4-16.復活の儀式と最後の切り札
遥が一方的に通話を終わらせてしまった後、ロータリーの向かい側に在るファストフード店へと戻った美乃梨と沙穂は意気消沈著しく、すっかりお通夜ムードだった。
遥と青羽のデートを阻止できなかったばかりか、最後通牒まで突きつけられてはそれも無理からぬ話だが、そんな二人を前にして居た堪れない事この上なかったのが楓である。
「えっ…と…二人とも…なんか…ごめんね…」
当初から立場を異にしていたと言え、二人の邪魔をしてしまった格好の楓は場の空気に耐えかねた事もあって、思わずそんな謝りを入れずにはいられなかった。
「…別にぃ…カナが決めた事なんだしー、ミナを責める気なんて無いけどぉ?」
沙穂はそう言いつつも普段は滅多に見せない膨れっ面で、楓はこれに益々の平謝りである。
「ひぃー…だからごめんってぇ…! ヒナちゃん怒っちゃヤダよぉ…!」
楓が涙目になって縋りつくと、沙穂は面倒くさそうな顔になって、深々とした溜息を付いた。
「はぁ…っとに…ちょっと八つ当たりしちゃっただけで別に怒っちゃないわよ…」
どこかバツが悪そうに自身の心境を吐露した沙穂は、その言葉が嘘では無い事を知らしめる様にほんの僅かながらも笑みを垣間見せる。
「ミナはミナで頑張っただけでしょ? 怒る理由が無いわよ…」
理性的で寛大なその言葉に楓はホッと胸を撫で下ろしかけるも、そこへ沙穂が「ただ…」と言葉を繋いでそこから先は何も言わずに自分の真横を指差した。
沙穂の言わんとするところを察した楓がその指先を追って恐る恐る視線を移してゆけば、そこに居たのはそう、当然の事ながら美乃梨である。いや、この場に限って言えば、それは美乃梨だった何かと形容した方が良かったかもしれない。
「ハルカチャンガ…ハルカチャンガ…ハルカチャンガ…」
その面持ちは魂の抜けきった完全な虚ろであり、ひたすらに同じ単語だけを繰り返すその様は歯車が狂った壊れかけの玩具か何かである。
「ひっ…!」
青羽を選んだ遥の決断が相当にショックだったのだろうが、それにしたってこの落ち込み様は「怖い」の一言だ。美乃梨は遥との通話を終えてからというものずっとこんな調子で、その姿を改めて正面から捉えた楓が思わず小さく悲鳴を上げてしまったのも無理はない。
「コレ…どーしたもんかねぇ…」
流石の沙穂も「コレ」は扱いかねる様で、ホラードールと化してしまった美乃梨を不気味そうにすらしていた。
「う、うーん…」
楓としても、こんな状態の美乃梨は到底手に追えるものでは無いがしかし、かといってこのままにしておくという訳には行きそうも無い。特に青羽の味方をした楓は、美乃梨がこうなってしまった事にちょっとした責任を感じていた為に余計だった。
「えっ…と…あ、あのぉ…花房…さん…?」
一先ず楓は恐る恐る呼びかけてみたが、美乃梨は相変わらず虚ろな表情で遥の名前をブツブツと繰り返すばかりである。
「ハルカチャンガ…ハルカチャンガ…ハルカチャンガ…」
最早怨念すらも感じさせる美乃梨の様子に、楓は殊更の戦慄を禁じ得ず全身鳥肌だ。
「うぅ…」
楓は恐怖のあまり早々に挫けそうになりながらも、何とかして美乃梨を復活させる方法は無い物かと、さして良くも無い頭をフル回転させる。
「ミナー、あんた悪魔祓いとかそういうの好きでしょー、がんばってー」
勿論それは漫画やアニメに限った話しであったし、そもそも悪魔付き扱いは随分だったが、そんな沙穂の送って来た殆ど投げやりだった適当な声援で楓は一つピンと来た。
「そ、そうだ…!」
楓は自分のポーチからスマホを引っ張り出すと、まるで陣を描く様にしてその指先を素早く画面に走らせる。そして程なくして画面からスッと指先を離した楓は、意を決した面持ちでそれを美乃梨の眼前に向かって勢いよく突き付けた。
「呪には呪を! 詛には詛を!」
そんなちょっとどうかと思う決め台詞と共に、スマホの画面が輝いて陣が浮かび上がりでもしたら、それは如何にもそれっぽかった処だが、勿論現実にそんな事が起こる訳もない。そもそも楓は世を忍んで魔を払ったりしているなんかすごい能力者とかでは無く正真正銘の只の女子高生であるし、決め台詞も普通に最近ハマっていたアニメからの引用である。因みに言えば、画面に指を走らせていたのも別に呪詛返しの陣を描いていた訳では無く、美乃梨に「と在る物」を見せるべくスマホを操作していただけの事だった。
