4-14.気付き
『青羽ぁ! このむっつりスケベの誘拐魔!』
バスを降りて通話に応じるや否や、美乃梨の剣幕はそんな具合の中々に人聞きの悪い相当辛辣な一言から始まった。
そしてもちろん、ひとたび口火を切った美乃梨がこれだけで終わる訳は無く、そこから先はこれぞ正しく怒涛と言わんばかりの猛烈な勢いで喋る喋る。
『あんた一体全体あたしの可愛い遥ちゃんをどこへ攫ったの!? あたしだって遥ちゃんと二人でデート何てしたこと事無いのに! それを差し置いてあんたうらやま―…じゃなくて図々しいのよ! だいたい今日の遥ちゃん何あれ! 白のセーラーワンピとか可愛すぎない!? 今直ぐ家に持って帰ってギューッてしまくりたいから早く返して!』
ヒートアップするあまり仕舞には個人的な欲望まで駄々洩れの美乃梨であったが、いきなりの「誘拐魔」呼ばわりも相まって、これではいくらお人好しの青羽でも中々にその要求は聞き難いだろう。そもそも、それ以前の問題として、スマホを通話状態にした途端一方的な剣幕で捲し立てだした美乃梨は一つの重大な勘違いをしていた。
『ちょっと青羽! 人の話聞いてるの!? 聞いてるなら何とか言いなさいよ!』
そんな事を言われても美乃梨が喋り通しで口を挟む暇など無い訳だが、例えそうでなくとも青羽がこの通話に対して何か応える事等出来はしない。何故なら、現在青羽のスマホを手にしてこの通話に応じているのは、何を隠そう美乃梨が必死で取り戻そうとしている当の遥だったからだ。
『青羽! 青羽ったら! なに黙ってんのよ! 遥ちゃんを返すの!? 返さないの!?』
美乃梨は尚も相手が青羽だと勘違いしたまま通話向こうでやかましい事この上なく、その様子に遥は一旦スマホを耳元から遠ざけて小さく溜息を付いた。
「はぁ…」
少々物申したい事が有って通話を譲ってもらっていた遥だったが、このハイテンション極まりない美乃梨と話をするのは中々にカロリーが要りそうで早くも些かぐったりだ。
「奏さん、やっぱり俺が…」
うんざりとした様子になった遥を見兼ねたのか、横で見守っていた青羽がスマホを渡すようにと遠慮がちに手を差し出して来た。
「うーん…」
遥は美乃梨の声が尚もギャンギャンと鳴り響いているスマホと、どこか困った様子でいる青羽を見比べてどうした物かと逡巡する。
美乃梨の相手をするのは如何にも疲れそうであったし、青羽のスマホ宛てに掛かって来た通話なので、持ち主がそれに応じるのは確かに本来の筋だ。ただそれでは、わざわざ通話を譲ってもらった意味が単に美乃梨の剣幕を聞いてげんなりしただけで終わってしまう。それに何より、遥としては自分の事でヒートアップしているこの如何にも厄介そうな美乃梨の相手を青羽に押し付けるのが非常に申し訳なかった。
「…うん、やっぱりボクが話すね」
結局は初志貫徹する事を選んだ遥は、青羽に断りを入れて一つ大きく深呼吸をすると、依然として美乃梨の声がやかましいスマホをゆっくり耳元へと持ってゆく。
『―って昔からそうなのよ! 中学の時だってあんたが何にも言わないから話がややこしくなって! その所為であたし、あんたと付き合ってるとかあり得ない噂されてすっごい迷惑したんだからね! ちょっと青羽! ほんとに聞いてるの!? いい加減になんか言ったらどうなの!?』
美乃梨の剣幕は何やら過去の因縁話にまで発展していて、遥はその内容に若干興味をそそられないでも無いが、だからと言ってこれは勝手に聞いて良い類の話でも無さそうだ。
「美乃梨、ストップ!」
これ以上余計な事を聞いてしまわない内に咄嗟の制止を掛けた遥は、さてこれに美乃梨がどんな反応をしてくるかと少々身構える。
『…………』
かなりの意表を突かれた形だっただろう美乃梨がまず示した反応は、口をあんぐり開けて絶句している絵が浮かんできそうな物の見事な沈黙だった。
