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4-4.忠告

 当初は小学生に混じってラジオ体操なんて、とそう思っていた遥だが、いっそ開き直ってこれをやり遂げてみると、終わった後には思いのほか清々しい気分だった。

 思えば、こんな風に身体全体を使って運動するのは病院でリハビリに励んでいた時以来の事で、久々にやってみるとこれが存外に気持ち良かったのだ。

 遥は今の身体になって以来ひどい運動音痴だが、そこは流石お年寄りから小さな子供まで幅広く親しまれているラジオ体操といった所だろうか。

「よーし、それじゃあ今日はこれで終わりだ!」

 CDラジカセの音楽が止まって「おっちゃん」から終了の宣言が為されると、小学生達は今まで綺麗に保っていた隊列を一斉に崩して、我先にと駆け出してゆく。もちろん彼らが向かう先は「おっちゃん」の元で、その目的はおそらく首からぶら下げている出席カードにスタンプを押してもらうためだろう。最終日になるとカードに押されたスタンプの数に応じて粗品が貰えるので、小学生達にとってはラジオ体操をする事自体よりもこちらが本命という訳だ。

 遥の記憶では、皆勤賞でもそんなに大した物は貰えなかった筈だが、粗品の内容は地区によって差があるので、もしかしたらこの辺りは意外と豪華なのかもしれない。

「んーっ!」

 遥は小学生達がワラワラと「おっちゃん」に群がっているのを眺めながら、両手を広げてラジオ体操によってすっかりほぐれた身体で大きく伸びをする。それから腕を戻しがてら手首に嵌めていた青いスポーツウォッチを見やれば、時刻はそろそろ七時を回る頃合いだった。六時台には完全な無人でその門が固く閉ざされていた学校も、これくらいの時間になれば開いている可能性は十二分だ。

「とりあえず、もっかい行ってみようかな」

 もしまだ開いて無ければ、再びここに戻って来て今度こそ読書でもすればいいかと、遥はそんな事を考えながらリュックを置き去りにしてあるベンチに向って歩き出す。がしかし、その歩みが一メートルも進まない内に、遥は同時に二つの予期しない事柄に直面して、その場でピタリと足を止める事を余儀なくされた。

「おいっ! コレ、お前の分だぞ!」

 まず一つは、背後から突然肩を掴んで来て、相変わらずの強引さで遥を半ば無理やりその場に引き留めた太一君。遥が肩越しに一瞬だけチラリと後ろを振り返れば、太一君の肩を掴んで来ていない方の手には、小さなパックのジュースが二本握られていた。

 どうやら太一君はわざわざそれを渡しに来てくれた様で、案外優しくて面倒見がいい子なのかもしれない。そんな太一君の方は取りあえず素直にジュースを受け取るなり、それを譲ってあげるなりすれば良いとして、問題なのはもう一方の予期しなかった事柄の方だ。

「えっ…えぇ…」

 太一君に肩を掴まれたまま、その場で唯々困惑するばかりだった遥が直面していた「それ」は、これから向かおうとしていたベンチの方で起こっていた。もっと正確に言うと、「それ」は、遥が置き去りにしたリュックのすぐ真横、正しくそのベンチに腰掛けて居たのだ。

 居たと言うからにはつまり「それ」は人な訳だが、それで何故遥が困惑しているかと言えば、勿論それが知っている顔だったからである。

「ど、どうしよう…」

 どうもこうも、学校へ向かう為にはリュックを回収しない訳には行かず、そうなれば必然的にその横に腰を下ろしているかの者と相まみえる事も避けられはしない。

「あ? なんだお前…もしかして、アイツが怖いのか…?」

 太一君も小学生ながらに何となく事情を察した様だが、件の人物が怖いかどうかで言えば遥は別に怖くは無いし、普段ならむしろ自分から進んで話しかけたりもするだろう。がしかし、今ここでこのタイミングでとなると、それは全くもって話は別というやつだった。

