4-41.してあげられること
選定のひと悶着はともかくとして、実際に浴衣をバッチリと着付けてもらい、同じように浴衣で着飾った沙穂や楓と並んで、草履をカラコロ鳴らしながらひとたび花火大会の会場へと向かって歩みだしてみれば、如何なネガティブに定評のある遥といえども、流石にこれは否が応にも気分が盛り上るというものだった。
勿論、遥のネガティブが本領を発揮すれば、賢治や青羽に対する複雑な気持ちから彼是と思い悩むなんて事は如何にも容易くはある。
事実、遥の着ている浴衣が最初に選んでいた濃色の物から、全く別な黄色い向日葵柄の物に変更されているのは、その一端と言えなくもない。
そこで敢えて楓が目星をつけていた青羽を想定しての物と思しき薄桃色の浴衣にしなかったあたりからも、遥がいくばくかの葛藤を経ていることが窺い知れるだろう。
そんな具合に、遥が浴衣選びで思いがけず複雑な心模様をその胸の内に描いてしまった事は最早疑いようのない事実だとしても、今晩は折角の花火大会なのだ。
遥は本当にこの花火大会を楽しみにしていたし、沙穂と楓が驚異的な頑張りでもって夕方までに課題を終わらせてくれたのも全てはこの為なのである。
ならばこんな時くらいは、遥も持ち前のネガティブ思考に一時の暇を与えて、今晩の花火大会を思う存分に満喫してみたところで、きっとどこからも罰は当たらない筈だ。
「今日は街中もお祭り仕様なんだねー!」
花火大会の会場へと向かうすがら、街灯を繋ぐ沢山の提灯を眺め上げながら遥が無邪気にはしゃいで見せたのも、半分くらいはフリや虚勢を張っての事では無かった。
つまりもう半分は、沙穂や楓を心配させないためのポーズであった訳だが、遥がお祭りの雰囲気に浮かれていたのもちゃんと本当なのだ。
ただ、例え半分だとしても、それを見逃してはくれなかったのが勿論これまで遥の思いつめやすい一面を散々目の当たりにしてきている沙穂と楓であった。
「あのさカナ…その…無理してない?」
「うん、カナちゃん、その…へーき?」
実際に沙穂と楓が口を揃えて心配そうにして来ると、半分の虚勢を見抜かれてしまった遥はこれには少しばかりギクリとしながら、具体的な返答にも些か困ってしまう。
「えっとぉ…」
遥としては、ここで「大丈夫」と言い切って、引き続き無邪気にはしゃいで見せるのはとても簡単だ。がしかし、それで沙穂と楓、特に沙穂が納得してくれるかどうかで行くと、それは大変に望み薄であると言わざるを得ないだろう。
「う、うーん…」
遥はこういった場合は何と応えるのが最も適切か考えを巡らせてみるも、これまでの経験上から取れる選択肢はおそらく一つしかない。
それは即ち、自分が抱えている問題とそれに対する心情を素直に打ち明けて、それによって悩みを共有してもらう形でもって二人に溜飲を下げてもらうという方法だ。
遥にはそれが自分たち三人特有の方法論なのか、それとも女の子全般の傾向なのかは分からなかったが、実を言えば時々それを「面倒臭い」と少しだけ思う事があった。
もちろん、遥は沙穂と楓の事が大好きだったし、基本的には二人が親身でいてくるおかげで救われた場面の方が断然多くはある。
ただ、沙穂と楓が自分の思っている以上に問題を重く受け止めている節があるときに、遥はつい「ちょっと面倒臭いかも」と、そんなふうに思ってしまうのだ。
そして何を隠そう今がまさしくその特に面倒臭い局面であり、沙穂と楓の気持ち自体は嬉しくはあるものの、遥としてはぶっちゃけ気が重い事この上ない。が、ここでキッチリ二人を安心させない事には、もはや花火大会どころでなくなりそうであり、そうであれば結局のところ遥は、「ちょっと面倒臭い」手順を踏踏んでみせるより他になかった。
「あ、あのね…今から言うことは、あんまり深刻に受け取らないで欲しいんだけど…」
その前置きに沙穂と楓は一応頷きを見せてくれたが、おそらくそれは無理な相談に終わってしまうであろう事を半ば確信していた遥は如何にも言いにくそうに言葉をつなぐ。
「その…賢治の事は、…あの…たぶん…大丈夫じゃ…ないんだと思う…」
