4-48.二人の差
遥の傍へ、一秒でも早く、一秒でも長く。
真梨香に諭されて改にしたその想いを胸にして、勢いよく屋台を飛び出した賢治は、それから程なく、遥が丁度金魚すくいで遊んでいた頃に、それが存外に容易くは無い事を思い知らされていた。
「ハル…どこに居るんだよ…」
些か途方に暮れた感すらある賢治の口から思わずそんな言葉がこぼれ出たのは、十万人強の人出でごったがえすお祭り会場の中から、遥ただ一人を見つけ出す事が如何に困難で如何に絶望的であるかを痛感させられていたから、というのは些か正しくない。
いや、勿論それ自体は間違いなく絶望して良いレベルの困難さであり、正しく砂中から金を拾い上げるかの様な不可能にも等しい話しではあった。
その上で、賢治が想いだけに導かれて遥を見つけ出す事ができたなら、それはきっととてもドラマティックで、映画のワンシーンみたいにロマンティックではあっただろう。
ただ、事ここに至っては、ロマンチシズムの持ち合わせが乏しい賢治でなくとも、おそらく多くの者が劇的な意外性よりも現実的で確実性のある方法を講じた筈だ。
この場合で言う現実的かつ確実性のある方法とは即ち、文明の利器たるスマホの活用に他ならず、賢治は勿論の事ながら屋台を飛び出してまず真っ先にそれを試みていた。
だがしかし、その方法が有効では無かったとしたら、そして他にはもうこれといって有用な手段が残されていなかったとしたら。
その時はそう、今の賢治が正しくそうであった様に、些かの途方に暮れながらも幾らかの悪あがきをして、それでも駄目ならば、後はもうそれこそ絶望するしか無いだろう。
「ハル…今度は出てくれ…頼む…!」
屋台を飛び出してからというもの、賢治がそんな祈りと共にスマホの発信ボタンをタップしたのは、もう何度目の事か分からない。
「………」
一回、二回、三回。
耳元にあてがったスマホのスピーカーから返って来る無機質な呼び出し音。
普段なら、遥は余程手が離せない状況でもなければ、大抵五コール以内には通話に応じてくれる。
だが今回は、否、今晩は、呼び出し音が十回を超え、更にはニ十回を超えても、遥が応答してくれる気配は一向に無かった。
「やっぱりダメ…か…」
画面の赤いボタンをタップして発信を一時中止した賢治は、次には着信を入れる合間に送ってあったメッセージの方に何らかの反応が無いかを確認する為にLIFEを立ち上げる。
「…こっちも…ダメか」
案の定、LIFEの方も返信どころか既読すらも付いていない状態で、これに賢治が思わず深々とした嘆息を洩らしてしまったのは無理も無い。
「くそっ…、連絡が取れないんじゃ…」
遥を見つける事などそれこそ奇跡でも起こらない限り不可能なのでは無いかと、益々の途方に暮れてしまった賢治が堪らずの弱音を吐きそうになったのもまた無理からぬ事だ。
右を見ても、左を見ても、どこに目をやっても、見渡す限りの一面に溢れかえらんばかりの人、人、人。
そんな環境下で、何の当ても、何の手掛かりもなく、ただでさえ小さくて見つけにくそうな遥を探し出すなんて事は、どう考えても現実的では無い。
「…もう―」
全ては遅すぎたのだろうか。
途方に暮れて弱気になる余り、そんな言葉が賢治の口からはこぼれ落ちそうになる。
だが、賢治が寸前のところで其れを思い留まったのは、自分を諭して送り出してくれた真梨香の顔が一瞬その脳裏に過ったからだった。
「マリちゃん…」
自分はどうするべきかと問い掛けたあの時、遥と一緒に居るべきだとそう言って背中を押してくれた真梨香。
そんな真梨香が灯してくれた想いの火は、胸の内で暖かく燃えてはいたが、それでも目の前に立ちはだかっている現実は如何ともしがたい物があった。
「…このままじゃ―」
駄目かもしれないと、今度はそんな弱気を零しそうになった賢治だったがしかし、その刹那の事だ。
『賢治さんはどうして遥ちゃんと一緒じゃないんですか!』
突如として脳裏にカットインして、賢治の弱音に飛び蹴りを叩きこむかのような勢いで痛烈な叱責をして来たのはそう、あろうことか美乃梨に他ならなかった。
「…っ!?」
自身の全く想定していなかった心の動きに、賢治は思わずの動揺に見舞われつつも、それと同時に何やら妙にハッとした気分にもなる。
「あぁ…そうか…、そうかよ…! いや…、そうだよな…!」
その脳裏には、「遥と一緒に居て上げて欲しかった」と、そう言い散らかして行った美乃梨の言葉も続けて蘇っていたが、ここへ来て賢治がハッとなった理由は其処ではない。
無論、真梨香のものとほぼ同じ想いが込められていたその言葉も、今になって思い返してみれば、少々癪な部分がありつつも、確かに響くものが多少なりとも在るには在る。
ただ、賢治は今、その言葉とそこに込められていた想いよりも、他でもない、普段は少々疎ましくすら思っている節もある美乃梨の存在それ自体から、一つの動かざる事実を見出してすらいた。
「そうだよ! 美乃梨のヤツなんかと会えたくらいなんだ! だったら…、ハルに会えない訳なんてどこにも無いだろう!」
それは、理屈としては余りにも乱暴で、確率の話をしてしまえば、相変わらず絶望的な低さである事は依然として何ら変わりはない。
だがそれでも、美乃梨との遭遇は間違い無く現実に起こった実際の出来事だったのだから、賢治の心に再び火を入れるには十分過ぎる根拠足り得ていた。
