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4-40.選定基準

 地元の花火大会を「凄く楽しみにしていた」という遥の気持ちをこれ以上ないくらいに汲んで俄然やる気になった楓は、それからというもの、正しく鬼気迫る勢いで脇目もふらずに全身全霊をもって課題に打ち込み続けた。

 遥が気を効かせて用意していたおやつのケーキにも手を全く付けなかったというのだから、その集中ぶりが如何にすさまじいものであったかうかがい知れるというものだ。

 勿論、楓と想いを同じくしていた沙穂も今回ばかりは全力でのサポート惜しまず、普段の「突き放し型」とは真逆の適時的確だったその指導ぶりたるや、遥の出る幕が毛ほども無かった程である。

 それでも殆ど手付かずの状態で残っていた楓の課題が花火大会までに片付くかどうかはかなり厳しいと言わざるを得なかったがしかし、人間、確固たる強い意志があれば、時には地力以上の力を発揮できたりするもので、これが案外何とかなってしまうものだ。

「おわっっったぁぁぁああああ!」

 お昼に食事休憩を取って以降一心不乱に課題と向き合い続けていた楓が手にしていたシャープペンを放り投げんばかりの勢いで諸手を突き上げ、歓喜に満ち溢れた声で終了を宣言したのは、開始から凡そ八時間、夕方の六時を目前にした頃だった。

「やった! やったじゃないミナ! この時間なら花火大会、全然行けるわよ!」

 リビングの壁に据え付けられているデジタル時計をチラリとみやって現在時刻を確認した沙穂は、楓が予想以上に早く課題をやり遂げられた事を我が事の様に喜び、突き上げられていたその諸手にハイタッチをする。

「よ、よかったぁ…! ヒナちゃん…、ほんとに、ほんとにありがとぉ…!」

 楓が少々感極まった様子で瞳を若干潤ませながら全力でサポートしてくれた事に強い感謝の念を送ると、沙穂はそれに対していつになく優しい面持ちでゆっくりと左右に首を振った。

「何言ってんの、アンタが頑張ったからよ…」

 確かにその通り、沙穂の全力サポートがあったとはいえ、こうして無事に課題がやり遂げられたのは他でもない楓自身の頑張りがあったからこそである。

「ワタシ…間に合わないかもって…何度も思ったけど…」

 残っていた課題の量が量だっただけに、実際にそうなっていた可能性は幾らもあった。

「あたしも正直…、厳しいかもって思ったけど…」

 それでも二人が最後まで諦めず遂にそれを成し遂げたのは、もちろん遥を地元の花火大会に連れて行ってあげたい一心からだ。

「これで!」

「うん!」

 言葉少なに力強い頷きを交わした沙穂と楓は、ハイタッチした両手を握り合って遥の方へと向き直る。

「カナちゃん!」

「カナ!」

 遥もさぞ喜んでいる筈だろうと、満面の笑顔でその名を呼び掛けてみた沙穂と楓であったが、そんな二人の予想に反して、遥が見せていた反応は少々意外なものだった。

「うぅっ…、ヒナぁ…ミナぁ…」

 遥は先程の楓なんかとは比べ物にならないくらいに感極まった様子で、その大きく黒目がちな愛らしい瞳一杯に涙を溜めて、それももう決壊寸前といった感じである。

「ちょっ、か、カナ!?」

「ど、ど、どしたの!?」

 沙穂と楓は予想外の反応に少々ギョッとしながら何事かを問い掛けて来るも、遥としてはどうもこうも無い。

「だ、だってぇ…ふたりが…すごく…がんばって…くれたからぁ…ボク…うれしくてぇ…」

 沙穂と楓が突如やる気になった理由については依然として良くは分かっていなかった遥だが、流石に二人が自分の我儘を叶える為に頑張ってくれていた事くらいはちゃんと理解できていたのだ。であれば、沙穂と楓の頑張りがこうして見事結実した今、念願だった地元の花火大会へ行ける事以上に、まず二人の心意気が何よりも嬉しくてたまらなかった遥がこうして感極まってしまっていたのも無理からぬ話だったのである。

