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4-6.無理難題

「奏さんも大変だよねー」

 直ぐ横で遥が今正に大変な思いをしているとも知らず、鼻歌混じりに着替えを進めていた小森茜は、身に纏っていた物をあらかた脱ぎ終えた所でふとそんな事を口にした。

「早見君と席が隣だと、色々あるでしょー」

 何かと思えば小森茜の話題は青羽に関する事で、確かに遥はその所為で一部の女子から刺々しい視線を浴びせられたり、聞こえよがしな嫌味を言われたりもしている。

「あっ…う、うん…」

 話しかけられている以上、反応しない訳にもいかなかった遥は取りあえずの受け答えはしたものの、正直なところ会話の内容はちっとも頭に入ってきてはいなかった。

 何せ、直ぐ隣ではクラスメイトの女の子がとんでもない状態になっているのだ。例え、俯いている遥には足の先くらいしか見えていないとしても、その周囲に散らばっている小森茜の制服やら下着やらはしっかりと見えてしまっている。それらがそこに在るということはつまりはそういう事で、遥は実物を直視できない分、余計に要らぬ想像力が働いてしまってもいた。

「うぅ…」

 遥は小森茜が早く着替えを済ませて更衣室を出て行ってくれる事を願うばかりであったが、残念ながらそれを叶えてくれる様な暇な神様は居なかった様である。それどころか、次の瞬間には遥の願いとは全く裏腹な方向へと状況は進んでいた。

「およ? 奏さん、着替えないの?」

 そんな問いかけと共に、俯いていた遥の視界に突如割り込んできた小森茜の顔。

 小森茜は膝を曲げた態勢で片手に水着を握っている所からすると、おそらくは足元に置いてあったリュックからそれを取り出すためにしゃがみ込んだのだろう。

 小森茜がその過程で遥の着替えが全く捗っていない事に気付いて、その事を問い掛けて来ている事は取りあえず良い。いや、良くは無いがそれよりも問題だったのは、下から覗き込んできている小森茜の顔と共に、その胸元に備わる見事な二つのお山までもが遥の視界に入って来ていた事だ。

「ひっ…!?」

 想像よりも数段ド迫力だった二峰の豊かな肌色山脈。きっとそれは、大抵の男ならば一度と言わず何度だって昇ってみたいと思う魅惑の地だ。がしかし、突如目の前にそびえ立ったその秘境を前にして遥の口からは飛び出たのは、何とも情けない悲鳴であった。 

「んにゃ? どうしたの?」

 遥の反応を殊更不思議そうにした小森茜が身体を伸び上がらせてくると、当然ながらその下に形成されている二つのお山も一層の迫力と存在感を持って迫りくる。

「あ、あわわわっ…」

 小森茜が近づいて来た分、遥は反射的に一歩後ろに下がろうとしたが、その足元には先程自分で脱いだスカートがそのままの状態で放置されていた。

 かなり動揺していた遥と足元のスカート、それらの合わさった結果がろくな事にならなかったのは言うまでも無いだろう。

「にゃわっ…!?」

 後ろに下がろうと一歩引いた足がスカートを踏んづけ、その途端に遥の身体からはバランスという概念が一瞬にして消え失せていた。

「ふぇぇ!?」

 そこから先に起こった事は、瞬く間も無い程のあっという間の出来事だ。

「か、奏さん!?」

 目の前で盛大に体勢を崩した遥にビックリしながらも、意外と反射神経は良いのか、咄嗟に立ち上がって腕を掴んできた小森茜。

「ふぎゅっ…!」

 後頭部を固い床に打ち据えなかった代わりに、何やらやたらと柔らかな物に顔から突っ込んでいた遥。

「あっ…ぶなぁ!」

 結論から言えば、慣性の法則に任せるしかなかった遥の身体を制していたのは、万有引力に見事勝利した小森茜の膂力だった。

 ただし、それが遥にとって最良の結果だったかどうかという点に関して言えば、それはまた少しばかり話が別だ。

 もしもこれがごく普通の標準的な体格をした女子高生だったならば、結果はもう少し違っていたかもしれないが、遥はそれに程遠いちんまりした幼女である。身長は一四〇センチに満たず、体重はせいぜい三十キロ在るか無いかという、只でさえ大した利点のないその小柄で軽量な体格が今回は完全に仇となっていたのだ。

「うっ…う…?」

 遥は当初、自分の身に何が起こったのか、そして自分が一体どうなったのか分からずただただキョトンとしてしまっていた。全てはあっという間の出来事で、咄嗟の事に目をつむってしまっていた所為もあって、自身の状態を良く把握できていなかった事もある。