何より、そうこうしている今も、「賢治さんは仕方ないですね」と言わんばかりに勝ち誇った美乃梨のドヤ顔が脳裏にチラついていたとなれば、それはもう賢治としてはこんなところでウジウジと悩んでいる場合などでは無かったのだ。
「よしっ! まってろよハル! 絶対に見つけてやるからな!」
意外なところから意外な形で力を得た賢治は、熱い想いを胸に再び動き出す。
遥の傍へ、一秒でも早く、一秒でも長く、その想いを、その願いを、その誓いを、今度こそ果たすために。
賢治が妙な形で再起していた頃、時同じくして青羽も既に遥の元へ駆けつけようと具体的に動き出していたが、こちらは賢治よりも一歩先んじて、そこには大きな差すら生まれようとしていた。
それは、最上篤史に後押しされた青羽が友人達の輪から離脱して程なく、頃合い的には賢治が再稼働した直前、遥が金魚すくいを終えた辺りだっただろうか。
「うーん…奏さん、通話に出ないし、メッセージにも既読つかないけど…、もしかしてスマホ持ってきてないのかなぁ…」
賢治と同じ様に、青羽もまず真っ先に遥との連絡を試みていたものの、それが全くの不振続きであった処までは、まだ二人の間にそこまでの大差は無かっただろう。
「奏さんと連絡が取れないとなると…」
賢治はこの時点でほぼ手詰まりになってしまい、挙句の果てに「美乃梨のヤツなんか」を拠り所にする羽目になった訳だが、青羽の方にはまだこの段階で試みれる有用な手段が一つだけ残されていた。
「よしっ、水瀬さんか日南さんに連絡してみよう」
遥が駄目ならば一緒に居る筈の沙穂か楓に当たってみようというその判断は、賢治では決して取り得なかった青羽だからこその選択肢だ。
賢治も沙穂や楓が遥と今晩のお祭りに来ている事は勿論知っていたし、二人とも一緒に海へ行ったくらいなので、今ではそれなりに知らない仲では無い。ただ、連絡先を交換する程に二人と親しくなっていたかといえばそこまででは無く、この辺りは流石にクラスメイトという一段近しいポジションにある青羽の方にアドバンテージがあったのだ。
「とりあえず…、うーん…、水瀬さんからいってみるか…」
青羽が一瞬考えてからまずは楓の方に連絡してみようと思ったのは、出身中学が同じである為、高校に入ってから知り合った沙穂よりも多少の馴染みがあるというだけの事でしかなかった。念の為断っておくと、決して沙穂の当たりがキツイからとか、ましてや新山耕太らが言っていた「妙な噂」が頭をよぎったからでは無い。
「…えーと、水瀬さんは…っと」
理由はともかくとしてまずは楓を頼ってみる事に決めた青羽は、早速とそれを実行へと移したが、この判断は結果的に若干の遠回りにはなってしまった。
「………」
一回、二回、三回と、コールを開始してから待つ事しばし、十五回ほどを数えた辺りでそれまで繰り返されて来た発信音がふっと途切れてスマホが通話状態へと切り替わる。
青羽はその瞬間、楓が通話に応じてくれたものと信じて疑わず、パッと表情を明るくするも、残念ながらそれは少々の逸りすぎというヤツだ。
「…あっ、水瀬さん! 俺、早見だけど! いきなりでアレなんだけ―」
青羽は逸る気持ちのまま、挨拶もそこそこに勢い込んで話し始めようとしたがしかし、通話向こうの相手が楓などでは無かった事に気付くまでそうは掛からなかった。
『ただいま、電話に出る事ができません、御用件のある方は、発信音の後に、メッセージをお入れください』
青羽の発言を文字通り意にも介さず、事務的な淡々とした声で機械的に返して来た留守番電話サービスのガイド音声。
「…あっ…はい」
通話向こうの相手が楓で無いどころか人間ですら無かった事に気付いた青羽が結構な真顔になって、通話終了の赤いアイコンをそっとタップした事は言うまでも無い。
「…水瀬さんも…出ないかぁ」
この時点では、まだ賢治との差は殆どないも同然ではあったが、楓が駄目でも青羽にはまだもう一人、頼ってみるべき相手が残っている。
「よしっ…仕方ない、次は日南さんだ」
青羽が口にしたこの「仕方ない」は単なる枕詞の様な物で、間違っても「沙穂は怖くて連絡し辛いけどこの際だから仕方がない」等という様な意味合いでは無かった事を念の為断っておく。
「…日南さんは、出てくれるかなぁ」
アドレス帳から沙穂の番号を探し出し、若干の緊張と共に緑色の発信ボタンをタップした青羽は、その行く末を占う言葉を口にしながらスピーカーから聞こえて来るコール音を半ば無意識にカウントする。
「……」
一回、二回、三回。
「………」
此方も中々通話に応じくれる気配がなく、十回を数えた辺りでどうにもダメそうだと判断した青羽は、少なからずの失意と共に泣く泣く発信を終了させようと耳元からスマホを外そうとしたが、正にその瞬間である。
『…あの…、えっと…もしもし?』
耳元から遠ざけようとしていたスマホのスピーカーから、不意に聞こえて来てた鈴の様に愛らしい声。
「…っ!?」
例えそれがスピーカー越しであろうとも、例えそれが電波信号として再現された疑似音声であろうとも、青羽がその声を聞き間違える筈はない。
『早見…君?』
沙穂のスマホを通して聞こえて来たそれは、賢治が幾ら試みても遂には聞く事の叶わなかった声。つまりはそう、まごう事無き遥の声に他ならなかった。




