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4-10.レベル

「はぁ…スッキリしたぁ…」

 無事に用を足してすっかり人心地付いた遥が晴々とした顔で保健室に戻ると、青羽はベッドの脇から持って来たらしい椅子に座って何やら所在なさげな様子で俯いていた。

「あっ、奏さん、お帰り…」

 青羽は遥が無事戻って来た事に気付いて一瞬だけチラリと顔を上げるも、直ぐさま元通りに俯いてしまい、その上今度は何やらソワソワとしだす。

 その反応は、改めて目にした遥の恰好がやはり相当にきわどかったからなのだが、当の本人はそれをまったく気にした様子も無く、それどころか至って呑気な物だった。

「早見君、ありがとね」

 青羽の気など知りもしない遥は無邪気な笑顔でお礼を告げるなり、迷いのない足取りでその正面にまで真っ直ぐ歩み寄ってゆく。そうすれば必然として、体操着の裾から大胆に覗くその白くてほっそりとした太ももが完全に青羽の視界内だ。

「…っ!」

 そのきわどい恰好を直視しない様にわざわざ俯いていた青羽がこれにギョッとしたのは言うまでも無いが、それはまだほんの序の口に過ぎなかった。

「ん…?」

 正面に立っても相変わらず面を上げずに、一層ソワソワとしだした青羽の様子を遥が不思議に思って小首を傾げさせた所まではまだ良い。問題だったのは、直後に遥がその身にまとう丈がギリギリな体操着の胸元をチョンと摘まんで、何を思ったのかそれを少しばかり手前に引っ張って見せた事だった。

「あっ、これ…返した方が良いよね?」

 青羽の余所々々しい態度は半裸で居る為なのかもしれないと、遥がそんな見当違いをして、その返却を申し出た事はともかくとしてだ。胸元を引っ張った所為で、ただでさえきわどかった裾が持ち上がって一層きわどくなり、あわや太ももの付け根すらも見えてしまうのではないかという位に、それはもういよいよもってこれ以上ないくらいギリギリになっていた。

「おわっ! か、奏さん!? た、体操着はそのまま着てて良いから! そ、それよりも、す、す、裾が!」

 そんな必死な注意勧告をしながら、大慌てで相当に勢いよく顔を背けていた青羽の首は、もしかしたらこの時一八〇度近くにまでその可動域が達していたかもしれない。

 もちろん夜行性の猛禽類か何かでも無ければ実際はそんな事になるはずも無く、それは大げさな例えというやつではあるが、ともかくともかく青羽の慌てぶりはそれ程だった。

「うん…?」

 青羽の慌て様を他所にして、肝心の遥はといえば、やはりというか、今一つピンときてはいない様子で首を傾げさせる。胸元を摘まんだまま自分の身体を覗き込んで、かなりきわどい裾と太ももの境界を確かめてみても、それ以上ではないその状態は、遥かからすれば何の問題も在りはしない。

「別に平気だけど…」

 遥の中では確かに女の子としての羞恥心が急速成長中ではあったものの、それはまだ隠すべき所がちゃんと隠れていれば問題ないという程度のレベルでしかなかった。

 特に今は、それまでの状態に比べれば体操着一枚でも格段の安心感があった事と、直前の危機を無事に回避できた事に依る安堵感で、些か感覚が麻痺していたのかもしれない。

 そうでも無ければ、流石の遥と言えでも、今の恰好が所謂「はしたない」事くらいには気付いただろうし、普段から高校の夏服に感じているのと同程度の無防備感くらいは覚えたはずだろう。

 尤も、遥が高校の夏服に無防備感を感じている最大の要因は、冬服よりも生地が薄いスカートの履き心地が大部分を占めており、これはどちらと言えば元男の子的観点からくる物だ。

 もし今ここに楓が居て「カナちゃんが普段、ヒナちゃんの太ももを見ない様にしてるのと一緒だよ」とでも助言をしてくれていれば、遥の羞恥心ももう少しだけレベルアップできただろうが、残念ながら今回はその機会に恵まれなかった。

「何か良く分かんないけど…早見君が良いなら、とりあえずはミナが戻って来るまで、体操着借りてるね?」

 青羽の様子は今一つ釈然としないながらも、体操着を返却すべきかどうかの是非に対する解答を得られた遥は、それ以上そうしている必要も無いので胸元からも手を放す。これで裾も元通りだが、それは「かなりギリギリ」が「割とギリギリ」になった程度で、依然として際どい事には変わりなかった。

「か、奏さん、そ、その…できればベッドの方に…」

 このまま真ん前に立たれ続けては、目のやり場に困って仕方がなかった青羽が堪らず遥にその身をカーテンの奥へ隠すように勧めたのも仕方がない事だろう。

「ん…ベッドの方って…あっ、そっか」

 青羽の推奨する事柄を少し考えてから何か思いついた様子になった遥は、意外にも素直な反応を見せて、言われた通りにベッドの有るカーテンの奥へと向かってゆく。がしかし、残念ながらそれは、青羽の意図を察して実際にその通りにする為にそうした訳では無かった。