「…あんた…ノリノリね…」
一連の様子を見守っていた沙穂が呆れた調子で突っ込みを入れて来ると、流石の楓も恥ずかしくなって堪らずの赤面だ。
「うぅ…だってぇ、ヒナちゃんが悪魔祓いとか言うからぁ…」
つい興が乗ってしまったのはオタクの悲しい性という事にしておくとして、肝心なのは大立ち回りを演じてみせた結果の方である。ここまでやって「ダメでした」ではそれこそ楓はもう唯々恥ずかしいばかりだがしかし、幸いにも一連の儀式は一定の成果を上げていた。
「は…はるか…ちゃん…?」
それまでの歯車が狂った壊れかけの玩具さながらだった美乃梨の声に僅かな抑揚が生まれ、その虚ろだった瞳にも徐々に光が宿ってゆく。
「おっ…反応ありね…」
沙穂がその変化に気付いたのと同時に、美乃梨はそれまでの抜け殻状態が嘘の様なものすごい勢いで楓のスマホ、厳密に言えばそこに表示されていた「と在る物」に飛びついた。
「は、遥ちゃんだぁぁぁ! あぁぁああなにこれかわいいいい! 遥ちゃん! 遥ちゃん! 遥ちゃん!」
息を吹き返したらそれはそれで遥連呼の美乃梨だが、とりあえずこれは通常運転の範囲内という事にしておいても問題ないだろう。
「写真でも良いんだ…」
沙穂が呆れ果てた調子で口にした通り、楓が美乃梨を復活させるべく見せつけた「と在る物」の正体は、何の事も無い遥の写真だった。要するに楓が行った復活の儀式は「呪には呪を」ならぬ「遥には遥を」という訳である。
因みにそれがどの様な写真だったかにまで言及すると、それは制服のスカートを初めてミニ仕様にした遥が裾を押さえて恥ずかしそうにしているちょっときわどいアングルの物だった。当時撮影役を買って出ていた楓は、こんな時の為に、という訳では無いだろうが、遥のスマホで撮ったその写真をちゃっかり自分のスマホにも転送していたのだ。
「ミニスカートの遥ちゃん! ニーソの遥ちゃん! 絶対領域の遥ちゃん! 恥ずかしがる遥ちゃん! もぉかわいすぎるよぉ!」
遥が制服のスカートをミニ仕様にするのは放課後の学外に限られている事もあって、今までその姿自体見た事の無かった美乃梨はもうかなりの大興奮である。
「う、うん…なんか、とりあえず花房さんが元気になってよかったよ…」
楓自身、自分でやっておきながらここまで食いつかれるとは思っておらず、その結果を喜びつつも、美乃梨の興奮度合いには若干の引き気味だ。
「楓ちゃん! この写真あたしにもちょうだい!」
遥の写真を一頻り堪能した美乃梨は、楓の両手をギュッと握りながら、期待に満ちた瞳をキラキラと輝かせる。
「う、うーん…それは…良いけど…でも一応カナちゃんに聞いてみないと…」
写真を要求された楓が本人の許可も得ておきたい事を告げたその瞬間、突如として美乃梨はハッとなった面持ちになってその瞳を大きく見開いた。
「あぁ! なんか忘れてると思ったら遥ちゃん! 遥ちゃんだよ! 遥ちゃんと青羽はどうなったの!?」
遥の事で茫然自失になり、遥の写真で我を取り戻した美乃梨がそこに思い至ったのは半ば必然だったとは言え、これに焦ったのがむろん楓である。
「あ、あわわっ! そ、それは…そ、その…な、なんていうか…」
美乃梨が遥と青羽の件を思い出したとなれば、事態はあらゆる方向に面倒くさくなる可能性が満載で、そうなれば楓としては堪ったものでは無い。
「そういえばあたし…邪魔するならもう口きかないって遥ちゃんに言われて…」
楓がどうすればいいか分からずワタワタしている間にも美乃梨は徐々にこれまでの経緯を思い出してゆき、それに伴って再びその瞳からじわじわと光が失われてゆく。寄りにもよってそれは、せっかく変な儀式までして美乃梨を復活させた楓にとっては尤も最悪なパターン、元の木阿弥ルートだった。
「そっか…あたし…遥ちゃんに嫌われて…だから…あたし…」
美乃梨が遥に嫌われたなんていう事実は一切存在しておらず、それは完全な被害妄想かでなければただの早とちりだが、いずれにしてもこのままいくと不味い事だけ確かで、楓はいよいよもって大慌である。
