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4-23.一分の理

 それは、つながった光の道筋と差し伸べられた青羽の手に導かれるまま、遥が遂にあと僅かの距離を踏み出しかけた正にその瞬間だった。

「ちょぉっとまったぁぁああああ!」

 突如として高らかに響き渡った雄叫びと共に、文字通りの意味合いで飛び込んできた美乃梨の空中蹴りが問答無用で青羽の脇腹に突き刺さる。

「ぐふッ!?」

 無論、完全な不意打ちを食らった青羽に成す術などあった筈は無い。

 青羽に出来た事は、見事な「く」の字を描きながら、蹴られた勢いのまま真横へと吹き飛んでいく事くらいであった。

「―のぁッ!」

 奏家の門前から隣家との境に当たる垣根辺りまで吹っ飛ばされた青羽は、体勢を崩して一度はその場に倒れ込みはしたが、すぐに上体を跳ね上げて目を白黒とさせる。

「なっ…? えっ…? えぇ? どうして…美乃梨…? えぇぇ?」

 怪我がなさそうである事は一先ずなによりとしても、青羽は自分の身に何が起こったのか理解できずにひどく混乱した面持ちだった。

 さて、そんな青羽の一方で遥はどうしていたかと言えば、こちらはこちらでやはり何が起こったのか理解できずに当然の如く絶賛混乱中である。

「…えっ…と…、えっ?」

 青羽が美乃梨に蹴り飛ばされる瞬間を見ていた分、遥は流石に目の前で起こった出来事についてはありのままを理解できてはいた。ただ、一体全体何がどうしてそんな事になったのか全くわからないという観点から行けば、遥の混乱度合は青羽のそれとそうは大差がない。そして、そんな遥と青羽の混乱が収まって理解が追い付くのを待たずして、状況はより一層のややこしさを増してゆく。

「ちょっ! 花房さん!」

「あわわ! 早見くん!」

 この時点でただでさえ大混乱だった遥と青羽のそれに拍車をかけたのは、美乃梨を追いかける様にして二人の視界に駆け込んできた沙穂と楓で相違ない。

「花房さん、約束と違う!」

「早見くん、だ、大丈夫!?」

 沙穂が美乃梨の正面に回っていきなりの乱入に抗議すれば、楓の方は蹴り飛ばされた地点に座り込んだままでいる青羽の元に駆け寄ってその身体を助け起こそうとする。

「水瀬…さん…? えっ…日南さんも? あ、あれ? 奏さん…どうなってるの?」

 楓に支えられながら取りあえず立ち上がった青羽は混乱をそのまま疑問として投げ掛けて来るも、当然ながら遥がそれに対する答を持ってる訳は無い。

「…ボクにも…何が何だか…さっぱり…で…」

 そう答える以外になかった遥は、困り果てた面持ちで沙穂と楓、それに美乃梨の三人を順番に見回してゆく。

「う、うーん…?」

 可能性の話しとしてなら、三人がここに居る理由について、遥には幾らか考え付くものがない訳では無い。しかしながら、それが真実である保証などはどこにも存在しない訳で、ともなればそんな不確かな情報を今ここで披露しても、それはただ悪戯に混乱を増やすだけである。

「えっと…、どう…なってるの?」

 結局のところは遥も青羽からされた質問をそのままそっくり三人に向って投げ掛けるしかなかった。

「あー…これは…その、ちょっとした手違いっていうか…」

「う、うん…その…何て言うか…花房さんが…ちょっと…」

 遥の問いに、沙穂と楓は何やら気まずそうな顔で言い難そうに言葉を濁して今一要領を得ない。ただその代わりに、現在の混乱を引き起こした張本人と言っても過言ではない美乃梨だけは、何故か堂々と胸を張ってその受け答えにも一切の淀みが無かった。

