に差し障りが出ているのは確かに問題だが、恋愛それ自体は大いに結構じゃないか」

 普段の感じからは予想外すぎたその反応に遥が拍子抜けして少々キョトンともしてしまうと、中邑教諭は至って真剣な面持ちで何やら一人で頷きを見せる。

「確かに学校は勉学の場ではあるがな、何も勉強だけしていればいいとうものではないんだぞ、お前達は今の内にできる限り多くの事を経験しておくべきなのだ」

 その発言を皮切りに、中邑教諭は独自の教育論や人生観を大変熱心に説き始め、それは遥としても非常に興味深い内容ではあったのだが、残念ながらその熱弁ぶりに対して昼休みはあまりにも短い。

「―昔は不純異性交遊だ等とそれはもう厳しかったが、俺は当時からその考え方は間違っていると常々―」

 些か論旨を脱線させつつも語ろうと思えばいくらでも語れそうな中邑教諭も、流石に昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響いたとなればご高説もこれまでである。

「む…もうこんな時間か…では」

 遥はこれで今回呼び出された件自体がなんとなく終わったものと思ってほっと胸をなでおろしかけていたがしかし、流石に世の中、というか中邑教諭はそこまで甘くはなかった。

「お前さんの悩みは放課後に改めて聞くものとする」

 それは遥が思っていた展開とは大分異なっており、これには思わず素っ頓狂な声を上げずにはいられない。

「ほぁっ…?」

 中邑教諭は遥が上げてしまったヘンテコな声に渋い顔を見せながら、この話を放課後に持ち越さねばならない理由についてはちゃんと説明してくれた。

「担任として、授業に差し障りが出ない程度には、何とかしておかねばならんからな」

 という事の様で、そう言われてしまうと、遥としてもそれにはもう反論の余地など一ミリたりともあろうはずがない。

「あ…はい…」

 かくして、中邑教諭による遥のための放課後恋愛お悩み相談教室がここに開講決定である。

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