5-2.お馴染みの光景
「あんた達…暗いよ…」
二学期初日の放課後、やっぱり訪れていたカフェ『メリル』で、最早お馴染みとなりつつあるそんな台詞と共にお得意の呆れ顔を見せたのは、勿論言うまでも無く沙穂だった。
そして、その対面でどんより沈んだ面持ちで居る遥と楓が沙穂の言う「あんた達」であるところもまた、今やすっかりお馴染みの光景であろう。
「二学期早々…あんた達は何なのもぉ…」
沙穂が思わずそう言いたくなる気持ちは遥と楓にも分からなくは無いとしても、今回だって二人は例によって好き好んでどんよりとしている訳では無いのだ。
「だってぇ…、二学期が始まっちゃったんだよ? 明日から授業なんだよ?」
まず楓が告げたそれは、開放的な夏休みを経て来たばかりの学生ならば、きっと多くの者が少なからずの共感をし得る嘆きだっただろう。ただ、多数派に含まれない例外的存在はどこにだって居るもので、何を隠そう沙穂こそが正しくそうだった。
「またそんなこと言って、高校生は勉強が本分でしょ!」
それは大変に御尤もなド正論で確かにおっしゃる通りではあったのだが、それを突き付けられた楓が涙目になって益々沈んでしまったのは言うまでも無い。
「うぅ…ヒナちゃんのいぢわるぅ…」
そう言って楓が心底恨めしそうな上目遣いを見せると、流石の沙穂も少しばかり可哀想に思ったのか、小さく溜息を洩らしながらも僅かばかり優し気になった。
「…あーほら、二学期は学祭とか楽しそうなイベントもあるじゃない?」
その言い様が些か取ってつけた様だった事から、沙穂自身はもしかしたらそれを余り重要視していなかったのかもしれない。ただ、楓に対しては思いのほか効果覿面だったらしく、それまでのしょぼくれ具合が嘘のように、パッと顔を上げてその瞳をキラキラと輝かせた。
「そういえばそうだった! 学祭かぁ! クラスの出し物とかどうするんだろ! 定番はやっぱり女装メイド喫茶とかだよね…!」
それが一体どこ界隈での定番なのかはさて置き、沙穂としては楓が二学期に希望を見出してくれた事は一先ず何よりであろう。
「まぁ、うん…、そうね…」
沙穂はすっかり息を吹き返した楓に関しては、そんな適当な相槌をもって良しとすると、次にはその横で依然としてどんより沈んだ様子で居る遥の方へと目をやった。
「で…カナの方は…、まー、どうせ早見の事でしょ?」
半ば確信があったらしい沙穂の切り出し方は実に単刀直入で、その実正しくその通りだった遥はこれに思わずギクリとせずにはいられない。
「えっ…とぉ…」
遥が気まずさいっぱいに上目で見やると、沙穂はその態度から一層の確信を得たのか、中々の渋い顔をして深々とした溜息をついた。
「夏休み中に色々あったから、どう接したらいいか分かんないってトコ?」
これまた正しくその通りだった遥は、情けないやら恥ずかしいやらで堪らず頬を赤くしながらコクコクと頷きを返す。
「う、うん…、ボク…両想いって初めてだから…、変に意識しちゃって…」
その結果がモジモジソワソワするばかりでまともに会話もできなかった今朝の一幕であり、それだけに遥が最早憂鬱を通り越して今ではこうしてどんよりと沈んでいるのも無理からぬ話だった。
「両想い…ね…」
そう呟いた沙穂が一瞬だけ複雑な面持ちを垣間見せたのは、やはり花火大会での事があったからだろう。
対外的に見れば、遥はあの晩、青羽を選ばなかったのだから、「両想い」と言ったその言葉に沙穂が些かの引っ掛かりを覚えてしまったとしても何ら不思議はない。