「美乃梨、ボク―遥だけど…」
遥がここでようやく通話口に向かって名乗ると、そこから先の美乃梨はそれまでの剣幕とはまた違う方向で結構な大騒ぎになった。
『えぇぇぇ!? は、遥ちゃん!? 青羽は!? いつ代わったの!? もしかして今の聞いちゃってた!? い、いやいや、それよりもだよ! 青羽のヤツに変な事されてない!? 大丈夫!? っていうか今どこに居るの!?』
美乃梨は大げさなくらいの驚きと相当な困惑を見せながら、それをそのまま矢継ぎ早な疑問として投げつけて来る。思考と言動が直結している美乃梨らしい予想通り面倒くさかったその反応に、思わずの苦笑いと若干の後悔を禁じ得ない遥だ。
「そんないっぺんに聞かれても答えられないんだけど…、とりあえず最初に出た時からボクだったよ…?」
一先ず遥が差し当たっての事実を答えると、スマホのスピーカーから美乃梨の絶叫だか悲鳴だか分からない甲高い奇声が響き渡った。
「ほあぁあぁぁぁぁぁぁぁ!?」
鼓膜を突き破らんばかりだった突然の大音響に、遥は堪らずスマホを一旦耳元から離して眉間にしわを寄せる。もちろん、今の奇声は青羽にもバッチリ聞こえていた様で、遥の横で驚いた様な呆れた様な何とも言えない微妙な面持ちだ。
「美乃梨…うるさい…」
少し間を置いてから遥がスマホを耳元に戻して冷ややかな声を浴びせかけると、美乃梨はそれまでの勢いから一転、何とも情けない涙声になった。
『うぇぇ…だってぇ…あたし相手が遥ちゃんだなんて思ってなかったから…、お持ち帰りしたいとかすっごい余計な事言っちゃったよぉ…』
青羽との因縁話の方がよっぽど「余計な事」だった様に思えてならない遥は、美乃梨が真っ先に省みたポイントにまたしてもの苦笑いだ。
『は、遥ちゃん…あれはね…その…うっかり本音が出ただけで…えっと…その…だ、だって! 今日の遥ちゃんが超絶可愛かったから…つい…その…』
美乃梨は何とか先の失言を挽回するべく言葉を取り繕おうとするも、元来自分の気持ちに正直な裏表の少ない性格である為かまったくもって取り繕えていない。
「へー…そうなんだぁ…」
遥が完全に呆れた調子の棒読みでそう答えたのは、別にほとほと愛想が尽き果てたからという訳では無く、そこは割とどうでも良かったからだ。
遥もこの半年間で美乃梨の性格、というよりも性質については良く分かっていたし、あれが自分に対する好意からくる物である事もちゃんと分かっている。その若干面倒な性質や過剰なスキンシップに時々うんざりする事はあっても、真っ直ぐに自分を慕ってくれる相手を邪険に思うほど遥も鬼ではない。
ただ、美乃梨が先の発言を少なからず後ろめたく思ってるのであれば、そこに付け入ってみようと思う程度のしたたかさくらいなら遥にもあった。
「あー…でもそうだねー…あんなこと言われたらボクも戻り辛いかなぁー」
遥がさっそく先の発言に乗じて見せると、これは中々に効果的だったようで、通話向こうの美乃梨は益々の涙声だ。
『そ、そんなぁ…! 遥ちゃぁん…お願いだから戻って来てよぉ…! お持ち帰りは取り消すからぁ…! このさい青羽と一緒でも良いからぁ…!』
美乃梨の駄々っ子の様な半泣きの訴えに、遥は小さく溜息を付いて横に居る青羽を上目でチラリと見やる。美乃梨と通話している遥をずっと見守っていた青羽は直ぐにその視線に気付いて、どこか落ち着かない様子ではありながらも笑顔を見せた。
「奏さん、俺、本当に美乃梨達が一緒でも大丈夫だよ」
バスの中でも言ってくれていたそれは、大変に有難い申し出ではあるし、確かに一番丸く収まる方法でもある。勿論それには、美乃梨に今日の趣旨を改めて言い聞かせて邪魔をしないと約束してもらわねばならないが、弱みを握ったに等しい今の状態ならさほど難しくもなさそうだ。沙穂の事も多少の気掛かりとしては在るものの、性格的に美乃梨ほどあからさまな妨害はしてこない筈なのでそこも何とかなるだろう。後は楓に関してだが、こちらは元々協力的な立ち位置の様なので特に何の心配も無い。