「あたし達は青羽がどうするつもりなのか見守りに来たの!」

 という事の様で随分とアグレッシブで攻撃的な見守り方もあったものであるが、美乃梨の性格を考えればそれについては敢えて突っ込みを入れるべくは無い。

 ただ其れは其れとして、遥と青羽は取りあえず今の話しで三人がここに居る理由に付いては何とか理解できた一方で、必然的に幾つかの新しい疑問に行き当る。

「そうすると…、美乃梨たちは、早見君がウチに来てるの…知ってたって事だよね…?」

 遥がまず真っ先に思い当たった疑問を投げかけると、これにはまず沙穂が相変わらず言いにくそうにしながらも、先ほどより多少は要点を抑えて応じてくれた。

「それは…その…、カナが帰った後にあたしらぐーぜん賢治さんと会って色々教えてもらったから…なんだけど…」

 沙穂の言う「色々」が少々気になる処ではありつつも、青羽がここへ来る前に賢治と会って居た話を聞いていた遥は、これに付いては取りあえずの得心がいく。

「それで…花房さんがどうしても行くって言い出して…、ワタシたちもやっぱり気になっちゃったから…、賢治さんに無理言ってここまで乗せて来てもらったんだけど…」

 その結果がご覧の有様という事の様で、沙穂と楓はこれを心底申し訳なさそうにしたが、対して美乃梨はといえば全くもって太々しい事この上なかった。

「沙穂ちゃん、楓ちゃん、ごめんね! あたし我慢できなかった! やっぱり我慢できなかった!」

 美乃梨は沙穂と楓に謝りを入れながらも、仕方がないと言わんばかりの態度で開き直った感すらもある。

「いや…あたしらよりもカナと早見に謝った方が…」

「うん…そうだよ花房さん、これはあんまりだよ…」

 沙穂と楓の言う事は至極尤もな当然の筋であったが、美乃梨は謝りを入れるどころか、口を尖らせて青羽をキッと睨み付けすらした。

「ヤダ! 遥ちゃんはともかく青羽にはあやま―にょわっ!?」

 恐らく美乃梨は「謝らない」と言いかけたのだろう。だがしかし、言い終わるよりも早く、背後から不意に伸びてきた大きな手に頭を鷲掴みにされ、美乃梨は発言を強制的に中断させられていた。

「お前…、マジで正気じゃねぇな、こんな事なら駅に捨てて来るんだったよ…くそが…」

 そんな悪態をつきながら、美乃梨の立っていた位置の直ぐ後ろ、奏家と紬家を隔てる垣根の陰から姿を現したその人物は他でもない。これまで姿こそ見せてはいなかったが、沙穂と楓がしてくれた話から考えれば居て然るべき人物、詰まるところが賢治であった。

「賢治さん…やっぱり居たんですね…」

 半ばそれを予想していた青羽が苦笑交じりに声を掛けると、賢治は神妙な面持ちでその認識について一つだけ訂正を入れて来る。

「いま来たとこだよ…、この子らを近場で降ろした後、ちと離れたとこに車を置きに行ってたもんでな…」

 普段なら自宅のガレージに車を停めている賢治がわざわざそんな事をした理由は、まず間違いなく遥と青羽の目に付かない様に配慮したからだ。

 何せ、紬家のガレージは奏家の門前からは目と鼻の先である。青羽が、というよりも遥が大事な局面を迎えるかもしれない所に、その気を削ぐ様な真似をわざわざしたいと思うほど賢治も無神経では無いのだ。

 尤も、そんな配慮も美乃梨の暴走によってすっかり水の泡であり、それだけに賢治はこの場に居る誰よりもこの状況にご立腹であった。

「おい美乃梨、車ん中で俺とした約束、言ってみろ」

 賢治が頭を抑え付けたままその顔を覗き込む様にして睨みつけると、さしもの美乃梨もビクッと身震いして身体を小さく縮こまらせる。

「えっ…と…、遥ちゃんと青羽が外で話してた場合は、賢治さんちのガレージからこっそり見守って、二人が外に居なかった場合は、大人しく帰る…デス…」

 こんな約束が成されていたとなれば、それはもう賢治が怒るのも無理のない話だ。

 何せ美乃梨は見守るどころか青羽に飛び蹴りまでかまして、これ以上ないくらいに思いっ切りに場を引っ掻き回している。

「おう、ちゃんと覚えてんじゃねぇか、それなのに我慢できなかっただぁ? お前…マジでどうかしてんな?」

 先程、美乃梨が沙穂や楓に対して開き直っていた所を賢治はバッチリ聞いていた様で、どうりで今来たばかりの割には完全に美乃梨を狙い撃ちだった訳だ。

「だ、だって…青羽がぁ…」

 厳しく責め立てられた美乃梨は涙目になりながら何とか弁明をしようとするが、今の賢治はそれをさせてくれる程の優しさを既に持ち合わせてはいなかった。

「言い訳すんな!」

 怒号一閃、取り付く島もないとはこの事で、賢治のこういう所は確実に父親似だ。

「け、賢治さん、せめて話くらいは聞いてあげても良いんじゃ…」

 賢治の怒り様が余りにも厳しかった為、流石に美乃梨が可哀そうになったのか、思わず助け舟を出してしまったのは他でもない青羽である。

「あぁ…?」

 最大の被害者と言っても過言ではない青羽から諭されては、賢治も多少は怒りを収めざるを得ないかと思いきや、残念ながらこの状況では全くもってそんな事は無かった。

「青羽お前な! 本当ならお前が真っ先に怒るべきなんだぞ!」

 確かにそれは大変に御尤な指摘であり、賢治を宥める所か逆に怒られてしまった青羽は、これに思わず姿勢を正しての直立不動だ。

「す、すみません!」

 しまいには謝ってしまった青羽がそのまま口を真一文字に結んで押し黙ってしまうと、賢治はその様子に小さな嘆息を洩らしながら再び美乃梨の方へと向き直る。

「おい美乃梨、約束を破ったからには分かってんだろうな?」

 美乃梨を追窮する賢治の声は、煮えくり返っているだろう腹の底から直接響かせたかのように大変ドスが効いており、その迫力たるや傍で聞いていた沙穂や楓までもが思わず震えあがってしまった程だ。

