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4-44.砂中の金

 後の発表によると、遥たちの地元で開催された花火大会は、四年目にして過去最高となる十万人強の人出を記録したとの事だった。

 無論、日本全土に目を向ければ、それ以上の人出を誇る花火大会は探せば幾らでも存在している為、その数字をどう見なすかは捉え方によって幾らかは変わって来る。

 例えば全国と言わず、遥の住む街の比較的近くでも臨海公園の花火大会が毎年三十万人以上の人出を記録しており、それと比べてしまえば確かに最上篤史なんかが言う様に「ショボイ」という事になってしまうのかもしれない。

 しかしながら、他との比較や、いっそ花火大会である事をも度外視して、もっと単純に十万人強という数字を群衆の規模として考えてみた場合は果たしてどうだろうか。

 しかもその群衆が面積にして東京ドーム一個分にも満たない河川敷にひしめき合っていたとしたら。おそらく、それを小規模だと見なす者はそういない筈で、多いか少ないかで論じればそれは間違いなく多いと言い切ってしまっても差し支えは無い筈だ。

 要するに、遥たちの地元で開催された花火大会が中々の混雑状況であった事だけは確かであり、であれば、そんな中から特定の相手を探し当てる何て真似が如何に困難かは想像してみるまでも無いだろう。

 だからこそ、遥たちははぐれない様に手を繋いだし、女っ気を欲していた青羽ら男子グループが偶然の遭遇なんかには一切期待せず、端っから連絡ありきの手堅い手段を検討したのもその為だ。

 結局、青羽らは遥たちと連絡を取るのが憚られた時点で、最早為す術なく早々に女っ気を諦めるより他なかったがしかし、果たして彼らの希望は本当に潰えてしまったのだろうか。

 確かに青羽ら男子グループは、誰一人としてそれを期待してはいなかったし、それを夢見てしまう程のロマンチシズムも持ち合わせてはいなかったかもしれない。

 ただそれでも、同じ時、同じ場所に間違いなく居合わせているのであれば、砂中から金を拾い上げるかのような無いにも等しい確率ではありながらも、何かの拍子に見知った顔と予期せずバッタリ出くわしてしまう可能性だって確かにあるのだ。

 そして実際に、そんな奇跡にも等しい出来事が起こったのは、青羽ら男子グループが女っ気を断念したしばし後、遥たち三人が夜店を回り始めてからは程なくの事だった。

「あっ、あたし焼きそば食べたい!」

 人は何故、お祭りに行くと焼きそばを食べたくなってしまうのか、そして何故、お祭りで買う焼きそばは妙に美味しく感じてしまうのか、その理由については諸説あるが、それは一先ず置いておくとして、その時から奇跡はもう始まっていたのかもしれない。

「おにーさーん、焼きそばふたつくーださい」

 河川敷に延々と連なる夜店の中に焼きそば屋は数多と在って、その屋台でなければならなかった理由は特にこれといって無い。単にその時一番近くにあった屋台だったというだけの話であり、言ってみればそれはタイミングだけの問題だった。

「あいよー!」

 屋台の向こう側で、額に汗の玉を浮かべながら熱せられた鉄板と向かい合ってせっせと焼きそばを量産していた青年が愛想よく注文に応じた此処までは、まだお祭りの会場中でよく見られる何でも無い光景に過ぎなかっただろう。