「奏さん軽いねぇ、おかげでちょっと勢い余っちゃった」

 お気楽な調子でそんな事を口にした小森茜の声が極至近距離から聞こえて時点でも、遥はまだ事態を飲み込めてはいなかった。

「あっ…えっ…と…ありが―」

 遥が全てを理解したのは、状況が分からないながらも、小森茜にお礼を述べて、自力で態勢を立て直そうとした次の瞬間の事である。

「―と…?」

 態勢を立て直すと共に瞼を開けた遥の眼前に広がっていた大パノラマの肌色山脈。そう、それこそが正しく遥が正面から突っ込み、今の今まで顔をうずめていた「やけに柔らかな物」の正体に他ならなかった。

「ひっ…ひぎゃぁ!」

 全てを理解した遥が思わずそんな奇声を上げてしまったのも無理からぬ話である。

「か、奏さん!? ど、どしたの?」

 小森茜は突然の奇声にかなり戸惑った様子を見せるが、遥としてはどうもこうもなかった。こんな事ならば、いっそあのまま後ろにひっくり返っていた方がまだマシだったのではないだろうかとすら思わずに居られない。

 病院で女性看護師に介護してもらっていた時や、美乃梨のクロスレンジなスキンシップ等で、女性の胸が顔に押し当る様な体勢になった事は今までにも何度か経験がある。しかしながら当然それは衣類越しであったし、最も頻度の高い美乃梨のそれに限っては、山というよりも丘といった様相の割と控えめな物でもあった。だから平気という訳では勿論ないが、いずれにしろ一糸纏わぬ状態にあるそれに顔から突っ込んでしまった事等は未だかつて経験の無かった事だ。

「ご、ご、ご、ごめんなさい!」

 遥は頭のてっぺんから湯気でも吹き出そうなくらい真っ赤になった顔をその小さな両手で覆いつくしながら、かなりの上ずった声で堪らず謝罪の言葉を口にする。

「えっ? えっ? ほんとにどうしたの?」

 遥を同性のクラスメイトとしか思っていないだろう小森茜は、当然の事ながら意味が分からずに唯々困惑するばかりだ。

「あたしが強く引っ張り過ぎた所為で、頭打っちゃった…とか?」

 しきりに首を傾げさせながらそんな事を心配する小森茜だったが、そのたわわなお山が衝撃をすべて吸収してくれたお陰で遥はたんこぶ一つ作ってはいない。

「あ、あ、頭は、だ、だいじょうぶデス!」

 その動揺っぷりでは別の意味で頭がどうかしたのかと思われても仕方がない所ではあったが、幸い小森茜は困惑しながらも別な可能性を見出していた。

「あー、ひょっとして…」

 何らかの推測に至ったらしい小森茜が口にしたその枕詞に、遥は思わずビクッと身震いして戦々恐々とする。

「ひっ!」

 またもや小さく悲鳴を上げてしまった遥は動揺するあまり、小森茜が自分の素性に気付いてしまった可能性と、その先に在るだろう恐ろしい状況をも想像してしまう。尤も、もしもここまでの事だけで遥の素性に勘付ける者がいたとしたら、それは何か人知を超えた特殊な能力を持っているか、もしくは少し残念な持病があるかのどちらかだ。そして、そのどちらでも無い只の女子高生である小森茜が導き出していた結論は、当たり前の様に何の事は無いごくふつうの事柄でしかなかった。

「奏さんって、女の子同士でも着替えとかボディタッチとか恥ずかしいタイプなんだねー」

 小森茜が至ったその普通すぎる結論は、遥にとっては少々予想外で、拍子抜けすると共に思わずキョトンとしてしまう。

「えっ…?」

 疑問符を浮かべながらついつい顔を上げてしまった遥だが、その眼前には広がっていたのは相変わらずの絶景だ。

「ひにゃっ!」

 今一度の奇声を上げてしまった遥は、慌てて顔を両手で覆い直して借りて来た仔猫の如く、ただでさえ小さな身体をより一層小さく縮こまらせる。そんな遥の反応はともすれば不審極まりなかったが、小森茜はむしろそれで確信を得たらしく、何やら一人で勝手に納得頻りといった様子を見せていた。

「あー、やっぱりそうなんだー、そういう子って割といるもんねー」

 遥が今こうして酷く動揺しているのは、女の子になった今でも依然として根深く残っている「男の子」の部分に由来しているので、小森茜の推測は些かの見当違いではある。とは言え、遥が今はもう女の子であり、現在気まずい程に恥ずかしい思いをしているという観点からいくと、あながち完全な的外れとも言い難い。