その言葉を聞いた途端、沙穂と楓はピタリと歩みを止めて、それに遅れて気付いた遥も立ち止まって振り返ると、二人は案の定かなり深刻そうな面持ちになっていた。
「カナ…」
「カナちゃん…」
この時点でこういった反応が帰って来る事は半ば想定の内だったとはいえ、それでものっぴきならない様子でいる二人に、遥は思わず若干たじろがずにはいられない。
「あ、あのぉ…言いたい事は色々あると思うけど、とりあえず最後まで聞いてね…?」
遥がここで一つ念を押すと、沙穂と楓は相変わらず深刻そうな面持ちで顔を見合わせながらも、今一度の頷きを見せて聞く態勢に入ってくれた。
「えっと…歩きながらでいい?」
陽が落ち始めて薄っすらと暗くなってきた空をチラリとみやった遥がこんな提案をしたのは、もちろん花火の打ち上げに間に合いたかったからだ。
「あ、そうね…」
「うん、そだね」
遥の意図を察してくれたのか、沙穂と楓はこれにも頷きを見せ、三人は再び並んでカラコロと草履を鳴らして歩き始める。
「えぇと…、それでね? 賢治の事は、ボク自身まだちゃんと整理で来てなくて…、それでさっきは大丈夫じゃないなんて言ったんだけど…」
歩みと共に話を再開させた遥がそこで一旦言葉を止めてそれぞれに自分の左右を歩いている沙穂と楓を順に見やると、当然ながら二人はまだ幾らも神妙な面持ちだ。
「あー…うーん…えっとぉ…」
沙穂と楓があまりにも深刻そうである為、遥は多分にやり難さを感じながらも、もちろん今さらここで話を止める訳には行く筈もない。
「何て言うか…、賢治にはね…ボクが事故に遭った所為で…いっぱい辛い思いさせちゃってて…」
遥はここ最近、というよりも、あの駅前での一件以来、特に強くそう思うようになっていた。
「たぶん賢治は…ボクが事故に遭ってなかったら、例えば…その、倉屋さんみたいな素敵な人と普通の恋愛をしたりとか…できてたと思うのね…」
賢治は結局、自分が戻った今に至っても倉屋藍を選びはしなかったが、遥はあの夜、確かに垣間見たのだ。本来ならば賢治が歩めていたかもしれない幸せな未来の残像を。
「…だから、いまからでも…賢治にはそういう普通の幸せを掴んで欲しくて…」
その為ならば、自身の想を胸の内にしまいこむ事をも厭わない。遥は今やそう心に決めていたはずだったのにも拘らず、その実まるで「なってない」のが偽らざる現状だった。
「それには…、ボクがちゃんと…ちゃんと独り立ちしないとなのに…、なのにボクは…まだ賢治の事が…好き…みたいで…」
沙穂と楓を納得させる為に始めた話ではあったものの、その想いを実際に言葉として紡いでみればそれはひどく切なくて、遥はともすればそのまま自分の感情に押し流されそうにもなる。
「そ、それで…それなのに…ボク、早見君のことも…好きになっちゃってて…」
よせばいいのに根が素直な所為でつい持ち出さずにはいられなかった青羽に対する気持ちから遥は堪らずの自己嫌悪にまで陥って、その内心ではせっかく暇を出していた筈のネガティブ思考が今にも猛威を振るいそうだ。
「うぅっ…だ、だから……今は…、いろいろ中途半端だし、大丈夫じゃないかもで…」
遥はこんな話を始めてしまった事を酷く後悔しながらも、それでもやはりここで語る事を止めてしまう訳には勿論行く筈もない。そんな事をすれば、それこそ沙穂と楓の心配を無駄に煽っただけで終わってしまい、何のためにこんな話を始めたのかも分からなくなってしまうというものだ。
「え、えっと…ヒナとミナには心配とか、迷惑もかけちゃってるかもだけど…」
ここまで来て、当初予定していた以上に取り留めもなく思いの丈を打ち明けてしまった遥は、この話を一体どう着地させればいいか逡巡する。ただ、大して考えてみるまでも無く、遥にはもうこの期に及んで言える言葉は一つしか思い浮かばなかった。
「ボク…頑張る…から…!」
それは、何とも具体性がない上に全く締まりのない締めの言葉で、実際問題、何をどう頑張るのかと突っ込まれたら、遥は間違いなく上手く答えられはしないだろう。
ただ、遥にはもう本当にこれくらいしか言える事が思いつかなかった為、後はもう沙穂と楓がこれで何とか納得してくれる事を祈るしかない。