尤も、実際の事実関係はもう少し複雑で、中でも賢治に対する遥の想い方が単純な「恋愛感情」では割り切れないものである事はもちろん沙穂だって承知している。
それに、本人が「両想い」だと言うのだから、遥にはまだちゃんと青羽を好きな気持ちがあるらしく、であれば沙穂が今ここであの晩の事を敢えて言及するべくもない。
そんな事をした処で、誰一人として幸せになりはしないし、何より、あの晩あの場からひっそりと立ち去った青羽が誰よりもそれを望んでいない事を沙穂は良く分かっているのだ。
「まぁ…意識しちゃったって、別に良いんじゃないの…」
刹那に彼是と想いめぐらせた沙穂が溜息交じりに述べたその結論は、別に自身の複雑な心持から少々投げやりになってしまったからでは無い。
遥の想い、青羽の想い、それらをきちんと鑑みた上で、沙穂はそれで何の問題も無いと、本心からそう思ったのだ。がしかし、その結論が些か言葉足らずで幾らか乱暴であった事は否めず、当然の様に遥はこれに少しばかり困惑した様子でいた。
「えぇ…? でも、ボク…態度に出ちゃうし…不味く…ないかなぁ…?」
実際に今朝方、青羽を意識し過ぎる余り、大変に不甲斐ない態度を取ってしまって、絶賛意気消沈中の遥からすれば、それは至極順当な反論だっただろう。
今後もあんな調子が続けば、青羽に良い印象を与えない事は請け合いであるし、そのうち周囲だってそれを不審に思い始める筈なのだ。
そうなればそれこそ色々と「不味い」事この上ないのではないかと、遥はそう考えた訳だが、沙穂はそれを見越した様に、「大丈夫よ」と事も無げに言ってのけた。
「あんたが多少挙動不審になったところで、早見は変に思ったりしないから」
沙穂がまず一つ遥の懸念を否定すると、学祭の事に想いを馳せながらも横で話だけはちゃっかり聞いていたらしい楓もこれにはウンウンと頷きを見せた。
「そうだよカナちゃん、変に思われるどころか逆に好感度アップだよ!」
一体何がどうしてそうなるのか今一理屈の分からなかった遥はその意見には思わず眉を潜めさせるも、楓はそれに構わず何やら得意げな顔で根拠を述べて来る。
「自分にドギマギしてくれる女の子にキュンとしない男子なんていないんだから!」
等と如何にも訳知り顔で男子心を語る楓のそれは、おそらく例によって漫画かアニメで仕入れた知識なのだろう。
男子心に関して言えば、それこそ元男の子である遥の方に一家言あった訳だが、意外にも楓の其れには少しばかりの共感を覚えないでも無かった。
「そ、そっか…そう…かも…」
無論、地味でモテない男の子だった遥には、自分に好意を寄せる女の子にドギマギされた様な甘酸っぱい経験などは当然の様に有りはしない。ただ、そんな経験値の低い遥だからこそ楓の語る漫画的なシチュエーションに共感し得たのであろう。
「うん…そうだねよね…きっとそうだ…!」
楓のお陰で、遥が対青羽に関しては一先ずの納得を見せると、沙穂は何やら若干の苦笑を洩らしながらも、続けて残るもう一点の懸念材料についても否定していった。
「後はまぁ、遠藤さん達の目もカナは心配してるんだろうけど、あの子達って同士にはそこそこ優しいっぽいからヘーキだと思うのよね」
という事らしいが、遥には沙穂の言わんとしているところが今一つ良く分からず、これには少しばかりキョトンとしてしまう。
「えっ? どゆこと? 遠藤さん達のグループに入るってこと…?」
果たしてそんな事ができるのだろうかと、遥はしきりに首を傾げさせるも、沙穂は「そうじゃなくって」とそれが些かの早合点である事を指摘した。
「早見を好きな者同士ってことね」
