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1-16.言葉

 海外ボランティアに出ていた辰巳は随分と遅い帰国となったその経緯を簡単に話してくれた。

 当時辰巳はアフリカの電気も通っていないような小さな村に滞在しており、当然そこにでは携帯電話もインターネットも使えず、遥が目覚めたという父からの一報は、週に一度車で物資を運んでくるボランティア団体の仲間を経由してだった。一報を受けた辰巳は物資を下ろして戻る仲間に便乗し団体支部のある街まで戻ると、改めて父と連絡を取り単身日本へ帰国するため飛行機に乗った。

 そうしてアフリカを旅立った辰巳だったが途中飛行機の乗り継ぎの為に立ち寄った中東のとある国で、食事を摂っている最中運悪く荷物を盗られてしまった。地元警察に届け出たところ荷物は程なく見つかったが、航空券を含む金目の物は全て抜き取られており、頼れる当てのない異国の地で無一文となってしまう。辰巳は途方に暮れたが可愛い弟の為にも何とか帰国せねばと考えた末、近くにあった大きな港に出向くとそこで日本行きの貨物船を見つけ出し、しつこく頼み込んだ末臨時雇いの労働員としてその船に乗り込める事となった。貨物船は途中荷の積み下ろしの為いくつかの国を経由し、約一ヶ月掛けてようやっと日本へ辿り着いたのだと言う。

「いやぁ、中々大変だったわ!」

 喉元過ぎればなんとやらと言った感じで完全に笑い話のノリでいる辰巳に、そりゃ逞しくもなるよな、と遥は妙に納得すると共に兄の行動力と精神力に感服する。

「これアフリカ土産な」

 そう言って辰巳が差し出したのは先ほど遥を戦慄させた例の民族色豊かな木製の仮面だった。日本に戻る途中一度荷物を盗まれている辰巳の手元に残っているという事は、物盗りすら手を出さなかった代物という訳だ。第一印象が最悪だったせいもあり妙に曰くありげに思えてくる。

「あ、ありがとう…」

 半ば強引に押し付けられるようにして受け取ってしまったが正直全く嬉しくない上扱いに困る土産の品に遥はひきつった笑みを浮かべる。

「と、ともかく、来てくれて嬉しいよ」

 珍妙な土産の品はひとまず脇に置いやって、辰巳が苦労して自分の為に日本まで戻ってきてくれた事は素直に嬉しかった。

「可愛い弟…いや、今は妹か? まぁいいや、きょーだいの為だからな」

 遥の労いに辰巳は満足そうに笑って遥の肩をポンポンと叩く。妹と言われたのは若干の心外ではあったが、辰巳が今の自分をちゃんと血の繋がった家族と認めてくれた事には安堵する。

「思ったよりも元気そうだな。お前の事だから色々考え込んで不幸のど真ん中みたいな顔してるかと思ったわ」

 辰巳の見透かした様な言葉に遥は思わず苦笑する。今でこそ前向きに考えられる様になってきた遥だがこれまでの紆余曲折を思い出すと中々に恥ずかしい。

「お前がネガティブになってる様だったら、俺が海外で見てきた過酷な暮らしを聞かせてやろうと思ってたがその必要はなさそうだなぁ」

 辰巳は若干残念そうに片眉を下げる。兄の見て来たという過酷な暮らしの話には少し興味があったがあまり楽しい話ではなさそうだ。遥はひとまずその事には触れず代わりに別の事を聞いてみる。

「辰兄は、ボクの事全然驚かなかったけど、何とも思わないの?」

 若干の不安もありつつ、同時に兄が今の自分を見てどう感じたのか純粋に興味があった。これが例えば友人相手だったのなら恐ろしくて聞けなかっただろうが、辰巳の人柄と兄弟という関係性による安心感から、その質問をする事に躊躇は無かった。

 遥の問いに辰巳は顎の無精ひげを撫でつけながら上から下までといった感じに改めてまじまじ遥の姿を観察する。少し癖のある柔らかそうな黒髪、黒目がちな大きな瞳が印象的な顔。小さな身体から伸びるほっそりとした手足。身に纏ったモコモコとした素材の白いパジャマが兎を思わせた。辰巳からは見えなかったが背中には実際うさ耳をあしらったフードが備わっている。以前着ていた猫耳フードパジャマと同じシリーズで当然母の響子が持ち込んだ逸品だ。小動物の様に愛くるしいその姿に辰巳が思わず唸る。

「うん、すごい美少女だな」

 遥をひとしきり観察した辰巳が真顔でそう言ったので遥は思わずがくりと肩を落とし、そういう事を聞きたかったのではないのだが、と少し口をとがらせた。そんな表情もまた愛らしく見えたようで辰巳は嬉しそうに笑う。

「今のお前に何かお願いされたら俺何でも聞いちゃいそうだわ」

 笑いながら言う本気だか冗談だか分からない辰巳の言葉に、甘えた調子で兄にお願い事をしている自分の姿を想像して遥はゾッとする。

「そういう事じゃなくて…」

 たまらず遥が抗議すると辰巳は不思議そうな顔をして「じゃあどういう事?」と問い返してきた。改めてそう聞かれると中々明確な意図は伝えづらい。

「えっと…、その、弟がこんな見た目になっちゃったんだから…もっとあるでしょ?」

 いまいち自分でも何を聞きたいのか漠然としてしまいうまく言葉が纏まらなかったが、辰巳は遥の言わんとしている事を汲み取ったのかやれやれと言った風に溜息をついた。

「見た目が変わってもお前はお前だろ? 兄的に言えば可愛い弟が超可愛い妹になってラッキーってくらいなもんで、それ以外に何かあるか?」

 さも当たり前という様に言ってのけた辰巳の言葉に遥は唖然とする。後半の可愛い妹云々はともかく、賢治ですら遥を遥だと認める為に数えきれない共通の思い出を確かめ合う時間を要した。それに対して兄のこのあっさりとした物言いはどうだろうか。他人事だと思って面白がっている様にも取れる。