「あ、あの…えっと…」

 この状況下でノコノコと出て行こうものなら、子供達に混じって小学生ならではの行事である夏休みのラジオ体操に興じていた事がほぼ間違いなく即バレだ。

 確かに朝のラジオ体操は実に気持ちの良い運動ではあったが、思春期真っ盛りで相応に自尊心の分厚い遥にとって、それを知られる事はやはりどうしたって恥ずかしかった。

 特に常日頃から、自他共に認めるどう見ても小学生なちんまりとした幼い外見に大いなるコンプレックスを持っている遥かなだけに余計である。

 幸い、向こうはまだ此方に気が付いて無い様で、そうとなればここで遥が取れる最善の行動は、逃げの一手以外には無かった。

「た、太一君、あ、あっちに行こう!」

 方針の決まった遥はさっそくとばかりに、太一君の手を取ってベンチとは全くの逆方向へその進路を取ろうとしたが、物事そうそう上手く運ばないのが世の常だ。

「んだよ、情けねーなぁ、俺に任せとけよ!」

 あろうことか、妙な男気を見せた太一君が逆に遥の手を取り返して、件の人物の居るベンチの方に向って歩き出してしまったのである。

「なっ! ちょっ、ちょっと!」

 遥の力では体格に勝る太一君の手を振りほどけない事は既に実証済みで、こうなってはもうこのままベンチの方まで引っ張られていくしかない。そして、当然その距離が縮まれば向こうがこちらに気付くのは最早時間の問題だったが、遥にはそのわずかな猶予すらも与えられなかった。

「おーい!」

 またもやあろうことか、太一君が実に気安い感じで、大きく手を振りながらその人物に呼びかけてしまったのである。どうやら太一君は件の人物と知り合いだったらしく、道理で自信満々に遥をここまで引っ張って来た訳だ。

「おー? 太一かー! それに遥ちゃんさんも! おはざーっす!」

 太一君の声に反応すると共に遥の存在にも気付き、過去に矯正した筈の妙な敬称を相変わらず用いて挨拶を送って来たその人物はそう、塚田兄弟の三男坊、智輝だった。

 塚田家は直ぐ近所なので、智輝が地元の小学生である太一君と顔見知りである事や、この公園に来る事自体は別段不自然では無いが、遥からすれば何とも不運な遭遇である。

「うっ…智輝君…、お、おはよぉ…何でこんな朝早くに…」

 遥が気まずさいっぱいの挨拶と共に、ここへやって来たその理由を問い掛けると、それに対する智輝の解答は至って単純明快だった。

「俺は犬の散歩っす」

 言われてみれば確かに、智輝の手にはスコップのはみ出たビニール袋と赤いリード紐の束が握られている。要するに智輝は、紆余曲折あってここに居る遥なんかよりも、よっぽど真っ当で日常的な理由でここに居るという訳だった。

 因みに、塚田家で飼われている犬は「チロ」という名前の白いモフモフとした中型の雑種犬で、遥もかつて光彦を訪ねて遊びに行った際に何度か遊んでもらった事が在る。当のチロはいずこかと遥が周囲をぐるり見渡してみると、今現在はリードを解かれて「おっちゃん」からスタンプを貰い終わった子供たちと広場でハッスル中だった。

「そ、そっかぁ…チロ、元気そうだね…」

 子供達とチロの随分と慣れ親しんだ様子から、智輝とこの公園の組み合わせはかなり日常的な様だが、遥からすればやはり不運としか言いようがない。

「お前、智輝と知り合いだったのか?」

 二人のやり取りを聞いていた太一君はそれをかなり意外そうにするも、だからこそ智輝とは顔を合わせ辛かった遥はその顔を引きつらせるばかりである。

「う、うん…そう…なんだけど…ね…」

 まさか本人を前にして知らん顔をする訳にも行かない遥が智輝と知り合いである事を認めると、その返答に太一君は口をとがらせて不服を露わにした。

「何だよー、だったらわざわざ俺が付いて来なくてもよかったじゃねーか!」

 遥は一度たりともそんな事をお願いした覚えはないし、そもそも逃げようとしていた所を無理やりここまで引っ張って来たのは外ならぬ太一君である。ただ、当の太一君はそんな事はお構いなしで、おまけに遥がそれを反論する間もなく、既に次の段階へと移行していた。

「そんなら俺はもう行くからな! ほら!」

 太一君はそう言い放つなり勢いよく手を差し出してきて、遥はその目まぐるしくも突然だった行動に少々呆気に取られもしてしまう。尤もそれは何の事は無く、ただ単に当初の目的であるジュースを差し出してきているだけの事だった。