確かにそういう観点から見れば、遥と遠藤恵ら青羽信者の女子達は「同士」として括れなくはない。遥もそこに関しては一つの理屈として取りあえずは納得できなくも無いが、それで「ヘーキ」だとするには流石に大きな無理が有る様に思えてならなかった。
「でも…、ボクと早見君は…その…両想い…だよ…?」
それがある以上、遠藤恵たちの「同士」にはなり得ないと、遥は動かざる事実を以て反論を試みるも、沙穂はこれを意にも介さずあっけらかんとした顔で肩をすくめさせる。
「でも、付き合ってないんでしょ?」
遥と青羽の関係性が現状では只の「友達」もしくは「クラスメイト」のままである事を指摘した沙穂は、更に続けて独自の理屈を展開していった。
「早見が好きだけど彼女じゃないってことは、つまり、早見がどう思ってるかを抜きにしたら、傍から見たポジションはカナも遠藤さん達も大差ないワケ」
沙穂はそこで一旦言葉を区切ると、楓の方に目をやって一つの事実確認を図る。
「ミナってさ、遠藤さん達に嫌がらせとかされた事あんの? 同じ中学よね?」
その唐突だった問い掛けに楓はかなりギョッとした顔になりながらも、質問の意図自体は正しく理解したのか、沙穂が期待していた以上の事を答えてくれた。
「わ、ワタシは別にないかな、遠藤さんたちが攻撃するのって、早見くんと露骨に近い子だけだったと思うから…」
その解答に沙穂は「成程」と納得を示してから、再び遥の方へと向き直る。
「なら、大丈夫そうね」
沙穂は確信に満ちた顔でそう言うものの、遥には今のやり取りのどこに大丈夫な要素があったのか全くもってサッパリだ。
「えぇ? ボク、早見君とは席が隣なんだよ? ぜんぜん大丈夫じゃないよね?」
その所為で、青羽を好きになっていなかった一学期ですら、遠藤恵たちからチクチクと嫌味を言われていた遥からすればそれは当然の反論だったが、沙穂はそれを手ぶりで宥めながら思わぬ事実を告げて来た。
「あんたさ、今日のHR、ほとんど上の空で聞いてなかったでしょ? 明日には席替えするらしいから、そしたらかなりの確率で早見は隣の席じゃなくなんのよ?」
実際、朝一から青羽との一幕があった所為で、HRなどは完全に右から左だった遥にとって、それは正真正銘の寝耳に水という奴に他ならなかった。
「へっ…?」
思わず上げずにはいられなかった遥の素っ頓狂な声に、沙穂は呆れた顔をしながら、これまで上がった要素をひとまとめにして話を締めくくる。
「だからあんたは、明日から早見と物理的に遠くなって話しかけられにくくもなるし、そうなったらどんだけ早見を意識して挙動不審になっても、傍目には早見を遠巻きに眺めてキャッキャやってる遠藤さん達と大差なくなるワケ、で、流石の遠藤さん達もそんなあんたをそうそうは攻撃してこないと思うのよね」
確かにそういう事であれば、沙穂が主張していた通り、「大丈夫」かつ「ヘーキ」そうである事を遥も最早認めざるを得ない。
勿論それも、青羽が空気を読まずにわざわざ遥のところまで出張して来れば話は幾らも変わって来るが、そこについても恐らくそれほど心配しなくてもいいだろう。
青羽も自分の所為で遥が遠藤恵らから若干の嫌味を言われている事には以前から自覚があった様であるし、美乃梨から聞いた「嫌がらせ」の話を踏まえている今ではそのあたり殊更慎重になってくれている筈なのだ。
「そっか…席替え…するんだね…それなら…まぁ…うん…」
朝からの憂鬱が思わぬ形で解消されそうである遥は、急激に気が抜けて何やらぐったりしてしまいながらも、二学期が思いのほか平穏に過ごせそうである事については、取りあえず素直に喜んでおいてもよさそうではあった。