「な、なんだ…そういうこと…」

 遥が泣きそうになっていた理由を理解した沙穂はホッとした様子で胸を撫で下ろし、楓の方は元々感極まり気味だっただけに、こちらの方が先に涙腺を崩壊させてしまった。

「うぁーん! カナちゃぁん! ワタシがんばって良かったよぉー!」

 普段それ程スキンシップの多くない楓だが、この時ばかりは感激を抑えられれぬ様子で、沙穂と握り合っていた手をほどくなり、勢いよく遥に抱き着いてくる。

「み、ミナ…! く、くるしい…けど…、ほんとに…ありがとう…」

 遥はいきなりだった楓の抱きつきには些かドギマギしながらも、無暗にそれを振りほどく様な無粋な真似はせず、その背中をやんわりさすりながら素直な感謝の言葉を送った。 

「うぇーん! カナちゃぁん! ワタシこれからは普段の宿題もちゃんとやるからねー!」

 一時の感激に任せて楓が勢いで宣言したコレに関しては幾らも怪しいところで、沙穂なんかはかなり突っ込みを入れたそうな様子ではあったが、今は其れをぐっと堪え、代わりに二三度手を叩いて場の空気をしきりなおす。

「はいはい二人とも、時間的には割とギリギリよー」

 その言葉で我に返った遥と楓が二人で同時にリビングの壁に据え付けられているデジタル時計に目をやれば、そうこうしてる間に時刻は六時を回ってしまっていた。

「わっ! もうこんな時間! これは急がなきゃだね!」

 沙穂の指摘で感激の一コマをやっている間にも刻一刻と時間を浪費していた事に気付かされた楓は、パッと遥から離れて慌ただしくその場から立ち上がる。

 因みに、花火大会の会場は遥のペースでも徒歩ニ十分掛かるかどうかという比較的近場で、花火が始まるのも空が完全に暗くなる八時ごろからではあった。

 そこだけみれば、まだギリギリと言うほど時間は差し迫っていない様にも思えるがしかし、そこはそれ、遥たち三人は花も恥じらう女子高生なのである。

 そんな遥たち三人が今夏を締めくくる一大イベントと言っても過言ではない花火大会に何の準備も支度も無く望んでは、それこそ女子高生の名折れというやつに他ならない。

 故に、遥たちはこの花火大会というイベントを思うさま満喫してやろうという当初の計画もあって、この日の為だけの特別な装い、即ち「浴衣」の用意をしてあったのだ。

 もしかしたら沙穂あたりは、いよいよともなれば折角用意した浴衣を諦めて、着の身着のままで花火大会へ向かう事も考慮に入れていたかもしれない。

 ただ、幸いなことに楓の驚異的な頑張りのお陰で、浴衣に着替えられるくらいの猶予は、沙穂の言葉を借りるならばまだ「ギリギリ」で確保できているのだ。

 ならば遥たちとしては、例えその所為で時間が切迫してしまうとしても、この機に浴衣を着ないなんて選択肢は当然ながら無いのである。

「えっとぉ、カナちゃんの浴衣って、コレかなぁ?」

 席を立ってからリビング内をウロウロしていた楓が足を止めて問い掛けて来た「コレ」とは、ソファーの裏に固めて置いてあった幾つもの大きな紙袋の事だった。

「あ、うん、それ!」

 遥がそれで間違いない事を認めると、楓はそこに在った紙袋に加えて、リビングの隅に置いてあった自分と沙穂の鞄をも回収してテーブルの方へと戻って来る。

「…んっ? コレ、全部がカナの浴衣? 何か…多くない…?」

 沙穂が少し驚いた様子で指摘したその通り、楓の回収して来た紙袋の数は帯等を小分けにしてあるにしても明らかに浴衣一着分どころの量ではない。

「取りあえず全部持ってきたけど…、カナちゃん、どうなってるの?」