「二つで八百円ねー」

 何でも無いお祭りの一幕が奇跡に変わったのは、出来たての焼きそばを手際よくパックにつめた屋台の青年がそれと引き換えにお代を徴収しようと顔を上げたその瞬間だった。

「あっ…」

 運命の悪戯か、それとも神様のちょっとした気まぐれか、何故そんな事が起こり得たのかは誰にも分からない。

「「あーっ!」」

 今正にそこで奇跡が起こっている事に気が付いた屋台の向こう側とこちら側とで、全く同時に上がった驚きの声がものの見事に重なり合っていた。

「おまっ、美乃梨!」

「賢治さんじゃん!」

 驚きはそのままに、二人がお互いの名を呼び合ったこれもほぼ同じである。

 十万人強の大群衆がひしめき合うお祭り会場の中、砂中から金を拾い上げたのはそう、それぞれ遥や青羽らとは別口で今晩の花火大会に参加していた賢治と美乃梨であった。

 尤も、賢治と美乃梨の二人にとって、この奇跡の様な遭遇が実際に金ほどに価値のある物であったかどうかに関しては多分に議論の余地がある。

「賢治さん…、こんなところで何してるんですか…」

 思わぬ人物が思わぬ所に居た理由を問い掛けるその眼差が相当に胡乱であった事から、どうにも美乃梨の方はこの遭遇をあまり歓迎していない様子だ。

「何って、見たまんま焼きそばの屋台だが」

 美乃梨の質問に有りのままを答えた賢治もあからさまに面倒くさそうな面持ちで、こちらも見るからに奇跡を有難がっている様子では無い。

 元々何かと対立する事もしばしばである賢治と美乃梨なら、こうなるのも半ば仕方が無い話ではあったのかもしれないがしかし、これでは折角の奇跡が台無しである。

 ただ、それならそれで最早茶番と化したこの奇跡にさっさと幕を引けば良いものを、一度顔を付き合わせたが最後、そうは簡単に済まされないのが二人の難儀な所であった。

 否、もしかしたら賢治の方は後腐れなく簡単に済んでくれる事を望んでいたのかもしれないが、美乃梨の方がそうは問屋が卸さなかったのである。

「焼きそば屋さんなのは見ればわかります! あたしのことバカだと思ってませんか!?」

 賢治の回答に満足が行かなかった美乃梨は、如何にも不服そうな面持ちで眉尻を吊り上げ、ここで会ったが百年目と言わんばかりの噛みつき様だ。

「別にバカにしちゃいねぇって…」

 いきり立つ美乃梨に賢治は一層面倒臭そうな面持ちで小さな溜息をつきながら、その内心で「アホだとは思っているけどな」とこっそりと付け加えたりはする。実際にそれを口に出さなかったのは、言えば話がややこしくなる上に長引くであろう事がこれまでの経験則から良く分かっていたからだ。

「あのな、俺は知り合いに頼まれてバイトしてんだよ、因みにその知り合いってのはマリちゃんの親父さんで、要するにこの屋台は白竜亭の持ちもんだ」

 手早く話を済ませたかった賢治はここで焼きそばの屋台をやっている経緯についても少しばかり詳細な説明をしてみせたが、残念ながら美乃梨からはこれに対しても不服の声が返って来た。

「あたしが聞きたかったのはそういう事じゃありません!」

 こうなって来ると賢治には美乃梨が何を知りたがっているのか全くもってさっぱりで、思わず深めのため息を漏らしもする。

「はぁ…、だったらお前は一体何が聞きたいんだよ、もっと質問を明確にしてくれ」

 賢治からすれば、それは当然過ぎる要求ではあったものの、そんな道理など通用しないのが美乃梨の美乃梨たる所以だ。

「あたしが聞きたいことなんて一つに決まってるじゃないですか!」

 それがあたかも万物に通ずる神羅万象であるかのように言い放った美乃梨は得意満面のドヤ顔すら見せるが、もちろん賢治には何の事やらと言った感じである。

「いや、知らねぇし…」

 全く要領を得ない美乃梨を前に、賢治は正直なところもう一層のこと焼きそばを無理やり押し付けてでも強制的にお引き取り願いたい気持ちでいっぱいだ。

「もー、賢治さんは仕方がないですね!」

 等とのたまう美乃梨は何故か勝ち誇った益々のドヤ顔で、賢治が思わずこれをぶん殴らなかったのは、それこそある種の奇跡だったかもしれない。

 ここだけの話、後一言でもこんな調子が続けば賢治もいよいよもって我慢の限界であったが、幸い、と言って良いかどうかは微妙ながらも、美乃梨はようやく「一つに決まっている」とまで豪語した質問の内容を明確にした。