 ならば遥としては、ここは一先ず小森茜の勝手な思い違いに便乗しておく事が今できる最良にして唯一無二の選択肢だった。

「そ、そ、そう…なの! だ、だから…は、はやく着替えて…ください!」

 遥が両手で顔を覆ったままブンブンと首に縦を振りながら必死の懇願をすると、小森茜はそれを聞き届けてくれた様で、その気配が正面から横へ移動してゆく。

「あたしは全然気にならない方だったから、気付かなくってごめんねー」

 お気楽な調子でそんな事を口にした小森茜の声も横から聞こえてきた為、遥が顔を覆っていた両手の隙間から恐る恐る正面を窺うと、そこに在るのはロッカーだけだった。

「ほっ…」

 まだすぐ横で小森茜が着替えている事を思えば、依然として安心には程遠い状況ではあるが、少なくとも目の前に全裸の女の子がいないというだけで遥は随分と気が楽だ。

「そういえば奏さん達ってあんまりスキンシップとか多い方じゃないもんねー」

 遥の懇願通り着替えを進めてくれているらしい小森茜が横でごそごそしながら口にした「奏さん達」の「達」とは、おそらくいつも一緒にいる沙穂と楓の事だろう。

「あっ…う、うん…そう…だね…」

 小森茜が指摘した通り、沙穂にしろ楓にしろ、どこかのなだらかな丘を要する誰かとは違って、普段は必要以上にベタベタしてきたりはしない。因みにこれは、遥の素性やその初心な性格を知っている沙穂と楓が気を使っていると言うよりも、単に二人がそういうタイプというだけの事である。何故そう言い切れるのかと言えばそれは簡単で、遥だけでなく沙穂と楓の間にもそれほどスキンシップは多く無いからだ。

「あー、奏さんが早く来てたのって、他の子と着替えの時間をずらしたかったからだー」

 断定的な言い回しをしている辺り、小森茜は相変わらず一人で勝手に納得してしまっている様だが、これに関しては正しくその通りの大正解である。

「よしっ、終わったからもう大丈夫だよー」

 小森茜は雑談をしている間にも着替えを済ませてくれた様で、遥が横目でチラリとだけ確かめると、実際にあの見事なお山はもう水着の下で鳴りを潜めてくれていた。

「あっ…う、うん…え、えっと…それじゃぁ…ボクも…着替えないと…」

 隣に全裸の女の子が居なくなった事で、遥も小森茜が現れて以来下着姿のままこれっぽっちも捗っていなかった自身の着替えをここでようやく再開させられる。

 この時点での時刻は午前八時を回ったあたりで、そろそろ他の女の子達がやって来てもおかしくは無い時間だった。

 着替えを再開させた遥も、今まで腕に嵌めたままでいたスポーツウォッチを外す際に現在時刻を確認した事で、時間がかなりひっ迫している事を知り、そこから先はもちろん大慌てである。

「あわっ…!」

 慌てるあまりショーツが足に絡まってつんのめりそうになったりと、危なっかしい事この上ない遥だが、その横では小森茜が実にのんびりとした様子で対照的だった。

「奏さんのパンツ凄く可愛いねー、いいなー、あたしもこういうの欲しいなー」

 自身の脱ぎ散らかした衣類を回収していた小森茜は、遥がたった今脱ぎ捨てたばかりのショーツをも拾い上げながら、そんな如何にも女の子っぽい感想を述べて来たりもする。

 自分の穿いていた下着を女の子が手に取るその状況は、遥にとって若干のトラウマ物では有ったが、今は着替えを済ますことが先決で、それに構っている余裕もない。がしかし、小森茜が酷く何気ない調子で次に口にした事に関しては、流石の遥も着替えの手を止めざるを得なかった。

「ねぇ、そういえばさ、終わった後の着替えはどうするつもりなの?」

 小森茜からすればそれは、今までの流れからごく自然に辿り着いた至って当然の疑問だったのだろう。ただ、如何にしてスムーズに補習へ出るかにばかり気を取られていた遥からすると、それは全く想定していなかった完全なる盲点というやつだった。

「あっ…あーっ!」

 今の今まで、そんな当たり前の事に頭が回っていなかった自身の間抜けさ加減に、遥は堪らず頭を抱えそうになる。

 一難去ろうとしていた所に浮上した新たなもう一難。最初の難ですらも結局は完全に回避できなかった遥にとって、最早それはどう頑張って対処の仕様がない無理難題以外の何物でも無かった。

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