 楓もこれには不思議そうな顔をして、とりあえずリビングテーブルの上に並べてみた沢山の紙袋を眺めながら小首を傾げさせる。

「コレはその…、なんていうか…、お母さんと朱美おばさん―えっと、賢治のお母さんなんだけど…、二人が妙に盛り上がっちゃって…、それで…こんな事に…」

 という事であり、もう少しだけ詳しく話すと、事の発端は今回の予定が決まってから遥が自分の母親である響子に浴衣を買って欲しいとせがんでみたところからだった。

 常日頃から遥を可愛く着飾る事に余念のない響子が嬉々としてこれを了承してくれたまではまだ良かったのだが、その話をどこからともなく朱美が嗅ぎつけてしまったからさあ大変。遥は響子と朱美にわざわざ表街の百貨店にまで連れ出され、あれも可愛いこれも可愛いといった具合に次々と浴衣を見繕われたあげく、最終的には全部が漏れなく可愛くて選べないという些か正気を疑う様な結論に落ち着かれてしまい、その結果が「コレ」という訳なのであった。

「話には聞いてたけど…それにしたってコレは…ちょっとヤリすぎっていうか…」

 沙穂は大量の紙袋を眺めながら呆れ果てた様子で、遥としてもそのあたりは全くもって同感であったが、そんな二人とは別な見解を見せたのが楓である。

「でも、ワタシはおばさん達が張り切っちゃったのもちょっと分かるなぁ」

 響子や朱美の方に同感であるとした楓は、紙袋から色とりどりの浴衣を次々と取り出して、テーブルにずらっと並べたそれらと遥を交互に見比べながらニコニコとした。

「だって、カナちゃんの浴衣姿なんて可愛いに決まってるもん! 色んなの着せたくなっちゃうの仕方ないよ!」

 それは本当に「仕方がない」事なのかどうか幾らも疑問だった遥は、これに思わずの苦笑いである。

「う、うーん…」

 実際問題、花火大会に着て行けるのは一着だけであるし、来年にはもっと成長している予定の遥としては、殆どが着る機会のないまま無駄になってしまう気がしてならない。

「まぁ…何着てもカナが可愛いのはそうだろうけど…」

 沙穂も遥の浴衣姿が総じて愛らしいだろう事はまず間違いないとしながらも、小さく溜息を洩らしながら、リビングの壁に据え付けられている時計の方に目配せをする。

「時間ないから、取りあえずカナはどれ着てくかさっさと選んじゃいなさい」

 それは大変に尤もな意見で、遥としてもそうしたいのは山々であったがしかし、いざ選べと言われると中々どうして簡単ではない。

「えっ…と…、えっと…えぇとぉ…」

 涼やかな青を基調としたベーシックな朝顔柄、清楚感あふれる白地にはんなりとした薄紫の藤柄、艶やかでシックな黒には情熱的な赤い牡丹。

 他にもレトロやモダン、モードにロリータまで、響子と朱美が買い込んだ浴衣はありとあらゆるバリエーションが取り揃えられており、その全てが自分の為に見繕われている事もあって、遥にはどれも良さそうに見えてしまう。

 そもそもの話しをすれば、響子と朱美が選びきれなかったものの中からたった一着だけチョイスせよなんてミッションは、遥からすればインポッシブルに過ぎるというものだ。

「うぅ…、ヒナぁどれがいいかなぁ…」

 結局自分では決めかねた遥が堪らず三人のファッションリーダー的存在である沙穂に意見を求めると、これにはいつもの呆れ顔と小さな溜息が返って来る。

「もぉ、仕方ないわねぇ…、うーん…、そうねぇ…」

 このままでは埒が明かないと踏んだのか、沙穂は仕方なくといった様子でテーブルに並べられた浴衣を見回してゆくが、その途中でふと何か思い付いた顔になってニンマリとした笑みを見せた。