「遥、別に俺は他人事だからって楽観視してる訳じゃないぞ?」

 思考を先回りしたような辰巳の言葉に遥はぎくりとする。辰巳は昔からそうだ。遥の思考が単純なのか、それとも辰巳が聡いのかは分からないが、辰巳は常に遥の考えを一歩先行して見せるのだ。

「死んだも同然だったお前がピンピンして目の前に居る事以上に価値のある事なんかないんだよ」

 当然の事だと言わんばかりに胸を張る辰巳に遥は返す言葉もなかった。

「見た目何て大した問題じゃないんだぞ」

 家族として辰巳の言う事は全くもってその通りだった。遥本人にとっては性別も年齢も変わってしまった外見は大した問題ではあったが、それも命あってこその極端に言えば贅沢な悩みなのだ。これが命に関わらない、例えばある朝普通に目覚めたら突然違う身体になっていました。という出来事であったのならば、変わってしまった見た目こそが問題の本質だったが遥の場合そうではない。父や母、それに辰巳も含め家族にとっては遥の生存こそが何よりの願いだった。それがこうして無事成し遂げられている今、これは喜ぶに相応しい十分な結果なのだ。

「おまえ自身は不安かもしれないし、これから生活していく上で色々苦労もあるだろうな」

 遥の内心を見透かした様に話を続ける辰巳はそこで一旦言葉を区切ると、遥の両肩を掴んで自信に満ち溢れた笑顔を見せる。

「けど、俺が力になってやるから心配するな」

 辰巳の力強い言葉に遥ははっとなる。これまでも周りに助けられてきた遥だが、はっきりと力になると言葉に出して言ってくれたのは辰巳が初めてだった。

「親父やお袋、賢坊だってそうさ」

 確信を持った表情で辰巳は明瞭な口調で続ける。

「お前が望めば必ず力を貸してくれる。だから何にも心配する事なんかないんだぞ」

 そう言って辰巳は堂々とした笑顔を見せ遥の両肩から手を離す。辰巳の言葉は遥にとって目の覚めるような思いだった。周りに強さを分け与えてもらっていると自覚しながらも、十代特有の自意識が発達した遥は多くの青少年達がそうである様に、大っぴらに人に頼る事はどこか恥ずかしい事のように思えていた。最終的には自分の問題は自分でなんとかしなければいけない。そんな価値観に囚われていたのだ。

「人間ってのは助け合って生きてくもんさ。だから遠慮なく周りに頼れ」

 自信に満ち説得力溢れる兄の態度に遥は心が軽くなった様に感じられた。自分一人でどうにもならない時は周りに助けを求めてもいいのだと思えると燻ぶっていた不安が俄かに薄くなる。

「ありがとう、辰兄…」

 思えば昔から辰巳は何かあれば常に遥の力になってくれていた。それとなく道筋を示してくれる父とは違い辰巳の助力はいつも明快で、時には見当はずれの事もあったが、それでも多くの事を遥に気付かせてくれるのだ。そんな兄に対する尊敬の念を改に遥が素直に感謝の言葉を述べると辰巳は満足そうに頷いた。

「手始めに『おにいちゃん』って言って甘えてくれてもいいんだぞ」

 至極真面目な顔でそう言った辰巳に遥はたまらず脱力する。尊敬した傍からこれなのだからまったく調子が狂う。辰巳はそんな遥の様子を見て愉快そうに笑った。

「さて、お前の元気な姿も見れた事だ、俺はそろそろ行くよ」

 大変な思いをして遥々日本に戻って来たというのに長いは無用と辰巳は席を立った。多少無茶な方法で帰国した為細々とした事後処理があるのだと言う。

「あ、そういえばお前いつまでここに居るんだ?」

 立ち去ろうと椅子から立ち上がった辰巳が思い出した様にそう尋ねてきた事で、遥は退院できると言い渡されていた事を思い出す。突然現れた兄のインパクトですっかりその事が頭から離れていた。

「えっと、それがもう退院できるって、辰兄と合う直前に言われてて、それで父さんか母さんに連絡しようと思ってたんだ」

 遥の言葉に辰巳は嬉しそうに笑って「そうかそうか」と遥の肩をバシバシと叩く。

「それなら親父とお袋には俺から伝えといてやるよ」

 任せておけと胸を張る辰巳に遥は頷き、兄の言葉に素直に甘える事にした。間違っても「おにいちゃん」等とは言わなかったが。

「それじゃお前は準備しとけよ」

 辰巳は大きめのバックパックを背負いそう言い残すと病室を去って行った。

 準備と言われた遥は辰巳が立ち去った室内をぐるりと見渡す。遥の病室は母が持ち込んだ多数の少女趣味全開な日用品類で賑わっていた。猫の形を模した手鏡やもふもふとした毛玉のポーチを筆頭にそんな甘く可愛らしい雰囲気で彩られた空間の中で辰巳の置いていった例の民族色豊かな木製の仮面が異彩を放っている。遥はどうした物かと思案した末その面をそっと洗濯物を纏めてあるバッグに押し込め見なかった事にした。

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