「あたしが聞きたかったのはですね、遥ちゃんはどうしたんですかって事ですよ!」

 いざ聞いてみれば、確かにそれは賢治も思わず成程と納得してしまったくらいには実に美乃梨らしい至ってシンプルな疑問ではあった。

 ただし、だからといって賢治がそのシンプルだった質問に対して、相応にシンプルな答えを返せたかどうかはまた話が別である。

「ハルなら…、今日はヒナちゃんたちと花火を見るって言ってたが…」

 賢治は差し当たって事前に知り得ていた遥の予定を答えながらも、それが美乃梨の聞きたがっている本筋では無い事は分かっていた。

「それはあたしだって知ってます! っていうかあたしも誘われたし!」

 美乃梨がその誘いに乗らなかった事も含めて、賢治は「ならば何故」等と問いただしはしない。

「あたしは部活の子たちと先に約束しちゃってたから、一緒には来られなかったけど…」

 かなり口惜しそうにそう言ってチラリと後ろを窺った美乃梨の視線を追ってゆけば、やや遠巻きからこちらを窺っている高校生くらいの女の子たちが四人程固まっているのが賢治の位置からでも見て取れた。

「そう…か…」

 実のところ、連れの存在を確かめるまでも無く、遥が美乃梨を誘っていた事も、先約を理由に断られていた事も、本人から直接聞いて知っていた賢治は、その事について今ここで敢えて言及するべくもない。

 その事は賢治が美乃梨の質問に答え難かった理由ともそれほど遠くは無く、そもそも言及出来る訳が無かったのだ。

 しかし、美乃梨はそんな賢治の都合などは全くお構いなしに、それと知ってか知らずかじわりじわりとではあるが着実に核心へ迫ろうとしていた。

「遥ちゃん…本当は海の時みたいに、皆で花火に来たかったんじゃないですか…?」

 遥の口からそれが具体的な話として出た事は賢治の記憶している限りでは一度も無かったが、ただ美乃梨の言っている事はおそらく当たっている。

 美乃梨を花火に誘って断られた話を遥から聞いた正しくその時に、賢治もその事を何となくではあるが察してはいたのだ。

「そう…かもな…、確かにハルは…俺の事も誘いたそうだったよ…」

 賢治が若干の険しい表情で私感を述べると、美乃梨はカッと瞳を見開くやいなや、今にも屋台を乗り越えんばかりの勢いでかつてない程の剣幕になった。

「なら! 賢治さんはどうして遥ちゃんと一緒じゃないんですか!」

 事ここに至って、ズバリ突き付けられたその問こそは、正しくこれまで美乃梨と続けて来た問答の本質に他ならない。そして、だからこそ賢治は、それに対して正しい答えを返せずにいた。