「んっ…しょっ…」

 そんな掛け声と共に、一度はカーテンの奥へと引っ込んだ筈の遥は、たいして重くも無い椅子をズルズルと引きずりながら再び青羽の元へと舞い戻る。

「…っ!?」

 その行動が予想外だったのか、青羽は愕然となっていたが、遥はそれに気付きもせず、引っ張って来た椅子を正面に据えて、その上にちょこんと腰掛けてしまった。

 座ったら座ったで、これまた際どい感じでその太ももが露わではあるものの、もちろん遥はそんな事等これっぽっちも気に留めはしない。

「い、いや、そういう事じゃなくて! ベッドの方に居た方が良いんじゃないかって!」

 青羽が先程は言葉足らずだったその意図を慌てて明確に訂正するも、やはり自覚のない遥はそれを不思議そうにして案の定のキョトン顔だ。

「えっ、なんで? せっかく、体操着貸してもらったんだし、それに…」

 遥はそこで一旦言葉を区切ると、少しばかり身を乗り出して、相変わらず明後日の方を向いている青羽の横顔をジッと覗き込む。

「こんな機会あんまりないから、早見君と少し話したいかなって」

 ちょっとばかりはにかんだ様子で小さく微笑みながら遥が告げたその言葉に、今度は青羽がキョトンとしてしまう番だった。

「えっ…?」

 それまで明後日の方を向いていた青羽が思わず正面を向いて、まるで狐狸にでもつままれたかの様な顔になってしまったのも無理はない。夏休みに入る前のここ最近は、毎朝恒例だった顔の傷チェックこそあったものの、それ以外の局面において遥は依然として青羽に対しては消極的な態度を取り続けていたからだ。

「か、奏さんから俺と話したいなんて…、そ、そんな事…初めてじゃ!?」

 流石にそれは大げさに過ぎるのではないかと思う遥だが、常日頃から青羽にそっけない態度を取っている自覚はあった為、これには少しばかり申し訳なさそうな顔をする。

「教室だと遠藤さん達が怖いから…、何か…ごめんね…」

 遥がそっけない態度を取っていた要因の一端を告げて謝罪をすると、これには青羽も思う所があったらしく、「あぁ…」と力のない感嘆を返して来た。

「そっか…そうだよね…、俺の方こそ、空気読まずにしょっちゅう話しかけてゴメン…」

 青羽は逆に謝りを入れてきて、これまた逆に大変申し訳なさそうな様子でしょんぼりとしてしまう。そちらも自覚があるのなら幾らか自重して欲しいと思わないでもない遥だが、今回は何もわざわざそんな苦言を呈したくて「話がしたい」なんて言った訳ではない。

「えっと…、それはまぁ、今後の課題って事で、それよりもそんな事じゃなくてね?」

 教室内におけるお互いの対応についてはここで掘下げると少し面倒な為、遥はそれを一旦脇に追いやると、本当に話したかった事に付いて切り出した。

「ボク、早見君に何かお礼をしたいなって…ずっと思ってたから…それでちょっと話したいと思ったの」

 これこそ青羽にとっては想定していなかった話題だった様で、まるで頭の上でピョンピョン飛び跳ねる狐と狸が見えそうなくらいに殊更キョトンとしてしまう。

「えっ…? 奏さんが…俺にお礼…? あっ…体操着、貸したから…?」

 一体何に対するお礼なのかが分からなかったらしい青羽は、差し当たって直近の出来事を上げて来たが、それだけならば遥は「ずっと」等という言い回しを使ったりはしない。

「今回の事もそうなんだけど、それだけじゃなくて…、今までにもいっぱい助けてもらってたから…」

 思えば、入学式の日にクラス分けの掲示を代わりに見てもらった事に始まり、遥はこの一学期間だけでも数えきれないくらい青羽に助けられて来た。

 もちろん、中には望まなかったものや、余計なお節介にしか過ぎなかった物もたくさんある。その度に遥は、「遠藤さん達」の目もあって、青羽に嘆息交じりのそっけない態度を取ったりもした。

 ただそれでも、青羽がその善良な人柄と真っ直ぐで前向きな性格をもって、心から自分の事を気遣ってくれていた事くらいは、遥にだって分るのだ。

 特に、青羽が駅前で賢治にしこたま殴られたあの一件以来、遥はそれを強く感じる様になっていた。

「あのね、早見君…、あの日以来…賢治はすごく優しくしてくれるんだよ…」

 それがきっと、青羽に受けた一番の恩だろうと、遥は少しばかり目を伏せながら想いを馳せる。毎朝車で学校まで送ってくれるようになった事は少々行き過ぎな気がしなくも無い遥だが、あの時あの場所に青羽が現れなかったら、きっとそんな贅沢な悩みも抱けなかった筈だ。

「そっか、良かったね奏さん」

 この時、その結果に前向きな共感を示した青羽が、その穏やかな口調とは裏腹に複雑な面持ちを垣間見せていた事を、目を伏せていた遥は気付かなかった。

「うん…だからね、早見君に何かお礼をしたいんだけど…」

 あの日以来、遥はずっとその方法を探していたのだが、遂には答えが出ないまま夏休みに入ってしまい、そして今に至っている。そこへ来て、こうして二人だけで話せる機会を得た為に、せっかくなので当の本人に答えを委ねてみようと、遥はそんな風に思ったのだ。