そして、遥の話を聞き終えた二人の反応がどうだったのかと言えば、最初に返って来たのは沙穂の深々とした溜息だった。
「はぁ…」
遥はこれに思わずビクッとして、この後には不甲斐ない自分に対するお小言が待ち受けているものと信じて疑わず些か身構えてしまうも、その予測はすぐさまあっさりと裏切られる。
「まったく…あんたって子は…バカなんだから…」
沙穂は確かに言葉こそ辛辣ではあったものの、その口調は極めて優しく、更には遥の左手をギュッと強く握りもした。
「ひ、ヒナ…?」
予想外の反応に遥が些か戸惑っている間に、今度は反対側から楓が同じように優しく右握って来る。
「カナちゃん…そんな風に思ってたんだねぇ…」
楓はしみじみとした口調でそんな感想を述べて来るも、遥にはそれが一体いったいどんな心境でどんな意味合いが込められた言葉なのか今一つ分らず、これにもただただ戸惑うばかりだ。
「えっ…えっ…と…?」
遥が左右からそれぞれ手を握ってくれている沙穂と楓を交互に見やってみれば、どうにも二人は話を聞く前以上に深刻な面持ちになっている様な気がしてならい。もしそれが見間違いや勘違いで無いのならば、花火大会を楽しむ為にした筈の「ちょっと面倒臭い」打ち明け話が完全な裏目に出てしまったという事になる。
「はぅぅ…」
尤も、遥の思惑はともかくとして、あんな話を聞かされては沙穂と楓がこんな具合になってしまうのも無理の無い話しだったのだ。
沙穂と楓はそれぞれに、在りし日を境に遥が賢治への想いを「恋心」から別な形へ変化させていた事をそれとなくではあるが確かに感じてはいた。
しかし、いざこうしてその複雑な心情を本人の口から直接聞き出してみればどうだろうか。二人は思っていた以上に複雑な絡まり方をしていたその心情に最早安易に掛けられる言葉も無く、自分たちが遥の為に何をしてあげられるのかも分からなくなってしまっていたのだ。
それ故に、沙穂と楓からすれば深刻な顔になるなと言う方が無理な話しであったのだがしかし、そんな二人の様子を目の当たりにして、何か良くは分からないながらも焦らずにはいられなかったのがもちろん遥である。
「あ、あの…えっと…、二人とも…、あっ! ほ、ほら…みて! 堤防がもうすぐそこだよ! む、向こう側は夜店とかいっぱい出てるんだよね? た、楽しみだなぁ!」
今度は完全に沙穂と楓を安心させる為だけに、花火大会の会場が目前である事にはしゃいでみた遥であるが、どうにも演技力に難ありで、案の定二人の反応も芳しくなかった。
「うん…」
「そだね…」
沙穂と楓の返答は言葉少なで、相変わらずその面持ちも暗いままであり、遥はこれに堪らず頭を抱えそうにもなる。
「あぅぅ…」
気づけば周囲も目的を同じくする人々で結構な賑わいをみせているというのに、沙穂と楓がこんな調子では、最早どう考えてもこれから楽しく花火大会を満喫しようという感じでは無い。
「うぅ…」
折角の花火大会なのに、折角頑張って打ち明け話をしたのにと、遥は結構な落胆を覚えながらも、よくよく考えるまでも無くこうなっている原因の殆どは自分にあるのだ。であれば、大変残念ではありながらも、最早仕方がない事だと遥は早々に諦めの境地に達しかけたがしかしその刹那である。
「カナ…! 今日はもう、思いっきりお祭り楽しみましょう!」
それまでの暗い表情から一転、沙穂が努めて明るい笑顔で突如そう宣言した為、当然の様に遥はビックリしてしまったが、その反対側では楓も似たような感じで何やら俄然気になっていた。
「うん! そうだね! カナちゃんも楽しみにしてたもんね!」
それはもちろんその通りで、その為にも遥は「面倒臭い」打ち明け話をした訳でもあるが、課題の時といい沙穂と楓の突如の切り替えぶりにはもうひたすら困惑である。
「えっ? えぇ?」
遥はもう訳が分からないと言わんばかりにひたすら首を傾げさせるも、沙穂と楓からすればそれは何のこともない。
結局のところ、沙穂と楓が遥にしてあげられる事は、辛いことも、楽しいことも、その全てを等しく共有して、これから先も今まで通り遥と寄り添っていく事くらいだったのだから。