「…け、賢治さん…、ぼ、暴力は良くないと思います!」

 完全に涙目で何とか賢治を宥めようとする美乃梨は、一体どの口が言うかという感じで同情の余地は全く無かったが、それでも見捨てなかった天使がこの場には居た。

「賢治、待って!」

 今にも美乃梨を折檻しそうだった賢治を制止して、少々慌てた様子でありながらも大して早くも無いペースでペタペタとその傍まで駆け寄って行ったのはそう、遥である。

「何だ…? まさかハルまでコイツの話しを聞いてやれってんじゃないだろうな?」

 それが図星だった遥は内心では少々ギクリとしつつも、青羽とは違ってこういった場合、賢治にはどう言えば効果的かを良く心得ていた。

「えっと…そうじゃなくって…、ボクや早見君には、どうして美乃梨が邪魔をしたのか知る権利があると思うんだけど…」

 つまり、美乃梨は釈明や自己弁護の為では無く、自分や青羽にその動機を開示する為に話すべきだというのが遥の主張だ。勿論これは論旨をすり替えただけの方便というやつであったが、遥の為になるというのであれば賢治がこれを無下にするのは中々に難しい。

「むっ…」

 事実、賢治は先ほど間髪入れずに青羽を叱りつけた時とは打って変わって、これには少々の思案顔を見せ、こうなればもう説得されるのも時間の問題だろう。

「ねぇ…いいでしょ賢治?」

 これこの様に、あと一押しだと思った遥が無自覚な上目遣いで懇願すれば、流石の賢治といえども、否、賢治だったからこそひとたまりも無かった。

「…はぁ、ったく…しょうがねぇなぁ…」

 遥の作戦、もとい、愛らしさの勝利である。

「おら美乃梨、ハルが聞きたいって言ってんだ、さっさと話せ」

 賢治の乱暴な促し方に美乃梨は少々憮然とした面持ちを見せながらも、遥のおかげでようやく得られた発言権を無駄にする道理はない。

「言われなくても話します! 断っておきますけど、あたしだって最初はちゃんと大人しくしてるつもりだったんですよ!」

 その前置きに信憑性があるかどうかは過分に怪しいところではあるものの、一先ず一同は上げ足を取る事も無く、ここは黙って美乃梨の話しに耳を傾ける。

「でも、青羽なんかと付き合ったら、遥ちゃんは学校で敵をいっぱい作っちゃうから…」

 その言葉で、賢治を除いた面々は皆一様にハッとなった。

「「「「あっ…」」」」

 美乃梨の言う敵とは即ち、遥のクラスでいけば遠藤恵のグループを筆頭とした、所謂「青羽信者過激派」とされている女子達の事だ。

「あたし、中学の時に青羽とちょっと噂になっただけで結構な嫌がらせを受けた事があるんだけど…」

 美乃梨のらしくもない苦々しい表情から、それが決して笑い話や冗談で済ませられる様な生易しいレベルの物では無かった事が容易に想像できる。

「遥ちゃんがそれと同じ目に合うのかと思うとあたし我慢できなくて、それで気付いたら青羽を蹴っ飛ばしてた…」

 思えば、美乃梨はそれこそ入学式の時から「女の子」として青羽と関わり合いになる事の危険性を頻りに説いてくれていた。

 遥だってこの事は自身の実感として十分承知していた筈だったし、青羽も臨海公園で一度はこの事について言及している。そんな二人が揃ってこの事をすっかり考えの外に追いやっていたのは、ここまでの経緯から半ば仕方がなかったとしても、だからと言ってこれは到底見過ごしていい類の問題では無かった。

「だから、えっと、賢治さん、約束破ってごめんなさい…」

 最後に美乃梨は賢治に対する謝罪で話を締めくくると、今更になって約束を反故にした罪悪感に苛まれたのか、愕然となっている一同の顔をチラリと窺ってからその場でシュンとしてしまう。

「成程…、聞いてみるものだな…」

 正味な話し、賢治は今回もまたいつもの様に美乃梨が極めて個人的な感情から暴走したのだと、今の今までそう思っていた。がしかし、いざ美乃梨の話を聞いてみればその実態はどうだ。

 確かに美乃梨が約束を破った事や、青羽を蹴っ飛ばした等と言う話しは、何をどうひっくり返した所で褒められたものでは無い。

 だがその一方で賢治は、今回の美乃梨が約束を破ってまで暴走した事に付いては、最早そこに一分の理があった事を認めざるを得なかった。

 そして、その様に感じていたのは、当然ながら賢治だけでは無い。

 美乃梨が危惧している問題は、その一端を普段から実際に目の当たりにしてる沙穂や楓は言うに及ばず、当事者であり渦中である遥と青羽にとってこそ深刻だったのだから。

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