「早見君、何かボクにして欲しいこと無い? あっ、勉強の事とは別でね?」

 遥が先回りする様にして普段から見ている勉強に付いては除外すると、青羽は一瞬ギクリとした顔になってから、次には何やら喉の奥でゴクリと唾を飲み込む。

「勉強以外で…か、奏さんに…し、し、してもらいたい事…!」

 青羽がそれに対して一体全体どんな想像力を働かせたのかは、本人のみぞ知るところだ。

「ボクに出来る範囲で…、何かないかな?」

 突然そんな事を言われても、中々すぐには答えられるものでは無いだろうが、意外にも青羽は幾らかの思案を経てから何やら思いついた顔になった。

「あっ…それじゃぁ…あの…えっと…」

 遠慮がちに口に開いた青羽が俄かに緊張した面持ちを見せた所為で、遥もこれに釣られて思わず緊張してしまう。

「う、うん…」

 お礼とは言ってみたものの、無理目な要求をされたらその時はどうしようかと、遥は緊張から派生したそんな不安を覚えもしたがしかし、それも次の瞬間までだった。

「こ、今度、二人でどこか遊びに行こう!」

 もしかしたらそれは、それなりの勇気を振り絞った青羽なりの目一杯頑張ったかなり大胆な要求だったのかもしれない。密かに好意を寄せている女の子を遊びに誘うなんて事は、それこそ普段から「遊んでいる」者でもなければ、普通は中々に高いハードルだ。

 ただ、そんな青羽の頑張りを他所に、一体全体何を要求されるのかと半ば戦々恐々となりかけていた遥は、これにすっかり拍子抜けしてしまっていた。

「…えっ? そんな事で良いの?」

 遥からすれば、青羽の要求は単にクラスメイトとどこかへ遊びに出掛けるというだけの事にしか過ぎず、それは正しく「そんな事」程度の余りにも簡単が過ぎる話だったのだ。

「だ、ダメ…かな…?」

 ダメかどうかで言えば別にダメではないものの、それが果たしてお礼になり得るのかどうか些かの疑問が残る遥は、これには少しばかり考え込んでしまう。

「うーん…遊びに行くのは全然良いけど…そんな事でお礼になるの…?」

 遥が神妙な顔でその是非を問い返すと、青羽は大まじめな顔でそれに力強い頷きを返して来た。

「全然なるよ!」

 本人にそう断言されては、いくら腑に落ちないとはいえ、遥も取りあえずここは納得するよりない。

「あっ…うん、早見君が良いなら…、全然大丈夫だよ?」

 遥が承服した事により、要求を告げてからずっと緊張した面持ちのままだった青羽は心底ホッとした顔になる。

「よかった…! えっと…じゃぁ、日にちとか行き先は…また考えとくよ!」

 詳細な事までは考えていなかったらしい青羽は、具体的な事に付いてはまた後日として、遥もこれに付いては別段異論はない。

「あ、うん、じゃぁ何か思い付いたら、メッセージとかで連絡してね」

 そんな具合で話が纏まったところで、まるでそれを見計らった様に保健室の扉が開かれ、遥の着替えを取りに行っていた楓が何ともタイミングよく戻って来た。

「ただいまー、待たせちゃってごめんねー、カナちゃんが起きたこと報告しようと思って美鈴先生探してたら遅くなっちゃったー」

 そんな道中の事情を説明しながら帰還した楓の姿に遥はパッと表情を明るくして、それまで座っていた椅子からピョコッと立ち上がってすぐ傍まで駆け寄っていく。

「ミナ、おかえり!」

 楓は出迎えた遥の出で立ちに一瞬驚いた顔を見せるも、その奥に居る半裸の青羽の方を一瞬だけ見やって特に深くは聞いてこなかった。

「はい、これカナちゃんのリュック」

 楓が差し出して来た水色のリュックは、防犯ブザーがぶら下がっている事からも一目瞭然、遥の物でまず間違いがない。

「ありがとう!」

 楓からリュックを受け取った遥は、早速その中身へと着替えるべく、今度は本当にその身を隠すべくカーテンに仕切られたベッドの奥へパタパタと駆けてゆく。

「はぁ…」

 遥がカーテンの向こう側で着替え始めた所で、青羽は気が抜けた様なドッと疲れた様なそんな何とも言えない微妙な溜息を一つ洩した。もしかしたら、楓が戻って来るのを誰よりも心待ちにしていたのは、他でもない青羽だったのかもしれない。

「早見君、お疲れ様…」

 楓はねぎらいの言葉を掛けながら青羽の元へと歩み寄るなり、スッと身を屈めたかと思うと、出て行った時と同じ様に、その耳元に向って小声でボソリと囁き掛けた。

(カナちゃんとのデート、頑張ってね)

 これに青羽がかなりギョッとしたのは言うまでも無く、どうやら楓は、いつごろかは定かでは無いとしても、本当にタイミングを見計らっての帰還だった様である。

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