「んー…、美乃梨、ちょっと待っててね」
ざっと考えを巡らせてみた遥は美乃梨に断りを入れてスマホのマイク部分を手で覆いながら、青羽の方にきちんと向き直ってその顔をジッと覗き込む。
「早見君は、本当にそれで良いの?」
遥が改めてその意志を確かめると、青羽はそれにも笑顔を見せて小さく頷いた。
「うん、奏さんが…そうしたいなら…」
青羽から決定権を委ねられるという形での解答を得た遥は、その顔から視線を外して僅かに目を伏せる。
「…そっかぁ」
青羽が良いというのならば、元より「二人」である事には特に拘りのなかった遥もこれといって特に異論はない。であれば、後は青羽から裁量を託された遥が実際に決断を下して、それを美乃梨に伝えるだけだ。
「…美乃梨、お待たせ」
手で伏せていたスマホを再び耳元にあてがい通話を再開させた遥は、美乃梨に結論を報告する前に今一度青羽の方をチラリと見やる。その視線が最終確認の目配せである事を察した青羽が無言で頷きを返して来ると、それを認めた遥はスッと息を吸い込んだ。
「あのね、今日は予定通り早見君と二人で遊ぶから、美乃梨達はもう諦めて」
遥が吸い込んだ空気に乗せて淀みなく響かせたその言葉は、迷いも躊躇も無い極めて明瞭な物だったがしかし、これに驚いたのが通話向こうの美乃梨と横に居た青羽である。
『えぇぇぇぇ!?』
「か、奏さん!?」
青羽は目をまん丸にして、今の流れで遥が何故そんな結論に至ったのかまるで分からないといった様子で困惑頻りだ。美乃梨にしても、おそらくは何だかんだ言って根が甘い遥なら、最終的にはどこかで妥協してくれるものとでも思っていたのだろう。ただ実際には、遥が下した決断はその真逆、それこそ初志貫徹の今日という日を青羽と二人で過ごす事だった。
「もしこれ以上邪魔するなら暫く口きいてあげないから、ヒナにもそう伝えてね? それじゃバイバイ」
遥はそれだけ告げると、美乃梨の返事も待たず一方的に通話を終了させて再び青羽の方へと向き直る。
「また掛かってくるかもしれないけど、もう無視しちゃお?」
遥がちょっとだけ悪戯っぽく笑いながら借りていたスマホを差し出して返却すると、青羽はそれを受け取りながらも困惑を隠し得ない面持ちだった。
「奏さん…ど、どうして…? 俺…本当に―」
青羽は戸惑った様子で今一度「皆」でも良かった旨を告げてこようとするも、遥はその眼前に人差し指を突き付けて制止を掛ける。
「ボクね、気付いちゃったんだ」
その言葉の意味を計りかねた青羽が反応に困った神妙な顔になると、遥は目を細めてより一層悪戯っぽい小悪魔じみた笑みを作った。
「ふふっ、ねぇ早見君、今日はボクとデートしよっか!」
遥の口からいきなり飛び出した「デート」という単語に、青羽はかつてないほど愕然となって目を白黒とさせる。
「な…なっ…!?」
驚きと動揺のあまり言葉も出ない青羽の様子に、遥はクスクスと小さく笑い声を洩らしながらちょっとだけ得意げな顔になった。
「美乃梨がさっき『あたしもデートした事無いのに!』とか言ってたから、それでボクピンときたんだー」
美乃梨が捲し立てていた剣幕の中に在った一節がヒントになった事を告げて遥は引き続きの得意顔だが、これに青羽は愕然となりすぎて驚愕ここに極まれりだ。
「―!? ―!? ―!?!?」
青羽はもはや驚愕のあまり金魚か何かの様に口をパクパクさせて、声にすらならない疑問符を連ねるのがやっとである。
「早見君、驚き過ぎじゃない…?」
そんな事を言われても、今日の趣旨はあくまでも「お礼」であると自身に努めて言い聞かせていた青羽からすれば、驚くなという方が無理な相談だろう。
「か、奏さん…で、デートの意味…わ、分かってる…!?」