「あっ…うん…ありがと…」

 遥が取りあえず言われるがままジュースを受け取ると、太一君はこれでもう用は無いとばかりにサッと踵を返してそのまま広場の方へ向かって駆け出してゆく。

「そんじゃぁな! 智輝、殺し屋によろしくな!」

 太一君が去り際に言い残していったその「殺し屋」は、まず間違いなく塚田兄弟の長男、光彦の事だろう。

「殺し屋…かぁ…」

 言い得て妙ではあるとしても、光彦が地元の子からそんな渾名で呼ばれている事に遥は友人として同情する事頻りだ。ただ、太一君が居なくなった事によって智輝と二人っきりになってしまった遥は、最早呑気に光彦の事を憂いている場合では無かった。

「いやー、あいつ近所の子なんすけど、生意気でスンマセン…」

 智輝はまず、チロと戯れている子供達の輪に合流した太一君を眺めながら、若干申し訳なさそうにそんな謝罪を告げてくる。智輝がそれを謝る筋合いなのかどうかは若干の疑問が残るところではあるが、遥は太一君の態度に関しては別段気にしてはいない。

「あ、うん…小学生の男の子なら、あれくらい普通だよ…」

 遥は当たり障りの無い返答をしながら、その一方でどうすればこの状況を無難に切り抜けられるだろうかとその思考をフル回転させる。がしかし、その甲斐もなく、遥はそれが全くもって無駄な労力である事をすぐさま思い知らされる事となった。

「そういえば遥ちゃんさんは、どうしてこんなところでラジオ体操に参加してたんスか?」

 いきなりズバリ核心に触れて来た智輝の問い掛けに遥が愕然となったのは言うまでもない。

「あっ…え、えっと…」

 ラジオ体操に参加するに至った経緯は割と単純で、比較的簡潔な説明で済む話しだが、遥としてはやはりそれを明かす事には自尊心が邪魔をしていくらも抵抗がある。

「あー…ら、ラジオ体操? な、なんの事…かなぁ?」

 結局、遥に出来たのはとりあえずダメ元で白を切って見せるくらいで、そしてそれは案の定全くの無意味であった。

「えっ? 俺、遥ちゃんさんが太一の横でラジオ体操してるのずっと見てましたよ?」

 これではもう遥は一切の言い逃れが出来ず、素直に小学生達と一緒にラジオ体操に興じていた事を認めるしかない。そもそも太一君と共に現れた事を智輝が全く驚いていなかった時点で、この結末は半ば目に見えていたものでは有った。

「そっか…見てたんだ…」

 それがどの辺りからなのかは定かでないが、それが分かった所で大して意味は無く、遥はただただガックリと肩を落として項垂れる。

「…うん…なんか…成り行きでね…」

 小学生に間違えられてと言わなかった辺りは、遥なりのささやかな抵抗だ。

「なるほど成り行きっすかー、にしても、遥ちゃんさんすげー馴染んでましたよ。おかげで最初は直ぐに分かんなかったくらいっす」

 できれば分からないまま見過ごしてくれていればよかったのにと、そう思わずには居られない遥だが、今更そんな事を言ったところで後の祭りである。

「そういえば―」

 智輝が先程とまったく同じ切り出し方をしたので、遥はビクッとして思わず身構えずにはいられない。ただ、幸いと言って良いかどうかは微妙なところながらも、智輝はラジオ体操の件についてはそれ以上追及してこずに、その代り別な事に付いて訊ねて来た。

「遥ちゃんさんはこれから学校みたいっすけど、部活とか入ってましたっけ?」

 智輝が新たに繰り出して来たその問いかけは、おそらく当人としては別段他意の無い世間話レベルの疑問だっただろう。遥としてもラジオ体操の件から話が逸れた事については取りあえずホッと一安心だったのだがしかし、これはこれで中々にナーバスな話題ではあった。

「あ…えっと…体育の補習で…」

 ラジオ体操絡みの事で一時その事が頭から離れてはいたものの、思い出してしまったとなれば、遥はもうその事で気が重いばかりである。下手をしなくともそれは小学生に混じってラジオ体操に興じていた姿を智輝に目撃されていた事なんかより、よっぽど深刻でかなり根深い問題だった。それに元をただせば、小学生に間違えられてラジオ体操に参加する羽目になったのも、この事が元凶と言えなくもない。