「わー! だ、大丈夫だよ! カナちゃんは花房さんのこと大好きだよ!」
そんな必死のフォローにも美乃梨は「でも…」と暗い顔をして、楓はもう手段を選んでいる場合では無くなった。
「わ、わかった花房さん! す、水族館行こう! カナちゃんと早見くんの居る所!」
楓には、一度見当違いのバスに乗ってしまった遥と青羽がその後、当初の予定通り水族館へ向かったという確信があった訳では無い。そもそも、咄嗟に口をついて出たそれは、青羽を遥とデートさせてあげたいという楓の基本方針とは完全な裏腹だった。
ただそれでも、この状況下で美乃梨の気を繋ぎ止める為にはやはり遥の存在をぶつけるしかなく、楓に切れた手札はこれくらいしかなかったのだ。
「えっ? 遥ちゃんのところに…行けるの…?」
幸いにも切り札はそれなりの効果が有った様で、美乃梨はその表情を明るくして、楓はこれに一旦はほっと胸を撫で下ろしかける。ただそれも束の間、美乃梨は明るくしたばかりだったその表情をスッと曇らせて、到底「らしく」無いおどおどとした様子になった。
「…でも、そんなことしたら…それこそ遥ちゃんに…嫌われちゃうんじゃ…」
思えば、遥から最後通牒を突き付けられて酷く沈んでいた美乃梨がそこに辿り着いたのは、当然と言えば当然の帰結だったのだろう。楓ももう少し余裕があればこうなる事に前もって気付けていたのだろうが、切羽詰まっていたあの状況では完全な盲点になっていた。
「うっ…そ、それは…、き、嫌われるまでは…無いと…おもうけどぉ…」
確かに遥は簡単に人を嫌いになったりはしないが、それでも一度やると言った事に関しては容易に曲げない性格である事を楓は知っている。ならばこのまま考えなしにノコノコと出向いていって遥が宣告通り本当に口をきいてくれなくなってしまったら、その先に待ち受けるものは到底穏やかな結末ではない。
「う、うーん…え、えっとぉ…」
楓がまたしても答えに窮している間にも美乃梨の気は益々しぼんでゆき、せっかく取り戻した瞳の光も早々に風前の灯火だ。すでに最後の切り札を使ってしまった楓はもはや万策尽きてしまっていたが、あわやという所で流石に見兼ねた沙穂がフォローに入った。
「あー…、そんじゃぁさ、こっそり後をつけて早見を監視しつつカナを見守るってのはどう? 二人に見つからなければ邪魔した事にもならないでしょ?」
これに楓は思わず「おぉ!」感嘆の声あげて、美乃梨も一瞬は生気を取り戻しかけたものの、またもや何か不安にぶちあたったのか、すぐにしゅんとしてしまう。
「…でも…それだと何かあった時に遥ちゃんを青羽から守れないよ…?」
そんな状況が起こり得るのかどうかはさて置くとして、美乃梨の基本スタンスを考えれば成程これは尤もな不安だ。ただこれに関して沙穂は浅はかだった楓とは違い、ちゃんとそれなりのフォロー、というよりも逃げ道を用意していた。
「あたしと花房さんは邪魔したらカナに口きいてもらえなくなるかもしんないけど、ミナはそんな事言われてないから、ミナが何とかすれば問題ないわよ」
これに美乃梨は「それだ!」と確信めいた歓声を上げて、その瞳も急速に生気を取り戻してゆく。楓としても美乃梨が立ち直ってくれたた事には今度こそホッと一安心ではあったがしかし、その一方で一つだけ声を大にして言いたいことがあった。
『ヒナちゃん、流石にそれは屁理屈だよ!』
とは勿論実際には言えるはずもなく、楓は喉元まで出かかっていたその訴えを寸前で飲み込んだ。
「あ…あはは…そ、そっかー…な、なるほどねー…」
自分では如何ともしがたかった問題を沙穂が上手く纏めてくれて、美乃梨も気を持ち直してくれたとなれば、楓はもうそれでよしとするしか無い。
「楓ちゃん! 何かあったらよろしくね!」
美乃梨が期待に満ちた眼差しを送って来ると、その隣で沙穂はニヤリとした笑みを見せる。
「よろしくね、か・え・で・ちゃん」
わざとらしく美乃梨の呼び方を真似したりと沙穂は完全に煽ってきていたが、楓にできたことは若干の涙目で引きつった笑みを返す事だけであった。