「俺は…、俺だって…バイトの話が先に決まってたんだよ…」

 実際に賢治が屋台の手伝いを頼まれたのは、何も昨日今日の話では無い。

 何せ賢治は地元で花火大会が開催されるようになった最初の年から白竜亭の屋台を手伝っており、その先約は年単位の物であると言っても決して嘘にはならないのだ。

 ただ、だからと言って今現在、遥と一緒ではないのは其れが理由なのかと真っ向から問われたら、賢治は多分それには「イエス」で答えられないだろう。

「つうか俺は…、結局ハルに誘われてねぇし…」

 それは、一面の事実ではありながらも、遥の本意では無かった事を賢治は知っていた。

 そもそも、遥が自分を花火大会に誘いたがっていた事を、賢治は先のやり取りにおいて自ら認めてしまっている。

 それにも拘らず、それが実現しなかったのは、遥にそれを言い出される前に、賢治が先手を打って屋台のバイトがある事を告げてしまっていたのからだ。

 無論、そう言っておけば遥が無理には誘いをかけてはこられないだろう事を分かった上で賢治は敢えてそうしていたし、結果もその通りになっている。

「だから仕方ないだろ…、だいたい青羽はどうなんだ、アイツも誘われてねぇだろ…」

 自分で遥が誘ってこない様に仕向けておきながら、内心幾らも罪悪感の有った賢治が苦し紛れに別な事実関係を論うと、美乃梨は大変に渋い顔になって珍しいため息を吐いた。

「あぁ…、遥ちゃん、あたしの後に青羽も誘うつもりだったんですよ…、けど、一緒のとこ学校の子とかに見られたら面倒になるからってあたしが止めたんです…」

 これは賢治にとって完全に初耳な話しではあったが、現に自分がこうして美乃梨と予期せぬ遭遇を果たしてしまっているだけに、その判断が賢明であった事は素直に認めざるを得ない。

「そうか…まぁ…そうだよな…」

 結局実現し無かったとはいえ、当初は青羽も誘うつもりであったとなると、遥が皆で花火大会を見たがっていたという話しはいよいよもって信憑性を帯びて来る。

「あたし自身、自分の約束を優先しちゃったから、凄く勝手な事を言ってるのは分かりますけど、でも、だからこそ賢治さんは遥ちゃんと一緒に居てあげて欲しかった!」

 確かに美乃梨の言い分は、自分の事を棚に上げた勝手極まりないものでは有ったかもしれないが、当然ながら今の賢治がそれを責めるべくは無い。

「俺…だって…」

 嘘偽りのない本音を言えば、出来る事なら遥と一緒に花火を見たかったと、そう思う気持ちが賢治の中には間違いなく存在していた。

 ただ、賢治が現実にそうしなかったのは、ここ最近特に複雑さを増すばかりだった遥への気持ちにいよいよもって収拾をつけられ無くなりそうだったからだ。

 海の時点で既にその片鱗は大いにあったが、ひとり旅から帰って来た遥を駅で抱き締めてしまってからというもの、その傾向は今までにもまして一段と顕著になっていた。

 あの時、賢治は自分にとって遥がどれ程大きな存在であるのかを再認識してしまい、同時に改めて自身の胸の内にたぎる想いをも再確認してしまっていたのだ。

 以前ならば、その想いは賢治にとって希望ですらあったが、今の遥には青羽という両想いの相手が存在してしまっている。それ故に、賢治は今や、やり場のない想いに胸の内を焦がされんばかりで、近頃ではただ遥の顔を見るのにもある種の覚悟や大いなる葛藤を必要とするほどだった。

 そんな状態では遥と一緒に花火などは到底望むべくもなく、だからこそ賢治は今こうして焼きそばの屋台に甘んじているのだ。

「俺だって…本当はなぁ―…っ!」

 遥のことを考えるだけ締め付けられる様だった胸の苦しみから、賢治は思わず内心を吐露してしまいそうになったがしかし、今目の前に居る相手は美乃梨である。

 胸の内に溜め込んでいる物は大いに在りながらも、流石に美乃梨を相手取って恋愛ぶっちゃけ話をしてしまうほど賢治はまだ物事見失ってはいなかった。

「あぁクソ! 今更もう遅いんだよ!」

 このまま話を続けていると本当に色々見失いそうだった賢治は、堪らず一声吠えると脇に置いてあった焼きそばのパックを無造作に掴んで、それを半ば無理やり美乃梨に押し付ける。

「そいつはおごってやるからお前はもう行け! 友達も待ってんぞ!」

 賢治はそれだけ言い放ってからはもう最早美乃梨には目もくれず、遥に対する彼是を振り払う様に、猛然たる勢いで鉄板と向かい合い始めた。

「なっ! ちょっ! まだ話終わってないんですけど! ちょっと賢治さん! 聞いてるの!? ねぇってばぁー!」

 そんなしつこい呼びかけにも賢治は最早耳を貸しはしなかったが、それでも美乃梨は中々引き下がろうとはせず、それから五分くらいは屋台の前で粘っていただろうか。

 結局、見兼ねた友人達に美乃梨が強制的に連行されていくまでの間、賢治は内心を大いに逆なでられながらも、唯々一心不乱に焼きそばを量産し続けたのだった。

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