青羽がようやく絞り出すようにしてそんな疑問をぶつけて来ると、遥はちょっと頬を膨らませて心外の意を露わにした。
「それくらい分かってるよぉ、ボクを何だと思ってるの?」
その返答に青羽は殊更愕然となったが、遥はそれを他所にまたもや得意げな顔になって胸すら張って見せる。
「ボクね、やっぱり二人で遊びに行くだけじゃお礼には不十分なんじゃないかと思ってたんだけど、でもデートって事にすれば少しはそれっぽいでしょ!」
これぞ名案と言わんばかりの結構なドヤ顔をしてみせる遥ではあったものの、これに酷く混乱したのが当然の事ながら青羽だった。
「えっ…え? も、もしかして…それが…奏さんの『気付いちゃった』…こと…?」
もしかもなにも、ちゃんと道筋を作って順序良く説明していたつもりだった遥は、その問い掛けにキョトンとしてしまいながらもコクリと頷きを返す。
「うん…今言った通りだけど…?」
遥は何か不可解なところがあっただろうかと、今しがたの説明を自身で振り返ってみるも、別段引っかかるような事には何も思い至らない。それもその筈、遥の「気付いた」事は正しく今本人が告げた通りの事でしかなく、青羽が考えたであろう核心的な事に関しては、全くもってその限りでは無かったのだ。
そんな調子であるからして遥の言う「デート」も、本来の趣旨である「お礼」に準じたものでしかなく、それ以上の他意などはあろう筈もない。因みに、遥が皆で遊びに行っても良いという提案を受け入れなかったのも、青羽の本心を見抜いたから等では無く、意思確認をしている最中に丁度この「デートならお礼足り得る」という考えを思いついたからである。
「ほら、ボクっていちお女の子だし、デートって事にしたら早見君もなんかよくない?」
補足があるとするならばこんな所だろうかと遥が付け足したそれは、女の子としての自意識からというよりも、どちらかといえば元男の子としての発想だった。相手が誰であれ女の子とデートできるなんてテンションが上がらない訳がないと、元非モテの地味な男の子だった遥などは思ってしまう訳だ。
「…そ…そういうこと…かぁぁぁ…」
青羽も遥の余りにも頓珍漢な言い様でやっと大凡の理解が及んだようで、その表情を引きつらせながら酷くぐったりしてしまう。
「デート…ボクとじゃダメ…かな?」
少し不安そうな上目遣いで小首を傾げながらその是非を問いかけた遥の無自覚な所作はとても愛らしく、青羽がそれに一瞬呆けてしまったのはともかくとして、その返答自体は二つ返事だった。
「い、いや! 全然ダメじゃないよ!」
突然息を吹き返したかのような青羽の勢いに遥は少々ビックリしつつも、色よい返事をもらえた事にはパッと表情を明るくする。
「よかった! じゃあ今日はボクとデートだよ!」
青羽からの了承を得られた遥は、それならばさっそくデートらしさを演出して見せようと、意気込み満点の良い笑顔でサッと右手を差し出した。
「えっ…あっ…えっ? う、うん…」
青羽は戸惑いながらも握手だとでも思ったのか同じく右手を差し出して来るも、遥がしたかったのは勿論そういう形では無い。
「そうじゃないよー、もぉ、これはデートなんだからね?」
遥は苦笑交じりに間違いを指摘しつつ、青羽の右手をペチッと叩き落して、代わりに逆側の左手をその小さくも柔らかな手で握って見せた。
「あっ…そ、そっか…! お、俺…、こ、こういうの慣れてなくて…ご、ゴメン…」
青羽は握られた手と遥を交互に見やってかなりドギマギとした様子だが、その瞳が急に生き生きとしだしていたあたり、中々どうして満更でも無い様子だ。
「ふふっ、それじゃぁ今日は改めてよろしくね!」
かくして、無事に手も繋げた所で、あくまでも「お礼」という趣旨の上ではあるものの、ここにめでたく当人同士合意の上に依る青羽と遥のデートが遂に成立である。