「ねぇカナ、こういうのはさ、好きな人に見てもらうならって考えたら、決めやすいんじゃないかしら?」

 沙穂が何かちょっと悪い笑顔だったのはともかく、今回の花火大会は女の子三人だけで行動する予定だった事もあってその発想が全くなかった遥はこれに思わず目から鱗だ。

「そ、そっか! そういうことなら…!」

 自分のセンスや好みでは決めかねていた遥でも、「好きな人に見てもらうなら」という観点からなら確かに一つに決められそうで、今一度とりどりの浴衣と対峙する。

「あっ…コレ! コレにする!」

 明確な選定基準が定まった事により、先程まで目移りしていたのが嘘の様に、遥が殆どノータイムで選び出した浴衣は、落ち着いた濃色こきいろに朱色の鬼灯があしらわれた大人っぽい雰囲気の一着だった。

「あら…意外なチョイス…」

 遥の選んだ浴衣を沙穂が少しばかり意外そうにすると、楓もこれについては同様の感想をもう少し具体的な言葉で述べて来る。

「うん、ワタシもてっきり、今の流れならカナちゃんはこっちとか選ぶかなって思ってた」

 そう言って楓が指し示したのは、薄桃色が基調の白い花と兎の柄が大変に可愛らしい一着で、方向性的に言えば遥が選んだ浴衣とは完全に真逆のものだった。

「えぇ? なんで…?」

 沙穂がなぜ大人っぽい浴衣を「意外」として、楓が何故「可愛い系」を選ぶと予想していたのか、遥はその理由や根拠が今一分からずに小首を傾げさせる。

「だって…、けんじなら―」

 大人っぽい浴衣を選んだ理由を端的に述べようとした遥は、至極当たり前の様に自分の口をついて出たその名前に、突如として全てを悟ってかなりの具合でハッとなった。

「あっ! ち、ちがっ…! け、賢治じゃないよね! そうだよね! あ、あれ!?」

 道理で沙穂と楓が意外そうにした筈である。現時点で遥の「好きな人」と言えば、それは順当に考えれば賢治の事では無く、互いに告白しあって両想いにまでなっている青羽であって然るべきだったのだ。

「あ、あのね! ボク、ちゃんと早見君のこと好きなんだよ!?」

 遥はその言葉を嘘やごまかしなどでは無く紛れもない本心から述べているつもりであったがしかし、それでも「好きな人」と言われてほぼ無意識かつ条件反射的に賢治を思い浮かべてしまっていた事実に変りはない。

「まぁ…うん、大丈夫よカナ、あの人の事も別に嫌いになったとかじゃないんだろうしね?」

 沙穂は遥の慌てぶりには苦笑を洩らしながらもその複雑な心中を慮って、「好きな人」というワードからつい賢治を思い浮かべてしまったのは無理もない事としてくれた。

「カナちゃん…、そっかぁ…、そうだよねぇ…、うん、分る! 分かるよカナちゃん!」

 楓の方も遥の心情に多大な共感を示して、その上何故だか眼鏡の奥で爛漫と瞳を輝かせすらする。

「うぅ…二人とも…ありが…と…」

 沙穂と楓が誤解無く理解を示してくれている事は幸いではあるとしても、遥としてはもう色々と気まずいことこの上ない。

 駅前での一件以来、遥はそうする事で賢治がいつか来る幸せな未来を選び取れるならと、自分の気持ちを胸の奥深くにひっそりとしまい込んで鍵まで掛けたつもりでいた。

 それなのに、今日の事に限らず、何かある度についつい賢治の事を想ってしまうちっとも「なってない」自分の優柔不断さが遥はどうしようもなく嫌になる。

 何より、具体的な関係性にはなっていないにしろ、きちんと想いを確かめ合って両想にもなっている青羽に対しては、もう只々ひたすらに申し訳ない気持ちで一杯だった

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