「体育の補習すっかぁ」

 遥の回答を得た智輝は、成程と言った感じで得心がいった様子を見せたが、次の瞬間不意にその表情を曇らせた。

「体育の補習って、確か水泳ですよね…」

 その内容に付いても触れて来た智輝は一層表情を曇らせて、何やら難しい顔で考え込んでしまう。

「水泳が…どうかしたの?」

 自身の心情はともかく、遥は補習内容が水泳である事と智輝のトーンダウンにどんな因果関係が有るのか分からず、これには少しばかりの困惑だ。

「いや…その…うーん…」

 遥の問い掛けに対して、智輝は何やら言い難そうにしてまたしばし考え込んでしまったが、ややあってから突然意を決した様な面持ちになった。

「遥ちゃんさん! 東側のプールサイドには絶対、立たないで下さい!」

 智輝が如何にも深刻そうな面持ちでしてきたその忠告は余りにも意味不明で、これに遥はキョトンとする以外ない。

「えっ? 何で?」

 遥が即座にそう問い返したのも殆ど必然だったとして、問題はそれに対する智輝の何とも煮え切らない態度だった。

「何でって…その…だって…ま、マズいんすよ…」

 こんな回答では遥が納得出来る訳は到底無く、ならば当然ながらその追求の手を緩める事も無い。

「ちゃんと教えてくれないと分かんないよ?」

 遥が一歩距離を詰めてその瞳をじっと覗き込む様な形で問い詰めると、これは効果てきめんだった様で、智輝はかなり焦った様子であっさりと事の全容を白状した。

「ち、近いっす! あーもう、東側のプールサイドは写真部が狙ってるんすよ! 要するに盗撮っす! しかもあいつら、撮った写真を裏で男子に売り捌いてるんスよ!」

 何かと思えばそういう事の様だったがしかし、遥はこれに殊更キョトンとせずには居られない。

「えっ…うん…?」

 智輝の言っている事自体は一応理解が出来たものの、まるでピンと来ないと言うのが遥の正直な感想だった。

 男子が女子を隠し撮りして、それを裏でやりとりしているという話しは、遥が男の子だった時代にもあったので、それ自体には別段不思議はない。ただそうは言っても、自分がその対象になっている何て言う話しになると、それは遥にとって全くリアリティが無かったのだ。

「…ボクの水着写真なんて、欲しがる人いるの?」

 何せその身体は先ほど智輝も言っていた様に、小学生と見分けがつかないくらいには貧相なちんまりとした幼女である。悲しいかな、その事を誰よりも良く知っている遥は、そんな自分の水着姿を収めた写真に需要が在るとは到底思えなかった。

 もしそんな物を実際に欲しがる奇特な男子高校生が居るとするならば、遥は是非とも直接目に掛かりたいくらいである。

「遥ちゃんさんの水着写真とか激レアのプレミア物っすよ! 俺だってそんなの売ってるの見つけたら買っちゃうかもしれないっす!」

 何やら若干興奮した様子でその価値を力説する智輝であり、自分の水着写真を欲しがる男子高校生に存外早くお目にかかれてしまった遥であった。

「だから東側のプールサイドには絶対立たないでください! 万が一に遥ちゃんさんの水着写真が校内に出回ろうものなら、俺はもうどうしたらいいか!」

 遥には智輝の奇特で複雑怪奇なその心境は全く理解できなかったが、実際にこうして実例を前にしてしまっては、その忠告自体は素直に聞いて置いた方が良さそうではある。

「う、うん…それじゃぁ、気を付けておくね…」

 遥がようやく承服したので、智輝もホッとした面持ちになって、二人がそんなやり取りをしている間に、時刻はとっくに七時を回ってそろそろ半にもなろうとしていた。

「あっ、俺、そろそろ部活に行く準備があるから帰らないと!」

 先に現在時刻に気付いたのは、時計塔の有る広場の方を向いていた智輝で、その言葉で遥も自身の腕時計を見やってギョッとする。

「うわっ! もうこんな時間!」

 補習が始まるまではまだ一時間以上もあるが、誰よりも早く行って人知れず着替えを済ますという目的が存在する遥はもう幾らものんびりとはしていられない。このままここで油を売っていて万が一にも出遅れようものなら、只でさえ無駄な早起きの意味が小学生と一緒にラジオ体操をしただけで終わってしまう。

「ボクも行かなきゃ! それじゃ智輝君またね!」

 遥は大急ぎでリュックと本を回収すると、智輝への挨拶もそこそこに、思いがけず色々な事があってちっとものんびりできなかった朝の公園を慌ただしく後にした。

 公園を去り際、智輝が二番目の兄の名を交えて何やら叫んでいた様な気がしないでも無い遥だったが、最早それを気にしていられる余裕が無かった事は言わずもがなである。

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